後編
第13話 勝利と敗北とわたし
この日は、授業中も、『未来人』対策の検討に時間を費やすことにした。
わたしが阿久根さんに約束したことは、『未来人』が『宇宙人』だというわたしの言葉のほうが真実だということを阿久根さんに納得させるということ。それができればミッションコンプリート。
もしも、相手が何星人か見破って、その姿を電波や報道に載る形で晒したら、完全勝利だけれど、今回はそこまで求めなくても良い。達成すべき目的を勘違いして、無理をしてはいけない。
絶対行なってはならないことは、ビレキア星人が地球に降りて活動しているということを、地球外で観察している宇宙人たちに知られてしまうこと。
それをやってしまったら、今回のことだけでなく、わたしと隊長の任務は失敗となり、ビレキア星は、連盟規約違反で、たいへんなペナルティを科せられることとなる。これだけは避けなくてはならない。
しかし、ここで勘違いしてはならないことは、『未来人』にわたしが宇宙人だと知られてもかまわないし、場合によっては、ビレキア星人だと知られてもかまわないということだ。
『未来人』も連邦規約を破って地球に干渉しているから、その状態でなければ知りえないことは、結局お互い様ということになり、公にはならない。ただし、この場合は、相手の正体を公に晒してはならなくなる。もしもこちらがビレキア星人だという証拠を相手ににぎられたまま、相手の正体を公に晒せば、相手はやけになってこっちのこともバラすから。
つまり今度の『作戦』での勝敗は次のように整理される。
A 戦略的勝利:
相手の正体が何星人であるかを宇宙に晒し、当然阿久根さんにも『宇宙人』だと納得させる。ただし、こちらの正体は、宇宙にも晒さないし、相手にも証拠を与えない。
B 作戦的勝利:
相手の正体が『宇宙人』であると阿久根さんに納得させる。ただし、こちらの正体は、宇宙にも晒さないし、相手にも証拠を与えない。
C 戦術的勝利:
相手の正体が何星人であるかの証拠をつかみ、阿久根さんにも『宇宙人』であると納得させる。その過程で、こちらの正体は宇宙に晒さないものの、相手にもこちらの正体の証拠を与えてしまう。
D 戦術的敗北:
相手の正体をつかみ相手にこちらの正体をつかまれてしまう状況か、お互いに正体をつかんでいない状況のままで、阿久根さんに『未来人』が『宇宙人』だと納得させることに失敗してしまう。
E 作戦的敗北:
相手の正体が何星人であるかを宇宙に晒すが、その過程でこちらがビレキア星人だと知られてしまう。長期的に見れば、こちらの正体の証拠は与えなくともビレキア星人の名が相手によって公表されてしまいスキャンダルとなる。結果的に地球から撤退しなければならなくなる可能性大。この場合、阿久根さんが『未来人』についてどう思おうと、もう問題ではない。
F 戦略的敗北:相手の正体が何星人であるかを宇宙に晒すが、その過程でこちらがビレキア星人だと証拠を与えてしまう。あるいは、相手の正体についてはどうであろうと、過程においてこちらがビレキア星人だと宇宙に晒してしまう。この場合も、阿久根さんが『未来人』についてどう思おうと、もう問題ではない。
よ~し、調子に乗ってきたぞ。やっぱりわたしは兵士なのよね。こういうのが性に合っているわ。
Cは長期的に見れば、危険をはらんでいて、あまり勝利とは呼べないなあ。とにかく、今回目指すのはBね。
と、兵士気分に浸っていたら、化学の先生に当てられてしまった。はいはい、わかりますよ。ちょい、ちょいと。
さて、本題に戻って、Bを狙うなら、相手の正体をつかむことに固執する必要はないってことよ。阿久根さんを納得させるだけでいいんだから。『未来人』じゃないってことを会話の中で、吐かせればいいのよね。ボロを出させればいいんだわ。
「化学の時間、楽しそうだったね」
いつの間にか休み時間になっていて、隆から小声で話しかけられた。わたしは知らない間に、にこにこしながら作戦検討していたらしい。
「いえ、化学じゃなくて、今晩の阿久根さんとのデートのことを考えていたから……あ!」
あわてて口をふさいだけれど、遅かった!
「ど、どういうことだよ、それ」
『約束』を『デート』と言っちゃったから、よけいに面倒なことになったかも。隆が真っ赤になってる。嫉妬で怒ってる?
「まさか、あぶないことしようとしてるんじゃないだろうね!」
あ、やっぱりそっちか。わたしの身を案じてくれてるんだ。え~、でも楽しそうにしてたのを見られちゃってるし。
「危なくない、危なくない。こういうのわたしの本業だし。最近ストレスたまるようなことが多かったから、本業に戻れるのがうれしくって」
「きみの本業って何だよ。ぼくのマークじゃなかったのか?」
「ちょっとちょっと、おふたりさん。ひそひそ話じゃなくなってるわよ」
エリカさんが隆の向こう側から声を掛けてくれて、この場は収まった。
ええと、確かに今のわたしの任務は隆をマークすることであって、阿久根さんのことは、その障害になることだから対処しなくちゃいけないわけで、任務からははずれちゃいないけど、本筋じゃない。隆のマークを外してしまったら、任務失敗なのよね。
危ない危ない。あやうく、任務を危険に晒すところだったわ。作戦の勝利条件を再検討しなきゃ。
特記事項:
わたしが戦闘等で、負傷もしくは死亡し、隆をマークできなくなる状況は、AからFのどの勝敗ランクにおいても、作戦失敗にあたる。
もちろん、隆を巻き込んで危険に晒すことは論外。
これでいいわね。自分の身も危険に晒してはいけないということ。うん、今回はこれも大事。
って考えると、顔が引き締まって真剣になってきた、でしょ? 隆。
隆はまだ、ちらちらわたしの方を見てる。
それにしても、思わず口に出ちゃったけど、『最近ストレスたまってる』かぁ。わたし、隆とのこと、そういうふうに思ってたのかなぁ。
昼休みは、気分を変えるためにちょっと雲隠れして、屋上に逃げ出して作戦を練ることにした。
誰も居ない、生徒立ち入り禁止の屋上。
金網にもたれて景色を見下ろしたら、もっとリフレッシュになるかもしれないけど、屋上に居るのがバレちゃうから、例によって下から見えないように、屋上の真ん中あたりにいる。
と、なにやらエンジン音が空から聞えてきた。
黒い点がこちらに近づいてくる。白い煙を吐きながら飛んで来るのは、ラジコンのヘリコプターだ。誰が飛ばしているのかしら? こっちに向かってくる。どこかでわたしのこと見ながら操作してるのかしら。見回してみてもそれらしい姿は見えない。宇宙人じゃないわよね、普通の地球のラジコンなんて。
地球人だとすると、阿久根さん? 違うわね、彼ならこんなラジコンじゃなくて、本物の戦闘ヘリを飛ばしてくるわ。この地球で、戦闘用パワードスーツを動員できちゃう人なんだもの。
カメラ小僧さんか、マスコミさんかしら。近づいてくるラジコンヘリの胴体の下には、カメラのレンズらしいものが見える。あのカメラの画像を見ながら操縦してるんだわ。屋上が直接見えないところから。
やがてラジコンヘリは、わたしから二十メートルほど離れたところに、カメラをこちらに向けたまま着地した。
カメラ、カメラ……カメラで思いつく人物がひとり浮かんだ。そして、その人物が、わたしの目の前に現れた。
「こんにちわ、恵さん。あなたとふたりで話せる機会ができてうれしいわ」
カナンさんだ。
「……ええ、わたしも……多分、そうだわ」
カナンさんは、うちの高校の制服を着ていた。便利よね、CGって。
ちらりと振り返って、自分の後ろに止まっているラジコンヘリを指差して、彼女は小首をかしげながら言った。
「不便でしょ、CGって。結局、目や耳は飾りだから、ああいうのにたよらなきゃいけないのよ」
そうか、不便なんだ。地球の科学じゃ。
「でもね、これでもかなりの先進科学なのよ。なんといってもどの方向から見ても実体のように見える映像を投影できるって、今の科学からするとすごいことなの。投影機から投影地点が直接見えている必要もないのよ」
たしかに、地球の科学力からすると、このCGも飛びぬけた技術だわね。
「でね。もっと改良してもらえないかしら、と思って、発明者を調べてみたの。そしたら、発明者はわからなかったんだけど、技術提供した人はわかったの」
なんだか、わたしにも誰だかわかった気がする。そう思ったのが顔に出ちゃったらしい。
「そう、阿久根さんよ」
やっぱり。つまり『未来人』が提供した技術なんだ。ほんとに、地球独自の開発だとしたらギリギリの技術だものね。
「ネットを使って阿久根さんを捜したら、この高校に転入していた。あなたと似て、過去の記録もちゃんとあるのに、転校前の記録は、ごく公式な部分にしか残っていない。つまり、改ざんね。頭に乗ってる医療機器や、治療の記録はどの病院にもないわ。それなのに、学籍や戸籍だけ完璧」
「わたしと阿久根さんは……」
「わかってる。仲間とかじゃないわね。接点は、この高校だけ。改ざんの技術も、異なってるみたい」
何が目的でわたしたちのことを探っているのかしら。本当に自分を改良してほしいだけなのかしら。
「あなたたちの共通点は、飛びぬけた科学力。阿久根さんは、多方面に匿名で技術提供を続けている。そして、あなたは、完璧にわたしの姿を実体化している。そしてお家も」
家のことまで知ってる?
「市役所で、あなたの家のあたりの造成を記録した写真を見たの。土木課さんの天井にあるセキュリティカメラで、土木課の方が昔のアルバムをめくっているのを見たのよ。あなたの家の場所は十年前の写真だと公園だったわ。ところが、その同じ写真が画像データとして収納されているフォルダを確認したら、ちゃんとあなたの家が写っていた。あんなところに格納されてるデータまで探し当てて改ざんしてるなんてすごいわね。本物の写真を直接見なければ、わからなかったわ。そして、すごいのは、家ね。今、いっしょに住んでるあなたの妹さんのエリカさんが、住んでいた家そっくりね」
「よく調べてるわね。アイドルって案外暇なの?」
今朝の恩人だから、嫌味にならないように気をつけて尋ねた。
「ほら、わたしってAIでCGでしょ。普通のアイドルさんとちがって、体型維持のためにジム通いしなくていいし、ダンスレッスンもボイストレーニングも、台本覚える時間も不要なの。出番以外は自由時間。だからたっぷり時間あるし、一千万台のパソコンにアクセスし放題で、中には、大事なおしごとのパスワードも見えちゃってる人がいて、いろんなところに入り込めちゃうわけ」
「なるほどね。時間がたっぷりあってうらやましいわ」
「あなたの妹さんのエリカさんもすごいわよね。明治時代の写真にも、同じ姿で写ってるもの。あの人こそ、時間がたっぷりじゃないかしら」
あらあら、エリカさんたら、そんな写真が残ってるなんて。まあ、平安時代の絵巻に描かれているのが残っていてもおかしくないんだけど、あの人の場合。
「何がお望みなの?」
「興味本位っていうのは、多分嘘ね。そうよ、わたしには望みがある。もっとちゃんとした身体が欲しいのよ」
「え?」
「肉体が欲しいとまでは言わないわ。お花や子犬に触れてみたいの。あなたやお世話になってるマネージャーさんともちゃんと握手したいわ。そして、わたしのこの目の視点でものが見てみたい。位置の変換処理をせずに音楽が聴けたらどんなに聞えるのかしら。昨日、ADさんがおいしそうな匂いがするって、お弁当を食べてたの。どんな香りがして、どんな味だったのかしら。そよ風が頬に触れるのってどんな感じ? 暑いってどう? 寒いって痛いの?」
彼女はだんだん苦しそうな表情になってきた。
「そんなことを考えはじめると、思考がループして、狂いそうになるの。一秒間に何億回もループするのよ。助けて、お願い。あなたなら、そいう技術を持ってるんでしょう?」
たしかに、それはある。でも、今の地球の科学ではありえない。これは、罠? 彼女にビレキアの技術を提供したら、宇宙に筒抜けになって、ビレキアが非難を浴びるの?
