幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(47)
其 四十七
神田多町の雑穀問屋、坂本屋喜蔵宅に押し入った賊の犯罪事件ほど、事実の真相を把握し難いものはないと、その筋の人が噂し合うのも肯けるものがある。
犯罪者の一人と認められる榮太郎が坂本屋の裏庭に遺したというのが、一通の書状なのだが、その手紙の意味するところが了解し難く、用紙が粗末なのに比べて、女文字の筆跡は見事で、しかも不思議にも、その宛名には『坂本屋喜蔵』と確かに記されていて、その差出人が榮太郎の母なのである。文章は極めて飾り気も無く短いもので、『一筆しめしまいらせ候』で始まる全文が候文の、遺書らしい悲惨な気持ちが紙上に溢れるものであった。
一筆しめしまいらせ候。
本当にご無沙汰しておりましたのに、突然お手紙を差し上げますこと、そして、それが憎らしいとお思いかもしれない私からとなれば、きっときっと、お手にも触れたくもないお気持ちではないかとは思ってはおりますが、一生に一度、これきりの私からのお願いでございますので、なにとぞ、お読み取り下さいますように、念じ上げております。
思い数えれば、ふた昔程前、亡き父上様の言葉に背き、今更ではございますが、空恐ろしくも貴方様を袖にして、我が儘な思いを遂げましたが、それ以降段々と不仕合だけが打ち続き、今は連合にも先立たれ、情け無い暮らしをいたしております。神様の御罰か、とてもこの世にながらえ兼ねる状況に至り、我が身を捨てる他考えようも無く、この月この夜罪深い身を果てることにいたしました。
まことにまことに、お願い申しあげにくいところではございますが、ただ一つの心の気がかりでありますこの榮太郎は、まだ子どもで、無力なため、一人後に遺す不憫さに、気がかりで、心も消えてしまいそうになっております。なにとぞ、なにとぞ、榮太郎がこの手紙を持って貴方様を頼って参りました折は、亡き坂本屋先代にめんじてお救い取りなされて、水汲み、火たきをさせていただきましても結構でございますので、小僧としてでもお使い下さいませ。そして、成長して骨身も固まって参りましたならば、お突き放しされようと、どのようにされようと結構でございます。不心得なことをいたしました私からこのようなことをお願いされる謂われはないとお思いかも知れませんが、今だに坂本屋の名をお伝え下さっておられる、まことにまことに有り難いお考えの貴方様をお頼り申し上げるより他に、広い世間にただの一人も頼めるような方がいないあわれな今の母子を助けると思し召して、お聞き入れ下さいますよう、臨終の身の切ない思い深く、お住まいの方を伏し拝んで、くれぐれもと、願い上げております。
我が儘だった私の子だとお思いになればお憎しみもあろうかと思い、何度か筆を取ることもためらいましたが、なにとぞ、なにとぞ、私の子だとは思わず、貴方様に昔の坂本屋を一つ残さずお譲りしようと申しておりました先代の一人の孫めが、おろかな母のために、こんなに落ちぶれて、罪も無い、年端もいかない身で辛い苦しみを受けているのかとお思い下さり、お助け下さい。切ない心の中の色々は、どれ程申し上げても尽きることはございませんが、書き切れないところはあの世とやらから、貴方様のお夢の中でなりとお伝え出来ればと、儚いことを心当てにして、心残りではございますが、筆を置きます。
かしこ
この
坂本屋喜蔵様
こんな風に認めて堅く糊封じがされているのを、もしかして証拠の手掛かりになるのではないかと、警官が宛名となっていたその当人の喜蔵を立ち会わせ、開き見たのだった。封書はそれまでは誰も見ていないと思われ、又、これに添えられていた榮太郎宛の一封があったが、それはこれよりもさらに短い文章で、ただ『この手紙を持って、江戸多町の坂本屋喜蔵を尋ねよ』とだけ書かれており、これさえも開封はされていなかった。
世の中で、盗賊がこのような信書を持ちながら、その宛名の人の家に押し入って悪事を働くなどという例はあるとも思えず、又、信書は特に奇怪な意味を含んでおり、通常の理解では解せない文面である。警官もほとんど見通しが立たない事の不思議さに、手掛かりも無かったが、ただ榮太郎と、もう一人の男を訊問した巡査の報告と、坂本屋の裏で拾ったこの信書を主人にも告げず、迅速に届け出た坂本屋の小僧の新三郎の申し立てによって、一線の道が通じていると考えた。
