幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(2)
この「其 二」のくだりは、前回「さんなきぐるま」の「其 六、七」と重なっているが、前回は喜蔵寄りの話だったものが、ここでは物語の重要人物であるおこのを中心として語られる。
其 二
響きは声の無いところには起こらず、影は形が無いのにひとりでに生じる訳も無い。多少の違いはあっても、噂というものは原因となるものがなければ立たないものである。坂本屋の娘のおこのというのは、ただでさえ一粒種の二つとないものと愛でられ、まして生まれついての美貌が輝くばかりで、その上、頭も良く、女のたしなみである色々な技芸を教えても飲み込みが早かった。そんなことで、何も言うことが無ければ、ねぶるようにして母には甘やかされ、懐くばかりにして父には護られ、何年もの長い間、春の優しい風と雨の恵みを得て、心悩ますことなど知らず、仙界(*仙人が住んでいる所)に咲く花のように心長閑に育った。妖艶で、美し過ぎる姿は、金糸乱れる翠雲の髪飾りをして、蘭の香りの揺らぐ彩霞(*朝焼け色)の袖を翻せば、眼も覚めるほど煌びやかで、見る者はその心を奪われてしまうが、女の貞節の訓戒の足りないままに育ってしまい、ちょうど、中国、景帝の時代、相如と大富豪である卓氏の子孫の娘卓文君とが駆け落ちした話のように、あるいは呉王の娘、紫玉が亡くなった後、紫玉を愛した韓重がその墓の中へ入ったように、若気の過失でどうしようもなかったとは言え、何時しか家に召し使っていた榮吉という面差し清く、気立ての優しい男を、ほんのちょっとしたことから愛しいと思い始めるようになったが、それがそもそも恋の山に入る麓路であった。
招けばやって来、呼べば答える。口には出さないけれど、語る目の色をお互いの枝折にして辿り合い、迷い迷って上って行けば、人目の関も越え果てて、同じ高峰で見る月影以外、他に知る者はいないだろうと、儚い契を結ぶが、他は欺いても、自己は欺けず、形は蔽っても香は蔽うことは出来ないのが道理であるように、折に触れての彼の挙動、時につけてのこの様子に、心の底の秘め事も思わず知らないうちに露れて、父母にだけはまだ悟られてはいないが、嫉妬交じりの人の口には徐々に噂されるようになっていった。
こうなってくると、二人は恐れを懐き、おこのの稀に見る美しさを見知り聞き知り、恋い焦がれて縁を結ぼう、婿になろうと由緒ある家から話が持ち込まれる度に、稲穂に隠れ遊ぶ小雀が鷹の羽音を聞く思いがして、真っ青になった。胸を痛め、どうすればいいのかと憂い悲しみ、
「もしも、父様母様が思いもかけない所から人を迎えて、この縁を組めと仰られたら、私はお前以外の男を持とうという気持ちは無いから、嫌と首を振り通すけれども、それも徹せないその時は、その婚礼の白無垢を直ぐに最期の死装束にして、身を捨てる覚悟」と、男の膝に泣き伏せれば、
「結局、その原因を作ったのはこの私。あなたばかりを先立たせて、何で生きながらえることなど出来ましょう。同じ旅路に手を取りながら……」と応える。
芝居より外には辛いことなど味わったことのない娘、何をするか分からない一途な若い男に危ない話をしたこともあったが、幸いにして何の思うところがあってか、主人はいつも入り婿の話を頭から気にせず、母は娘の容貌を自慢にして、男の容貌はせめて家の榮吉より勝れていなくてはと言うので、話を持ち込む者は多いけれども、大概は足下にも及ばないので、纏まることはなく話は壊れ、瓦版に載り、浄瑠璃に仕組まれるような不幸福に見舞われることもなく過ぎて行った。
しかし、おこの十八の花の盛りという年の、春まだ寒く、籠の小鳥も鳴き渋る頃から、大切な父が病に伏し始め、卯の花を散らすような雨が降り続く中、老体は助かる見込みも無いほど衰え果てて、
「我ももう、これまでとなった。まだ気がしっかりしている中に言い残しておくことがある」と、親類を誰彼となく呼び集め、
「私は前の旦那様に見立てられ、此家を継いでからというもの、幸福にして、稼げば稼ぐだけの報酬を得て、ここまでやって来ることができました。今更何も言うこともございませんが、気がかりなのは後のこと。自分が亡くなれば後は女ばかり。是非とも婿を取らなければならないとは思うけれど、滅多な者は入れられません。持参金など、多くを持って入ってくる者はきっと心の確固でない者でしょうから、決して家には入れられません。容貌は醜く、生まれは賤しくても、何十年来、この我が試して見立てたものがいるので、その男を娘の婿に、何としてもさせたい。そんな訳で皆様のおいでをわざわざ願いました。おこのも我が言っておくことに自分の我が儘で決して背かぬように」と、しわがれ声して言い出せば、又今更に胸とどろかせて答えも出来ず、俯くおこの。
さて、その婿とは誰だろうと、人は皆一同に主人の顔を瞬きもせず打ち守れば、
「他でもないが、店の喜蔵、心の底に強みがあって、万般のことに注意深く、何事にも無理押しをしない辛抱人、皆様どうかお力添えをしていただき、彼を婿にしてやって下され。必ず家のためになります。これを老夫の一生のお頼みにして、後は阿弥陀様の御願(*阿弥陀仏の衆生救済の誓願)に縋ってまいります」と、疲れ切った身体を曲げて一礼すれば、女房始め親類一同、石菖鉢(*石菖を植える浅く広い水鉢)の岩のような彼の大痘痕の喜蔵の奴に女雛のようなこの娘を……と、呆れるばかりで返事も出来なかったが、まさか生命の瀬戸際にいる病人をとらえて、それは出来ないと、思いを正直に言うことも出来ないので、何とも答える者も居らず、ただ茫然とするばかりで、おこのは伏せて忍び泣くだけであった。
一室、しばらくはシンとして、音もなく物淋しくも静かであったが、今は遠縁となってしまったが、親類で年長の美濃屋の隠居である作阿というのが、
「さてさて、ごもっともなご遺言、あくまでもこの家をためを思って、日頃からお考えになっておられたことかと思います。先代もさぞかし満足されておられよう。ここに居る皆々、確かに承り置きましたので、ご安心なさって、なおお心丈夫にご静養なされませ」と、返事をすれば、凄みの出るまで痩せた面に微笑を含んで、
「ああ、かたじけのうございます。これで私も先代に冥土で遇っても面目が立つというもの」と、ほくほく悦んでいたが、その夜の明け方、有明の燈と共に脆くも消えて、終に二度と言葉を交わせない身となった。
つづく