「それはあげられないの。規則なのよ」
カナンの悲しそうな顔。わたしの顔が目の前で悲しんでいる。あんな表情になってしまうときの気持ちは、どんなに苦しいか、わたしは痛いほどよくわかる。かわいそう。なんとかならないかしら。
「規則って、どこの? 誰にお願いすればいいの?」
「それも言えないの。でも、提供できる可能性があるとしたら、地球人が超光速航法を開発できたとき。そしたら、提供できるようになる」
「超光速航法? そんなの陰も形もないわ。理論さえ! ……地球人って言ったわね。やっぱり、あなた、宇宙人なの?」
「ごめんなさい、答えられない」
ぼろぼろと涙がこぼれてしまう。自分と同じ姿の人が、こんなに苦しんでいるのに、力になってあげられないなんて。
わたしが泣き出してしまったら、カナンさんは駆けよってきて心配してくれた。
「わたしこそ、ごめんなさい。あなたを苦しめるつもりはなかったの。無理を言ってしまったのね。もっと簡単なことだと思ったの。なにか大事な規則があるのね」
カナンさんは、わたしを抱き支えようとするけれど、触れないことがもどかしそう。その様子を見て、こっちの胸が余計にしめつけられる。なんとかならないかしら。
そのときのわたしのひらめきは、ひょっとしたら、ビレキア星を危険に晒すものかもしれなかった。もしもカナンさんの登場自体が罠だったら、ビレキア星は破滅するかもしれない。
「カナンさん。さっきあなたが望んだことすべては無理かもしれないけど、すこしだけならなんとかできるかもしれない」
「えっ?」
「地球人が今の科学で開発可能な技術なら、つじつまを合わせて、提供できる。多分、遠隔モニターの技術を応用して、あなたの画像の視点で映像と音を捉える技術と、力場を利用して、離れた場所にフィールドを発生させてCGの映像とシンクロさせる技術は大丈夫よ。このふたつがあれば、カメラなしで、CGの目や耳の位置で視覚と聴覚を使えるし、望むときにモノに触れられる。触感は感じられないけど、そこそこの重さのものも持てるし、握手ができる。自分は相手の手を感じられなくても、相手にはあなたの手の感触を伝えることができる。どう?」
カナンさんは両手を合わせて、神に祈るポーズをとった。
「すばらしいわ! それができれば、ステージで歌うときに、観客の視線がまっすぐ自分に注がれているのを見ることができるのね! 司会者の人からマイクを受け取ったふりしてCGでマイクを合成したりしなくても、本物のマイクを受取っちゃえるのね! そして握手! いちいち触れないことを断ってポーズだけしてもらったりしなくてもいいのね!」
「そうよ、カナンさん」
「AIとしてのわたしは、ほら、一千万台のパソコンにつながれていて、知識としてはネットワーク上からいくらでも得ることができるの。でも、自分でなにかを体験することはかなわなかった。CGの身体を持つまでは、それがあたりまえだったけれど、CGの身体を与えられて、ほんの一部の真似事だけれど、なにかを体験したりすることができるようになったわ」
そうかKプランはCGのためのプランじゃなく、はじめはAIだけだったのね。阿久根さんが提供した技術がCG化を可能にしたんだわ。
「でもね、少しできるようになると、あれもこれも、って欲しくなってしまうの。今のわたしは、CGができたことで、自分の居場所がある。でも、その自分をいつも別のカメラから他人のように見てる。そして、物がもてないから、なにかを受け取るふりをして、偽者をCGで作って持っている。それではさびしくなってしまうの。ああ、だけど、できるようになるのね。そりゃあ、まだ完全に望んだとおりじゃないかもしれないけれど、自分の視点ができて、物が持てるなんて、すごい進歩だわ。しかも、あなたが教えてくれたこと。地球人が超光速航法を開発したら、宇宙人さんの技術で、わたしが望むようなことがみんな叶うんだって、遠い未来かもしれないけれど夢のようなお話」
カナンさんの反応に、わたしは、なにか引っかかるような、ううん、合点がいくような感覚に陥っていた。
「わたし、そのためだったら、なんだってするわ! わたしにできることだったら、なんだって! 超光速航法の開発って、AIにもなにかお手伝いできるのかしら!? ねぇ、恵さん教えて?!」
「え、ええ、そうよ。力になれるわ」
そう、AIの協力は不可欠なのよ、カナンさん。
ああ、そうか。このために。カナンさんのこの決意を引き出すために、わたしはカナンさんの姿にされたんだわ。この屋上で今まさに起きていることは、地球の未来にとってとても大切なことで……そして誰かがあらかじめ意図したことなんだ。それにはビレキアの未来予測技術がかかわっている。
ビレキア政府は、地球を占領したいんじゃなくて、連盟加盟に導きたいの?
そのとき、昼休みが終わる予鈴が鳴った。
「あ、もどらなくちゃ。ごめんなさい。今日の放課後、わたしの家に来て。時間は五時にしましょう。じゃあね」
屋上の出口に走って行きながら、わたしはカナンさんに手を振って言った。カナンさんも手を振って返した。
だから、そのときは、たいへんなミスを犯したことに気がつかなかったの。わたしはカナンさんが立つ斜め後ろにある階段口に移動しながら呼びかけたために、途中から、カナンさんの方向を振り返って、しゃべってしまったの。
そのとき、わたしの顔は、カナンさんのラジコンヘリのカメラの方を向いていなかった。カナンさんの読唇術は、わたしが『時間は五時にしましょう』と言った部分を読み取っていなかったの。
第14話 カナン再構築
放課後になって、わたしと隆さんは二日ぶりに部活動に顔を出した。物理部での活動は、この時期はあまり盛んな時期ではなくて、四時過ぎになると、自由解散になった。校門には、まだ取材陣やカメラマンの姿が見えた。わたしが出てくるのを待ってるのね。
「なんとかしなきゃな、あれ」
三階の物理室の窓から校門を見ていたわたしの横に、隆がやってきて言った。
「わたし、塀を越えて帰るわ。用務員さんにおねがいしてハシゴを使わせてもらうの」
「円盤で飛んで帰る、とか言い出さなくて安心したよ」
「言うわけないでしょ」
冗談で和んだと思ったら、隆は真顔になった。
「今日、阿久根との約束って、ほんとに危険じゃないのか?」
わたしは、彼の目を見ていられず、校門の方を向き直って言った。
「……うん」
隆がため息をついた。
「わかりやすいヤツだな、きみは」
よく、言われます、それ。嘘だってばれちゃったのかしら。
任務が一番。だから今回は自分の安全が一番。隆をマークし続けるのこそが任務。忘れちゃだめよ、恵。
隆は先に校門から帰り、わたしは用務員さんにお願いして、門がない東側の塀にハシゴで上って裏道へ出してもらった。
わざと遠回りをして、家についたころには5時近くになっていた。
夕日に赤く染まりはじめた洋館の、バラ園に入ると、玄関の前の石段に女子高生が座っているのが見えた。
うちの高校の制服だ。わたしにそっくりな……カナンさん。
まだ五時には十分くらいあったけど。彼女はそこに座って待っていた。多分、立っていると外から見えてしまうから座っていたのだろう。
CGだからって、じっとしているわけではなく、まるで本当に生きている少女が待っているようだった。ときおり、あたりをゆっくりと見回すしぐさをしたり、手を花の方にかざして物憂げに小首をかしげてみたり、風もないのに、髪をなびかせてみたり。
「カナンさん、待っててくれたの?」
呼びかけたが、返事がない。それどころか、まったく無視してるみたいに変化もない。さっきまでと同じように動いている。
一瞬、罠?! と思ってドキッとしたけど、それは軍人の悪い癖で、警戒のしすぎだと、おちついて観察した。故障かしら、まるでこちらが見えないような。
と、そのときやっと気がついた。ここには彼女が操れるカメラがないのだ。だから彼女からはわたしが見えていない。
わたしは、自分の左手の中指の腹を自分に向けて、コマンドワードを唱えた。
「カメラ起動。ウェブに接続。隆のパソコンのMACアドレスで、デバイス名『メグミ』で登録」
体内に埋め込まれたいろんな仕掛けのチップについては、隊長の場合は魔法っぽい起動コマンドで登録しているけれど、わたしは単純にコマンドワード登録している。
今、ネット上では、あたかも隆のパソコンのウェブカメラを、わたしが左手で持って、自画撮りしているように公開されているはずだ。そして隆のパソコンはKプランに参加しているから、カナンさんも気がつくはずだ。
案の定、カナンさんのCGの焦点が、わたしの顔にぴったり合った。
「おかえりなさい、恵さん」
「ただいま。待っててくれたの? いつから?」
「放課後って言ってたから三時二十五分から来てたの」
「あっ! そうか、ごめんなさい! わたし、五時からって言ったんだけど、カメラを向いていなかったのね、あのとき」
「ううん、いいの。わたしがダメなのよね。相手に見えている眼とは別の向きから相手を見たりしてるから。でも、それも今日までなのよねぇ!?」
「ええ、そうよ。さあ、中に入って」
このときは、彼女が玄関前に座っていた一時間二十分ほどの間に、誰かが訪ねてきて、彼女をわたしと勘違いしたかもしれないなんて考えもしなかった。
玄関ホールに入ると、わたしはさっそく作業に入った。隊長のコマンドソーサーを呼び出して、座って、操作する。
「まず、指のカメラを使わなくても会話できるようにしましょう。地球のカメラとマイクをコピーして、と」
マイクをひとつと、カメラを四方にひとつづつコピーして出現させ、ウェブに接続する。だれかに侵入されて、ビレキア星の装備とかを見られちゃいけないから、ガードをかけておき、カナンさんだけにパスワードを教えて接続してもらう。
「これで普通に話せるわね」
どの方角をわたしが向いても、わたしの顔はどれかのカメラに映っているし、マイクで音も拾えるから、昼のように聞き逃しは起きないはず。
「ええ。快適よ」
「じゃあ、これから、あなたの画像の眼と耳の位置で映像と音を捉える機能と、力場を利用して、離れた場所にフィールドを発生させてCGの映像とシンクロさせて物に触ったようにできる機能をつけるわ」
カナンさんは、クリスマスの贈り物をもらう子供のように期待のまなざしでわたしをみつめて頷いた。もちろん、地球でクリスマスを迎えたことがないわたしは、そういう子供の表情を生で見たことはないけれど、画像は知ってる。今のカナンさんはそういう感じ。すぐにでもプレゼントを開けて中を見たいって表情。
「あなたが今、CG投影に使っている車載のパソコンじゃ無理なの」
わたしは、ビレキアのCG投射機を取り出した。それは、十円玉ほどのサイズのパックで、その機能は、昼休みにカナンさんが望んだすべての機能を網羅した上、さらにたくさんの機能を備えている。でも、これをそのまま地球のネットに接続したら、宇宙人が地上にいるとバラしているようなものになってしまう。
