前編
第1話 プロローグは『いつもの』登校風景
「あら、おはよう恵ちゃん。隆ちゃんと登校の時間?」
ななめ向かいの園田の奥様が、玄関前の掃除の手を休めて、いつものように声をかけてくる。
「おはようございます。毎朝ご精が出ますね」
わたしは学生かばんを両手で持って、やや右斜めにお辞儀し、精一杯優等生っぽく微笑む。
自宅である洋館の庭を囲う青銅の柵からあふれそうな薔薇の前を、園田の奥様の視線を意識しながら通り過ぎ、おとなりの家のインターホンを押す。
「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」
インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうで隆を呼ぶおばさまの声がする。
『隆、恵ちゃん来たわよ。早くしなさ~い』
ドアが開いてエプロン姿のおばさまが顔を出す。
「恵ちゃんオハヨ~。隆、すぐ降りてくるからネ」
隆はメガネを掛けた細身の男子高校生。階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしを無視して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い洋書を持って読みながら歩いていく。
「それじゃあ、おばさま、いってまいります」
わたしはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。
幼なじみのわたしたちの、いつもの登校風景。もうずっと、これを繰り返してきている・・・・・・ことになっている。
実際には、二週間前の水曜日から。今日は二度目の火曜日。まだ十度目の通学の朝。
ただしそれは誰も知らない。
わたしは生まれたときから、あの洋館に住んでいることになっている高校一年生の催馬楽恵
。
顔は、今をときめく美少女系アイドルの柴田カナちゃんに生き写し。
目はパッチリとして、やや垂れ目。小顔で、イヤミがない程度にほっそりしたあごと、すっと通った鼻筋。大人になったら美人になりそう、と言われつつ、大きくなっても童顔のまんまなのが柴田カナちゃんのウリ。
カナちゃんは二十歳だけど、わたしは十五歳の設定。五年前のカナちゃんではなく、今のカナちゃんにそっくりなのがわたし。
でも、カナちゃんと間違えられたことはない。なぜならカナちゃんは妹キャラで身長145センチの幼児体型だけど、わたしは身長172センチ九頭身のグラマラスなモデル体型だから。
いくら同じ顔でも、ひと目で別人と判るわけ。
わたしのボディは、どうやらモデルでバラエティタレントのジェリカ佐藤さんのコピーらしい。テレビでボディコンシャスな衣装姿を見かけたとき、胸の隆起や腰のラインがあまりにそっくりなので、ビックリしてしまった。
丘陵地の斜面の住宅地には、一区画百五十平方メートルくらいの築二十年未満の家が立ち並んでいる。その中に四区画分の薔薇園に囲まれた古い洋館が建っている。そこがわたしの家。
実は二週間前までは滑り台とブランコがある小さな公園だったところ。
でも、誰もその公園のことは覚えていない。みんな、このあたりが住宅地になる前から洋館が建っていたと思っている。その公園での思い出はすべて、百メートルほど離れた別の公園で起きたことになっているはず。
わたしは地球人じゃない。
二週間前から潜入しているビレキア星政府の尖兵ラシャカン少尉、それがわたし。
地球人はまだ知らないけれど、地球のまわりには実は宇宙人がいっぱいいて、地球は現在、保護地域となっている。
地球人類が超光速航法を発見して外宇宙に進出すれば、そのときはじめて連盟の一員として迎え入れられることとなっていて、万が一、それより先に自分の惑星を粉々に破壊する兵器を所持してしまった場合は、危険分子としていずれかの宇宙人の政府によって占領統治されることになる。
保護地域に指定されている間、どの宇宙人の政府も公式には地球に降りてはいけない・・・・・・のが建て前。だけど、あと百年もしないうちに超光速航法か惑星破壊兵器を手に入れそうなところまできている地球を、ただ黙って見ているところなどありはしない。密かに潜入し、どちらになりそうか調査したり、不当に誘導したりしている宇宙人はわがビレキア星人だけではないはず。
過去にも例があることだけれど、連盟加盟後に有利な通商条約を結ぶための布石だったり、自分の陣営に加わらせるための政治的駆け引きだったり。それぞれの目的でエージェントを送り込んでいる。おたがい存在がバレないようにね。
まだ、下っ端のわたしには目的は知らされていないけれど、ビレキア星人は、地球を占領統治することを目論んでわたしを派遣したのだと理解している。
ほんの数週間前は、わたしは銀河の彼方で宇宙戦闘の最中にいた。
第2話 決闘戦《 デュエルウォー》
艦が被弾したのを感じたのと同時に、彼女の身体は生命活動を停止した。
――三分前
「ラシャカン少尉、本艦はまだ超光速航行しないんですか?」
新米の重機兵は意気込みよりも不安が勝っている。
その重機兵にとっては初の任務。小隊長のラシャカン少尉にとっても正式な『戦争』ははじめてだ。
重機兵は小隊の中ではただ一人武器を手に持っている。自分の身長ほどある重キャノン砲を右肩に装着して、右手で支えている。敵艦のエンジンの外壁を破って足をとめる大事な役目を負った兵士。
ほかの兵は体内に内臓されたチップで可動する格闘武器で戦うため、手にはなにも持っていない。身につけた防具もないから、まるでこれから海に泳ぎにいくようなハイレグのワンピース水着風の格好をしている。
しかし、彼女たちはそのままで宇宙空間で戦える『斬り込み隊』の兵士だ。
「あわてるな、そのまま待機」
ラシャカン少尉の声も上ずっている。
いままでに治安維持任務や救出任務で、数多くの戦闘を経験しているラシャカン少尉も、今回は平常心ではいられない。この戦いは、彼女が生まれて初めての――ビレキア星軍にとって17年ぶりとなる――『決闘戦』なのだから。
ただし、彼女の場合は重機兵の娘と違って意気込みが勝っているのだと自分を分析できていた。早く戦いたくてウズウズしている自分がいることを彼女は認識していた。
直径40メートル長さ150メートルのトンネル状の待機デッキには、丸みがある壁と平行に張られた47本のワイヤーに各中隊が一列になって腰の待機用フックを引っ掛けて並んでぶら下がっている。
「船に乗ったまま落とされるのは御免ですよ」
列の最後尾にいる軍曹が最前列のラシャカン少尉に向けて言った言葉に、小隊の面々が仕方なく笑う。軍曹(彼女)は少尉とずっといっしょに戦ってきたベテラン兵士だ。小隊の面々は、ここで笑っておかないと『意気地なし』と怒鳴られると思ったのだろう。笑えない冗談だと思いながらも口の端を上げていた。
軍曹も、そして小隊の誰もが知っている。『決闘戦』において彼女たち『斬り込み隊』の兵士の7割は、艦に乗ったまま命を落とす運命だということを。
艦が大きく横に揺れた。右隣の強襲巡洋艦が爆発した衝撃波だ。
この艦がまともに被弾すれば、この待機デッキにいる三千人の斬り込み隊員は一瞬で命を落とすだろう。しかし、この艦が敵艦隊の目前まで生き延びて、ひとたびこの三千人が出撃すれば、敵艦を十数隻撃破するだけの戦力を持つ。
