幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(22)
其 二十二
「ついぞ見たことのない小僧さんだが、お前は一体どこからおいでだ。エエ、何をキョロキョロ私の顔を見るのだよ。厭な子だねえ」と、饒舌つけられ、榮太郎はどぎまぎしながら、脱いだ笠を持て余し気味にしつつ、
「ハイ、私はあの、姉様に会おうと思って参りました」と言えば、
「フン、姉様に会おうってかえ? ちょいとお千代さん、来てご覧よ、可愛らしい容貌の好い子だがね、何だか分からないけれど、石童丸(*浄瑠璃、歌舞伎の演目。出家した父を尋ねて高野山に行くという物語)をやってるよ」と、返事は榮太郎には返さず、奥に向かって声高に話し掛ける。やがて出て来た女も、同じように細帯姿がしどけなく、頭だけを美しく光らせて、
「ほんに綺麗な小僧さんだね。だが小僧さん、お前、ただ姉様では分からないではないか」と、笑いながら砂利声で問い返した。
「ハイ、私はあの浦和の鹿手袋村の榮吉の倅で、榮太郎と申します。会わなければならない事情があって、姉様を尋ねて参りました。姉様の名はお須磨と言います」と、二人の女を前にして気後れしたのか、火のような真っ赤な顔になってそう言えば、後から出て来た女はくつくつと笑い出して、
「ねえ、お久米さん、母の名を訊いたらお弓と申します(*浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の「順礼歌の段」の科白を指すものか)、とでも言いそうで、妙に芝居がかっているじゃないか。しかし、可哀想に何だか深刻そうな顔をしているよ。お須磨と言えば、あの剛情娘ではなかったか」と言うと、前の女が、
「そうそう、あの娘の弟に違いないよ」と言うところに、出て来た一人の男、広袖の衣服に三尺帯、女等が会釈する様子を見れば、主人のようだが、どこか宗安めに似たところがある強面。
「何か陰でちらちら聞いていたが、お須磨の弟が尋ねてきたとはこの子のことか。成程、好い子だ。お須磨に似ているところもあるが、女にすればお須磨よりまた二つも三つも男好きする、ムム、好い容貌だな。女なら大した奇貨だが、何だって男に生まれやがったんだ。ナア千代、ハハハ、何だ? 姉に会わせてくれだと? お須磨は今は家にいない。いや、もうテメエの姉には最初から承知の納得ずくで買ったが、えらく手こずらされて弱ったわ。最初、判人(*江戸時代、遊女の身売りの保証人となる人。女衒)の平九郎という奴が連れてきたのだが、俺の家では使い物にならないから今では戻してあるが、金はまだ取れないので手を焼き切っている。会いたいのなら、平九郎のところへ行って会え。南の方へ四、五町行くと、左に加納屋という質屋がある。その裏へ入って平九郎と尋ねてみな」と言われて、皆までは分からないけれど、姉が居なかったのにがっかりして、疲れもどっと出た心地がし、涙もじんわり湧いてきたが、堪えてしょんぼりと別れを告げ、表へ出て、また人に尋ねながら、知らない住居をやっとのことで尋ね当てた。
「平九郎様の家はこちらでしょうか」と言えば、
「アア」と言う返事が、引き寄せられたがた繰りの戸の中から邪見に洩れ聞こえた。
家は歪んで、壁が崩れたその有り様は、まるで自分が住んでいる家のようなので、榮太郎は不審に思いながらも話を聞いていくと、主人は不在で、三十七、八の薄痘痕のある眉毛の延びた、声のがさがさとした大きな女が一人居るだけで、この家にも今はお須磨は居らず、
「ここからずっと南へ大きな橋を渡ってから、又四、五町行き、左へ曲がって風呂屋の背面に当たるところに辨次郎という者が居る。そこを尋ねて行け、吾家からその男の手に渡してある」と、心細い返事であった。
いよいよ力も脱けてしまったけれど、今度こそはと思い、一生懸命になってようやく辨次郎の家を尋ね当てた。
つづく