「まず、このCG投射機をスキャンしてコピー。そして、機能をCG投射、音声発生の基本機能以外は、遠隔モニターとフィールド発生に限定して、その他を削除。現在のカナンさんの投影機が持つ機能は残して、投影可能距離は十キロ以内に広げるわ。そして、さらに、それを実現するための機械の部品を地球で現在存在する部品に置き換えて構成する、と」
なんとか、可能ね。しかし問題があった。
「だめね、サイズが大きすぎだわ。東京ドーム一個分ってやつね」
すこし、近未来技術を混ぜないとだめみたい。省スペースの効果が高い部分に絞って置き換える。
「フィールド発生装置と、遠隔同期システムを、地球っぽく開発したものに置き換えて、その部品を、現在の地球のメーカーが作った試作機としてネットを通じて登録、と。よし、これで再構成すると」
かなり小さくなった。地球の最先端技術を結集したような研究所ならば、ひょっとしたら、開発に成功しててもおかしくないかも、という技術。
「マイクロバスのサイズでは無理だけど、路線バスサイズになら、なんとか投影機が収まるわ!」
パチパチパチと、カナンさんが手をたたく。ちゃんと音をさせるところが彼女らしくて、わたしも笑顔になってしまう。彼女は、可能なかぎり本物の人間がやっているように振舞っている。本当に人間にあこがれているんだと思う。
「その路線バスを実物として合成。今使用しているマイクロバスと置き換えて、乗ってるマネージャーさんやオペレータさんの記憶を操作。そして機械の操作方法を催眠学習させて」
「あ、だめよ! マネージャーさんは大型免許を持ってないわ」
「じゃ、マネージャーさんの催眠学習に大型免許取得を追加。免許データーを書き換えて、と」
「ウフフ。免許証は?」
「偽造するから、隙を見て入れ換えちゃって。あなたはそれを持っていけるようになるんだから」
(ワ~ォ)とカナンさんが両手を合わせて指を組んで、叫ぶまねをする。やっぱり、クリスマスプレゼントをもらう子供ね。
「準備完了! じゃあ、この設定で、実行!」
カナンさんは、手をあわせたままひざまづいて眼を閉じた。礼拝堂で祈りをささげる乙女のように。
カナンさんの身体が、輝いて更新されていく。足元から次第に光が上っていき、頭の先まで光ったあと、頭上で更新の輝きが輪を作った。天使の輪だ。白く輝くカナンさんは、まるで天使のよう。
光が次第に治まり、頭上の天使の輪も消える。
「さあ、ゆっくりと眼を開いてみて」
カナンさんの瞼がゆっくりと開いた。彼女は、瞳孔が動いて明るさを調整しているような演出を忘れなかった。
「見える! 見えるわ! 恵さんの顔がアップで見える。うわあ、いろいろ調整がたいへんね。ゆれとかゆがみとか。人間の脳ってこんなことしてるのね」
「はい、免許証」
マネージャーの新しい免許証を作って、彼女に差し出すと、カナンさんはおそるおそるそれを指でつまんで受取った。そうして、裏と表をくるくる交互に眺めている。
「持ってる。わたし、現実の物をはじめて持ってる!」
「あらあら、そうしてると本物の双子みたいね」
二階からエリカさんが声をかけるまで、わたしたちは、ふたりで免許証をまわしては微笑み合っていた。エリカさんがゆっくり階段を下りてくる。
「あ、エリカさんですね。朝お会いしたけど、ご挨拶ははじめてね。はじめまして、カナンです」
「さっきはびっくりしたわよ、恵がまた落ち込んでるのかと思ってこっちが話してるのに、ぼーっと玄関の前に座り込んだままで」
「ごめんなさい。わたし、そのときはまだ、何も見えてなくて、恵さんを待っていたんです」
「今はよく見えてるみたいね。あ、そういえばさっき、阿久根さんも来てたわね。カナンさんに向かって何か話して帰っちゃったけど」
「え?!」
訊き返したのはわたし。だって、阿久根さんとの約束は六時だったもの。まだ四十分くらい先。
悪い予感がする。
第15話 魔女と宇宙人とCGと
隊長のソーサに戻って、監視システムを再生する。この建物の周りの立体映像が十分の一サイズで玄関ホールに表示される。
「うわぁ」
その様子に感動したのはカナンさん。CGの精度で技術の差が理解できるんだ。
そのカナンさんが家に来たのは三時二十五分。
エリカさんが帰ってきたのが四時二分。
エリカさんは、わたしが落ち込んでいると勘違いして、カナンさん(エリカさんにとってはわたし)の前に立ったり、しゃがみこんだりしながら六分間も話しかけてくれて、やがて、カナンさんの横に腰掛ける。やさしくいたわるように、わたし(カナンさん)の肩に手を掛けようとして、手がカナンさんの身体をすり抜けたときに、やっと気がついて家の中へ入るのが四時九分。
エリカさんのやさしい慰めの言葉は聞いてみたいけれど、今は残念ながら、ほかに目的があるので早回し再生を続ける。
それからしばらく来訪者はなく、カナンさんがひとりで座っているだけ。目も見えない状態で、ずっと待ってくれていたんだ。
そうして四時二十三分、阿久根さんがやってきて、カナンさんの前で立ち止まる。そこから再生速度を一分の一に戻して、音声も再生した。
『催馬楽?』
阿久根さんが、門の外から家に向かって声を掛ける。
その位置からはまだ、バラが邪魔でカナンさんは見えていない。阿久根さんは、周囲の家(特に園田さんの家)を気にして見回しつつ、誰も見ていないのを確かめて、門を開けて庭に入ってくる。
半分くらいまで進むと、玄関前に座っている人影に気がつき、歩みが慎重になる。
やがて、座っているのがわたしだということを確認し(ほんとうはカナンさんなんだけど)二メートルくらいのところまで歩み寄って話しかける。
『よかった、催馬楽。待っていてくれたのか?』
返事はない。カナンさんは自分だけの世界にこもっていて、時折、自分の手のひらを見るそぶりをしたり、周囲を振り返るしぐさをしたり、自分のひざに眼を落としたりして、止まってはいない。
『実は、さっき呼び出しがあって、今日の時間通信が早まったんだ。もうすぐ始まってしまう。今から案内するからいっしょに来てくれないか?』
悪い予感が当たっていた。
カナンさんには声も阿久根さんの唇の動きも届いていないから、なにも返事がない。阿久根さんを無視して、座ったままだ。
『どうした? 来てくれないのか? 約束してくれたじゃないか。わたしを納得させてくれるんだろう?』
カナンさんは自分の手の動きを目で追っている。両手でお手玉をするようなしぐさをしながら。
『きみに言われたことを、あれから考えてみたんだ。決定的なことはないけれど、たしかにきみが言うことのほうがつじつまが合う。今日、わたしも未来人を問い詰めてみようと思う。きみひとりにやらせないから、サポートしてくれるだけでもいい』
反応がないので、阿久根さんも興奮してきたようだ。
『未来人が実は宇宙人だってことを証明するって言ったじゃないか。うそだったのか? さあ、いっしょに来てくれ』
その、最悪のタイミングで、カナンさんは、庭を見渡すように、首を左右に振った。今その映像をわたしといっしょに見ているカナンさんが、息を呑むのが聞えた。
阿久根さんは、そのしぐさを見て、拒絶と受取ってしまった。
『ちくしょう! やっぱり、インベーダーだったんだな! 信じかけていたのに!』
阿久根さんは走って出て行ってしまった。
わたしは、再生を止めた。
「ごめんなさい。わたしのせいね!」
カナンさんは泣き出しそうだ。
「いいえ、わたしが悪いの。あなたに待ち合わせの時間をうまく伝えられなかったのはわたし。あなたが観測できない場所を待ち合わせ場所に選んだのもわたし。あなたをちゃんと理解していなかったわたしが悪い」
そうだ、これはわたしの責任だ。
行かなくちゃ。約束したんだから。
阿久根さんはひとりででも『未来人』を問い詰めるかもしれないわ。そんなことをしたら、彼の身が危険に晒される。
問題は、そう、阿久根さんが時間通信をする場所をわたしが知らないということ。そして、過ぎてしまった時間。
「カナンさん、ごめんなさいね。急な用事ができちゃったから、今日はこれで帰って。新しい身体に慣れるまで気をつけてね」
「いいえ、恵さん。わたしもなにか力になれるかもしれない。手伝うわ」
「これは危険なの。だめよ」
「危険って、わたし、この身体に何されたって死んだりしないわよ。世界じゅうの一千万台のパソコンが全滅でもしないかぎり」
カナンさんは、どういう状況か良く知らないままに、わたしに協力してくれようとしている。
そうして、エリカさんも歩み出た。
「簡単に死なないのは、ここにもいるわよ。連れて行きなさいな。恵・お・ね・え・さ・ま」
ふたりの申し出は、とってもうれしい。『未来人』と戦うことになったとき、わたしは全力で戦うわけにはいかない。ビレキア星の関与を晒さないようにしなければならないという制約に縛られているから。でも、ふたりの力は、まあ、普通ではないにしろ、地球製ってことになるから、問題が回避できる。
大きく頷いて、ふたりを見ると、二人も力強く頷いてくれた。
まずは、阿久根さんの行方を追わなきゃ。
コマンドソーサーとの遠隔リンクをつないだまま、ふたりといっしょに家を出た。監視システムが記録していたのは、洋館の周囲百メートルほどの範囲でしかない。その範囲での記録によると、阿久根さんは学校の方へ向かっている。
通学路を進んでいく。百メートル地点には、例の隆とわたしが話した公園がある。ここまでが通常の監視システムの範囲。ここから先は、監視システムの記録にはないから、なにかの痕跡を追わなくちゃいけない。なにか阿久根さん特有の反応を見つけて追わなくちゃ。
そうだ、あの頭の装置。ビレキアの催眠波動を防ぐあの装置は、阿久根さんたちしかしていない。しかも、阿久根さんが学校に被ってきている新型なら、ひょっとしたら阿久根さんだけかも。あの装置が駆動した痕跡が観測できたら、阿久根さんの動きを追えるかもしれない。
右手を地面にかざして、キーワードを唱える。
「センサー起動。阿久根さんのヘルメットの駆動痕跡を視覚化」
右手の薬指から円錐状に地面にむかって青い光が発せられ、その円錐の範囲内で、阿久根さんが進んでいった方向に、黄色いリボンのような痕跡がつづいていくのが見える。 やった。これを追っていけば、阿久根さんを追跡できる。
あたりは暗くなりはじめていて、人影もまばら。もしもそうでなかったら、わたしとカナンさんは目立ちすぎる。だけど、薄暗がりのおかげで、高校の制服を着た女の子が3人、懐中電灯を持って小走りしているようにしか見えてないはず。
「車には乗ってないわ。阿久根さんは徒歩で移動してる。追っていけそう」
「恵、気がついてる? つけてきてるわ」
エリカさんが耳元でささやいた。
え? 誰? 阿久根さんの仲間?