ラシャカンたちが待ちに待った艦内放送が響いた。
『先発の第七突撃艦隊が敵第二防衛ラインを突破!』
兵士たちの歓声があがる。艦内放送は続く。
『本艦所属の第十一突撃艦隊はまもなく敵最終防衛ラインまでジャンプする。兵員および乗組員は仮死モードに備えよ! 繰り返す・・・・・・』
艦内放送のリフレインに重なって、各小隊の下士官たちの声が上がる。ラシャカンの小隊の軍曹も隊員たちに怒鳴っている。
「仮死モード準備! 点検して仮死に備えろ! いいか、新兵ども! 小ジャンプも遠距離ジャンプと同じだ! ジャンプ中の艦内の景色を見たいなんていう変な興味は持つなよ。ジャンプ前に仮死になってなきゃ、ジャンプで死んじまって二度と目が覚めないぞ!」
超光速航法――ジャンプ航法は、”必死”航法
モータルドライブ
と呼ばれている。
有機体は生きたままジャンプを完結することができないからだ。
乗組員も兵士も、ジャンプ中は仮死状態で過ごす。科学が見つけ出した超光速で移動する方法は、冥界の入り口をかすめて通るオカルトと科学の狭間に存在する手段だったのだ。
ジャンプ中の船を運航するのは、高度な人工知能(AI)の役目。
ジャンプ航法中に”死神”のような存在と禅問答めいた対話を行なう。その問答の果てに待っているのは確実な死。奪われる命を持たない”彼女(AI)たち”が運行するからこそジャンプが可能なのだ。
単なる自動操縦では切り抜けられない、人格を持つほど高度な人工知能だけが通れる道。そこを通るのが超光速航法。
艦内放送がオペレータの低い声から戦隊指令の甲高い声に代わる。
『最終ジャンプ後の作戦目標を再確認する。本艦の戦闘隊に課せられた使命は、後続の突入部隊の露払いだ。敵旗艦に突入する部隊の障害となる最終防衛ラインの艦船を排除することを最優先に行動せよ。ビレキア魂を見せてやれ! 最後の一兵になっても戦い抜くのだ!』
「オー!」
艦内で歓声が沸き起こる。
ラシャカンの頬も紅潮している。
彼女が小隊の部下たちを見回すと、新米の重機兵も含めて士気が上がっている様子だ。
いよいよジャンプとなり、心臓に埋め込まれたチップにコマンドを送って、正常かどうか最後のチェックをする。艦のオペレータからのジャンプ後の信号で蘇生できるかどうかは、このチップにかかっている。
ジャンプのカウントダウンがはじまった。
そして、死に至るジャンプ5秒前。
艦が被弾したのを感じたのと同時に、彼女の身体は生命活動を停止した。
蘇生した瞬間、地獄についたのではないかという疑いがラシャカンの頭をよぎる。
艦内は炎に包まれている。
ここは艦の待機デッキだ。部下たちもいる。まだ地獄ではない。
艦内放送は異常事態を伝えていた。
『本艦はジャンプ寸前に被弾し、予定のジャンプ地点を超過して、敵の最終防衛ラインにつかまっている! 総員緊急脱出! 本艦は艦隊から突出して孤立している。脱出後各人の判断で主戦場へ向かえ! 幸運を祈る!』
今回の決闘戦の敵は旗艦を守るために三重の防御ラインを敷いていた。前衛艦隊を展開させてジャンプを妨害する空間断裂スクリーンを張っていたのだ。そのうちの二つを突破する戦いには参加していないラシャカンが所属する第十一突撃艦隊の任務は、最終防衛ラインを構成する敵艦隊の目前にジャンプしてこれを破ることにあった。ところがジャンプ前の被弾で跳びすぎたこの艦は、最終防衛ラインの空間断裂スクリーンに突き刺さってジャンプアウトしてしまったということらしい。
ここは敵艦隊の真っ只中で、第十一突撃艦隊の他の艦は、まだ後方ということになる。
通常なら前方のハッチが開いて、ワイヤーに沿って各中隊一列で出撃するはずだったのだが、周囲の隔壁もすべて開放され、ワイヤーに掛けたフックは緊急解除された。
兵士たちは背中に埋め込まれたチップでフィールドを展開させ、身体を包み真空から身を守る。ラシャカンは力場を左下方へ向けて、隔壁の隙間から艦外へ向かう。
『小隊各員は小隊長に続け!』
軍曹の声はもう空気を伝わってくるのではなく、小隊の近距離通信帯を使用して直接小隊兵士たちの頭の中に響いていた。
ラシャカンが艦外に出ると、青白く光る幕に突き刺さった船体が、上下左右から集中する砲撃を受けて崩壊していくのが見えた。
早く離れないと爆発に巻き込まれる。
前か後ろか、とりあえず脱出するには、その他の方向は敵が多すぎる。本隊は後方。しかし、待機デッキは艦首にあったから、後方へ向かうと今にも爆発しそうな艦の近くを通っていくことになる。巻き添えになる可能性が高い。
当面は前方へ行くしかない。
空間断裂スクリーンはジャンプ航法のみを妨害するから、通常の移動方法でなら通り抜けられる。
青白い光の幕を抜けたとき、衝撃波が後ろから襲ってきた。
艦が爆発したのだと感覚で理解できたが、振り返って艦の最後を見とどける余裕はない。
艦を狙っていた敵の砲撃が止んだ。
斬り込み隊にはあんな大掛かりなものは当たるはずがない。かわりに、小艦艇が向かってきているはずだ。
敵にはビレキアの斬り込み隊のような身体ひとつで宇宙空間で戦う戦士はいない。今向かってきている全長30メートルほどの戦闘艦艇が最小の戦力単位だ。艦数制限に引っかからないギリギリサイズの小艇だ。それは、ビレキアの斬り込み隊を迎撃するための兵器だけを積んだ防空艦艇だ。
センサーが捉えてラシャカンの脳に伝えた敵の数は半端なものではなかった。
本隊から突出してしまって、敵防衛ラインの真っ只中にいるのだから数的不利は仕方ない。
各方向から雨のように降り注ぐ光束。
ラシャカンの後方から急接近する一機。
後ろにいた軍曹が、手のひらのチップでレーザーソードを起動させ、そいつに切りつける。長さ1メートルほどの光の剣がほとんど敵艦艇の装甲に埋まった時点で、軍曹が剣をスパークさせると、敵艦艇の内部で爆発が起こって、はじけるように艦艇の進路が変わった。
少し離れたところで、その艦艇が爆発する。
爆発の閃光を潜り抜けて、新たな敵艦艇が接近してくる。
ハリネズミのようにあらゆる方向に対空砲を乱射している。狙って撃っていないヤツはやっかいだ。まぐれ当たりがある。
回避しようとしたとき、ラシャカンはその艦の後ろに艦首のデザインが異なる敵艦艇が続いているのをみつけた。敵の指揮艦艇だ。
『軍曹! 前のやつを頼む! わたしは後続を!』
軍曹は狙いを察したようだ。あの指揮艦艇をやれば、いまこのあたりに殺到している敵艦艇のうち指揮下にある百艇ばかりは一時混乱に陥るだろう。
軍曹がハリネズミに取り付く、その脇を抜けて、ラシャカンが指揮艦艇に近づく。
「でぇい!」
両手のレーザーソードを起動し、敵の横っ腹に突き刺した。
装甲が厚い。
貫通した手ごたえがない。これでは誘爆させられない。
どこかもっと致命的な箇所を攻撃しなければ。
右手のソードを突き刺したまま、両足を外壁について、弱点を見定めようとしたとき、敵指揮艦艇は大きくコースを変えた。しかも猛スピードで加速している。
ラシャカンは身を低くして、左手で外壁につかまった。
小隊の部下たちとみるみる離れてしまう。
――小隊長が隊とはぐれてしまうなんて!
この艦艇は、敵本隊の方へ向かっている。彼女が行くべき主戦場とはまったく逆方向。
まさか、敵指揮艦艇が、指揮すべき戦場を放棄して一目散に逃げ出すとは、ラシャカンは考えもしなかった。
――どうすべきか?
