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幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(3)

 其 三


 思いもかけなかった父の言葉に、おこのは(たと)えようもなく驚いたが、驚く間も無く父は亡くなってしまい、心は又もや動転。初めて知った死別の悲しさに心は打ちひしがれた。

 平生(ひごろ)は愛に甘えて()(まま)ばかり、時にはお言葉に反抗して、お怒りになるようなことさえした勿体なさ。お命ある間に何一つ孝行らしいことも出来なかった口惜しさ。願うことは必ず許され、望むものは何でも与えていただいたけれど、それを許し、ものを賜る時の面差しは慈愛深く、優しげで、前歯の抜け跡が微かに見えるような(えみ)を含んでおられた有り様などを思うにつれ、様々なことが果てしなく胸に浮かべば、訳も無くただおろおろと涙だけが溢れて、ものを言う順序も誤りがちで、又、手に持つものも取り落とすなど、夢とも現実(うつつ)とも自分でも区別がつかなくなってしまった。母が(こう)()けば、自分も(こう)を焼き、母が御仏(みほとけ)の名を唱えれば、自分も唱え、すべてに(わた)り母だけを頼って学び学びして、龍旛(りゅうばん)(*葬儀の時に使う旗)淋しく先立っていく葬送(おくり)の式を済ませたが、上下(うえした)ともに色の無い(きぬ)を着て、悄々(しおしお)と付き従うその日の風情、紅白粉(べにおしろい)の気も無く、(うれ)い顔がひとしお白く、いつもよりは()めてはいるが、それでもなお紅色濃い珊瑚のような唇を固く締めて、無造作に束ねた水髪が、自然に二筋、三筋、玉を延べたような綺麗な(うなじ)にはらりとほつれかかったその美しさ、気高さは、美しすぎて凄味さえあったと噂された。


 初七日も束の間に過ぎ、二七日(ふたなのか)三七日(みなのか)と、七日七日(なのかなのか)の追善供養も度重なって、涙も乾ききらない四十九日が早くも経てば、今度迫り来るのは我が身の心配。もし、母様も義理堅く、()()蔵面(ぞうづら)を婿にせよと()いて(おっしゃ)ればどうしよう。今さら返すべき言葉も届かない冥途の(とと)(さま)のご遺言に(そむ)こうにも背かれず、と言って、偏屈一方の()の喜蔵めに、片時でも妻と呼ばれてこの世に生きようという思いもない。所詮義理挟みとなって、動かれない時は、逃げるか死ぬか、二つに一つと、考えていることを榮吉に話せば、榮吉としても後には退()けないどん詰まり。ご恩を受けた此家(こちら)(さま)へは(あだ)で返すことになってしまうけれど、もしそうなれば絶体絶命、どうしようもない。悪意(わるぎ)が無いことは神仏(かみほとけ)もきっとご承知のことだろう。どうにかして逃げようと考えを決め、それも万一叶わなければ、身を殺すより他は無いと、恋に()っては怖いもの無しで、榮吉も覚悟を決めた返事を返した。


 そんなこととは知らない美濃屋の作阿(さくあ)、頭は坊主にしたけれど、生まれながらの世話好きの善根づくり、陰徳(*隠れた善い行い)になると誰から聞いたのか、若い時から自ら望んで湯灌(ゆかん)(*遺体を入浴させて洗い清めること)すること、今回七十四度になるという心がけの老夫(おやじ)であるので、自分が請け合った坂本屋の後のことには一ト骨折らねばとなるまいと、指折り数えて百ヶ日の来るのを待っていた。いよいよその日がやって来て、親類一同坂本屋へ集まったのを機会に、列座の中で、

「さて、百ヶ日は何の妨げも又、脱漏(てぬけ)も無く済ますことが出来ましたので、きっと仏もご満足されて、目出度いお国へ行かれたことと老夫(わたし)は思っております。それにつけても、早速決めなければならないのは後のこと。あの時、仏のご遺言に老夫(わたし)がお返事いたしましたので、差し出がましいことではございますが、一応考える所を申しておきます。ご存じの通り、亡き御人(ごじん)は大変此家(こちら)のためにもなったお人なので、誰一人、あのご遺言に異を唱える方は別段おられますまい。とすれば、既に百ヶ日も今日で過ぎるということになれば、一日でも早く事を運んで、ご遺言の通り、おこの殿に喜蔵を婚姻(めあわ)せて、此家(こちら)が長く栄えるように図るのが何より仏への供養にもなり、この家のためになるというものでございます。喜蔵殿の親方(おやかた)には、無遠慮ながら美濃屋夫婦がならせていただいても結構でございます。媒酌役(なこうどやく)は遠縁のお方の誰かがお勤めいただきますようよろしくご相談いただき、出来ることなら今日で一切の内決(したぎめ)だけはしてしまいたく考えている次第でございます。おこの殿、喜蔵殿のお二人のお考えは伺うまでも無く、ご親父(しんぷ)のご遺言であり、又ご主人のご遺言でありますから(もと)よりご異存は無いはずだと思います」と、一同を見渡して、四角四面、堅苦し()に話し出した。


つづく

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