わたしは振り返らずに進みながら、後方に注意を向けた。
「後方センサー起動。映像を視覚の一部に投影。望遠。明度調整」
キーワードを小さく口の中で唱えると、脳裏に自分の後方の様子が小さなウィンドウで画像表示される。望遠にして、暗がりを明るく調整すると、わたしたち三人をつけてくる人物が見えた。
「隆?!」
エリカさんも小さく頷く。
隆が心配してついてきているんだ。多分、今夜の、わたしと阿久根との約束っていうのが気になって、自宅からわたしの様子をうかがっていたんだわ。
「後方センサー、アラームモードに移行。映像投影中止。剣崎隆をマーク。彼に異常が生じたり、危険が及んだら脳内アラームを鳴らして」
設定をこうしておけば、隆になにかあったら、わたしの頭の中でアラームが鳴り響くから大丈夫。
ビレキア星の兵士は、身体に無数の超小型チップを埋め込んでいる。だから、装備をなにも身につけたり持ったりしていないように見えても、今のわたしのように、必要な装備をコマンドや仕草で呼び出して使うことができる。
チップはあまりにも小型なので、地球人の科学程度の探知機じゃあ発見はできないし、命令しないかぎり起動しない。
わたしは今も、最前線で白兵戦が行なえるほどの武器のチップも身につけている。でも、それらのすべてを起動するには権限が足りない。わたしがチップをフル稼働で活用して戦闘するには、隊長の承認コードが必要なの。でも、今、隊長は木星軌道に出かけていて地球上にいない。
わたしは戦闘に関しては、限られた能力しか発揮できないということになる。しかし、センサー類はほとんどフルに活用できる。今、阿久根さんを追っているセンサーや、後方の隆さんをマークするセンサーも、わたしの権限で起動できる機能。
阿久根さんは、通学路の踏み切りの前で右にまがっている。毎朝、由梨香がやってくる方向。
こっちは駅前の繁華街。人の流れが多くなり、明かりも多くなる。大きな商店街ではないが、小売り店舗も多くなる。電気屋さんの前を通ると、カナンさんのプロモーションビデオが大画面に映し出されているところだった。
すれ違う人の中には、わたしたちに気がついて振り向く人もいるが、とにかく早足で進む。黄色い光のリボンは、まだ続いている。
光が曲がって路地に入った。そして、もう一度曲がる。でも、そこは路地じゃない。見上げるとそこは、閉館になった古いタイプの映画館の入り口の前だった。両側のバーの明かりは点いていたけれど、映画館の前はもう、暗くなっている。
扉を見ると、鍵がかかっていた。鍵穴があって、おそらく内側にはサムターン。鍵かサムターンをまわすと扉から金属のバーが延びて、柱側の穴に突き刺さるタイプの鍵だ。
後ろから付いて来ている隆の安全を考えたら、この鍵は壊さずに開けて、中から閉めるべきなんだろうけれど、地球製の鍵の開錠キットなんていうのはない。電子錠ならなんとかなったのだろうけど。
レーザーで金属バーを切ってしまうのは簡単だけれどそれでは、鍵が閉められなくなって、後から来る隆が中までついてきてしまう。
「中でしょ。開けないの?」
エリカさんが言った。
「壊しちゃったら、あとからくる隆も入っちゃうわ」
わたしが言うと、エリカさんは魔法を使おうとしたようなんだけど、先にカナンさんが動いた。
「わたしにまかせて」
左右を見て、人目がないのを確かめて(もっとも、隆は遠くから見ているんだろうけど)、彼女はするりと扉をすり抜けて中に入った。知らない人が見たら、幽霊が扉をすり抜けていったようにしか見えない。
すぐに、サムターンがまわる音がして、扉が開いた。内側では、カナンさんが得意げに笑っていた。
「わたしは絶対、どろぼうさんになっちゃダメね。反則だわ」
あたりの視線を気にしながら中に入って、サムターンを回して鍵を閉める。隆が無茶しなきゃいいんだけど。
中には非常灯以外の明かりがない。ロビーに人の気配はなく、売店のショウケースにはなにも入っていない。
おそらく、閉館になる直前に上映されていたと思われる映画のポスターが張りっぱなしになっている。スプラッターホラーのようだけれど、ゾンビの美女が口から血を滴らせながら、人を食べるというストーリーらしい。いやなネタやってるわね。どうせ、地球人にとってビレキア人はホラーのモンスターでしょうよ。
気を取り直して、先へ進む。
正面に劇場の入り口になる両開きのドア。左右に通路があり、通路の突き当たりは劇場横に続いている。トイレと横の入り口があるみたい。また、つきあたりにはそれぞれ上への階段がある。二階席があるんだわ。
わたしは唇に指を一本立てて、ふたりにしゃべらないようにと伝え、その指で、『わたし一人で正面から入るから、二人は上へ回って』と合図した。二人は頷いて、左の階段に向かった。
正面の扉には鍵がかかっていなかった。
ゆっくりと引くと、油切れの蝶番が、大きな摩擦音をたてた。場内にその音が響き渡った。中は、上映時のように、数個の明かりだけがついてほとんど真っ暗だった。一階席は三百席ほどだった。ゆるやかな傾斜があり、正面のステージの奥に、ぼんやりと白く光るスクリーンがあった。
客席には誰もいない。
中央の通路を、用心深く前へ進む。二階席のせり出しは、一階の三分の一ほどまでだった。一階席の真ん中まで進んで、ちらりと振り返ると、二階席の両端にエリカさんとカナンさんの姿が見えた。扉の音はしなかったから、カナンさんはもちろんだけれど、エリカさんも魔法ですり抜けたのかもしれない。
とにかく、わたしが入ってることは、相手にどうせ知れているはずだった。わたしは声を出した。
「誰かいますか? 阿久根さん? 恵です」
あたりはシーンとして人の気配がない。
センサーでスキャンするべきだろうか。まだ、今なら、ただの女子高生ってことで通せるかもしれない。阿久根さんには、宇宙人だと名乗ったけれど、阿久根さんの仲間にとっては……だめね。あの夜襲撃で、エリカさんにコテンパンにやられた人たちにとって、わたしがただの女子高生のはずがないか。
センサーを起動しようとしたとき、舞台のそでから、人が出てきた。
「阿久根はもう、われわれのリーダーではない」
その、背が高くて筋肉質の黒服の男はそう言った。頭には、旧型のヘルメットを被っている。
見たことがない男だ。そもそも、見たことがある男達は、エリカさんが病院送りにしてしまったはずだから、ここにいるのは、見たことがないやつばかりのはずで、人数も不明だけれど。
筋肉質の男に続いて、ふたりの黒服と、ふたりにかかえられてぐったりした阿久根さんが出てきた。阿久根さんは血だらけだ。ふたりは旧式のヘルメットを被っていて、阿久根さんは新式のヘルメットを被ったままだ。
「阿久根さん!」
わたしの声に、彼が弱々しく顔をあげてこちらを見た。
「……催馬楽……」
「阿久根さん、ごめんなさい。あなたが家に来たとき、玄関前にいたのはわたしじゃなかったの。わたしはそのころ、まだ学校に居たのよ」
阿久根さんは、痛々しい笑顔を見せて、また、ぐったりとうなだれてしまった。
「ひどいことをするわね! 仲間なんじゃないの!?」
「彼が被っている催眠波動遮断ヘルメットは不良品だったのだ。彼はすでにおまえたちに洗脳されてしまっている。偉大なる『未来人』に逆らおうとした上、時間通信の環境を破壊してしまおうとしたのだ。おまえたちインベーダーの手先だ。だから、こうして拘束したのだ」
この男は、阿久根さんのように説得可能な相手かしら? 何か様子がおかしいわ。あまりにも狂信的で。
「わたしはインベーダーなんかじゃないわ」
「うるさい! その、ありえない姿と、われわれのアタックチームを攻撃した力が、インベーダーの証拠だ!」
そのとき、一階席の左側の通路に、二階席からカナンさんが舞い降りた。物理法則を無視して、放物線を描くでもなく、等速でまっすぐに着地したの。
「彼女はわたしのオリジナルモデルになった地球人よ。わたしを知ってるでしょう? CGアイドルのカナン」
カナンさんは、その場で、ブレザーの制服から歌番組で着た衣装に切り替えて見せた。
さらに、一階席の右側の通路に、二階席からエリカさんが舞い降りた。こちらも物理法則なんか知ったことじゃないという様子で、ゆっくりと着地した。
「そして、あんたたちのアタックチームとやらを懲らしめたのはわたし。わたしは地球の魔族よ。宇宙人なんかじゃない」
エリカさんは手のひらの上に、紫の炎を起こしてみせた。あの夜の炎の色だ。
筋肉質の男は、わたしたち三人を交互に見比べ、眉をしかめて頭をかかえた。
「うう……ううう。頭が痛い」
悩んでいるにしては、様子がおかしい。やはりなにかあるんだ。
劇場のスピーカーを通じて、低い男の声が響いた。
『惑わされるな! そいつらは、みんなインベーダーだ』
それと同時に、スクリーンに男のシルエットが浮かび上がった。ずいぶん安っぽい『時間通信』ね。
「やっと『未来人』さんのお出ましというわけね」
筋肉質男は頭痛から回復したみたい。わたしに、髭剃り機型の陽子銃の銃口を向けている。
「『未来人』さん、この人たちに何をしたの?」
『ははははは。阿久根の反乱で、疑問を抱いたやつらが多数出てしまってね』
「ヘルメットになにか仕組んだの?」
『わたしの存在に疑問を抱かぬように、自分で記憶を修正しているだけだ。おまえがやっていることと同じではないか?』
あらかじめ、技術提供するときに、わからないようにそういう機能を組み込んでおいたわけね。阿久根さんのヘルメットは高校に転入するために小型化してしまって、その機能が失われたということなんだ。
シルエットに動きはない。あのシルエットは、まったくのダミーだわ。そもそも、光源がどこにあるにしろ、平面のスクリーンに映ったら、人の形は偏平するはずなのにそれがない。あのシルエットの元となる立体がスクリーンに接するほど近くに立っているか、光源が太陽光のように水平にスクリーンに光を当てているか。もしくは、そもそもシルエットの元になるモノなどないか。
『CGと、魔族か。魔族というのはわからんが、AI技術を使用したCGの姿を先に取り入れるとは、よっぽどの情報通か、さもなくば、おまえが未来予測に長けたビレキア星人なのかだな』
ぎくり。いきなり正解ですか? うちって、そんなにバレバレなのかなあ。
「あ~ら、適当に星の名前を並べていたら、明日の朝までにはお互い正解を一度は言うことになるでしょうね」
我ながら苦しいごまかしだわ。
『何を言うか。わたしは未来から、この時代の危機を救うために指導してやっているだけだ。わたしは地球人だ』
旧式ヘルメットを被った男達が、夢遊病者のように頷いていた。この話に納得してしまっているのね。
『わたしは、この海を、侵略者の手から守るために時間を越えて……』
「海?! 語るに落ちたわね!」
『ぬぁにぃ!!』
動揺が声に出ている。もう一押し。
「翻訳機の誤訳に気がつかないの? あなた。その翻訳機は、あなたの星をさとられないためによその星の技術を使ったのね。本来、『大地』と訳すべきところを『海』と訳したのよ」
地球の言葉にもある。【アース】は自分たちの住む場所。地面と星をあらわす言葉が同じになる。これは、天文学が進歩して宇宙の姿を知るまで、自分たちが住む世界を限定的にとらえてしまう知的生命体共通の現象。その言葉を翻訳機にかけると、普通なら自分が住む場所を表す言葉に翻訳される。しかし、翻訳機の製作者と使用者の住む領域が異なっていれば、誤訳が生まれる。
「あなたは水棲生物ね! グーラフェ? いいえ、グーラフェ星人なら人型だから地球人に化けるわよね、こんなことせずに。それなら、絶対に地球人に化けられない、球形のフェビラノ星人?!」
返事がない。静かになった。図星だったようね。
「どうしたの? 言い当てられて反論できなくなった?」
『それがどうした。この密室で、お互いの正体を推理しあったところで、どちらの腹も痛まない。地球人の手で、正体を連盟に暴露されるか、一方的に証拠をつかまれれば別だが、ズルをしている同士で正体をつかみあっても、自分の罪を連盟に懺悔しないかぎり、相手のことを告発できない』
そうよ。それはお互い様。
「でも、ほら。あなたを『未来人』だと信じる地球人を減らすことはできたようだわ」
旧式ヘルメットの男達は、また、頭を抱えていた。阿久根さんは、試合直後のボロボロのボクサーのような顔のくせに、くしゃくしゃに笑っていた。
あなたとの約束を果たせたわね、わたし。
【B 作戦的勝利】達成だわ。
第16話 迷い
そう思った瞬間、油断があった。
『まだだ。おまえたちをすべて殺して、また新しい地球人を手なずけることで、やり直すことができる』
旧式ヘルメットの人たちが、いきなり直立不動の姿勢をとった。プルプルと小刻みに頭を振りだす。
「気をつけて! 恵! 様子がおかしい」
エリカさんが臨戦態勢にはいった。彼女の黒髪が静電気に引かれるように逆立ちはじめ、彼女をつつむ魔界と現世の境界のゆらぎが、直径三メートルくらいに広がった。
『地球の魔族か。どれほどのものかな』
スピーカーからヤツの声がして、エリカさんのまわりの揺らぎが、なにかの力につかまれた。隊長がやったのとおなじだ。科学の力で魔界を封じ込めようとしている。
やつはいったいどこから、この劇場に力を及ぼしているの? 話をしていたのはどこから? どうやってここの様子を見ているの?