彼女は迷った。
指揮艦艇から一刻も早く離脱して、小隊がいる戦場へ向かうべきか、それとも戦場を離れることになっても指揮艦艇を倒すべきか。
悩んだのは一瞬だった。
敵の頭を倒せるのなら、倒しておくべきだ。それが主戦場へ向かえという命令にそむくことになっても。この決闘戦全体の目的に照らせば、どちらが正しいかは明白。そして将校には、その判断をする権限が与えられている。
外壁を見回し、ミサイルポッドの射出ハッチらしきものを見つけた。あそこなら……。
両手のレーザーソードを構え直す。瞼のチップにコマンドを送る。閃光から目を守る対閃光シールドを張るためだ。濃い青紫の内瞼が眼球の表面を覆う。
手のひらから延ばした二本のソードを同時にハッチに刺し込み、交差させて最大出力でスパークさせる。
今度は手ごたえが充分あった。
彼女が全速で敵艦艇から離れると、艦艇は内部で誘爆を繰り返しながら捩じれるようにもだえ、大きな爆発を起こして塵となって四散した。
ラシャカンの身体は、やつにつかまっていたために慣性がついていて、まだどんどん小隊から離れていく。指揮艦艇は倒した。早く小隊のところへ戻らなくては。
閃光防御を解いた彼女の目が、そのとき、あるものの姿を捉えた。
敵旗艦!
今回の決闘戦に参加する敵軍全体を指揮する艦。最終攻撃目標だ。
目視できるほど近づいている。
あの艦にいるはずの敵総司令官を降参させれば、この決闘戦を勝利することができるのだ!
決闘戦は、いずれかの軍が降伏か全滅すれば終わる。軍を降伏させられる権限は、軍の総司令官だけが持っている。総司令官を倒しても次席が任を継ぐだけだが、殺さずに屈服させて降伏させられれば、この戦いは終わる。
もちろん、それができなくても、敵旗艦にダメージを与えて敵艦隊を混乱に陥れることができれば、勝利を大きく引き寄せることができる。
彼女の隊の本来の任務は、敵最終防衛ラインの突破であり、あの敵旗艦を倒す任務は別の部隊が担っている。しかし、彼女ひとりでも、旗艦内部に突入できれば決闘戦を終わらせることが可能かもしれない。
こうしてる間にも、この決闘戦では次々と味方が死んでいっている。すこしでも早く勝利できる可能性が目の前にあるのなら・・・・・・。
さっきの指揮艦艇を倒すべきか否かを迷ったときと、同じ種類の迷いだが、今度は迷う時間が長かった。指揮艦艇は、倒そうと思えばほぼ確実に倒せる相手だったが、敵旗艦はそうではないからだ。
単なる犬死にに終わるかもしれない。
それでも、自分一人の損失で終わるなら、賭けてみる価値はある。
しかし、それは本当に彼女に認められた権限で判断して良いことなんだろうかという疑問が残る。
彼女は、後方の戦場の遠ざかる閃光を振り返り、近づいてくる敵旗艦とそのまわりの数隻の護衛艦の方へ視線を戻す。
決断するしかない。自分ひとりで。
『そこの少尉!』
突然、近距離通信が頭の中で響いた。
反射的に声の主を求めてあたりを素早く見回すと、斜め後方に同じくらいの慣性で進む味方を見つけた。同じ敵指揮艦艇に取り付いていたのだろう。
ラシャカン少尉よりも小柄な、少女のような身体つきの将校だ。
ビレキア人女性は、いったん成人すると、年齢を重ねるにつれて身体は退行して徐々に幼くなっていく。おそらく彼女はラシャカンよりも数歳年上。そして、スーツの階級証は大尉。
同じ艦に乗り込んでいた特務独立強襲歩兵中隊の中隊長だ。
『おまえの決断は正しい』
大尉は、ラシャカンが何を迷っていたか知っているようだった。
『・・・・・・おまえの迷いもナ』
それはラシャカンにとって救いの言葉だった。
『少尉、名前は?』
「ラシャカン少尉であります!」
『よ~し、ラシャカン少尉。今から貴官をわたしの副官に任命する。わたしとともに、敵旗艦に突入して、この決闘戦を終わらせるんだナ!』
彼女は敵旗艦に向かって加速した。遅れないようにラシャカンも加速する。
「了解!」
敵旗艦がふたりの接近に気付いたのは、ふたりが艦に取り付くために減速を始めたときだった。
そのときになって、やっと旗艦やまわりの護衛艦から、防空艦艇が射出され始めたが、これは遅すぎる。それどころか、その射出口は、ふたりにとって格好の侵入口となった。
ラシャカンが射出されたばかりの艦艇を、背面跳びで巻き込むように避けて回り込み、閉じる前の射出口に進入すると、そこはもう、有人の整備区域だった。
斬り込み隊兵士の身体に備わっっている武器のうち最強威力を持つレーザーソードは、フルパワーで使用すると不要な破壊を巻き起こして、近くにいる味方の戦闘を邪魔してしまう恐れがあるため、眼前の敵の防御力に合わせて調節して使うことが良いとされている。ラシャカンが出力を7%に調節したとき、振り返りもせずにそれを察知したのか、大尉が言った。
「少尉! 多勢に無勢だ! こういうときは常に全開で行くんだナ!」
「はい!」
大尉はあきらかにこういう修羅場に『慣れて』いる。ラシャカンはすぐさま命令に従った。
格納庫内からブリッジへ向かう通路へ跳躍する。
通路に立ちふさがる敵兵たち。ここにいるのは、一般の乗組員だけらしい。脅威となり得る宇宙海兵は見当たらない。
この兵士たちの武器では、斬り込み隊の防御システムを貫通できない。
大尉が前を進み、ふたりで数十人の敵兵をなぎ払う。
オーバーキル気味の火力なので、彼女たちの周囲では再三爆発が巻き起こる。
前方に残っていた兵士たちがひるんだ瞬間、回転しながらそのうえを飛び越えてその先のホールへ飛びこむ。
ワラワラと左右からなだれ込んでくる宇宙海兵たち。彼らが手にしている兵器は、ラシャカンたちに対抗できる火力を持っている。
大尉が右に急に転進した。ビレキア軍の体術による戦闘の訓練を受けたラシャカンでさえ追い切れない動きだ。待ちかまえる宇宙海兵たちは大尉を見失い、その後ろにいたラシャカンに視線が集中してる。
訓練されたラシャカンの身体が、大尉の意図を瞬時に理解した。彼女は左に転進する。わざと宇宙海兵たちが、ぎりぎり目で追えるくらいの早さで。
海兵たちは、見失った大尉のかわりに、ラシャカンを目で追い、銃口を向ける。数十丁の銃が火を噴く瞬間、彼らが見失ってしまった大尉が、彼らの死角から突っ込んでくる。
最初の二、三人を大尉がなぎ払ったときに、太刀筋で過剰にエネルギーが放出されて爆発が起こる。
爆発によって混乱した海兵たちのところへ、今度はラシャカンも彼らが目で追えない早さで転進して斬り込む。
その場の海兵をすべて倒すのに、大尉が転進してから二秒とかからなかった。
「こっちだ!」
大尉がエレベータのドアに両手のソードを突き刺すとドアがはじけ飛ぶ。すかさず、その穴に飛び込んで、上へ向かう。
艦の中央あたりの高さのドアを内側から突き破って、シャフトから飛び出すと、そこは宮殿のように装飾された、軍司令の司令部だった。
ガードの親衛隊二人に付き添われて、奥の通路へ逃げ込む太った男が敵の総司令だ!
その三人とラシャカンたちの間に立ちふさがるのは、親衛隊長らしい女性将校。右手にリボルバーキャノン、左手に剣を構えている。
「大尉は奥へ! 親衛隊長はわたしが!」
先に、親衛隊長にラシャカンが突っ込む。
「まかせた! 気をつけろ! 手ごわそうだぞ!」
大尉の言葉どおり、親衛隊長はビレキア斬り込み隊員に勝るとも劣らない個人戦闘の達人だった。
彼女の剣はレーザーソードを受け止め、ラシャカンがさらに攻撃しようとすると、リボルバーキャノンを至近距離で撃ってくるので、そのたびにラシャカンは飛び退かなくてはならなかった。
そのやりとりが何度か続く。ラシャカンが、敵司令を追っていった大尉のことを気にし始めたとき、親衛隊長がバランスを崩して後ろに倒れた。
チャンス!
