第138話 破壊と書いて秩序と読む
さて、困った。
突然の皇子ユルギヌスからの誘い。
通常ならばこのような唐突な申し出は断わる事に何も問題はないのだが、今回の相手は皇子である。
その地位の高さによって誘いは事実上の命令と化しており、逆らえば礼を失したとして処罰出来るだけの権力を持つのだ。
学院内では学院のルールによって生徒同士は対等であるという前提があるのだが、ここは学院ではない。
それに学院内で、その気がなかったとはいえ殴り倒してしまったのがどう影響するか。
恨みに思って権力で潰そうと考えても何も不思議はない相手だ。
「――ご用件がありましたら、学院にてお願いいたします。本日は所用がありますので、申し訳ございませんがご遠慮頂ければと」
「何、そう時間は取らせん。いいから俺と来い、カーデよ」
やや強引な口調でユルギヌスが迫る。
そこへ横からアイスが不思議そうな表情で口を挟んだ。
「あのー……。カーデって誰ですか? カデュウ、知り合いなんです?」
そのアイスの発言に、カデュウはくすりと笑みを浮かべる。
「……ふふ。そう、私はカデュウです。カーデという知り合いはいません」
「この人、斬って良い人です? スパっーと、すぽーんっと」
「斬っちゃダメな人です」
「な……、斬る、だと? なんだそいつ、今の会話で何故そうなる!?」
「申し訳ありません、この子少々人を斬りたがる癖がございまして……悪い子ではないのでお目こぼしを頂ければ」
「いや、危なすぎるだろ!?」
大変ごもっともであった。
皇子の後ろの護衛の方々もドン引いていらっしゃる。
ちゃんと前に出て守れる体勢へ移行しているのはさすがであるが。
すみません、うちの子がすみません。
「ええと、ちょっとご無礼になりかねない発想の子がいますので、学院の方が落ち着けるかなと……」
「……ああ、うむ、そう、だな。……しっかり手綱を掴んでおくようにな。カーデ、いやカデュウだったか。言う通り、明日にしておいてやろう」
ある意味ではアイスのとんでもない護衛によって守られる結果となったわけだが。
あまり褒める気になれないのは何故なのだろうか。
と、その時。
近くにあった大きな教会の前に立つ、とても体格の良い老婆が目についた。
シスター服の老婆。
――だが何よりも、その手に持つ斧が異彩を放っている。
「秩序を乱し世を乱す背教者共、出てきぃやァッ!!」
老婆は物凄い剣幕で、教会の建築物に怒鳴りつけていた。
ここは……、慈愛と許しの女神ティアラを崇める教会のようだ。
何事かと野次馬が集まり、教会の中からもシスター達が出てきた。
呆気にとられ、ユルギヌスやその護衛達もその場で止まっている。
「いかがされました? 神はあなたの罪を許します」
「そうかい、私なんぞを許してくれるのかい」
落ち着いた言葉とは裏腹に、老婆の怒気は膨らんでいく。
周囲の誰もがそれを感じるほど、大きな気配が。
「当たり前だねえ、我が神は秩序と裁きの神ゼナー。許しを請うべきは……」
「神が決める。――我が裁きは神の裁き、秩序無き者達に裁きあれ!」
「あの人、何を……!?」
カデュウの口からもれた言葉は、老婆の放つ衝撃によってかき消された。
「――【神はここに顕現せり】!」
――神気。
そうとしか言いようのない、神々しき光とオーラが降り注ぐ。
降り注ぐ。
降り注ぐ。
神の力が老婆へと降り注ぐ。
――否。
――神が。
――神そのものが老婆へと降臨する。
それは顕現。神の顕現。
偉大なりし至高神、秩序と裁きの神ゼナーの降臨を願う導聖術の最高位術。
「ま、まさか。まさか、貴女は……?」
いつの間にか外に出ていたティアラ教会の司祭から驚愕がこぼれた。
だがその声は無視されて、強烈な神気を放つ老婆は、静かにその腕を掲げ――。
「――【神は言う、秩序あれと】」
――携えたその斧を振り下ろした。
神の力を宿したその斧は、人々などに目もくれず――。
たったの一撃にて、ティアラ教会を周囲の建物ごと叩き潰した。
「あ、ああ……。俺の……館が……」
ユルギヌスがその場で膝をついて嘆いているが、周囲の人間はそれどころではない。
見学していた者たちも、その衝撃的な光景を目の当たりにして一目散に逃げだした。
「秩序はもたらされた。裁きは執行された。悔い改めよ、愚か者共。……ふぃぃ、今日はこの辺で勘弁してやるがね。次は殉教する覚悟をしな」
老婆は振り向きカデュウ達の方へと歩みを進めた。
その強烈なる圧力にユルギヌスは腰を抜かして後ずさり、皇子の護衛達ですら動く事が出来ない。
「おや、すまないね。驚かせてしまったかい?」
老婆が立ちすくむカデュウを見て、強烈な笑みを見せる。
捕食者が獲物を見て笑うかのような表情だが、その声は言葉通り優しく気づかうようなものであった。
アイスだけは自然体で静かに老婆を観察しているようだが、うかつに斬りかからないのはありがたい。
「お……お、俺の、館……」
足元で腰を抜かしているユルギヌスが恐る恐る老婆に向かって訴えた。
「お、皇子、……いけません、危ない、です」
護衛の人がユルギヌスを止めるが、その声は小さい。
老婆がユルギヌス達に首と体を大きく動かして視界に収める。
その強烈な笑みを向けられて、ユルギヌス達は再び怯えすくんだ。
「巻き込んじまったかい? 被害はゼナー教に請求しておくれ。なに、よくあることさ」
老婆がそのまま去っていくまで、皆が呆然とその姿を見つめ続ける。
アイスだけは袖をひっぱり、早く行こうと催促しているが。
それにつられてカデュウも緊張を解く。
関わりのない事だと気付いたからだ。
「ガリーズ・ゴート……。神聖帝国の者が、何故ここに……」
一人、何かを知る司祭の小さなつぶやきが、カデュウの耳に入った。