宇宙からの通信じゃない。話をするだけならまだしも、この場所をモニターしたり、地球人のヘルメットを操ったり、エリカさんのことを分析したり、魔界に力を及ぼすシステムを遠隔操作したり。宇宙から、こんなにも一度に行なったら、地球への干渉が観測されてしまうはず。
地球上のどこかとここを結んでいるのなら、逆探知できるわ。
居場所をつきとめて、本体をつかまえてやる。……ただし、ビレキア星人の力を地球外部から観測されないように、だけど。
痙攣していた地球人が動き出した。武器を構えようとしている。
完全に洗脳されてしまったんだわ。
阿久根さんはその場に倒れて立ち上がれないみたい。地球人三人を倒すことは簡単だけれど、やりかたによったら、ビレキア星人とばれてしまう。その様子を記録されて、ヤツが操っている地球人の仕業に見せかけてネットかなにかに流されたら、ビレキア星が地球に関与していると疑われる。
明確な証拠がなければ、連盟からペナルティを課せられることはないかもしれないけれど、ビレキア星を中傷するようなところが現れたら、名誉のために戦うことになるかもしれない。
連盟では、民間人を巻き込んだ戦闘は禁じられている。それでも星同士が、武力によって甲乙付けたがる場面は存在する。そういうとき行なわれるのが『決闘戦』だ。
互いの星を代表する1,048,576人の兵士が乗る1024隻の船同士が戦うことになる。
もしも、また、ビレキアが決闘戦を行なうことになったら、勝っても八十万人以上の犠牲が出る。それが、ビレキア星人の戦い方だから。
軍人である以上、決闘戦への参加は当然の義務で、もし、今また参加しろと言われたら、わたしも喜んで参加する。しかし、自分の任務の不手際のせいで、自分以外の八十万の兵士が決闘戦で死んでしまうことには耐えられない。
わたしが躊躇していると、エリカさんが押されはじめてしまった。どうやら隊長が使ったものよりも、ヤツの機械は出力が上のようだ。魔界の境界を示すゆらぎの球体が、どんどんつぶされて小さくなっていく。やがて、それはエリカさんの身体よりも小さくなってしまった。
エリカさんの胴体に直径五十センチほどで残るだけになってしまい、頭と脚がはみ出してしまった。
「うわぁぁ!」
エリカさんは苦しそうに両手で顔を覆う。顔を覆った両手が、みるみる皺だらけになっていく。
地球人たちが陽子銃をエリカさんに向けた。まずい! 魔界からはみ出した部分は無防備だ。撃たれたらエリカさんが死んでしまう!
思わずビレキアの力を使おうとしたとき、先に飛び出してくれたのは、カナンさんだった。まるでテレポートするように、瞬間移動で男達の前に現れ、構えている銃を、握りつぶした。
カナンさんはわたしがあげた力を使いこなしている。フィールド発生装置の握力は、数トンにまで上げられるから、あんな精密機械は簡単につぶせる。握りつぶされた陽子銃は、ショートして爆発し、三人の男達は、感電して気絶してしまった。
『今度はCGか』
ヤツの低い声とともに、カナンさんが、なにかの力に捕まった。多分電磁場だ。カナンさんの姿がゆらぐ。
「きゃああっ! 何?」
持ち上げられて、空中で、カナンさんのお腹の部分が完全に消されてしまった。エネルギーが逆流している。カナンさんの頭脳であるAIは世界中のパソコンに分散していて無事だけれど、このままではCG投影機が壊れて、カナンさんがCGとして出てこれなくなってしまう。
ヤツの居所が逆探知できない。
ビレキアのセンサーが、ヤツに妨害されるほど劣っているのでなければ、導かれる結論はひとつ。
ヤツはここに居る。
遠隔操作などしていないんだわ。
まだ、ひとつ、疑問が残っている。ここにいるヤツは、生身の宇宙人か、それとも、コンピュータに宿ったAIなのか。
もしも、倒してみたら、どこ製とも言えるようなコンピュータのプログラムだった、なんてことになれば、相手の正体を暴いたことにはならない。
でも、AIかどうかを確かめる手はあるわ。
「すぐに二人を放しなさい。じゃないと、あなたがどこに居ようとつきとめて、わたしがかならず殺してやるわ。星が罰を受けようと知ったことじゃないわ。わたしはあなたを絶対に許さない!」
『……おどしてるつもりか? 訓練された軍人にそんなことができるわけがない。自分の国家を危険に晒す行為なんだぞ』
確信したわ。ヤツは生身だ。AIじゃない。
AIと生身の宇宙人との絶対的な違いは、死を恐れるかどうか。AIは、ハードを壊されるだけじゃ、自分が滅びないということを知っているから、殺すと言われてもまったくおびえることはない。しかしヤツは動揺していた。生身でここに居るんだ。
もちろんAIが偽装して、わたしにそう思わせているという可能性は、ゼロじゃあないわ。
ヤツがもしAIだとしたら、自分が生身だと見せかけた理由は何かしら。わたしは、感情的になって攻撃するという意図を示したのだ。それが、ヤツの所在を見破った上で生身かAIかを見極めるための手だと悟ったのだとしたら? 偽装することで、わたしに生身だと思わせようとしたのなら、ヤツはわたしに攻撃してもらいたいのだということになってしまう。
つまり、ワナを張っていて、勝つ自信があるケースならそうだ。そうでなければ、自分の正体を暴かれる可能性を増やす行為となり合理的ではない。自分がAIであることを匂わせて、わたしの戦意を削ぐほうが、ヤツの任務にとっては得策となるはず。
隊長がいてくれたら、こんなに悩まず即座に決断してくれるんだろうけど。わたしは悩みすぎだわ。
ビレキア星人であることの証拠を与えてしまう危険性の存在が、わたしを優柔不断にしてしまう。
いまは自分の推理と勘を信じるのよ!
『次はおまえの番だ。地球人の手でおまえを倒して、解剖写真をネットで公開してやる。おまえが何星人なのか楽しみだ』
複数の人間の足音が両側の通路から近づいてくる。
劇場の横のドアが同時に開いた。陽子銃を構えて入ってきたのはあわせて七人。
そのとき、突然、頭の中でアラームが鳴った。
『アラーム。剣崎隆が危険領域に侵入』
ここへ来るときに設定した後方センサーのアラームだ。隆が、映画館の中に入ってきちゃったんだわ。
劇場への正面入り口を開けて、隆が入ってきた。
「恵! あぶない!」
あぶないのはあなたよ! こんなとこにあなたが来て、何かあったら、わたしの任務もなにもすべておしまいだわ!
陽子銃を持ったやつらが、隆を撃った。
細い光線が七本、隆を襲う。少なくとも三本が命中した!
一瞬、隆が殺されたと思ったわたしは、胸が張り裂けるような苦しみを味わった。息が止まり、心臓が破裂したのかと思った。
しかし、服に穴が開いただけで、隆は何ともない。彼はエリカさんと同じように魔界をまとっているからだ。それを知って、氷のように冷めていたわたしの体中を、暖かい血がめぐり、思わず安堵のため息が漏れた。
『そいつも魔族か!』
隆自身、何が起きているか理解できていないらしい。服に穴が開いただけの自分の身体と、自分のまわりに着弾した光線で破壊された椅子や壁を見比べている。そんな隆を、ヤツの力がつかんだ。エリカさんがやられているように、魔界のを押さえ込んで無力化するつもりだ。
そんなことをしたら、年齢を維持できずに皺ができてしまったエリカさんのように、隆も身体を魔力で維持できなくなってしまう。隆の身体は死んでいるのよ。魔力で維持しなければ死体になってしまうわ!
