04:聖歌の法術
「オルエラさん、まずはお互いのことを知らないといけないと思うの!」
「……馴れ合わないと私は言った筈だけど?」
「これは馴れ合いじゃなくて、必要な情報確認です!」
私と向き合うように座っていたリリシャナはいつもの調子でそう言った。
確かに必要なことではあるとは私も思うけれど、どうにも彼女の振るまいが鼻についてしまう。
いちいち気にしても仕方ないと割り切って溜息を吐く。
「……じゃあ、お互いが得意としていることを改めて確認」
「うん。じゃあ〝ライブラリ〟を見せた方が良いかな?」
〝ライブラリ〟。それは神が人に与えた〝原書〟のことを示している。
原書は実際には書ではなく、書のように見立てた自分たちの取得している法術などを一覧で確認出来る。更に、取得している法術の習熟度もイメージで確認することが出来るといった代物だ。
一定の年齢になった後、教会で神の洗礼を受けると自分の意志一つで空中に本のページのように投影することが出来るようになる。
これを見せ合う、というのは信頼の証とも言われている。当然、全ての情報を見せることはしない。あくまで人に見せるための名刺のようなものだ。
「……別に良い。それにそこまでの関係になるつもりはない」
人にライブラリを見せたことなんてなかったので、人に見せるためのページを組み立てていないので、そんな言い訳が出てしまった。仲良くする気もないのも本音ではあるのだけど。
「それもそっか。えっと、私は前に言った通りに癒しの法術と聖歌の法術、あとは護身術と、結界の法術も使えるけど、期待は出来ないかな……」
「それが出来れば一人でも活動出来たでしょう」
「オルエラさんは?」
「……体術を広く浅く、武器を使うなら剣が得意よ。法術は広く知られているものなら大凡、使うだけなら。得意なのは主に風を操る法術よ」
「ほえー……」
関心しているのか、呆れられているのか、随分と間の抜けた声を上げながらリリシャナは私を見る。
「じゃあ、前衛は完全に任せて……そうだね、オルエラさんが怪我をしたら私が治癒をするよ。それ以外は聖歌での支援。私は自分の身は自分で守るから、私の支援を受けてオルエラさんが頑張る……だと、オルエラさんが働き過ぎかな?」
「互いの能力を考えれば、その判断は正しい。反対する理由はない」
本来、組む必要もない相手なのだから。リリシャナが勝手に私を支援して、私はいつものようにやる。それで良いなら何も問題はない。
「オルエラさんがそう言ってくれるなら。じゃあ、今度一緒に単位の選択に行こう!」
「……はいはい」
* * *
人は法術を何に使うのか? 何のために学び、力をとするのか。
法術の利用用途は様々であり、その多くは生活と密接している。だからこそ神がもたらした恩恵は人に文明の発展を促した。
そして神が人にリライターとしての資格すらも許した後、世界は混沌に傾いていった。
概念に重ねる概念や、概念に対する概念の創出。派生、反証、対立、一つの概念に対して新たな概念が生まれて、人は原書の信仰から更に踏み込んで個性を獲得していった。
その混沌は、やがて人同士を争わせた。概念に対する解釈や信仰の在り方で分化していった者たちはかつての同胞にすら神から授かった恩恵を武力として行使した。
法術は神から与えられた力であると同時に、人の愚かさの歴史を詰め込んだ象徴とも言える。
そして人が新たに生み出した概念や法術が広く浸透した後、世界には〝理より外れた者〟が現れるようになった。
それは人類の天敵。法術と源を同じとする歪な術を使う、歪んだ形で世界に現れる世界の天敵。それを人は〝魔物〟と呼んだ。
人同士で争い、魔物という天敵を生んだ。それこそ人間の愚かしさの証明であり、罪そのものである。
「――〝風刃〟」
私の手にした剣、その振り抜いた軌道に合わせて風の刃が放たれる。私の風の刃が向かった先には、法術で再現された魔物がいる。
