第36話 これなるは、別れと旅立ちの物語 5
「くそ、何がどうなってやがる。世界を導く神話時代の“鍵”じゃなかったのか!」
混乱した事態についていけなかったラルディは、ひとまずボッリの元へ移動していた。
彼らの本来の目的は救済。
この地の神の遺産を使い、アティラの降臨を手伝うことであった。
それが根底から崩れ去っていくような状況に、何をすべきなのか、もはやわからなくなっていたのだ。
「愚かよな。貴様らはエドに、そう、“血の盟約会”にたぶらかされたのよ」
黒いローブのふたりに近づく不気味な魔術師――ディルバルールと呼ばれた、妙なフードと仮面をつけた男が、あざけるように彼らの疑問に答えた、。
ふと、ボッリが自身の状態に気付く。
鎮めの歌の余波を浴びて、神の加護たるボッリの強化術も消え去っているのだ。
かの歌の前では神への祈りなど届かない。
彼らにとって非常に難しい状況へと傾いていた。
「……“教団”の犬が! 俺たちを始末に来たか……!」
ラルディが吠える。
ボッリは驚愕し、彼らの目論見は崩れ去ったことを理解しつつあった。
――ならばどうすべきか、僅かな間に決めなくてはならない。
「“盟約会”だと……。まさか……?」
「まさか、まさか、潜伏者だとバレていないとでも、……思っていたか? 思ってしまったのか? “サバス・サバト”の諸君」
ディルバルールは語り掛ける。
「まさか、まさか、諸君らの尊敬すべき上層部が。かの主教座会が。あの、大主教めが。――君たちごときをそんな重大な案件で使うとでも、……本気で思っていたか?」
ディルバルールは皮肉を交えて高らかに語り掛ける。
ボッリは理解した。
炙り出されたのだ、と。
踊らされたのだ、と。
世界の救済などという夢物語は、この場にはなかったのだ、と。
「黙れ、黙れ、黙れ!!」
絶叫にも近いラルディの怒鳴り声がむなしく響いた。
「――エドからの伝言だ。盟約に背きし者、その代償を払ってもらう、とな」
動物の皮のような奇妙なフードにマスクで顔の見えない魔術師――ディルバルールと呼ばれた者が、構えを取らないままにその言葉だけで空気を一変させた。
彼らは、この場がただの処刑場だと理解した。
彼ら――ボッリとラルディは、残された自らの役目を、把握した。
「ふざけやがって! 俺たちの……、救済の決意を弄びやがったな!?」
「もはや引くことすら叶わんのだな……、ならば。“聖なる闇”教団の使い走りよ。貴様を倒して次なる救済に繋ぐとしよう」
もはや神の力は使えない。
鎮めの歌により導聖術は無効化されている。
だが、“人の力”ならば行使できる。
ボッリは視線だけでチラリと左側を確認しうなずく。
そして取り出した瓶を左右と前方に投げつけた。
割れた瓶からは、もくもくと煙が立ち上がり、煙幕を形成する。
魔術で精製された、煙へと変わる液体を瓶に入れた消耗品。
戦場で傭兵などが稀に用いる戦術道具だ。
この煙に乗じて、ボッリとラルディはディルバルールに向かって左右同時に奇襲を仕掛ける。
ラルディのファルシオンと、ボッリのロングソードが棒立ちで微動だにしないディルバルールに突き刺さる。
――その刃は、心の臓を捕らえていた。
「馬鹿め、油断しやがったな!」
ラルディが震えながらわずかに笑みを浮かべる。
――どこか、諦めのはいった笑みを。
「“聖なる闇”教団の鍵番がひとり。“不死身”のディルバルール、“血白者”に変わって盟約を執行する」
こうして、何事もなかったように喋る“教団”の魔術師の姿のことも。
勝ち目がないことも、心のどこかで理解していたのだろう。
それでも、そのあまりの光景に、ラルディもボッリも驚愕せずにはいられなかった。
「な……に? 心臓を貫いたのに……そんな馬鹿な……。動けるだと?」
「“不死身”……だと?」
「ああ、見事に貫かれた。おめでとう。――だが、残念だな」
ディルバルールの左右の手が、両者の頭を掴む。
彼らはその一瞬を、恐怖と、わずかな微笑をもって迎えた。
「譲奪」
短縮詠唱で行使されたその魔術は、ボッリとラルディの頭を簡単に吹き飛ばした。
だが、無残な光景を生み出すはずのモノは飛び散らなかった。
吹き飛ばしたはずのモノがディルバルールの手のひらに吸い込まれていったからだ。
この術は急激に多量の魔力を与えて過剰負荷を瞬間的に生み出すことで接触箇所を破壊し、与えた魔力の分を奪い取るという単純にして強力な術式である。
こうした接触魔術は魔王降臨期には衰退しており、この魔術も現在では途絶えている遺失魔術のひとつであった。
「さて。あと2名だったはずだが。……はて、姿が見えんな」
いつの間にかイザーイとコルネのふたりの姿が消えていた。
ディルバルールは残党を探すため、魔術を行使してその足跡を追った。
「――神眼の領域」
生体感知、魔力感知の複合視野を術者にもたらす高度な探知魔術。
ディルバルールの強化された視界にそれらしき姿が映る。
走り去っていくふたつの生命反応。
イザーイとコルネはすでにこの場にはおらず、遺跡の外へと駆け出していた。
「ほう。先程の煙幕、あの者たちを逃がすためのものであったか。……ふむ、そうだな。指定された人物は始末した。あとは私の知ったことではない」