でも、そんなわたしの心配は意味がなかった。ヤツの科学力による魔界の封じ込めに、反射的に抵抗しようとした隆の魔力は、桁外れだった。
『ぬぬ! なんだ! この力は!』
隆のまわりの魔界と現世の境界のゆらぎは、爆発的に劇場全体にまで広がった。エリカさんを締め付けていた力も消し飛ぶ。
隆の目が! エリカさんの炎のように紫色に燃えている。魔王が覚醒しようとしているんだわ。
いけない! 今魔王が目覚めてしまったら、地球は惑星破壊兵器を所持したことになってしまって、連盟に加盟できずに、どこかの星に占領統治されることになってしまう。
「だめよ、隆! わたしの声を聞いて! 今はまだ抑えて!」
『そいつは何者だ!』
ヤツも隆の尋常じゃない力に気付きかけている。
わたしが必死になっていることに、若返って力を取り戻したエリカさんが気付いてくれた。彼女にしたら、魔王の覚醒は喜ばしいことのはずだし、地球占領のことも知らないはずだけど、何かを察してくれたらしい。
エリカさんは隆のところに瞬間移動し、隆の肩を抱こうとする。
「落ち着いて、隆さん……あっ!!」
エリカさんの手が、隆の身体を覆う力に弾かれた。エリカさんの両手のひらは焼けただれ、白い煙が出ている。
でも、エリカさんは、もういちど、手を伸ばした。
「落ち着くの。小さいときのことを思い出して。あなたは、まだ、人間として生ききっていないわ」
隆の両肩をやさしく抱くエリカさんの手からは、白い煙が上がり、ジュージューという音とともに肉が焼けるにおいが立ち込めていた。
隆の目から光が消えて、彼の身体は緊張を失ってひざをついた。彼の魔界が急速にしぼんで身体の周囲に戻っていく。
エリカさんのおかげで、隆の中の魔王が覚醒する心配は、とりあえずなくなった。
『なるほど。そのパワーをマークしていたんだな』
ヤツに隆の力を知られてしまった。この上は、ヤツをこの場で葬り去って、秘密をまもらなきゃいけない。
隆に駆け寄ろうとして伸ばした右手を、ぎゅっと握ってこぶしをつくり、ヤツの偽のシルエットが映っているスクリーンを睨みつける。
「ライトニングフィスト起動」
キーワードを唱えると、右腕の骨と筋肉が強化され、拳のまわりを青白い光がつつみ、パチパチと小さな稲妻がまとわりつくように弾ける。
ライトニングフィストは隊長の許可なく起動できるものとしては、わたしの体内に仕組まれたうちの最強の武器。これで殴れば、地球の戦車の装甲も貫ける。
わたしの身体には、隊長の承認さえあれば、もっと強力な兵器が起動できるチップも埋め込まれているが、今は使用できない。しかし、自分の判断で使用できるこの武器でも十分戦えるはず。
隆と隆の星を守るためだ。
この武器を使う戦い方は、とてもビレキア星人らしく見えるだろうから、もし、録画されて公開されたら、ビレキア星人が地球に居ると宇宙からは見えるかもしれない。だけど、今は、もう、それよりもヤツを倒すことが重要。
隊長、ごめんなさい。
そう念じてファイティングポーズを取ったわたしの脳内に、いきなり通信が入った。
『何をしている。そんなチンケな武器はしまって戦闘用兵器の準備体勢を取れ』
第17話 決着!
隊長!?
隊長からのリンクが結ばれて、隊長の声が頭の中に聞こえている。
『わざわざ木星まで行っただけの収穫があったぞ』
さっきの隊長の言葉に従い、右手のライトニングフィストを解除する。
『良く聞け。今回地球での件でビレキア星は連盟の要請で動いている。だから、敵の正体を暴くことに成功すれば、ビレキア星の痕跡が公表されても政治問題にならない。おもいっきり戦っていいぞ。だが、必ず勝利するんだ!』
隊長の言葉で、わたしの迷いはすべて吹っ切れた。
「はい、隊長!」
『ただいまよりラシャカン少尉による戦闘用兵器の使用を許可する。承認者、強襲歩兵中隊隊長カーリカラン大尉、承認コード、アルファ・ゼロ・セブン・ゼータ』
隊長からの通信で、わたしの体内の戦闘チップがすべて使用可能になった。直立し、両手を斜め下に広げ、手のひらを前に向けて、人差し指と親指を立てて装備開始のポーズをとり、あごをそらしてキーワードを唱える。
「レーザーソード起動、スタンモード! 出力20%」
わたしの両手から、長さ六十センチほどの光の剣が伸びる。スタンモード剣の色はグリーン。
ビレキア星兵士の主武器は格闘用兵器だ。
艦隊戦と同じく、個人戦闘においても、ビレキア星の戦士は、射撃戦に対する格闘戦の優勢を信条とする。無粋な銃など好まない。
ヤツに操られて陽子銃を構えた七人の地球人がわたしに向かってくる。劇場内の座席の並びが邪魔をするので、彼らの進み方が限られている。わたしは陽子銃から出る光線を銃口の動きを感じ取って避けながら、地球人の目では捉えられないすばやさで、座席の背もたれの上を走って、一人づつ切り倒す。
ひとり、ふたり。三人目の顔を蹴り倒して、四人目を真上から切りつける。スタンモードなので死にはしない。
五人目の首をなぎ払って気絶させたとき、劇場の左右の壁が大きな音とともに吹き飛んで、パワードスーツが二体飛び込んできた。急いで、六人目と七人目の間を駆け抜けながら同時に切り倒し、モードを変更する。
「ソード、破壊モードへ! 出力7%」
ソードの輝きが緑から黄色に変わる。
左の一体に飛び掛る。相手は銃を構えているため、両手がふさがっていて、懐に飛び込んだわたしを攻撃する術がない。こいつが剣装備に変更する前に攻撃だ。中の人間の身体が傷つかないように、マニュピレータになっている長い腕の手首を切り落とし、背中の動力パックを破壊する。動けなくなったパワードスーツの胸板を蹴って空中で背面回転し、もう一体の肩に飛び乗り、両肩のジョイント部の動力伝導パイプを切断し、背中のパックを突き貫く。
中央通路に降り立ってゆっくりとスクリーンの方を向いたわたしの両側で、パワードスーツが二体、大きな音を立てて前のめりに倒れた。
ヤツの手駒となっている地球人はもういない。
「おまえは宇宙から観測されないために、地球外からここと通信は行っていない! 地球上に降りている! そして、通信の終点がこの地点とわかっていれば始点が逆探知可能。さきほどから観測していたが通信の形跡はなかった! また、わたしとの問答は、おまえの声が録音でないことと、おまえがAIではないことを示している!」
わたしは仁王立ちしてスクリーンのシルエットをにらんだ。
「これまでおまえが使った力は、すべて、そのシルエット付近が起点になっている。つまり、おまえは今、そのスクリーンの後ろに居る!」
『ええい! 役に立たぬ地球人どもめ! おのれ! こうなったら、わたしが直接おまえたちを葬ってやる!』
まやかしのシルエットが消え、スクリーンを破ってヤツが本来の姿を現わす。直系二メートルの黒い球体の身体に、髭のように細い五本の触手。六角形の大きな複眼がひとつ。それがヤツの正体、水棲宇宙人フェビラノ星人だ。
その身体は、直系三メートルほどの密閉された透明のドーム型水槽に浮かんでいる。その台座は金属で、台座からは長い金属製の触手のような多節の金属アームが五本伸びている。そのうちの三本が脚の役目をしていて、残りの二本が腕となっていた。今まさに、その二本の腕の先端の銃口が開こうとしていた。
ヤツの身体が現れたときには、わたしはもう駆け出していた。
一気にヤツのドームの台座に飛び乗り、右足で透明なドーム型水槽を蹴りつける。見た目は透明でヤワだが、ガラスではないので、蹴ったくらいではびくともしない。が、これならどうだ。
「ソード、最大出力!」
振り上げた二本の剣が真っ白に輝きはじめる。宇宙戦艦の外壁をも貫くソードだ。
「対閃光シールド起動、明度二十」
わたしの目を閃光から守るための濃い青紫の内瞼が、両目の表面を覆う。
「食らえっ!」
ヤツの二本の金属アームがわたしに向かってきてる。しかし、こちらの攻撃が先だ。右足のつま先のすぐ上あたりをめがけて、二本のソードを突き立てる。あたりを轟音と閃光が襲った。
閃光がおさまったとき、ステージ上には、割れたドームが転がり、フェビラノ星人の身体が、台座にかろうじて残った深さ三十センチほどの液体に浸かって、ぐったりとしていた。しぶとく、まだ生きているようだ。ピクピクしている。あたりは水槽内を満たしていた液でびしょぬれになっている。
「戦闘モード解除」
手のひらから伸びたソードが消え、瞳を覆う対閃光シールドが消える。普通の女子高生にもどったわたしは、息を整えながら、ヤツを見下ろしていた。
「恵さん下がってください」
うしろで元の制服姿に戻ったカナンさんの声がした。
「やつの姿を、わたしの目で撮影してネットに流します。地球人が公開しちゃえばOKなんでしょ?」
彼女の言うとおりだ。わたしはステージを降りて下がった。カナンさんは、前に進み出て、十秒くらい、やつの姿をじっと見ていた。
「OK。ネット動画に投稿しましたよ。地球上もあちこちで大騒ぎだけど、これでやつの地球侵入は、宇宙にも知れ渡りましたね」
カナンさんは得意げににっこり笑った。
「わたしも役に立ったでしょ?」
舞台の横手に倒れている阿久根さんを助け起こすと、彼は意識があった。おそらく拷問のように肢体の腱を撃たれて動かせない状態になっている。出血もひどい。だけど彼は笑っていた。
「ありがとう。そして、疑ってすまない」
カナンさんが横から身を乗り出してくる。
「ごめんなさい。わたしが制服姿なんかで座っていたからいけなかったのよね。あのときはまだ、この眼で物が見られなくて、あなたが来てることに気がついていなかったの」
「ああ。後から考えれば、そんな風だったよね。あのときは頭に血が上っていて、気がつかなかった。きみと彼女が同じ姿なのは知っていたのに、彼女に裏切られたと思い込んでしまったんだ」
ふたりが話している間に、わたしは阿久根さんの治療を始めた。戦場用の応急手当しかできないけれど、自分で歩けるようにはできそう。
治療は二十秒ほどで終わった。
「さ、これでいいわ。立てる?」
阿久根さんはカナンさんの肩を借りて立ち上がった。カナンさんは、もう、肩とかにもフィールドを発生させて実体っぽく感じさせることを会得しているようだ。
そこへ、エリカさんに支えられて、隆が歩いてきた。普通なら、エリカさんに嫉妬してしまいそうなところだけれど、隆に対するエリカさんの愛情は、ちょうど親戚のおばさんのようなものだと理解できているから、もう、嫉妬は焼かない。
「勝手についてきてゴメン。心配だったんだ」
ほんとに、たいへんなことになるところだった。と心の中では思ったけれど。
「ううん、無事でよかった。きてくれてありがと」
心にもないことを言ってしまう。
いいえ、素直なのは言葉の方ね。彼が来てくれてうれしいくせに。
「でも、ぼくなんかがどうこうするまでもなかったようだね」
隆は、まわりにバタバタと倒れている人たちを見回しながら言った。わたしが戦うところを見られちゃったわね。どう思ったかしら。ビレキア星なら、勇ましい女って、男性へのアピールポイントになるけれど、地球では逆効果なのよね、たしか。
歩けるようになった阿久根さんは、倒れている男達を見てまわっていた。スタンモードを使ったから、気絶しているだけのはず。カナンさんが倒した三人は、ちょっと怪我をしているかもしれないけど、この中じゃ阿久根さんが一番のけが人だわ。
「ここの後片付けはわたしがなんとかしておく。彼らにも、ぼくが説明しておくから、高校生諸君は、もう、帰りなさい」
阿久根さんに言われて、そろそろここを去ることにした。
「あの宇宙人はわたしの方で引き取れると思うわ」
隊長が言っていた話からすると、ビレキア星軍には連盟がついていたってことのようだから、一時的にうちが収容して、そのあとで連盟に引き取ってもらうように手配できると思う。
「阿久根さん、明日、高校へ来られる?」
阿久根さんが、ちょっと笑った。
