第205話 これなるは、守るがための物語 5
ゴール・ドーン魔道将軍の中でも、最強と目される者。
魔術と剣術の両方を高度なレベルで修めたという魔術剣士。
マルク帝国軍を何度も撃退した、ゴール・ドーンの英雄とも呼ばれる存在。
チェリニキ侯アダルテ。
その壮年の男が、怪物と相対していた。
張り詰めた空気が流れ、睨み合いが時の密度を高める。
「――【静寂なる風の武具《アルモー・アーエール》】」
アダルテが魔術を唱える。
風土系統の、特に風の術の名手と知られるアダルテはその特性を生かし付与魔術で自身を強化する事に長けていた。
この術は、攻守にわたる様々な補助、風の魔術のサポートなど汎用性の高い効果が得られるものだ。
「どーれよっと!」
ゾンダが豪快に振り下ろした分厚い大剣を、その動きに合わせるかのように見事なタイミングでかわしきった。
アダルテが危なげなく回避できるのは無風の空気を纏うことによって動くものの力の動きを察知しているからだ。
回避と同時にアダルテが横薙ぎに斬りつける。
動かぬ風の力を武器として叩きつけているのだが、軽々と大剣によって防がれた。
大剣を振るいながらもまったく隙が生まれないのはそのパワーによる素早い戻しと、ゾンダの天性の才による技のうまさにあった。
防ぐと同時にわずかに力を乱しアダルテのバランスを崩させ、即座に大上段に斬りつけたゾンダは、――アダルテの用意していた術を浴びることとなった。
「――【激流の風】!」
激しき風によって周囲にほこりが舞い、激流はゾンダに降り注ぐ。
と、同時にゾンダの振り下ろしの一撃を、アダルテは術の反動によって後方へと飛び回避したのだ。
――そして、ゾンダには術を避ける気などなかった。
「ほぉん? 風を飛ばす、だけか? 避けるためのものか?」
不思議そうな顔をしたまま突風を叩きつけられているゾンダだが、まったく影響がないかのように微動だにしない。
その信じられない光景に、アダルテは少し目を見開く。
「騎射!」
「シーク! ――【氷柱の雨】!」
アダルテの命によって氷の矢が一斉にゾンダに撃ち込まれた。
それに対し、何の反応も見せないまま直撃したが――、傷ひとつどころか冷たさも感じていないようだ。
「(まさか力だけで防げるはずもあるまい。……術が効いていない、のか? ダークエルフは魔力に対する抵抗力が高いが、その類か)」
分の悪い相手だ、とアダルテが舌打ちする。
魔術剣士とはいえ、アダルテの本分は魔術にある。
その魔術が効果がないのだから極めて相性の悪い敵であった。
それ故に、プラン変更は正解だったと言えよう。
「――【風の飛翔】!」
魔道騎士達が風に乗って空を飛び、ゾンダの後方のその先まで一気に通り去った。
アダルテが敵をひきつけ、その隙に敵を置き去りにするという、強者相手の戦術だ。
門を吹き飛ばした際に大きく出来た穴を通り、まんまと抜け出たというわけだ。
倒さなくてもいい敵と無理に戦う必要はない。
律儀に付き合って、時を浪費している暇は、アダルテにはなかった。
「あ、飛んでいきやがった! 空を飛んで通り過ぎるたぁ……やってくれるぜ」
「私だけでは不満だろうが、付き合ってもらおうか」
獲物が逃げ去ってぼやくゾンダに対し、アダルテが新たなる術を用意しながら腕を突きつけた。
小さく詠唱が響く。
「アンタは残ってくれるのかい?」
「ああ、楽しもうじゃないか。――怪物」
ニィ……、とアダルテが笑みを見せ、ゾンダも目を細めてゆっくりと口元を吊り上げた。
ゆらりと動き出したゾンダが、その大剣をアダルテに振り下ろす。
アダルテもまた、風の付与魔術を操作して、加速しながら大きく跳躍しゾンダの上を飛び越えた。
「嘘つきィ!」
わかっていたとばかりに即座に剣の軌道を追尾させ、ゾンダの暴威が上空を飛び去ろうとするアダルテに向かった。
「――【長き大盾】!」
その一撃を防ぐべく、アダルテが魔術の盾を作り出す。
古代ミルディアス帝国より用いられてきた盾の魔術、。
分厚い大剣と魔力の大盾がぶつかり合い、――アダルテが吹き飛ぶようにぐらつきながらゾンダの遥か後方でかろうじて着地した。
血が、アダルテから流れ出る。
「ぐっ……ぁぁ、ははは……」
魔術を維持して飛びながら、手の平を確認しアダルテはひとり呟いた。
「代償は指二本か。――上出来」
これでゾンダはアダルテを追ってくるはずであり、ふさがれていた谷の出口は後続の軍がなだれ込む、そういう想定であった。
そちらが上手くいくかどうかはわからないが、どちらにせよあの怪物から生きてやり過ごした成果は大きいとアダルテは考えた。
強敵は倒さずとも遊兵にさせて無力化してしまえばいいのだから。
ゾンダが不機嫌な表情で、アダルテの去ったあとを睨みつけた。
少しして、肩をならして近くに置いてあった革袋の水を口にする。
「逃げやがってあの野郎……。ま、ヴァレンチーノの指示通り、お次のお客サマをお待ちしますかねェ。入店しやがった奴らのおもてなしは、あいつらに譲ってやるさァ」
アダルテに誤算があったとすれば、それはクリーチャー傭兵団のことをまったく知らなかったという点にあるだろう。
そして、何よりも――。




