幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(27)
其 二十七
「さあ、榮太郎、風呂に入って来い。疵口に湯が浸みないようにしっかり抑えてな。一ト浴びしたら俺が薬もつけてやるから構わず先に行きな。姐さん、お前に頼みがある。これで一寸くり、そこいらで絆創膏を買って来ておくれ。剰銭はお前の好きにしねぇ」と、小札を放り出して言い付けた。
榮太郎が風呂に入って、しばらくして出て来てみれば、早、絆創膏は座にあって、榮太郎を人待ち顔して待っていた男は、
「もう出て来たか、烏の行水だな。ハハハ、どれ疵所を出せ、見てやろう。フム、思いの外の負傷をさせたが、ナニ何でもない、三分か四分というところだ。二、三日経てば治ってしまうわ。こう、この薬を貼っておけば、今時分だから膿も持つまい。さあよし、これでもう治るわ。どれ、俺も一つ入って来よう。姐さん、俺が出て来たら、直ぐに食事にして、そして、何か定格物の外に美味いもので一燗つけてもらおうぜ」と言い言い、手拭いを引っ提げて湯殿に行った。
やがて帰って来て、出ている膳に打ち向かい、女を相手に戯言を言いながら飲んでいると、宿の男が、
「ご面倒ですが」と言いかけて入って来た。定例の宿帳付けである。
「よしきた、俺が自筆で付けよう」と、宿帳を取って、さらさらと認めているのを榮太郎が横から覗けば、
『浦和在鹿手袋村 畳職 田中鎌九郎 三十九歳 同じく倅 榮太郎 十四歳』と、書かれてあった。
機嫌上々の酒は賑わしく、思う存分飲み終えて、飯も榮太郎と共に済ませれば、明日は早立ちするので宵の内に勘定すると女に言い付けてこれも済ませた。寝るより他にすることも無い宿屋の食後、蒲団を列べて寝ていたが、男は榮太郎と二つ三つ雑談している間に、早くもうとうととなって、返事も疎らになり、やがて鼾を立てるようになった。
思いが尽きない程心配のある榮太郎はどうして寝ることなど出来よう。夜具を打ち被って音をさせずに静かにしていたけれども、微睡みも出来なかった。段々と辺りもひっそりとして、遙か彼方の時計の音が十一時を告げ、十二時を告げるのもはっきりと聞き取れた。計りきれない愁いや様々な思いに胸を痛めて、なおも眠ることが出来ない榮太郎、まじまじとしながら夜具の中に潜んでいたが、それを知ってか知らずか、横に寝ていた男は榮太郎にも気づかれないように、極めて静かに起き出した。何事だろうと思って、夜具の袖から窺っていたが、そのあまりの不思議さに胸を撃たれた。男は畳道具に見えていた包みをそっと床の間から取り、畳の絲を入れたように見えた、くるりと巻いて二つに折った蓙を伸ばした。その中から取り出したのは、油絲だと思ったがそうではなかった。油絲は僅かに見せかけだけで、男は紙幣の一塊を取り出して、数を算えながら、その中の少しだけを除けて、残りを元のように又巻き込んで床に置き、その除けた分を風呂敷のようなものに包んで自分の胴につけ、煙草を二服か三服か吸い、又そのまま眠りに就いた。これはどういうことなのか、いきさつも解らず、茫然とした榮太郎は痛い程に心を騒がせ、ますます寝られなくなった。
つづく