「そうだな、これからどうするか決めて、あいさつに行くよ。このヘルメットを取ってしまうっていうのが簡単なんだろうけれど、知ってしまったことは知ってしまったことだし、地球と宇宙のことについて、もっとちゃんと知っておきたいかな。今まで、あいつにいいようにあやつられてやってきてしまったことの償いができれば、これからしていきたいし」
「あなたに話せることを、上司に確認しておくわ」
こうして、わたしたちは映画館を後にした。
カナンさんは、マネージャーさんの免許証を持って帰っていった。なにかアイデアがあるとかで、またすぐに会いに来ると言い残して。
隆を家まで送って、おやすみを言って別れるとき、隆は、
「明日も会えるよね?」
と言った。
ひょっとすると、今回の任務は今日のことでおしまいかもしれなくて、わたしは召還されてしまうのかもしれないけれど、
「ええ、いつもと同じに迎えにいくわ」
と、彼には答えた。
彼はわたしの嘘を簡単に見破ってしまうから、今回もばれているかもしれないけど、深く詮索せずに「じゃあ、おやすみ」と言って家の中に入っていった。
エリカさんは家につくと、
「今日はさすがにお肌がダメージを負ってしまったから、先に寝かせてもらうわ」
と地下室へ下りていった。これっきりでお別れになってしまうかもしれないということは、彼女も感じ取っていたかもしれないけれど、多分彼女は、その長い人生経験において、そういう場面を何度も体験してきたのだと思う。特別なあいさつをせずに、昨日と同じ「おやすみ」を言った。
だからわたしも、こういうときは、そういうふうに普通に振舞うのが良いことなんだと理解して、自然な「おやすみ」が言えたと思うの。
洋館には、隊長の気配はなかった。コマンドソーサーも、わたしが出しっぱなしにしたままになっていて、さっきの通信はここからではなかったらしい。木星軌道からの帰途にわざわざ様子を心配して連絡してくれたんだわ。だって、そうよね。もしも地球に戻っているのなら、ああいう活劇は自分でやりたがる人ですもの。
充実した一日を終えて、静かな我が家で、落ち着いた気分に浸っていると、懐かしいアニメ声が、静寂を粉砕した。
「今戻ったぞ。今日はよくやったな」
玄関を開けて帰ってきた隊長は、ひとりではなかった。小さな女の子をひとり伴っていた。その子は良く見ると人間ではない。
ビレキア星人だ。
「天の川銀河第三象限方面軍指令だ。おまえにお話があるそうだ」
第18話 食べたい告白
ビレキア軍天の川銀河第三象限方面軍指令といえば、この銀河系の四分の一にあたるエリアのビレキア軍を指揮する人物。指揮下の兵は一億人以上。地球には失礼だけれど、とても本人がわざわざやってくるようには思えない場所だわ。
その指令が、本当に目の前にやってきていた。
成人したビレキア星人は、年長者ほど体型が縮むため、彼女の身長は一メートルほどだった。しわなどの肌の劣化はおこらないので、地球人が見れば、彼女は小学生低学年くらいの少女だと思うだろう。
外見は地球人とあまり変わらないが、地球人よりは鼻筋が細く、こめかみに蝶の羽のような、みずからの危険を感じ取る(としか説明のし様がない)器官がある。服装は、ビレキア軍人のコート状の制服だ。
「ラシャカン少尉、ご苦労様でした」
肉体の改造で地球人化して、ビレキア星人の声を聞き取りにくくなっているわたしのために、指令は地球語でしゃべってくれていた。
「今回の任務の目的も知らされぬままに、あなたは、常に最善をつくしてくれましたね。未来予測の精度を上げるためには、主要な人物が、未来予測の内容を知ってしまってはいけないので、このようなことになってしまったの。未来予測においても、今回の成功の可能性は15%と、とても低いものでした。しかし、その数値でさえ、たくさんの案のうち最良のものだったのです」
「今回、連盟事務局の構成員の中に、連盟の保護ルールをねじまげるきっかけとして、地球で事件を起こそうとしている者がいました。地球人の一部に、連盟の技術を流して武装グループを組織し、その組織に宇宙人狩りをさせようという者たちです」
阿久根さんたちを操っていたフェビラノ星人は、連盟事務局の者の手先だったってことなのね。
「彼らの考え方は、昨今、有名無実化している『保護』の状態を、対象となる星の者によって守らせようというもので、善意と見えなくもありません。しかし、これを行えば、保護対象の星に少なからず技術提供してしまうのとともに、宇宙人の存在を認識させることとなり、その結果、科学技術の多様性を守ろうという保護地域制度自体の意味が失われてしまいます」
たしかに、本末転倒だわ。自分たちのまわりに、自分たちよりすぐれた科学を持った宇宙人たちがあふれてると知ったら、自分たちで新しい技術を開発するよりも、まわりの宇宙人にいろいろ教えてもらって技術提供を受ければいい、という方向に進んでしまって科学の独自性が失われる。それをふせぐための保護なのに。
「しかも、今回、地球には魔族がいました。組織された宇宙人狩りの部隊は、地球の魔族と宇宙人の区別がつかず、魔族を攻撃する可能性がありました。あなたが知る魔王を攻撃し、結果、覚醒させてしまう可能性は極めて高かったのです」
阿久根さんたちが、隆を宇宙人だと思って攻撃するという未来予測が出ていたのね!
「そうなれば、地球は占領対象となってしまいます。手を加えられなければ、本来、地球の未来は、加盟か占領か五分五分の可能性だったのに、介入によって、著しく偏ってしまった。あなたがたは、その確率を元に戻すために派遣されたのです」
そんなこととは知らず、違法な潜入だと思ってびくびくしてたわけね。
「魔王の覚醒を抑えることができる催馬楽の一族の方との関係を結ぶために、催馬楽さんの家を模倣して住まわせ、偏ったバランスを取り戻すために、剣崎さんとAIを結びつける姿に、あなたを変装させたのよ」
隊長の読みは当たっていたんだ。
「暴走する一派を抑えるため、この任務には、未来予測に長けたビレキアがえらばれたの。カナンさんと姿形が似ていることで大勢の兵士の中からあなたが選ばれたけれど、同時に未来予想は、あなたが困った状況に陥ることも予測していたわ。あなたは、だいぶ悩んだようね」
「はっ! ビレキア星の関与を知られてはならないと考え、最後まで武力の行使に迷いました」
「そのこともそうだけれど、剣崎さんのことよ」
「えっ?」
「彼を食べたい?」
指令にそんなことを言われるとは思わなかったので、わたしは耳まで熱くなってしまった。わたしの気持ちは、予測されてたのね。
「い、いえ、その、あの」
「ビレキアの女としては正常な反応よ」
指令は母親のようにやさしく言った。
「わたしには経験があるわ。わたしはある男性を愛し、彼もわたしを愛して、わたしたちは結ばれ、わたしは彼を食した。四人の子を産んで育てて、彼はわたしが朽ち果てるまで、わたしの中でいっしょに生きているわ」
「でも、わたしの相手は地球人なんです。食べたいと言っても、この気持ちは伝わりません」
「そうね。でも、『食べたい』のかわりに『愛してる』と地球流に言えば通じるでしょ? あなたの気持ちは」
そうよ。食べたいという気持ちは伝わらないけれど、それが意味する愛情は、別の言葉で伝えることができる。
「まだ、チャンスはあるんですか? ……その……今回の任務は今夜のことで完了して、わたしは召還されるんじゃないんですか?」
指令はにっこりとわたしに微笑みかけて、すぐに、きりりとした軍人の顔になった。
「ラシャカン少尉。改めて、地球への駐屯を命じます。貴官の任務は、連盟の連絡員として、地球人が組織した対宇宙人組織と連携を図り、今後、地球に干渉しようとする宇宙人に対処することです。任期は、地球が連盟に加盟するか、いずれかの連盟加盟国の占領下に入るまで、です」
最後にまた、指令はやさしく笑った。
「は、はい!」
敬礼しながら、わたしは自分が笑っているのか泣いているのかよくわからなかった。
その夜、指令がお帰りになってから、わたしは、隣の隆の家の屋根に上り、隆の部屋の窓をトントンと指で小突いた。すぐに、中から隆が窓を開けて顔を出してくれた。
「どうしたの? こんなところから」
「えへへ。だってね、もしもあなたがわたしたちの集団催眠にかかっていたら、実は幼なじみのわたしは、たびたびこうして屋根づたいにあなたの部屋を訪れていたってことになってたかもしれないのよ」
「そ~んな、おてんばな設定には思えなかったけどな」
「『かも』よ、『かも』。出てこない? 星がきれいよ」
隆は部屋の電気を消して、窓から屋根の上に出てきて、わたしの隣に座った。都会の空にしては珍しく、満天の星がきらめいていた。
しばらく無言でふたり並んで星を見ていた。
「……きれいね」
「ああ、うちの屋根からこんなに星が見えると思わなかったな。……きみの星は、どれなの?」
「え? ……ええと、ここからだと天の川の中ね。あっちのほうかなぁ。肉眼では見えないわ」
しまった、ごまかしたと思われたかしら。本当に、そんなに普段からはよく確かめていないことなんだけど。
「あ、あのね、たしかに母星はあるんだけど、わたし、宇宙軍の一員だから、ほとんど宇宙暮らしなの。あっち行ったりこっち行ったりで。だから、地球から見てどこに自分の星があるか、なんて確かめてなかったの」
いいわけ、いいわけ。本当のことだけれど、言い訳っぽいわね。
「いいよ、うそだなんて思ってないから。きみがうそつくときは、もっとわかりやすいもの」
なんだか褒められてるんだろうか。
「今日のこと、どこまで覚えてる?」
「ぼくが暴走したときのこと? 実は、多分、全部覚えてる。自分の中の何かが眼を覚まして、どんどん大きくなっていく感触や、エリカさんのやさしい言葉や、その言葉で思い出した小さいときの記憶。そして、そのあとの、ぼくの勇敢な女戦士のめちゃくちゃな戦いぶりとか、ね」
「えへへ」
照れ笑いでごまかす。
「ぼくは、小さいときに、一度死んじゃってるんだね。エリカさんが迎えに来て、でもぼくはもっと長くこのままのぼくでいたいって思った。エリカさんは『人間として生ききるまで待ってる』って言って、ぼくに力のコントロールの方法を教えてくれたんだ。今日まで、そのことを忘れてしまっていた」
「……隆」
「今でも、人間じゃない自分って、実感わかないけど、多分、ちゃんと知っておいたほうがいいことだと思うんだ。この先きみといっしょにいたら、またああいう場面に出くわす可能性は大きくて、そのたびに暴走していちゃ、もたないからね」
いえいえ、騒動の原因になってるのは、わたしの存在じゃなくって、あなたの可能性のほうなんですけど。
でも、まあ、自分でコントロールできるんなら、自分に嘘はないほうがいいわよね。
「超光速航法の開発だっけ? がんばってみようかな。それができたら、地球は保護対象じゃなくなって、いろんな宇宙人と、交流することができるんだろ? ビレキア星人も、堂々と地球に居られるんだ」
「うふふ、がんばってね。あ、でもそうなったら、わたしは任務完了かな」
「まだまだずっと先だよ。そのころには、引退、とかできないの?」
「歳によるわね」
なんだか楽しい未来像の想像だ。ビレキア星が、地球を占領しようとしているんじゃなくて、連盟の要請で動いていたってことが、今となってはありがたい。そうじゃなければ、今頃、任務との板ばさみになってるとこだった。わたしは、地球人の連盟加盟を心から応援している。ずるしちゃダメだけどね。
「……ラシャカン?」
いきなり隆がこっちを向いて、わたしの本当の名を呼んだ。ひえ! 呼ばないって言ったのに! わたしのドキドキがいきなりMAXに跳ね上がった。
「ふたりだけのときは、こう呼んじゃだめかい?」
「だ、だ、だ、だだだ、だめよ! 約束したじゃない!」
「ああ、そうだね。ゴメン」
「あ、あのね。わたし、あなたに言っておきたいことがあって、来たの」
口が勝手に動く、なんだかコントロールを失ってる。ちょっとヤバそうな予感はこのときからあった。
「えっと、わたし、わたしね、あなたのこと……食べちゃいたいの!」
「……」
しまったぁ! 言い間違えたぁ!
