第85話 血白者
作戦が上手くいってイスマ達を救出し弛緩していた空気は、いかつい髭男の登場によって、一気に吹き飛ばされた。
「“血白者”……。大陸最大の組織“血の盟約会”の最高暴力機関……!」
「詳しいのう、小さいの」
ビクトルと名乗るいかつい髭面の男は、タックに向かってニッコリと笑みを見せた。
「そんな御大層なもんじゃねえ。ただの番人で、番犬よ。ワンワンってなぁ。頭ぁイカれたキチガイもいるがぁよ、ワシぁ話の通じる優しいぃおじさんだぞぉ?」
「ならば、通してくれると?」
鋭い目付きで、エルバスがその前に立ち塞がる。
「ワシもこんな商売好きじゃあねえがよ。契約じゃけぇ、守らにゃならんのよ」
仕方ない、という表情を見せ、ビクトルが肩をすくめた。
「お前らが帰る分には好きにせえ。だが、商品は置いてけぇ。のう?」
「……怖いですけど、それは出来ません」
カデュウは強い意志を持って相手を見据え、ビクトルの提案を拒絶した。
提案を飲んだ方が賢いのかもしれない。
しかし、それは選べなかった。
カデュウの持つ、人としての矜持。
「カァー! 辛いのぉー。仲間ぁ助けに来た、仁義溢れるかっこええ奴らを、ワシが……ぶち殺さにゃあならんとは、の」
大げさにおどけたビクトルが、ピタリと動きを止めて口元に笑みを浮かべた。
「ま、ちぃっとばかり遊んでけぇ」
手を握り、そして開き、そうした動作を繰り返す。
その両手には、軽量の籠手が嵌められている。
「遠慮することぁねぇぞぉ」
その呼びかけに呼応するように、エルバスが斧を構えた。
バトルアックス、ドワーフの戦士が愛用する戦いの為の斧だ。
「ソト、支援をお願いします」
「……っん、ああ、ご退場願おう」
エルバスの意図を察し、ソトはカデュウの後ろに下がった。
「手伝うよ、エルバス」
「潰しますよ、ユディ」
地下の鉄格子が並ぶ通路は狭い、2人が適度の数である。
一斉にかかれないので数の優位も連携も取りにくい戦場だ。
エルバスとユディの邪魔にならないように、他の者は下がる。
唸りを上げて、エルバスのバトルアックスが振り下ろされた。
力強く、力強く。一直線に。
その軌道が、ビクトルに触れる直前、――曲がった。
逸らされた。
ビクトルの、その腕に装備する籠手。
それを横からぶつける事で、力の方向を逸らしたのだ。
「どうしたぁ。遠慮することぁねぇって、いったろう」
いつの間にか、ユディが投げていたナイフも、弾き落とされる。
「構わず、全員でこいや。……ま、狭くてこれねえか」
再び、同じように振り下ろすエルバスの一撃。
しかし、軌道が僅かに異なる。
やや半月に弧を描く軌道。
力を逸らしにくい角度で斬り込む。
そして、そこに投げ込まれる8方向からのナイフ。
それらが全て同時に、ビクトルに向かって着弾した。
時間差をつけて、天井を、壁を、走り飛び、宙からもナイフを降らす。
そのまま、斬りつける。
そのはずの軌道は、ユディ自身によって止められた。
ビクトルが、そこまでの全ての攻撃を、受け流していたからだ。
身体を浮かし、斧の一撃を柔らかく受け流し、飛び来る8方向の回転ナイフは、円を描いた両手の動きによって、全て軌道が狂い、目標を逸れていった。
その足によってエルバスの斧は踏まれ、動かなくなる。
「そんな力むと当たらんぞぉ、お嬢ちゃん達」
エルバスが持つ斧を踏みつけていたビクトルの脚が、ぶれた。
振動。
予期せぬ振動波に、エルバスの身体が斧ごと吹き飛ばされる。
「ぐぁ……!」
「ワシぁ優しいおじさんで通ってるんじゃぁ。評判が悪くなっちまうのう」
困った表情で、首を振るビクトル。
「かわいいお嬢ちゃん達をいじめる悪いおじさん、なんて評判になっちまったらよぉ。どーおしてくれるんじゃあ? ああ?」
理不尽な事を言いながら、ビクトルが構えた。
「あの構え……。武技中庸凡人会の……?」
クロスが驚きの声をあげた。
武技中庸凡人会ザウリャード。大陸北東ルース地方に伝わる武術。
素手での戦闘を主体とする総合武術であり、特に殺人術を得意としている。
自ら凡人と名乗るのは、流派の開祖に比べれば自分達如きは凡人に過ぎないという教えによるものであった。
先程までの脱力した態勢とは異なり、力強い足踏み。
「……まずいね、このおじさん強い」
「……っく。……ええ、まったく本気も出していない」
壁から降りたユディの額から汗が流れた。
エルバスの表情からも、その状況はまずいものであった。
「クロス、お願い。僕は後ろを」
後方で怯え竦んでいる奴隷の少女達を見捨てるわけにはいかない。
カデュウとクロスには、その構えから放たれる技に心当たりがあった。
逃げられない以上は防がなければならない。
「任せなさい。アイス、行きましょう」
「ええ、防がないとです」
アイスと共に一歩前に出て、クロスが迎撃の構えを取る。
「面倒臭いのぉ……。まとめて、おねんねしてくれやぁ」
「……っ! 相殺をっ!」
エルバスの叫びがカデュウ達に響いた。
「――凡技中庸、【ベーチェルブーリァ】」
その言葉と共に、ビクトルの身体が、一瞬消えて。
同じ位置に、再び現れた時には、すでにその構えから放たれていた。
拳による振動波。
空気に振動を伝え打ち出す、その衝撃と振動による広範囲攻撃。
威力が強すぎたのか、地下施設自体も破壊しながら直線の通路に圧縮された空気が吹き荒れる。
魔術とも似た現象を、ビクトルは武術にて生み出したのだ。
「《精霊よ、精霊よ、精霊よ!》 【喚起に来たれ、風の精霊】!」
精霊術による精霊召喚。
力を宿したバトルアックスが、十字に、斜め十字に、と4度振るわれる。
精霊の力も借り、後方を守る為の物魔両立の瞬間防壁を創り出した。
そこに振動波がぶつかる。
斧によって分断された振動波が、威力を落としながらも後方に飛ぶが、それらはクロスとアイスの剣によってさらに分散し、そよ風へと変わった。
「おーおー、大したもんじゃぁ。さっきの雑な一撃よりよっぽど強えじゃねえの。ええ、エルフのお嬢ちゃんよぉ」
「あなたの言う商品を台無しにするつもりですか」
「いや、すまんのお。すっかり忘れとった。防いでくれて助かったわぁ」
やらかしてしまった反省か、ビクトルは申し訳なさそうな表情で謝罪をし、そして次の攻撃の為に構えをとる。
「仕方ねえ、1人ずつ丁寧に……」
突如、ビクトルの言葉を遮って、カデュウ達の後ろの横壁が爆発したように吹き飛ばされた。
壁が吹き飛び崩れ落ちる音が響く中、姿を現した眼鏡をかけた男が。
「おい。そこら辺にしときな、おっさん」