上から覆いかぶさるように彼女の額めがけて右手のソードを突き立てようという体勢になったとき、ラシャカンのこめかみが震えた。
こめかみにあるビレキア人特有の、危険の気配を感じ取る虹色の器官が、最大限の反応を示していた。
罠だ!
親衛隊長はラシャカンを誘って、確実な相討ちに持ち込むつもりなのだ。
彼女が守るべきは自分の命ではなく、後方の総司令官の命。そして、ビレキア兵は大尉とラシャカンの二人だけだが、彼女の味方はもうすぐこの部屋になだれ込んでくる。
そのとき、ラシャカンがまだここにいれば、その援軍はすぐには奥へ向かえない。しかし、親衛隊長がラシャカンと刺し違えれば、援軍はすぐに奥へ行ける。
親衛隊長は自分の命を捨てて相打ちになることが最善策だと判断したのだ。
それがわかっても、いまさらソードの勢いは止まらない。
親衛隊長の額にめがけて、ソードを突き立てた瞬間、親衛隊長がリボルバーキャノンの引き金を引いた。
タイミングは相討ちだったが、なにも起きなかった。
ラシャカンのソードは消え、親衛隊長の銃もなにも発射しなかった。
敵総司令官が降伏したのだ。大尉が屈服させたのだ。
決闘戦では、どちらかが降伏した場合、その後の被害拡大を防ぐため、瞬時に兵器が無効化されるルールになっている。
ラシャカンは立ち上がって、さっきまで命のやり取りをしていた親衛隊長に手を差し伸べて引き起こした。
「ちっ、味方ながら、根性のない男だ」
親衛隊長はあっさり降伏した自軍の総司令を罵った。彼女が命がけで守ろうとしていたのは『総司令』というポストにある人物であって、その人物自体はポストに見合った尊敬に値する人物ではないようだった。
「あなたは、よくやったわ」
ラシャカンの言葉に親衛隊長が笑みで応えたので、ラシャカンも笑みを返す。
奥から大尉が歩いて出てきた。
「終わったナ」
自分が終わらせたくせに、他人事のように言っている。
こうして、ラシャカン少尉人生初の『決闘戦』は終わった。
『決闘戦』の大勝利のあと、大尉とラシャカンは昇進や受勲するでもなければ、命令違反で軍法会議にかけられるでもなく、新しい任務についた。
編成は戦時のまま。
つまり、大尉の臨時副官となったラシャカンは、そのまま自分の小隊を取り上げられ、直属の部下がいない将校として大尉の部下となった。大尉も特務中隊を取り上げられ、部下はラシャカンひとりだけとなった。
ふたりだけで、新たな任地である地球へ向かうこととなったのだ。
第3話 ふたたび『いつもの』登校風景
地球潜入を果たし、ターゲットとなる隆の幼馴染としての生活になじみ始めているビレキア星政府の尖兵ラシャカン少尉、つまり、わたしの任務は、隆をマークし、彼と彼の周囲の動向を報告すること。
隆は、将来地球の運命を左右する人物だ。
そして、時が来たらわたしに新しい任務が与えられるはず。ビレキア政府が合法的に地球を征服するために働くことになるはず。
ビレキア星は、地球を征服しようとしている。その理由は末端の兵士であるわたしにも、わかる。
地球人の男を、食用にするためだ。
食べるといっても、むやみやたらと全部食べちゃうわけではないのだけれど。まあ、ビレキア星の文化を知らない地球人からしたら迷惑な話かも。
ビレキア星政府は、これまで地球の外から地球を調査していた。主に電波を受信しての情報収集だったんだけど、いよいよ地上にエージェントを派遣することとなった。その一番手がわたしたち。
ビレキアの科学力で、わたしたちは地球人に化けて地球に溶け込む・・・・・・はずだったんだけど、事前情報収集部隊の無能によって、たいへんな困難に直面しているわけよ。
目立ちすぎなのよね。
まずは、わたしの姿。
おそらく、情報収集部隊は毎日あちこちのテレビ局の番組に現れるトップアイドル柴田カナちゃんを見て、どこにでもあるありふれた顔だと誤解し、売れっ子モデルのジェリカ佐藤さん(多分)の体型を組み合わせてわたしの外見にしたのだと思う。わたし自身の元の姿に近かったからでもあるようなんだけど、この常人離れしたわたしの外見は、どこへ行っても目立ってしまう。
わたしといっしょに潜入しているわたしの上官の場合も似たようなもの。彼女は地球ではわたしの中学生の妹、催馬楽遥ということになっているの。
成人したビレキア星人は年長者ほど体型が縮むため、わたしより年長で小柄な彼女は、地球では年少の設定になってしまった。その姿は、顔も体型もタレントの有賀さとみそのもの。
ラッキーだったのは、情報収集部隊がコピーした有賀さとみの姿が、初主演ドラマの再放送のものだったためか、二十年前のドラマデビュー当時の彼女だったこと。
アイドル歌手として十三歳でデビューし、絶大な人気を得て、女優にも挑戦した彼女は、その後大女優と呼ばれるような風格をまとった。今の有賀さとみには、デビュー当時のあどけない面影はまったくと言っていいほど残っていない。おかげで、遥は有賀さとみ本人と間違われることはない。隠し子と思われることは多いけれど。
こんな姉妹、ありえないわよね。
それでも、ご近所や学校の人たちは集団催眠のおかげで、わたしたちが昔からここに住んでいると思い込んでいるの。それぞれの人は、わたしたちが昔から居ることを疑いもせず、自分の記憶と矛盾することがあれば、記憶のほうを修正してくれている。こちらがおおまかな設定を用意しておくと、あとは、それに適合するよう自分の記憶を修正を行なうしくみ。しかもだれかが記憶を修正して新しいストーリーをはめ込むと、それに応じて他の人が連鎖的に関連のできごとの記憶を修正してくれる優れもの。
たとえば、ななめ向かいの園田の奥様は、わたしと長年毎朝挨拶を交わしてきたと思い込んでる。
二週間前までは、家の前にあった公園を毎朝ボランティアで掃き掃除していたのだけれど、いつものように竹ぼうきを持って玄関を出た園田の奥様は、公園だった場所にある洋館を見て、それが以前からあったものとして受け入れ、記憶を修正して毎朝家の前の道を掃き掃除してきたと思い込んでしまったわけ。
一年前に公園で犬を散歩させていて、フンの後始末をしなかったところを園田の奥様に見られて口論になった角の山田さんは、連鎖的に記憶を修正して、園田さんの家の前でのできごとだったと思い込んでいる。
わたし達が住んでいる洋館は、実際に数キロはなれたところにある家を完全にコピーして合成されたものなのだけど、この住宅地にはありえない、っていうか、あの洋館は、日本のどこにあっても浮いていると思うんだけれど。たまたま公園のサイズに合っていたからコピーしたらしいの。
ありえない洋館に住む芸能人そっくりの姉妹なんて、集団催眠の力がなければ怪しすぎよね。地球人は集団催眠でだませても、対抗策をほどこしてる他の宇宙人から見たら、バレバレに違いないと思うの。だから、なんとか目立たないようにすることが、わたしたち『姉妹』の最優先事項になってしまっているわけ。
高校までは歩いて二十分。通勤や通学の人通りはまだまばら。
「また難しい本読んでるの? 歩きながら読んでるとあぶないよ」
幼なじみとして不自然にならないように、なれなれしく顔を近づけて話しかけると、剣崎隆は物理学の洋書から視線をはずさずに、
「うん」
とだけ答えた。
「何の本なの?」
「超ひも理論の解説書」
初歩の宇宙論ね。地球人にとっては先端の理論かもしれないけど。
「難しそうね。頭いたくなりそう」
「そうかな」
なぜか、つっかかる言い方。集団催眠でそういう関係の幼なじみだと思い込んでいるのかしら。二週間前にはじめて会ったときからそう。彼は基本的にわたしを無視しようしていて、話をするとそっけない答えばかり返ってくる。成長して気まずくなってきた幼なじみ、って設定なのかな。
「隆は昔から頭いいから」
「ぼくは、昔は運動ばかりで勉強はからっきしだったよ」
彼に否定されて、わたしはあわてて情報を脳内チップを使って確認した。
そんなはずはない。入手した情報でも子供のころから成績優秀となっている。
彼は単なるお隣さんじゃなくて、わたしの任務の対象だ。現代の地球で、将来もっとも超光速航法理論に到達する可能性が高いとビレキアのコンピュータがはじき出した人物なのだから。
ビレキア星のコンピュータは、連盟加盟国の中でもトップクラスの性能を誇っている。特に未来予測の的中率については群を抜いている。予測情報を輸出することが産業として成り立っているほど。情報収集さえ十分に行なわれていれば、高い確率で未来を予測できる。他の星はまだ彼の可能性を予測することはできないみたい。彼をマークしているのは、現段階ではわたしたちだけらしいから。
わたしの任務は、彼を常にマークしておくこと。今のところ、本部からの指令はそれだけだけれど、おそらく将来的には、ビレキアの関与を知られないように、彼が超光速航法理論に到達するのを妨害する方法を発見して実行する命令が下るはずね。
子供のころの勉強の成績について、わたしが何も言い返せずにいると、彼は立ち止まり、はじめて本から顔を上げてわたしを真顔でみつめてきた。なにコレ。ひょっとしてプロポーズかなんか?