魔物は動植物に取り憑き、悪意と呼ぶべき力で変質された存在だ。それ故に元となった素体を凶悪にしたような姿をしている。この魔物は狼によく似ている魔物だ。
私に牙を剥こうと飛びかかってくる魔物に対して、その開いた口をそのまま両断するように風の刃が飛翔していく。上下二つに分かれた狼の魔物は塵のように形を失って散っていく。
(……認めたくはないけど、いつもより調子は良い)
剣を振る動作、法術を発動させるためのイメージ、そして威力そのもの。その全てがいつもより向上していることを認めざるを得ない。
向上の理由は、私の後方で歌うリリシャナによるものだ。身長よりも少し短めな杖を構え、自分の周囲に結界を張りながら聖歌を歌っている。
聖歌、それは神を讃える祈りから生まれた法術だ。それは歌に念を込め、歌詞に込められた祈りや願いを効果として対象に付与するもの。
効果範囲が広く、自由度も高く親しまれやすい法術だ。だからこそ聖歌隊などが組まれてきた。
難点を上げるとすれば、歌っている間はそれ以外の法術の行使は難しい。移動するのも歌いながらで、はっきり言って実戦向きではない。
(けれど、見合う効果はある)
この支援を自分だけでなければ、聖歌はもっと力を発揮することだろう。聖歌は多くの人に歌一つで恩恵を与えられるのが何よりも強いと言える。
(――私がリリシャナに劣る訳にはいかないわ)
研鑽をした者には賞賛と敬意を、それはどんなに憎み嫌っている人相手であっても忘れてはならない心構えだと思っている。
そうでなければ、私は天使たり得ない。人に堕ちた身でも品格までは捨てたくないと、そう思うからこそ。
「――指一本でも掠らせないわ」
私は、暴風となる。風を全身に纏い、近づくものを全て斬り伏せる。
リリシャナに向かうよりも早く、私に牙や爪が届くよりも先に。歌のテンポが加速していくのに合わせて私の力も昂ぶっていく。
まるで踊るかのように私は単位取得の試験のための魔物を駆逐していくのであった。
* * *
「やっぱりオルエラさんは凄いよ! 私が付いて行くのが精一杯で!」
「……そこまで大袈裟に褒め称えられることじゃない」
単位取得のための申請試験は無事に突破出来た。私は戦闘能力を、リリシャナは聖歌と戦闘時の立ち回りが評価点となる。
結果は問題なく。優秀な成績だと試験の監督者からもお墨付きを貰っている。それからリリシャナは上機嫌なままだった。
「こう、しゅぱぱぱぱーん! って! こう!」
「……危ない、腕を振り回さないで」
「えへへ、ごめんなさい。でも、こう、やっぱ凄いなーっ! って思うんだよ。聖歌も一曲分で終わっちゃったしね。繰り返し歌わなくて良かったのは初めて!」
「……そう」
「ありがとうね、オルエラさん」
私に向けて振り返りながら、リリシャナは笑顔でそう言った。
あまりにも屈託のない笑顔に、思わず眩しさを感じたように私は目を逸らしてしまう。
「……リリシャナの聖歌もたいしたものだった」
思わず口から零れ出たのはそんな言葉だった。今まで聖歌の恩恵を受けたことがなかった。その有用性もこの身で思い知った。
正直な所、人が神を讃える歌なんて、という思いが胸の内にはあった。それでも、リリシャナの歌声は真摯で、力を与えてくれる確かなものだった。
それを嘘でも否定することは、私には出来なかった。だからこそ複雑な思いも募るけれども。
「――そっか」
驚いたのはリリシャナの返答。正直、私から褒めれば彼女の気分は登りに登って手がつけられなくなるんじゃないかと思っていた。
けれど、彼女の反応はとてもあっさりとしたもので。むしろ、以前に私と友達になりたいのだと言ったような表情を浮かべていた。
「それなら良かった。また今度もよろしくね、オルエラさん」
言い切ってから駆け足で私から離れていくリリシャナは、一度だけ私に振り向いて大きく手を振ってから去っていった。
その背中を足を止めて見送ってから、私は小さく呟きを零す。
「……やっぱり、おかしな子」