幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(6)
其 六
その魂胆は坂本屋の寡婦と鈴鹿屋の主人の外は知る者もいないけれど、石菖鉢の岩のような喜蔵は憐れにも体裁良く坂本屋の店から追い退けられた。遺言は心神が乱れた父の言葉であり、そのような言葉をそのまま信じるのは劫って不孝になると、中国の孝子(*父母によく仕える子供)が用いなかった例もあるとかで、反故にされた。美濃屋の隠居は親類一同の意見に逆らってもしょうがないと、強いて反対もせず手を退いた。
こうして、おこのの身の上の黒雲は無くなって、榮吉まで大喜びしたが、それに続いてすぐ、今度は榮吉の頭の上に吉星(*良いことをもたらす星)が光を放ち、故郷に帰らなくても済むようになった。似而非賢女を妻にしなくても済むようになり、落人になってしまうところが、打って変わって、何と坂本屋の花婿となったのである。
当人とおこのは言うに及ばず、榮吉の老夫は涙を溢して悦び、兄は躍り上がって悦び、江戸と浦和の間に人が何度も往き来して、遂にその年の冬の十月の黄道吉日(*陰陽道で何をしてもうまく行くという日)、花燭(*婚礼の席にともす華やかな燈火)の輝きによって愁いの闇は破られ、思い思われる同士は天下晴れての夫婦となった。
地方者だと言うが、榮吉の親も土蔵の二つ、三つは持っており、支度を万端整え、随分張り込みもしたので、坂本屋の婿として、辺りから見ても恥ずかしいことも無かった。媒酌人は学もある世話人だと人々も一目置く鈴鹿屋である。
坂本屋の親族一同、美濃屋の隠居を除いて、皆喜々として、これで何世代も栄えるだろうと、たわいもなく悦んだ。
近隣では、『お染久松』の演劇が見ることが出来なくて、あんぐりと口を開けたまま、『エエ、あの粋な計らいをした母親めは、きっと若夫婦に閨の中でも『母様大明神、大明神』と拝まれているのだろうと』と噂したものである。
鈴鹿屋の見事な手際と母親が子を思う慈愛の処置に、千秋万歳、万々歳、めでたしめでたしと決着したが、さて、これから先はどうなるのか。
……以上、ここまではこの物語の発端を書いただけ。謂わば談話の捨て鐘、プロローグと考えていただこう。
つづく。
今回までは、これまでのお復習い。
次回から、メインの物語が始まります。