幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(5)
其 五
男は女に怨み言を言われて、
「そう仰られては私が何か不実のようにも聞こえますが、それどころではございません。言わずにいたのは悪いとは思いますが、私の今の心配はあなたに増すとも劣りはしません。ご存じのように、私と兄の二人の生みの母というのは、私が出来るとやがて亡くなり、今ある母はしばらくしてから後、娘一人を連れ子にして入って来ました似而非賢女。世間によくある継母とは違って、私等兄弟を酷く扱うようなことは少しも無いけれど、それは表面だけのこと。内心を言えば、自分の子だけをよく思っているが、何にせよ、女のことなので、家を取って継ぐような計画もならず、それ故、兄は何事もなく、三年前に嫁を親類の内から取り、そのうちに父も家を譲って隠居することと決まりました。ところで、私も此家のお蔭で、この後一本立ちして、自分で別家する日には、継母殿は歳の順で父に先立たれた後は、どちらを向いても自分の子ではない子を頼って月日を過ごすしか他に身のやり場もなく、それでは自分の行く末が心許ないと思ってか、自分の連れ子のその娘を無理に私に押し付けて、私に浦和で店を出させようという腹。そうすれば、私も財産を継母の助言で少なからず分けてもらった義理といい、女房に繋がる縁といい、絶対自分を粗略にしないだろうと、先を見越しての御利益ごかし(*相手の利益になるように見せかけて、実際は自分の利益を図ること)の似而非親切。老夫もそれに異を唱えないので、この春わざわざ故郷から出て来て、私を呼び出し、猫撫で声で自分の心づもりを話して帰りましたが、私は返事もしませんでした。その後、老夫のところから人も手紙も来て、『いよいよ自己もお前たち兄弟二人に、それぞれ家を持たせて、隠居をしようと思うので、前からの話、異存がなければ三方四方の利益になることなので、早速ご主人にこの訳をお話ししてお暇を願いに自己が出向く』と、義理ある母に生みの父、二人が二人して、やいのやいのと私へ迫る慈愛の難題。言い逃れようにも逃れられず、かと言っても済まないことながら、あなたとこうした仲になっては微塵も離れて生きられようもありません。それに、その連れ子のお為というのが普通の奴ではなく、顔に眼玉は三つも無いけれど、母によく似た似而非賢女。二口目には義理じゃ、道理じゃと世間話のついでにも高慢しゃくれたことを言う面憎さ。その上に、ほとほといやらしい眼遣いをして、この正月お暇をいただき、ちょっと家へ顔出しをした時も、何かにつけて私の身辺に媚びつきたがりくさるその堪らなさ、思い出しても腹が立つほど。旦那様のご病気にかこつけて、一も二も無く、今そんな勝手なことを申し上げられる時ではないと、撥返してやりましたが、しばらく経って又、同じことが書かれた書状。ちょうどこちらからお亡くなりになったことを知らせようとしていた矢先なので、それどころではないお店の大事、ご愁傷の最中、当分の間、そんなことは置いて下さいと、言葉強く言い退けましたので、老夫も駈け付けて、その折りのお手伝いなどは致しましたが、兎の毛ほどもそのことは言わなかったので、ああよかったと思う間もなく、又々、昨日の言伝。『やがてもう百ヶ日もお済みになったのだから、自己が近々に出向いて、お暇のことをお願い申しあげる』と、こっちには口も開かせない口上。私に暗いことが無ければ、無茶苦茶にでも我を通すところではあるけれど、情無いことに、胸に弱点があるので、あれこれ考えがあっても怯れがあって返事も出来ないでおります。これだけでも私はもう胸が塞がっておりますのに、あなたの上にもかかる難題、結局皆私が悪いに決まっておりますが、それを言っても今さら何の益にも立たず、覚悟がお互いの真実比べ。捨て身になるより他は好い考えは思いつきません。四方八方へは済まないとは思いながら、野の末、山の奥へなり潜んだとしてもお日輪様がついて廻って下さらない訳も無いと……」と、言葉忙しく切々と語っているその時、障子がさらりと開く音がして、
「おこの、おこの」と呼ぶ声がする。
「あれ、母様がお呼びなさる」と、飛ぶ蝶が風に吹かれるようにひらりと退き、何でもないような顔。額を照らす秋の初め、十八、九日の月の光に、早速の返事は声清く、
「はい、ただ今そちらへ参ります。余りに綺麗な空だったものですから、月を眺めておりました」と、言いながら歩み近づけば、
「月は座敷でも見られます。夜露が降りるのに、庭に出なくても」と。
つづく