第48話 黒檀の晩餐会
そこは灰色の部屋だった。
無彩色で統一された、灰と黒の世界だった。
中央には大きな五角形のテーブルが置かれており、その五角に備わった椅子は、3席しか埋まっていない。
世界の裏側に住まうモノ、見えない糸を張り巡らせるモノ。
そんな彼らの会合が行われようとしていた。
世に悪と呼ばれるものは数あれど。このモノ達は、異質だった。飛びぬけて。
人に仇なすが目当てではなく、利を求めて争うでもなく。
争い合う理由となるべき欲望が欠如していた。
物欲も。金銭欲も。名誉欲も。支配欲も。
それぞれが一大組織の長たるモノでありながら、それぞれの目的はそれぞれに異なっていた。そして自身らの範囲外の事に干渉しなかった。
故にこのモノ達は共存が出来た。住み分けをする余裕があった。
このモノ達の集まりには名があった。
集まりを呼び掛けた提唱者が定めたその呼び名は。
――黒檀の晩餐会。
「かのレディとシスター殿は遅参かのう、店主よ」
灰色の祭服を身に纏った老人が、大きな置時計をチラリと確認しながら呟いた。
時計の針の音が静かに響く。
会合時刻はたった今、過ぎ去ったところだ。
しかしそれを口にした灰色の老人も、他の出席者達も、気にしている様子がない。
「こちらに聞かれてもねぇ。シスターはともかく、あっちはいつもの事さ。むしろ、アレがちょくちょく晩餐会に来ている事の方が驚きだね」
店主と呼ばれた木の仮面を被る者がティーカップを持ち、その磁器の美を眺めつつお茶を飲む。
その磁器は名職人の技法によって美しい金彩と繊細な絵付けが施されている。
ロイヤルウーンズという王室御用達の窯で作られた飛竜諸島最高級ブランドだ。
灰と黒の世界が、美しいこの茶器の一式をより一層引き立てていた。
「律儀に時間を守っている盟主殿のご感想は?」
「アレが秩序であるわけがない.。故に守らぬもアレなりの秩序なのだろう」
盟主と呼ばれた者、派手さを控えた気品ある黒いジュストコールを着た男性が口を開く。
こちらはまったく動きもなく、目を瞑っている。
時計の針が動く。
その時、ドアが開いた。
黒檀の木で作られた、意匠を凝らした優雅なドアだ。
「ヒヒ。ちと遅れたようじゃな」
ドアから現れた紫色の修道服姿の老婆が、そう挨拶し、椅子に座った。
椅子も中央にあるテーブルも黒檀の木で作られている。
「シスターもご到着だ。……かのレディ。“幻想”もそろそろ、来るんじゃないかな?」
片目を閉じて、ティーカップを持った右手を少し動かす。
まるで見通すような店主のその言葉通りに、最後の1人が現れた。
「おまたせ。お茶菓子は残ってるかしら?」
絶世の美女、この世のもの成らざる美しきモノ。
存在だけで灰色の世界に色をもたらす、されど当人は色の世界に溶け込んで……。彼女はそうしたモノであった。
灰でもなく。黒でもなく。異質な5名の中でも飛びぬけて異質なモノであった。
「ああ。もちろんだとも、レディ」
「紅茶もお願いするわ。……今日はレディスタの茶葉で」
こうして最後の1人が席に着いた。
合図をするまでもなく控えていたメイドが現れて一礼し、遅れてきた客人へ紅茶を淹れる。
「やれやれ。お茶会じゃなくて晩餐会なんだけどね、ハハハ」
「あら。お茶会はいいものよ?」
「――では、皆も揃った事じゃ。始めるとしようかの」
「枢機卿、今回は貴方が主軸か」
まず口を開いたのは黒いジュストコールの男、盟主であった。
ティーカップを静かにソーサーに置き、店主もそれに続く。
「エルムが動くって事は、表の方が騒がしくなるね?」
「儂は何もしておらんよ。弟子達が望むがままにしておるだけじゃな」
エルム、と愛称で呼ばれた、灰の祭服を纏う枢機卿は静かに笑う。
やんわりと否定しているような口調だが、それが枢機卿のやり方であった。
「996年前に失われたという、バンダル王家の宝剣を渡してやったんだろう」
「弟子の仕える王の望んだ物がたまたま手に入ってな。喜ばせてやりたくての」
盟主の正確な情報に対し、優し気な笑顔で答える枢機卿は、とても黒幕には見えないものであった。
「魔王討伐戦で失われたっていう伝説の宝剣でしょ? 良く見つかったね、そんなの」