でも、彼の言葉はわたしにとっては、幼なじみの恋の告白よりもずっと衝撃的だった。
「隣の公園にいきなりアイドルそっくりの女の子が引っ越してきて、まわりじゅうがその子をぼくの幼なじみだって信じきってる状況が異常だってことがわかるくらいの頭はあるけどね」
「?!」
集団催眠にかかっていない?! そんなバカな!
「・・・・・・ま、いいさ。騒いだってどうせぼくがおかしくなったって言われるだけなんだろ? 何をしようとしている何者かは知らないけれど、ぼくを巻き込まないでくれる? 幼なじみの役もごめん被りたいね。この二週間で、きみに渡せといわれたラブレターが五十三通、指一本触れるなと脅す輩が三組、一生の頼みだから紹介してくれと泣きついてきたやつが八人。相手をするこっちの身にもなってほしいな」
彼はなにもなかったように本に視線を戻して歩き出した。わたしは黙って後ろをついていくしかなかった。
この二週間、彼は催眠にかかっていなかったのに、かかっているふりをしていたの? だとしたら彼にとってわたしは、いきなり幼馴染みを名乗った不審人物だったんだ。
「タカちゃん、グミ、おはよう!」
踏み切りで、いつものように電車の通過待ちをしていると、いつもどおり由梨香が合流した。彼女は本物の隆の幼なじみ。
家はそんなに近所じゃないけど、二週間前までは毎朝隆とふたりで登校していたのは彼女。わたしの出現で、彼女は一歩身を引いてしまっている。わたしたちふたりの共通の親しいお友達、くらいに記憶の中で自分の立ち位置を修正したらしいの。
「あら、また分厚い本ねぇ。今度はなぁに?」
「超ひも理論の解説書」
「ナニナニ? お裁縫の本?」
「物理だよ。結構おもしろいよ、貸そうか?」
「だって、英語じゃん」
「訳を付けてやるよ」
ちょっと待ってよ! この扱いの差はなに?
あっけにとられてるわたしと目が合うと、隆は露骨に無表情になって、また本に没頭しはじめた。
いやいや、本物の幼なじみじゃあるまいし嫉妬こいている場合じゃないわ。問題は彼が集団催眠にかかってないという事実。こっちが何者かはわかってないって言っていたけど、そのまえのやりとりからすると、超ひも理論が理解できるような高度な文明を持った存在と思われているらしい。
つまり、未来人とか宇宙人とかってことになり、ご明察ってことになるわ。
たとえば、自分が異次元に飛ばされただけで、わたしはその異次元にもともといた普通の人……ってケースは考えてくれなかったのかな? そういうお話ってよくあるじゃん、フィクションなら。……う~ん、無理だよねー、わたしのこの容姿じゃ。
まわりの記憶が変わっているのも、わたしたちの仕業だって思ってるわけね……合ってるんだけど。
「どうしたの? グミ。やけに静かね」
考え込んでいたら、由梨香が、わたしに呼びかけてきた。
「えっ? い、いえ、わたしは昔からこんなものよ」
と、つくろう。すると由梨香はほんの二分の一秒ほど固まったかと思うと、頭の中で記憶を修正したよう。
「そうよね。あなた、ちっちゃいころから無口だもんね」
由梨香はまったく違和感を感じていないようだけど、由梨香の様子に気がついた隆が、怖い目でわたしをにらんだ。わたしが由梨香になにかしたと思ってるよう……合ってるんだけど。
「じゃあね、おふたりさん」
「じゃあね」
校門をくぐると、由梨香とはお別れ。由梨香は普通科、わたしと隆は学年にひとクラスづつしかない理数科。理数科はクラス替えもなく三年間いっしょってことになる。彼をマークするには都合がいい。
だまって歩くふたり。だって、なんて言えばいいのよ。認めちゃって打ち明け話するの? わたしはあなたたち地球人を食べちゃおうとしてる宇宙人です、って? それともなにか下手な嘘をつく? しらを切る? ごまかす? ……やっぱり黙っているのが最善に思えてくるわ。
教室の座席も、ちょっと記憶に手を加えて隣同士にしてあるのだけど……今日はそれがつらい。座席についても本を読み続けている隆を、チラ見することもできず、そわそわしてると、わたしのまわりに群がってきてるクラスの男子が入れ替わり立ち代わりわたしに話しかけてくる。
それでなくても理数科のこのクラスには女子は六人っきり。その中でも、アイドル顔なんだから人気があるのは仕方ない。無愛想な幼なじみはいても、彼氏は居ないっていう設定だし。
いつもは鬱陶しい時間なんだけど、今日は助かる。男子たちの相手をして適当な返事をしていれば、この気まずい時間が過ぎていってくれるから。
「さ、さ、催馬楽さん! 今度の日曜、ゆ、遊園地などいかがでしょうか?!」
有名レジャーランドのプラチナチケットを差し出して、腰を九十度に曲げてわたしにお辞儀してるクラス委員さん。こんな高価なチケット、無理しちゃって。
「ごめんなさい。わたし、乗り物酔いしちゃうし、日曜は由梨香と美術館へ行く約束しているの」
ちょっとかわいそう。
「写真部のモデルになってくれませんか? 部長が連れて来いってうるさくって。ちょっとでいいんです。放課後、校庭でパシャパシャっていう程度で」
写真部一年クラスメイトのカメラ小僧くん。この二週間でわたしのことさんざん隠し撮りしたくせに、まだ足りないのかしら。
「放課後は物理部にいかなくちゃいけないから。それに、あなた、先週わたしの写真を売ってなかった? 商売にするのは失礼でしょ?」
彼はがっくりとうなだれてショックを受けていたようだけど、自分の席にもどって勉強の準備するふりをして、デジカメでわたしのことをパシャパシャ撮っているみたい。懲りない人。
いきなり教室に飛び込んできたがっしりした体つきの男子は、名札の色からすると三年生。わたしの席の横にいた人や机を突き飛ばして、わたしの足元にひれ伏した。まるで宗教のお祈りみたいに両手を伸ばして顔を床にすりつけるように。そして野太い声で、教室じゅうに響く声で言ったの。
「お、おれの彼女になってください! し、しあわせにしてみせますっ!」
この人は柔道部の主将じゃなかったっけ。たしかインターハイの個人チャンピオンだったと想う。
「あなたとはお話ししたこともないし、とりあえず、お友達になってからってことにしませんか?」
彼は涙を流しながら、差し伸べたわたしの手を大きな両手でがっしりと握り締めたの。
「はいっ! はいっ! そのお言葉、生涯忘れません!! そのお言葉だけで、おれは百万の敵と戦えます!!」
わたしも兵士だから、そのノリは嫌いじゃないんだけど、男探しに地球に来てるわけじゃないのよね。ちょっと困ったふうに微笑みかけたのだけれど、彼には違う表情に映ったらしい。
「うおおおおぉぉぉ!」
彼は大声で雄たけびをあげながら廊下へ駆け出していってしまった。本当に百万人と戦ったりしなきゃいいけど。
すぐ横でこんな騒ぎが起こっているのに、隆は平然と本を読み続けている。
なんだか癪なのよね。
第4話 なぞの転校生?