そして、榮太郎及び一人の男の顔を見た巡査が、浦和へ通じる千住と王子と板橋との三路の中の千住を選んで追跡したところ、思った通りに榮太郎を打ち捕らえることが出来たのでである。榮太郎はいくら訊問しても事実を吐かないので、捜査の手掛かりを得るには、榮太郎の母であるおこのを訊問し、彼の日報社員と名乗った曲者を捕らえるより他は無い。(*日報社員とは、「其 三十七」に登場する菅野道雄と名乗る男…蠣崎十郎…のこと)
しかしながら、嫌疑者榮太郎の家で仲間が何か行動を起こす可能性もあるかも知れないと、浦和暑では、特におこのを連行することをせず、様子を伺っていたところ、同日同夜、時間の前後は不明だが、一方で疑わしい一人を捕らえて問い糾した。罪は認めていないが、袖中には犯罪用品に間違いの無い道具を所持し、それだけではなく、日頃の素行も良くない勇造という村内の憎まれ者の家宅を一応検分すれば、金品蔵匿を行っていたように見え、生活は貧しくない割に家にはまったく金が無く、家内の者に訊問しても何も要領を得ることも出来なかった。又一方では、私服巡査二名を打ち倒して姿をくらませた者がいたと思われるが、ただこれも、村人が発見した二名の死体でそのような推察を下すだけで、要領を得ないことであった。
とにかく、勇造に関しては最も深い容疑がかかっており、厳しい糾問をしなければならない。しかしながら、このような曖昧模糊とした状況の中、警官も迷いに迷っている最中、なおも不思議なのは、被害者の坂本屋喜蔵から、
『榮太郎が元の主人の倅に違いないのは残された手紙により納得したが、この手紙を持って来るとしたなら、察するところ、偶然にも夜も遅くなって、我が家をようやく尋ね当てたところへ、賊がまた丁度我が家を立ち去るところでもあったので、警官の眼を欺こうと、賊が脅迫誘拐するということになり、出し抜けに引き連れられたものだと思われ、その慌ただしい中で、自分に宛てた手紙をも遺失したということでもなければ、納得出来ません』と、榮太郎を庇護するような申し立てをしている。
世の中に、被害者が加害者と思われる者を庇うという、こんな不思議なことがあるだろうか。
ここは、問題とされている章である。
おこのが喜蔵に宛てた手紙を何故、榮太郎が所持していたのかという疑問が残る。
これに関しては、これまでにも指摘がなされている。
「たゞ何うしても腑に落ちないのは、おこのゝ遺書にとて認めた手紙が坂本屋の傍に落ちてゐたといふ、その理由である。栄太郎の外には落とし手はゐないのであるが、栄太郎は元々千住の姉にあひに行ったので、出立の時に自分に用のない此の手紙をもって出はしない、又おこのが無理に栄太郎の知らぬ間に懐中にでも入れた風もない。郵便でやったとしても、栄太郎の帰らぬ中にさういふことをする理由もない。此の件だけは幾度よみ返してみても、説明がつかない。総じて此の篇は作者の興味が乗ってゐないといふ感じがする」
(柳田泉 「随筆 明治文学3 東洋文庫 P.54」)
「蠣崎の設定とともにこの篇には不自然さが目立つ。彼が栄太郎を見張りに立てて押し入った先がおこのと因縁のある、そして新三郎の奉公する坂本屋であるのは何たる偶然か。さらに、諸家の指摘するように、栄太郎が坂本屋で母の喜蔵宛の手紙を落とす一件である。作中で栄太郎はその書き置きに手を触れていないし、おこのが自殺を思い止まったあとで栄太郎に渡すはずもなく、お須磨の所に金策に行くのに喜蔵宛の手紙を持って出る必要はないのである」
(登尾豊 「幸田露伴論考 『風流微塵蔵』論―会者定離の群像― 学術叢書Pp.147-148」)
この「あがりがま」を書く前、露伴は腸チフスと思われる重い病気に罹患し、前作の「さんなきぐるま」から約十ヶ月の空白の期間がある。その間に小説の創作に興味をなくしたとも言われており、その影響が作品の所々の綻びとなって出ているのかも知れない。
とは言うものの、私にとってはこの作品も興味深く、面白いと思っている。
特に、問題はあるにせよ、おこのの切なる気持ちに溢れた手紙の文章は、(原文は候文だが)成程、文章はこう書くものかと感心させられた。
次回は、いよいよ最終章。




