幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(45)
其 四十五
酒に酔って気が大きくなっているせいか、勇造は自分の足元の危ういのを忘れて、
「ナニ、提灯は消えても大丈夫だ。お前には田舎道は解りにくいだろうが、俺は眼が無くなっても歩ける。こ、こ、この手につかまって来なさい」と、先に立って鎌九郎を導いたが、またしばらくして鎌九郎は下駄を踏み返して、勇造にどんと一ト当たり衝突って、
「ああ、もう馴れない道で本当に弱ります」と、歎けば、
「いやいや、謝罪らなくてもいいさ。こんな畦道は、馴れない人が躓くのはしょうがないわ」と、言い言い、なおも先に立っておこのの家までやって来た。
酒に酔ったり、気が弾んだりで、頭の先から顔の締まりを崩して、
「おこの殿、もう心配はしなくてもいい。このお方の手から元利揃えてあの件の金は受け取った。お前は本当に好い弟分に会って、飛んだ幸福が向いて来たの。俺もこのお方の気性にはとことん惚れてしもうた。お須磨も何かえ、このお方の肝煎りで奉公を下がって来たかえ。母の傍に一緒に居られてきっと嬉しいことだろう。これからは母子の考え次第ではもっと好い運にもなるだろうよ。大層美しくなりおったの。頭髪を光らせて、紅をつけてそうしていると、見違える程立派な姉様、お前次第で此家の運も開けよう。親孝行が肝心だよ。決して浮気などしなさんな。我が儘は身のためにならんよ。ムム、鎌九郎殿、俺が居ては話の邪魔になるだろう。それでは頼むよ、さっきの話を。吉報を持って来てくれれば骨折り損にはさせない。お前にもきっとそれだけの礼はする」と、言いつつ下卑らしい眼付きでお須磨を何度か盗み見して、ようやく家へと帰って行った。
寒風も何のその、泥酔の春心地。
『ああ有り難い。五十両手に入れた上、お須磨めのあのほやほやと柔らか気な処女を今に手占めることが出来るとは、天道様もよほど俺には甘く出来ているに違いない。ハハハ、げーい、ああ好い心持ちだ。金も欲しいが女も欲しい。二つに一つはどっち取ろ。ハハハ、畜生、有り難い。おーい、寒鳶め、この勇造め、この甘いことをしおるはどうだ。あのお須磨の黒目勝ちな眼の美しさ、あの眼で恥ずかしそうにちょいと見られて、もし、勇造様、……いや、勇造様ではないぞ。そうそう、もし、旦那様、とか何とか言われた日には堪るものではない。ヒヒヒ、金も欲しけりゃ女も欲しい。両方占めりゃ死んでも好い』と、鼻歌交じり、寝言交じり。我が家近くへ来かかったところに、堅く閉ざした我が家の家の廂の下の暗い所から、
「待て!」と、一ト声鋭く、発する拍子に、人の足音が烈しくばらばらと勇造目がけて駈け寄り、有無を言わせず麻縄で緊しく引き縛られて、「あれ、あれ」ともがく暇もなく、懐中、袖中を検められた。
その内、角燈を照らす巡査も来て、
「いや、こいつめが袖中に入れて持っているこれは、犯罪に用いる錠前を開けるもの。ええ、何を言う勇造め、暑まで来い」と引っ立てられて、開いた口も閉がらない間に、今までの悦びは一転、苦しみへと早変わり。
思わないものが自分の懐から出たのも狐につままれたようで、納得も出来ないけれど、たちまち警察に送られた。
つづく




