第30話 星の幻想
気が付けば、すでに夕日が沈む頃。
空が黄昏の光を放つ頃。光と闇が入れ替わる境目。
古なる神話の時代に災厄と魔物の神バスコが躍動したとされる黄金の時。
遥かなるはじまりの民が曰く、逢魔が時。
――1人の女性。人。
――いや、人にしてはあまりにも。
――仄かな光を纏っているかのようであった。
――夕焼けに彩られる黄金色のような、星々に彩られる夜空のような。
――その人物を一言で表すならば。
――“幻想”。そう呼ぶのが相応しい。
魅入られぬものがいるのだろうか。美というものの体現のようだった。
しかしてそれは、魅入られて良いものなのだろうか。
幻想的な輝きを放つ黄金色の長い髪を持つ女性は、魔王へと目線を向けた。
「はじめまして、“星の幻想”ルチア・スパルト・ヴァイスゼールトと申します。古きモノ。かつての魔王。デボスティア・アーゼ」
「ほう、珍しいな。余も長く生きたが、お前のような存在を見るのは初めてだぞ」
部屋の中以外では力を出せないとはいえ、そこは魔王。
その女性が何なのかすでに把握しているような口調だ。
「して、何用か」
「この森の領域主として、魔王様にご挨拶に参りました」
「ほう? 余がいると良く分かったな? ……ああ、奴に聞いたか」
「はい。かの竜とは親しくしております。封印されているだけ、とも」
かの竜……。
魔王城に飛ばされた最初の夜に、たまたま見かけたあの竜の事だろうか?
「だが、今の余に会ってなんとする? 貴様が如き存在の興味を引くとは思えんが」
「この地は、幻想に満ちています。いずれ、行う儀式での御許可と」
「ふはは。余などに許可を貰う必要など無かろうに」
そこで一呼吸置き、魔王は閉じた目をゆっくりと開く。
「精霊の側と、余に連なる力。悠久口伝の一節、その続きというわけか。……確かに貴様はこちら側の存在よのう。“鍵”を宿せし幻想の主よ」
「もう一つ。かの竜の親友を、お借りしたく」
「――ほう。つまり、復活させる気か? ……本人の意思次第だ、余はかまわん」
「感謝致します。幻想がいかに振る舞うか、それは当人の望むがままに」
魔王との話が終わったのか、ルチアがカデュウの方を向いた。
顔と顔が向き合い――。
幻想的なまでに美しい、その眼を。
見てしまった。
――奥底に世界を宿すような、その昏き金の眼を。
「……え?」
「はじめまして、可愛い子。新人さん」
その眼を、ルチアの眼を見たからだろうか。
不思議な情景が浮かんでくる。次々と。どこかのどかな、どこか惹きつけられる、どこか殺伐とした、どこか幻想的な――。
「あ、はい。……はじめまして。カデュウと申します、この度は不束者ですがよろしくお願い致します……?」
突然の事で混乱し、変な事を言い出した。
絶世の美女、という影響があるのかはわからない。
惑わされ隙をつかれたかのようだった。
何かが。この人は、何かが異質だ。
「ふふふ。良く出来ました。新しいお友達、カデュウ。可愛い男の子ね」
女装をしているカデュウの事を男だと見抜いたものははじめてであった。
……ちゃんと男の子に見えるんだ、自信を取り戻せるなぁ。この人、良い人では。
などと考えていたら、ソトから声がかかった。
「おい、どうしたカデュウ? 」
ソトだけではなく、アイスやイスマもカデュウの様子を伺いに来たようだ。
くすりと笑ってルチアが、ソト達に語り掛ける。
「あら、新しいお友達が一杯ね。嬉しいわ。私はルチアと言います」
「……ああ。ソト・エルケノだ」
「アイス・ジンコーと申しますよ」
「……イスマイリ」
「ええ、はじめまして。灼熱の地、パルシスの御子」
そう静かに呟くルチアの視線の先は、イスマの方を向いていた。
「私ならその力の事、助けになれるのだけど。まずは、ええ。仲良くしましょう?」
「……知りたるモノ、よろしく」
なにか、はじめてのようでいて、お互いをすでにわかっているかのような。
不思議な呼応であった。
「では。いずれ、また、お会いしましょう」
誰に向けたものなのか、ルチアの眼は閉じられている。
「――世界は、幻想に満ちている」
その言葉を残して。幻想の美女は、自然すぎる程に自然に立ち去った。
溶け込むように、消え去るように。幻想的なる原生林の中へと。