ホームルームの時間になった。教室に入ってきた担任はセーラー服の少女を連れている。うちの高校のブレザーじゃない。転校生ってやつ?
「お~い、静かに席に着け。今日から転入生だ。S市の中央高の理数科から編入でこのクラスの仲間になる。さあ、自己紹介を」
少女が一歩前に出る。美人、っていうか、なんかオーラのようなものを背負っている。それも虹色オーラじゃなくて、ダークなやつ。
真っ黒なロングの縮れ毛も真っ黒な瞳も、なんだか異様なくらいの真っ黒。特に瞳。なんだか吸い込まれそう。肌は対照的に真っ白。そして血のように真っ赤な唇。
「催馬楽エリカです。よろしく」
ハスキーな声に男子たちがざわめく。美人だからだけじゃなくて、高校生離れした色気が……え? サイバラ?
催馬楽って聞えたわね。なんで同じ苗字なのよ? めずらしい苗字なんじゃないの? 『西原』とか書く別の字の『サイバラ』かと思ったら、黒板に書かれた名前はまさしく『催馬楽エリカ』だった。
「というわけで、みんなよろしくな。ええと、席は」
「先生、わたしあの方の隣がいいわ」
と、彼女が先生に言う。指差した先は――隆だ!
先生は一瞬驚いた顔をしたが、彼女と視線を交わすと、すぐに無表情になって頷いた。
「そうだな。剣崎の横にしよう」
どうして言いなり? ちょっとわたしたちビレキア星人の集団催眠の反応に似てる。似てるけど違うなにかの力で、先生をあやつったの?
「おい、古株のほうの催馬楽」
え? わたし?
「は、はい!」
「新しいほうの催馬楽に席を譲れ。催馬楽から後ろ三人はそれぞれひとつづつ下がりなさい」
「は?!」
せ、先生。ほんとに言いなりなわけ?
ま、でも、これで気まずい隣の席は逃れられる。机の荷物を移動させながら、隆のほうを、やっと見ると、眉間にしわを寄せてなんだか怒っている。わたしの視線を感じてこっちを振り返ると小声で言った。
「彼女も君の仲間ってことか?」
とっても不愉快そう。わたしは震えるように首を何度も小刻みに左右に振った。
だってほんとに知らない相手なんだもん。これは嘘じゃないよ。
わたしの必死のアピールが通じたのか、彼女がわたしの関係者じゃないと信じてくれたようで、眉間のしわを増やした隆は彼女の方を向き直ったの。その顔が、なんだか怪訝そうな表情にかわる。
「彼女……どこかで……」
え? 隆、あの女知ってるの?
「じゃあ、一時間目は化学室だ。移動遅れるなよ」
先生が教室を出て行く。催馬楽エリカがゆっくりと歩いてくる。彼女にいろいろ聞きたがって群がってくる男子どもを異様な暗黒オーラで遠ざけつつ、隆の前まで来て、にっこりと笑った。
十五、六の少女の笑顔じゃないって。妖艶すぎるよ。まわりの男子どもは、魂が抜けかかっているように惚けた笑みを浮かべている。しかし、隆だけは惑わされず彼女をにらみつけていた。
「剣崎隆さんね。こんなに近くにいたなんて。まあ、怖い顔。そんなににらまないで。あなたのパワーでくらくらしちゃう」
彼女もどこかの宇宙人なのかしら。多分そうね。彼を狙ってきたんだわ。『近くにいた』? 『パワー』ってなに?
隆を見つめていた彼女が、その次に見たのはわたしの方だった。
「あなたが、古株のほうの催馬楽さん? どういうことなのかしら? 催馬楽の一族ではないようだけど」
どこの宇宙人かしら? 探るように見ていたわたしを、あちらも見回してる。『催馬楽の一族』? 何? それ。わかんないんですけど~。
「あなたからは、何のパワーも感じないわね。その容姿は、あきらかに作り物みたいなのに」
え? おかしい!
集団催眠の力が薄まっているの? 集団催眠が効いているなら、わたしの存在を肯定するところから始まって、いろいろなつじつまを合わせるように考えるはずなのに。この人には効いていないみたい。
「い、一時間目は化学室だから移動よ。教科書はわたしと見ましょうか、同じ苗字のよしみで」
作り笑い作り笑い。とにかく情報収集しなくちゃ。
「いいえ、結構よ。剣崎さんに見せていただくわ。隣の席のよしみで」
にっこり、と彼女が笑った。笑いかけられた瞬間、背中にぞくぞくっと悪寒が走るほどの妖しい色気。まわりでガタガタと音がする。彼女の妖艶な笑みに、周囲を取り巻いて様子を見ていた男達数人がバタバタと倒れたみたい。
今日は授業が長くて長くて。
エリカは毎時間、隆に教科書を見せてもらったりしてひっついていた。それを後ろの席から見せられていたわけ。わたしは、隆が催眠にかかっていなかったことと、わたしたち『姉妹』と同じ苗字の怪しい女の正体が気になって、早く家に戻って上官(妹)に報告したいってことばかり考えてた。終業のチャイムと同時にかばんを持って飛び出す。
「ごめんね、今日は部活休む!」
わたしは隆といっしょの物理部に所属しているの。いつもは帰りもいっしょだけど、今日は先に帰ってしまうことになるわね。
走って帰りながら、報告内容を整理する。ひとりで家に向かっていると、ちょっとおちつきが戻ってきたわ。
ふう。
やっと我が家が見えてきた。住み始めてまだ二週間とはいえ、やっぱり我が家だな。まったく、今日はいろいろあってたいへんな一日だった……って、家の周りになんかへんなのが居るし。
門の前にふたり、その両脇にやや離れてひとりづつ。黒ずくめのスーツ、サングラス。
そこまでなら、まだ、『普通の』怪しげな集団なのだけど、こいつらがへんなのは頭のかぶりもの。白いヘルメットにゴテゴテとアンテナみたいなのやコードが全面にくっついている。 到底、そんな格好で町を歩けそうにないんだけど、男達は、平気なようで、かぶりもののことはまったく意に介さず行動しているみたいね。
う~ん、なんだ? これ。
いいや、無視無視。
早く上官に報告しなくちゃいけないことがあるんだから。
門を開けて中に入ろうとすると、男達が寄ってきた。
「おい、おまえ、ここの者か?」
背の低い二十歳くらいの男が言った。
「なにかうちに御用ですかぁ?」
とりあえずにこやかに答えてみる。
「ありえない、こんな姿。柴田カナ顔のモデル体型で女子高生?」
のっぽの茶髪が言った。
まただ! こいつらにも集団催眠が効いていない。今日はどうしてこういうのばかりに会うのかしら。
「なんのことですかぁ?」
にっこりとしらをきったわたしに、背の低い男の言葉が冷や水を浴びせた。
「インベーダーめ! 地球はわたさないぞ」
こいつら、わたしのことを宇宙人と思ってる……地球人?
