第106話 移動喫茶、はじめました
コバルトブルーの色彩が広がる世にも美しき海、アーキ海。
大陸南東に位置するイルミディム地方の海を人々はそう呼んでいる。
そのイルミディム地方で最も強大な国、ゴール・ドーン西側の海岸沿いの街ニキに来ているカデュウ達は、街の住人相手に行商をしていた。
「はい、アーティチョークハーブティです。お買い上げありがとうございます」
カデュウの手からハーブティの入った磁器のカップが女性客へと手渡される。
馬車の前に屋台を作り、特設の椅子を用意して飲み物を提供するという、軽い飲食店を営んでいるのは、交易と冒険のついでの資金稼ぎの一環だ。
一見高級そうな磁器のティーカップは、芸術家ターレスが自身の窯を作り、試作品を複数作り上げた提供品だ。
街作りの息抜きと住人の食器類の作成も兼ねて作った中の実験作らしい。
椅子やテーブルは近くの飲食店が好意と商売の嗅覚によって貸してくれている。
ここで飲み物や軽食を、隣の店で本格的な料理を出すという構図を即座に組み立てたあたり、中々商売上手な店主であった。
「はいどうぞ。アンジェリカブレンドティーです」
天使のハーブと言われるアンジェリカルートは教会や修道院で用いられる事も多い。
やや苦味や癖もあるので、ブレンドして美味しく飲めるように工夫していた。
「いらっしゃいませ、こちらの席へどうぞ」
客の案内をしているソトは少女のような振る舞いで、意外な対応力を見せている。
飲み物や料理を作るのがカデュウ、客対応はソトとクロスが行い、シュバイニーは愛馬ソエカスタナの放牧に、イスマはマスコットとして屋台の隣でむしゃむしゃとクッキーを食べていた。
そしてアイスは、カデュウの後ろで瞑想している。
何もしてないように見えるが、暴れ出さないだけずっと良いのだ。
妙な思い込みによって過剰反応をした結果なので、落ち着くまで静かにしてもらうしかない。
「カデュウ、ベーコンチーズサンドを2つお願い」
「うん、了解でーす」
クロスの取ってきた注文に応じ、テキパキと調理を始めた。
どうしてこんな事をしているのか。それは様々な事情が絡み合った結果だ。
あれから3か月程の時が経過し、アルケーの村も順調に開拓が進んでいた。
建物も多数完成し、ようやく少しは村らしく、いや見栄えだけは街らしくなってきている。
そんな中で行われたのが、魔王による式典であった。
といっても、認めた者に褒美を渡すだけの式なのだが。
一応、魔王様なので下賜と言うべきなのかもしれない。
「まずはゾンダ・ゼッテ。ユディラ・ゼッテ。クロセクリス。そしてソトよ。貴様らにこれを授ける」
「ほう、魔王直々に下さるとは光栄だねえ。……これは、ワインか?」
「美味しそうな赤ワインじゃないか、いいねえ」
魔王が取り出したグラスには一見美味しそうな真っ赤な液体が入っている。
「あれ、僕達も飲んだアレなんじゃ……」
「そんな気がしますよ」
魔王の部屋の樽に詰められていた謎の液体。
カデュウ達が最初に出会った時に飲まされた代物であろうか。
「さ、遠慮するな。飲んでみるがよい」
「どーれどれ。……あん? 味、薄いなこれ。……そもそもワインか?」
「ふーみゅ……。妙な鉄分を感じるというか、発酵感はあるが癖があまり無いな?」
じっくり味わうゾンダとソトが口々に感想を述べるが、あまり良い評価ではない。
やはり、同じ飲み物のようだ。
あれ、味ほとんどしなかったんだよね。飲み物無かったから飲んだけど。
「余の血を発酵させた熟成ブラッドだ。貴重品だぞ」
「血かよ! 確かにそんな味だわ! ……魔王の血も特別変わった味ではねェんだな」
珍しくゾンダが驚く表情が見れたが、勿体ぶって出されたのが自分自身の血では仕方がない。
というか自分の血を樽に詰めて発酵させるって何してるのこの魔王……。