好きだって告白しようとは思っていたけれど、食べちゃいたいって言っちゃだめだから地球ふうの言い換えをって、指令とも話したのに! だから、思い切って告白しておいて、すっきり任務に臨もうって思ったのに!
「はーっはっはっは! はぁ、はぁ、はははは!」
隆は、息をするのもたいへんそうなくらい大笑いした。
一階の出窓が開く音がして、おばさまの声がした。
「隆、どうしたの? もう夜中よ。……あら、恵ちゃんね。こんばんわ。あなたたち、ふたりでそこに上るのが好きねぇ、ちっちゃいときから変わんないわね。落ちないように気をつけなさいよ」
出窓を閉じて、おばさまが家の奥に行く。おばさまの記憶が、またひとつ書き換えられてしまった。小さな子供のわたしと隆が、夜中にいっしょに屋根の上で星を眺めている記憶。おばさまはロマンチストよね。
わたしたちふたりは、そんなおばさまの反応に、顔を見合わせて笑った。わたしは自分の心に、おばさまの記憶と同じ、ちっちゃいわたしたちの姿を刻み込んでおくわ。
「ごめんなさい。言い間違えちゃったの。地球流に言おうって思ってたんだけど、あなたが急に名前を呼んだりするからよ」
「ごめんごめん。で、それってビレキア流なんだ。どういう意味?」
「つまり、ビレキアでは、女が男を食べちゃうのよ。そして、その男性の子供を生んで、一生その男性のことを想って生きるの」
なんだか素直に話せてしまう。
「なるほど。かなりヘビーな愛し方だね」
「そうよ。だから、ストレートに言うつもりはなかったの」
「たしかに、いくら何でも『ちょっと考えさせてください』って言いたくなる告白内容だよね」
「でしょ? だから、わたしだけ悩ませないで、あなたもいっしょに悩みなさいよ!」
「う~ん。まあ、時間はたっぷりあるのかな。とりあえず、味見してみるかい?」
隆の顔が近づいてきた。
え~っ! ばか、ほんとに食べたくなっちゃうんだぞ。
第19話 愛しい食材
金曜の朝。
「あら、おはよう恵ちゃん、エリカちゃん。隆ちゃんと登校の時間? え?! 恵ちゃんがふたり?!」
ななめ向かいの園田の奥様が玄関前の掃除の手を休めていつものように(?)声をかけてくる。
「おはようございます。こちらはCGアイドルのカナンさん。ほら、テレビでご覧になったでしょ? 今日からうちにステイすることになったの。わたし同様よろしくお願いします。カナンさん、こちらは園田さんよ」
園田の奥様が、わたしは双子だった、って記憶を書き換えてしまう前に、カナンさんの紹介は間に合ったみたい。
カナンさんは学生かばんを両手で持って、やや斜めにお辞儀し、優等生っぽく微笑む。わたしのお辞儀のしかたにそっくりだわ。
「おはようございます。カナンですよろしくお願いします」
「おはようございま~す」
エリカさんもお辞儀する。
庭を囲う青銅の柵からあふれそうな薔薇の前を、園田の奥様の視線を意識しながら通り過ぎ、おとなりの家のインターホンを押す。
「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」
インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうでおばさまの声がする。
「隆、恵ちゃん達が来たわよ。早く、早く!」
ドアが開いておばさまが顔を出す。
「恵ちゃん、エリカちゃん、おはよう。え?! 恵ちゃん、双子?!」
「いいえ、おばさま。アイドルのカナンさん。今日からうちにステイするの。よろしくお願いします」
「カナンと言います。よろしくお願いします」
「そっくりなのが縁でお友達になったのよ」
これはうそではない。
隆は階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしとエリカさんとカナンさんを無視して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い本を持って、その洋書を読みながら歩いていく。
カナンさんのことは知らなかったはずなのに、例によって、動揺したそぶりはまったく見せない。今日こそ、ぜ~ったい驚くと思ったんだけどな。
「それじゃあ、おばさま、いってまいります」
「いってきます、おばさま」
「いってまいりま~す」
わたしとエリカさんとカナンさんはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。
隆は、本から顔を上げて、わたしをちらりと見た。
「もう、たいていのことはおどろかないよ。ぼくがうろたえると思ったんだろ?」
「ちょっとね。ざ~んねん」
「マスコミにはどうなってるの?」
「今朝、事務所がFAXを各新聞社とかに送ってます」
と、カナンさん。
「カナンさん、夜明け前に、いきなり来たのよ。プライベートをうちで過ごしたいって」
さらに、隆に顔を近づけ、ひそひそ話ふうに付け加える。
「いっそ、わたしが双子で、四姉妹になって、エリカさんと三人があなたと同級生の幼なじみってことにしようかとも思ったんだけど、カナンさんの芸能活動もあるしね」
普段どおり、人通りは少ないけれど、すれ違う人はみんな、あっけに取られてこっちを見ている。
「学校はどうするのさ。制服着ちゃってるし、名札までつけて」
「ある人にお願いして、国のお偉いさんから圧力をかけてもらったから、大丈夫。いっしょのクラスよ」
ふみ切りで立ち止まったときには、周りに人垣ができていた。ケイタイで写真撮っている人も居る。
「タカちゃん、グミ、リカ、おはよう! うわあ! ほんとにカナンさんもいっしょだ!」
今朝も踏み切りで由梨香が合流する。
「おはよう、由梨香」
そして、
「阿久根さんもおはよう」
由香里ちゃんといっしょに、阿久根さんが合流した。
阿久根さんはカナンを見てにっこり微笑んだ。隆は、誰が国のお偉いさんを動かしてくれたのか、理解した様子だった。
「おはようございます阿久根さん。いろいろしていただいてありがとうございます」
カナンさんは、阿久根さんと話すときだけ声が小さくなっちゃうの。わかりやすいわよね~。
多分、阿久根さんが怪我をしちゃった原因になった、っていう罪悪感みたいなのがきっかけになって、阿久根さんのことが気になるようになったのね。うちにステイしたいって希望したのも、わたしたちと絡んでいれば、阿久根さんに会える、っていうことも理由になってるに違いない。
AIが人権を持ってる世界を知ってるわたしとしては、カナンさんの恋を応援したくなっちゃうのよね。
阿久根さんには、正式に連盟がコンタクトを取り、今後、地球が超光速航法を開発するか、惑星破壊兵器を所持するときまで、連盟の連絡員(わたしと隊長)と共同で、地球に対する宇宙人の干渉を排除する秘密チームの、リーダーになってもらった。
そのための装備は連盟から提供されることになった。ビレキア星の集団催眠から防御する装置も、大げさなヘルメットではなくなって、わたしのようにチップを身体に埋め込んでいる。
今後は装備は連盟から提供となるので、以前のように、科学技術を地球の企業や国家に流して、見返りに製品を受取るようなことはしない。地球独自の科学技術に対する宇宙からの汚染はストップした。
カナンさんも、そのチームの一員になってもらうことになり、そのための装備として、CG投射機を連盟が新たに提供した。だから、もうマネージャーが運転するバスではなくって、十円玉大のメダル型投射機に乗り換えている。マネージャーさんには、内緒なんだけど。
カナンさんは、触感も得て、そよ風や日の光のぬくもりも感じることができるし、匂いや味もわかるようになった。地球が連盟に加盟する前に、その能力を手に入れることになったカナンさんには、AIが超光速航法開発に果たす役割を知ってもらっている。
彼女は、そのときがきたら喜んで、地球の第一号超光速船パイロットになると誓ってくれた。
今度の事件で、結局、地球は加盟にも占領にもぶれることはなかった。未来の運命のほとんどは、隆の今後の人生に掛かっている。彼が将来、先に手を借りることになるのは、カナンさんなのかエリカさんなのか。連盟はその選択が地球外から妨害されないように見守っていくだけだ。
そうそう。今朝の朝食の、トーストとミルクは、カナンさんにとっては大事件で、食卓は大騒ぎだった。やれ、あったかいだの、やれ、香ばしいだの、サクサクだの、いちいち感動を言葉で表現しようとして、止めどなくしゃべっていたっけ。カナンさんにとってはしばらく、何もかもが驚きの連続ね。
由香里はどうやら、駅のほうからこの踏み切りに来るまでに、阿久根さんと話して、ある程度情報を得ていたようだけれど、そもそも情報量が乏しいから、だれかれかまわず質問攻めしはじめた。
まわりが騒がしくなって、のんびりとした登校風景ではなくなったので、隆は、本を読むのをやめて、鞄にしまってしまった。
「今週のはじめは、登校しながらゆっくり本が読める環境だったのに、金曜にはこれか。にぎやかになったなあ。……で、恵の土曜の予定は?」
最後の部分は小さな声で、隆としては、ないしょ話のつもりらしい。わたしはわざと大きな声で返す。
「土曜は、夜、カナンさんのファーストコンサートなのよね。招待されてるの。みんな行くわよね!」
カナンさんが、すかさず隆にねだるように言う。
「隆さん、恵さんに言ってくださいよ。ステージにゲストとして上がろうって誘ってるんですけど、逃げちゃうのよ、恵さん」
「あったりまえでしょう。普通の女の子は、いきなりアイドルのステージに上がったりし・ま・せ・ん」
「うけると思うんだけどなあ。最初に恵さんだけ出て、お客さんたちが、わたしじゃないってことに気がついたころに、わたしが出て行って種明かしするの」
「わたしをさらし者にするつもり?! あなたとちがってダンスも歌もできないただの女子高生なのよ!」
歌は口パクでできても、踊りなんて、ビレキアの剣舞くらいしかできないわ。
「……もう、目立つことするなよ」
ぼそぼそと隆が言ったのを、わたしは聞き逃さなかった。
「え? 隆は反対してくれるのよね」
腕につかまって顔を近づけると、隆の顔が真っ赤になった。
「知らないよ。あんまりくっつくなよ」
照れちゃって、かわいいんだ。これが、わたしの隆。偽のおさななじみで、多分、今は彼氏。
あ~! もう! なんておいしそうなんだろう!
たべちゃうゾ!
完