「気の良い若者が譲ってくれたわい。丁度良い手土産を探していたら、まさか本物が入手出来るとは思わなんだが」
「それをエサにグランハーブスに攻め込ませた、と。験を担ぎたがる“最果ての守護者”殿は、失われた先祖の宝剣が戻った事で、今が好機と思い込んだわけだ」
“最果ての守護者”バーサ・バンダル。オクセンバルト王国の若き王。
大陸最北東のルース地方に隣接している、魔族の領域デア・ウラルドには、今でも魔王軍の残党が存在する。
バンダル王家は、それらが漏れ出さぬように戦う一族であった。
その名は、魔族と戦い抑え続ける者として鳴り響いていた。
「最果てを守るオクセンバルトに、散々ちょっかいを出していたのはグランハーブスの方じゃからのう、ただの因果応報なのではないかな」
「フェイタル帝国の方にも、その情報を与えたんでしょ。怖いねえ」
「弟子が求める情報を教えただけじゃよ、儂はそれしかしとらん」
「またまた。表の黒幕たる者の本領発揮だねぇ」
「ついでに南部同盟も滅ぼすか。ロメディア半島のキィラウアが伸し上がったのもあなたの差し金だな」
盟主の問いにも枢機卿は涼しい顔で、やはり同じ答えを繰り返す。
「弟子がやりたいようにやっている。それだけじゃよ」
「そう、思考誘導させてる癖に。エルムはえげつないねぇ」
「こちらも最近は騒がしくなってきている、表が動けば裏も動くのが道理だ。特に干渉してくる輩がいるからな、店主?」
話を変え眼光を鋭くした盟主に、店主はニヤリと笑みを返した。
「そりゃもう、物語の種だからね。今回は私とエドが対立するのは、自然の流れじゃないかな」
この集まりは、組織ではない。ただの親睦会であり、ただの娯楽なのだ。
故に、黒檀の晩餐会同士で争い合う事も何度かあった。
譲れない箇所があればいつでも対立する者たちだ。
「やるなら丁寧に頼みたい。雑に暴徒を使って誘発されては秩序が乱れる」
「物語ってのは乱れてる方が生まれやすいんだ。何事も起きないのではつまらないし、企み通りに運んでもそこには面白みが生まれない。ただ悪に翻弄された道化が生まれるだけでね」
彼らは皆、企むものたちなのだ。企みなど息をする程、自然な事であった。
そして彼らは皆、自分の領域を持ち、他者の領域をも把握している。
何を望み、何を目的とするのか。
その意味で、店主の目的は明快であった。
盟主は何も答えない。はじめから、相容れないとわかっているからだ。
代わりに出た言葉は別の話題であった。
「それとサバス・サバトが動いているようだが。あの邪教徒共も私の担当かね」
「活動範囲広いからね、あいつら。いつもどこかで動いている」
「ふぉ、ふぉ。お主も似たようなものじゃろ」
枢機卿のその言葉に、言われた店主も同意する。
「いやいやまったくごもっとも。秩序を守る盟主殿には頑張って頂きましょう」
「荒らす側が言う事か」
そう答えると、盟主はティーカップに口をつけ紅茶を味わう。
高貴で芳醇な香りにすっきりとしながらコクのある旨味。
今まで変化のなかったその表情が満足気なものへと変わった。
「うむ。……美味い。レディではないが、紅茶は良いものだ。特に飛竜諸島の物は私の口に合う」
メイドが一礼し、空いたティーカップに紅茶を注ぎ足す。
「私は今回は静観よ。マーニャの幻想は仮面王の時に、ね」
“幻想”と呼ばれる彼女は、その目的から周囲への影響も大きい。
「何、次の大舞台が皆の本命じゃろうて。イルミディム……、かの地こそ、な」
「私はそこまででもないがね。むしろ対応を迫られる被害者だ」
枢機卿の言葉に盟主が反論する。
「よし。よしよし。よろしい。話はまとまった。これにて決としよう」
灰色の老人の合図と共に、後ろに控えていたメイド達が動き出した。
話し合いの時は終わった。
ここからは本来の意味の晩餐会、食事の始まりだ。
そして最後に灰色の老人の言葉で締めくくられる。
「次なる物語でいかなる歴史が刻まれるのか、喝采と晩餐を以って迎えようぞ」
黒檀の晩餐会。
それは天秤であり、盟約であり、管理であり、幻想であり、そして物語であった。
迷える子羊教会。
血の盟約会。
“聖なる闇”教団。
幻想星域。
“語り記す者”達。
――世界の闇に潜むモノたち。世界の裏を定めるモノたち。
――かの者達の名は、黒檀の晩餐会。