「え、あの時僕らは血を飲まされていたの……」
「……のーうぇい」
「道理で美味しくないはずです!」
カデュウ、イスマ、アイスの体験者達は同じようにげんなりとしていた。
「まあ、飲めない事はないけど。赤い水だと思えば」
「うん。たまに動物の血なんかも飲む時あるしね」
育ちが全然違うクロスとユディはどちらも動じずに適応している。
たくましい子達であった。
「で、これ飲んで何か良い事あんのか?」
魔王へと顔を向け、ゾンダが空になったグラスを近くの台座に置く。
「すでにカデュウらにも与えてあるが、城に設置してある転移陣を用いて好きに移動出来るようになるのだよ。良く出かける貴様らには便利であろう?」
「おお、そいつはいいな! 久々に戦争に行きてえしな! 確かにそりゃ褒美だ」
「つまり、カデュウが私をどこかに捨てても、自力で戻れるという事か。……ふふふ」
まだそんな疑っていたんですか師匠。
いままで捨てられ続けた心の傷は深いものだったようだ。
「ついでに不老になる事もあるが、そちらは気にするな。些事だ」
「そっちの方が遥かに重要でしょう!」
あまりの事についつい口を挟んでしまった。
「え、不老薬なの? それめっちゃ凄くない? っていうか全世界の憧れの代物じゃ?」
ソト師匠も目を丸くして驚いている。無理もない。
「そんな良い物ではないぞ? まあ、だが、細かい事は気にするな」
「だから細かくないですってば」
再びカデュウが口を挟む。この魔王、大雑把過ぎる。
「といっても相性によるのでな。不老になる奴はなるし、中途半端に徐々に老いる奴もいる。なんとも言えんよ。だから気にするな、なるようにしかならん」
「ま、俺はどっちでも構わんよ。飲んだら便利になるんならそれでいいぜ」
「不老、って事は成長も止まるんでしょ? 良い事じゃない。ね、カデュウ」
「え? うん、そう、なのかな? あれ、僕の背丈も伸びなくなるのでは?」
「イスマもちっさくてかわいいままですね、良い事です」
「……ゆるされざる」
「ふはは。まあ細かい事は気にするな、私は気にしないぞ」
「そりゃ師匠はもう成長しないですし」
「ぐぬぬ……」
難しい表情をなさる師匠だが、種族的にそれはどうしようもないのであった。
「何、たかが不老。殺されれば死ぬ程度の代物よ。だから、生きて帰るのだぞ」
良い事言った、みたいな表情でまとめにかかる魔王。
きっと色々面倒臭くなったのだろう。
「さて、次にアイスよ。貴様にはこれを授ける」
「おおぉ!? これは……、伝説の名刀マルコギツネ!?」
先の試練においてアイスの同郷の剣士ヤマトゥーが用いた片刃剣――、刀というアイスの故郷の武器らしい。
中でもマルコギツネは古に失われた名刀としてアイスの故郷では有名だとか。
その価値をわからないカデュウにも、刃紋や佇まいの静かな美しさだけははっきりわかる。
「ここで死した冒険者の遺品の一部は余が預かっておる。それもその中の一つだ」
「でも、いいんですか? こんな凄い物を頂いても」
「余が持っていても部屋のゴミになるだけ、扱える者が持つが筋というものだ」
「ありがとうございます。とっても嬉しいです!」
「良かったじゃない、それで姫を守らないと」
「え? クロスを?」
などと言ったら、クロスに物凄く不思議そうな表情をされた。
「何を言ってるの。カデュウ姫っていうこの村の最重要人物がいるじゃない?」
「おおお。姫を守るとは! そういう物語、とても惹かれますよ!」
何でナチュラルに姫扱いされてるんでしょうか。ねえ、君達。
こうして、妙な使命に燃えだしたアイスが守る病に脳を侵されて、すぐに人を斬ろうとする危険物へとなり果てたのであった。
「なんと予想以上の狂犬っぷり。ちょっとした冗談だったのに。これは謝らないとね……」
洗脳犯のクロスもごめんなさいするほどに……。