幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(46)
其 四十六
一家再生の恩を受けたことに、その感謝をどう表せばいいのかわからないけれど、せめてしみじみとお礼の言葉も言おうと、おこのは勇造が帰ったのを幸いに、鎌九郎の膝近く、首を下げて涙交じりに、恩になった数々に対して感謝の言葉を述べれば、お須磨も共に泣いて、
「私たち一家の神でございます」と、伏し拝む。
しかし、鎌九郎は冷ややかに、
「そのように仰られてはこちらが劫って迷惑をいたします。榮太郎殿が帰らないのは心配ですが、これもいずれ遠からず見えることでございましょう。あの勇造めの財産もあらかた無くなっておりますし、今夜、ここからの帰り道、自分の家近くで、多分お上のお手に掛かっていることでございましょう。ハハハ、明日になって、私のこの言葉が中っておりましたら、今からお話しする通りにこれからのことを考えるのがよろしいかと思います。榮太郎殿が帰られ次第、この百五十両を旅費にして家、田畑を片付けられて、東京へ行って何なりと親子三人でお暮らし下さい。長くこの地においでになれば、きっと又勇造めが帰ってきて、好からぬことを仕掛けてくるでしょう。行方知らずにして置いて、東京へ行かれるのが最良の策。私も長くは遊んでいられず、遠いところに待っている友人に会わなければなりませんので、これから先はもう、お世話も出来兼ねます。今夜、浦和まで出ていれば、明日の段取りも都合が好く、そういうことでございますので、これでお暇いたします」と、百五十両をそこに置いて、鳥が飛び立つような別れの挨拶。
「いえいえ、これまでのお情だけでも、そのご恩に何もお返し出来ておりませんのに、どうして此金がいただけましょう。ご用もおありでございましょうが、この夜深にお発ちなさらなくても、一日二日、ごゆっくりされて下さらなければ、私たち母子が困ります。言い尽くせないお世話をしていただきましたそのお疲れをお休めすることも碌に出来ませんけれども、今夜はせめてお須磨と私とで御足なりを摩りまして、穢い家の内でもお気楽にお休みでもしていただかなければ」と、右左から精一杯の実情を尽くして止めるが、
「ハハハ、お構い下さいますな。恥を語らなければお分かりにならないと思いますが、私が丁度二十歳の頃、お須磨様を見ても思い出す同じ歳くらいの女と退かれぬ交情になった末、愚かにも死のうとした時、榮吉様に助けられたご恩返しに、ほんの少しだけのことをして差し上げたまで。まだまだ足りないと、私は思っておりますくらい。又、榮太郎殿にはお願いして置いたこともありますし、浮世は相身互い、又お眼に掛かることもございましょう。お止めなさるのは劫ってお恨み。人の愛情は人に自由を与えて下さる以外に他はございません。どうぞこれから後、ご無事にお生活され、榮太郎殿、お須磨殿の行く末栄えますよう」と言い置いて、どう言っても聞き入れず、
「それではせめて浦和までお送りさせて下さい」と言うのも肯かず、わずか十町ほど送られて、これをも無理に固辞し、飄然と闇の中へ紛れて入れば、お須磨はただ、神か仏の化現かと闇を茫然と見詰めて佇むのであった。
鹿手袋を遙か後ろにして、浦和の宿にさしかかり、小さな辻堂の横を過ぎて、用水堀の柴橋を鎌九郎が今や渡ろうとする時、たちまち私服の巡査が二人現れ出て、
「待て!」と叫びながら取って掛かってきた。と、鎌九郎はそれを二度三度遣り違わせて、すぐ近くに居た一人の眼よりも高く飛び上がったと見る間に、堀の中へ水音させてざんぶと落とし込み、もう一人を足蹴に蹴飛ばせば、蹴られた巡査は気を失い、後は雑木林にそよぐ風と堰の辺りから水の音だけが聞こえるだけであった。
後、二回で終了です。