「何言ってるのかわかんないですぅ!」
門を抜けて入ろうとするわたしの二の腕を背の低い男がつかんだ。
「どうしたの?! 恵ちゃん!」
ななめ向かいの園田の奥様がヒステリックに叫んだ。わたしが男達に襲われてると思ったみたい。
「くそっ! 人目が……昼間はまずい。ひとまず撤退だ」
背の低いやつがリーダーだったらしい。
彼の指示で、男達は、角の山田さんの家の前に停めてあった黒塗りの車に乗って走り去った。
園田の奥様がほうきを薙刀のように構えて、わたしのそばまで来てくれた。
「だいじょうぶ?! 恵ちゃん! 怪我はない?」
頬が高揚して赤くなっていて、鼻息も荒い。
「はい。道を訊かれて、わからないって家に入ろうとしたら腕をつかまれて」
「警察呼ぶ?! へんなもの被った連中だったわね! あぶない新興宗教かしら」
園田の奥様は興奮していて、ほんとうに警察を呼びそうだ。そうなると面倒なのはこっちなのよね。
「わたしは平気です。怪我もないですし。ありがとうございました」
園田の奥様をなんとか落ち着かせて、やっとのことで家に入ることができた。
大きな両開きの玄関のドアを開けて、吹き抜けの玄関ホールを抜けて大広間へ。中の調度品もすべてコピーしたもの、外見どおりのイメージのアンティークが揃っていて、この家の中の空間だけ十九世紀。
「隊長! たいちょ~! どこですか?! 隊長!」
上官(妹)は中学生で、私と違ってマークする対象もいないので、学校が終わったらすぐに帰宅しているはず。そもそも、この家を基地にして、隊長はここを動かない予定だった。しかし、事前情報収集部隊の無能により、中学生にならざるを得なかった隊長は、義務教育を受けてなきゃいけないからという理由で登校しているのだ。
「隊長~!」
報告しなきゃいけないことがいっぱいあるのに。
「声がデカい」
アニメ声がして、書斎のドアがひとりでに開いた。中には直径1.2メートルほどの円盤が浮いていて、その中央の座席に制服姿でツインテール頭の女子中学生がちょこんと座っている。
「そんなに大声で『隊長~』なんて叫ぶ女子高生がいるわけないでしょ、恵・お・ね・え・さ・ま」
隊長のまわりには、文字や画像が浮かんでいる。スクリーンもキーボードも実体はなく、光る画面やパネルが直接空間に浮かんでいて、彼女はそれに触れて操作していた。地球の科学ではあり得ない光景。このコマンドソーサーは、隊長が宇宙船から持ち込んだビレキア星の軍の装備品だ。
「それは、そうですけど……。たいへんなんです!」
ソーサーはゆっくりと書斎のドアを抜けて広間に出てきた。隊長は、まわりのパネルを忙しく操作しながら、ほとんどこちらも見ずに話しをはじめた。
「みてたよ、さっきの男達。あれは多分、エイリアンから地球を守る、とかいう地球の特殊機関の人間だナ。あの頭のへんな被り物が、わたしたちの集団催眠の波動から脳を守るシールドなんだろうナ。部品やら材質やら、すべて現代の地球の科学で作り出せるものを使って作ると、ああいう不恰好なものになったんだろうナ。でも、原理は地球のものじゃない。誰かが技術と情報を流して彼らを操ってるんだナ」
話しながら、いろいろ情報をチェックしているらしい。手を休める様子はない。
「誰かって……」
「当然、うち以外の星のやつに決まってるさ。ライバルの妨害をするのに地球人を使っているんだナ」
どこの星も、おおっぴらに地球に干渉はできない。だから我がビレキアのように地球人に化けて潜入したり、今度の『誰か』のように外から地球人を操ったりして、自分に有利になるように地球人を誘導するわけよね。
「さて、どうしたものかナ。相手が地球人では、こっちが分が悪い。倒すのは簡単だが、まともにやりあってテレビ沙汰にでもなったとき、ビレキア星人VS地球人って判る報道されたら、地球に違法に干渉しているって地球外に知れ渡るのはビレキアだけだ。あっちの黒幕を引きずり出せば、おたがい表沙汰にならないようにしようっていう抑止力も働くのだがな」
「あ、それで地球製の装備なんですね。やつら」
「ああ、しかも地球人がひょっとしたら自力で作ったかもしれない、って思える程度のアイテムの理論しか渡してないに違いない。そうしておけば、むこうはこっちが宇宙人だと世間に知れるなら、最悪、騒ぎを起こして報道されてもかまわないってことになる。夜になって人目がなくなったら、襲ってくるつもりだな、これは」
深刻なセリフだけど、隊長はあからさまに楽しそう。この状況を楽しんでる? 唇をペロリとなめてたりするし。
「で? おまえはどうして任務放棄して、ひとりで帰宅してるんだ? ターゲットはどうした?」
あ! そうだ! 報告しなきゃいけないのは、あの男達のことじゃなくて!
「隊長! たいへんなんです! 隆が、ターゲットが! 集団催眠にかかってません! しかも始めっからずっとかかってなかったのに黙ってたんです!」
隊長は、一度パネル操作の手を止めた。
「ふむ」
しかし、すぐにまた操作を始めた。
「興味深いな。かかってない理由も、黙っていた理由も」
なんで落ち着いていられるのかわかんないけど、妙に落ち着いてるし。
よーし、もうひとつの報告でどうだ。・・・・・・って、別に驚かすのが目的の報告じゃないんだけど。
「さらに、今日、うちのクラスに転校生が来て、そいつの名前が『催馬楽』エリカで、催眠も効いてないし、隆に色目使って、私には、催馬楽の一族じゃないだのパワーを感じないだの、隆のパワーにくらくらだのって……」
また隊長が手を止めた。今度は長い。
「そいつは……問題ありそうだな。催馬楽エリカだな」
隊長が新しいパネルを次々開いてめまぐるしく操作しはじめた。催馬楽エリカのことを調べ始めたんだわ。
「はい。隆のこと、『近くにいたなんて』とか言って、隆も見覚えあるようなこと言ってたし。それになにかの手段で先生とか言いなりに操っちゃうし」
「いないぞ」
「え?」
「催馬楽エリカ。そんなやつ、居ないぞ。おまえの高校の生徒のリストにも、この地区の住民台帳データにも、それどころか、日本の国民データバンクにも」
「え? だって、転入してきたし」
ビレキア星人の私達ふたりは、潜入するときに地球人のデータにアクセスして、すべてにつじつまが合うようにデータを改ざんしている。残念ながら、物理的な記録には手を加えられない。中学に在学した記録は電子データには残っているが、隆が持っている中学の卒業アルバムにはわたしの写真はないし、寄せ書きにもわたしの名前はない。
隆以外の、たとえば由梨香なら、もしもアルバムでそのことに気がついても、都合の良い理由を思いついて記憶を修正してくれる。わたしが写真ぎらいだったとか、わたしに嫉妬した級友のいじわるで寄せ書きの順番を飛ばされちゃったとかいうことにしてくれるだろう。
エリカはデータの改ざんすらせずに、ああして転校生になりすましたことになる。先生たちはどういうふうに納得しちゃってるの?
隊長は、手を止めて真剣になにか考え込んでいる。そして、ぽつりと言った。
「おい、わたしらが催馬楽と名乗っているのはなぜだ?」
「それは……このコピーされた家の表札が、催馬楽だったから……!!」
わたしたちは顔を見合わせた。隊長が空中に大きめの画面でこのあたりの衛星写真を表示した。
範囲を十キロほどに調整する。この家から四キロ先の住宅地に、この家のコピー元になった洋館がある。拡大すると、その洋館のまわりは普通サイズの新しい住宅ばかり。つまり、あっちでもこの洋館は十分浮いた存在ってこと。
「ふむ、『近くにいた』か……。この家はちょと変わってたよナ」
「ええ、テレビもパソコンもなくて家電製品が異様に少ないし、冷蔵庫に食べ物入ってなかったし、だだっぴろいのに家の中に洋服が一人分しかなくて、若い娘の一人住まいで……!」
家がコピーされたとき、中のアイテムもコピーされた。コピーされなかったのは人間だけ。庭の植物もコピーだし、洋服や書物とかもコピーされてる。この家は……催馬楽エリカの家のコピーだったわけね。
「なにか催馬楽エリカに関する情報があるかもしれんナ、この家を探せば」
隊長の操作で、空中の画像がこの家の立体図面に切り替わった。家をコピーしたときの情報を3D化した画像。
「日記のたぐいがあればいいんだが……」
手書きの書物をスキャンしたけど、答えは『該当ナシ』。
「まだ入ったことがない部屋がないか? 天井裏は?」
画像が天井裏のアップになった。天井裏といっても人が住めるくらいのスペース。
「わたし、見たことあります。家具が積まれてて白いシーツが掛けられて埃を被ってました」
隊長が思いついて、コピー情報からなにかを検索した。検索したのは『肖像画』。検索にヒットしたものは屋根裏に数点あって、その画像が隊長の前に縮小されて並んだ。それを見回して隊長がいくつかをピックアップして残りを消す。
ピックアップしたのは女性の肖像画三点ね。
どうやら時代が異なるものらしいけど、どれも似た顔をしている。親子かなにかなのかもしれない。
どれも皆催馬楽エリカに生き写し。
「これです。この女が、セーラー服を着て転校してきたんです」
肖像画に描かれているのは、着物を着た大正女学生ふうのものや、明治の鹿鳴館の舞踏会に出てきそうなドレスを着たもの。
「地下は?」
家の立体図面には地下にもスペースがある。
「見たことありません。そもそも入り口が見当たりません」
図面で地下からたどると……。
「入り口は書斎の本棚の裏に隠されているんだナ」
隊長はソーサーを降りて歩いていく。わたしも後に続く。
書斎のデスクの後ろの本棚。きれいに揃った書名のない古い本。二冊だけ、ほんのすこし飛び出している。隊長がその二冊を引くと……。
ギギギギギ……
本棚がスライドして地下への石段が現れた。隊長が指を鳴らして、自分の肩の上に明かりを出現させた。
地球人が見たら魔法を使ったと思ったかもしれない。高度な科学は魔法と見分けがつかない、ってやつね。
ひんやりとした階段を下ると、古い木造の扉がある。扉には古い錠前がかかっていた。鍵は見付かってないが、簡単に壊せそうだ。隊長が右手の人差し指の指先にキスをして、錠前の棒に人差し指を近づけた。人差し指から赤いレーザーが発射され、直径1センチほどの鉄の棒はあっさりと切れた。
両開きの扉を押し開けると、
「なんだ!? これは?!!」
隊長がアニメ声をはり上げた。
そこに広がっているのは、オカルト映画に出てきそうなあやしげな礼拝堂だったの。燭台があちこちにあり、ろうそくのにおいがする。正面にある祭壇の向こうに祭られているのは、羊の頭のような……これは……悪魔崇拝の礼拝堂だわ。
そのとき、上の書斎のあたりでアラームが鳴った。
第5話 催馬楽vs催馬楽
「ここは後だ」
扉を閉めて隊長がわたしのよこをすり抜けて先に上に上る。ソーサーに乗って操作すると、外の様子が空中に立体映像で表示された。
隆だわ。
部活はまだ終わる時間じゃないけど帰ってきた。しかもその隣にセーラー服の女子高生。
催馬楽エリカだ!
目の前に居るかのように、会話が聞えてくる。
『あそこだよ、橙色の屋根が僕の家。その向こうの洋館が催馬楽恵の家』
催馬楽エリカを案内してきたみたい。彼女が強引に誘ったにちがいないわね。
『その洋館が二週間前にいきなり公園に現れたってわけね。しかもまわりの人は昔からあったかのように振舞ってるって?』
『きみ以外は彼女の容姿をおかしいとも思わないようだしね』
『わたしにその家を見せたかったのは、わたしなら、そのなんだかわからない力の影響を受けてないようだからってこと?』
『まあね』
『残念ね、わたしに興味を持って誘ってくれたんじゃないんだ』
え? 誘ったのは隆? ちょっと待ってよ、その女も十分怪しいじゃないの。なんで信用しちゃうわけ?
ふたりはどんどんこの家に近づいてきて、やがて、エリカがわたしたちの家を見て立ち止まった。
『あら!』
『どうしたの?』
『これはどうやら、放っておけない話のようね』
『え?』
『剣崎くん、わたし催馬楽恵さんを訪ねてみるわ。訊きたいこともできたし』
隊長が映像を切った。
「むこうから乗り込んでくるようだな。まずはおまえが一人で相手をしろ。わたしはモニターしていてやばそうになったら出るから」
え? そんな。
アラームが再び鳴った。
誰かが門を通過したときの警報だ。当然、エリカだわ。玄関でガチャガチャ音がする。呼び鈴とか鳴らすつもりはないらしい。玄関には鍵をかけているけど、この家の鍵だもの。当然、催馬楽エリカは同じ鍵を持っているはずね。
扉が一度開いて、閉まる音がした。そして、家じゅうに聞える声で、催馬楽エリカが呼びかけてきた。
「催馬楽恵! 出てらっしゃい! 教えてもらおうじゃないの! どうしてここにわたしの家があるのか!」
隊長の冷徹なまなざしが、わたしに行けと命じていた。押し出されるように、わたしは玄関の吹き抜けに向かい、エリカを出迎えた。
「あ、あら~エリカさん、いらっしゃい。玄関の鍵、開いていたかしらネ」
作り笑いがどうしてもひきつってしまう。
「い~え、閉まってたわよ、うちと同じ鍵が。不思議よね。似てるから試してみたら開いちゃったの」
彼女は鍵のストラップを人差し指に掛けてくるくる回した。
「……えっと~、どういう御用かしら~?」
エリカは両手を腰に当ててわたしをにらみつけた。
「聞えなかった? あなたに教えてほしいのよ、どうしてここにわたしの家があるのか。中までおんなじじゃないの! どういうつもり?」
「あ~、あなたの家と同じなのは……偶然よ、ぐうぜん。この広さの家ならなんでもよかったんだけど、それがたまたまあなたの家で……コピーしちゃったの。表札もコピーしちゃったから、わたしも催馬楽なの」
わたしったら、バカ正直。
「ふーん、家のコピーねぇ。そんなことができちゃうって、普通の人間じゃあないことは認めるわけね」
「そ、そういうあなたも、普通じゃないわけでしょ? 催馬楽一族のエリカさん?」
すぐには返事が返ってこなかった。かわりに彼女の黒髪が静電気に引かれるように逆立ちはじめた。
「そうね。おたがい、本性をあらわして意見交換っていうのはどうかしら」
もしも~し。それって、宣戦布告ですかぁ?
わたしのこめかみにあるビレキア星人特有の危機を感じ取る器官が、整形を施した皮膚の下で反応してる。
気がつくと、わたしのすぐ斜め後ろに隊長が来ていた。ソーサーに乗っている姿をエリカに見せちゃっているし。
あ、そうか『やばそうになったら』出てくるんでしたっけ。つまり、今、やばそうってことなんだわ。
隊長が搾り出すような声で言ったの。
「気をつけろ……こいつ、魔法を使うぞ!」
魔法?!
それは、わたしたちビレキア星人にとっては、科学で解明された力。
魔法は、わたしたちが普段生活している世界には存在しない。魔法を使う者は、まず、自分のまわりの空間の空間定理を変えてしまう。物理法則が通用しない別の時空、『魔界』にしてしまうの。
そしてその魔界の中で、自らの意思の力を解放する。それが魔法。
彼女のまわりに彼女を囲む球形をした空間の揺らぎが見えた。『魔界』と『現世』の境界だ。
その球が、みるみる大きくなっていく。玄関ホールのスペースを越え、わたしたちを飲み込んでしまう。
エリカが、翻訳できない言葉を発しはじめた。
「バリ・サバト・アズ・ベラ・ムース……」
やばそう。こめかみの危機察知器官がざわつく。
だが、彼女の呪文は成立しなかった。ドアを外から叩く音と声が呪文をさえぎったの。
「エリカさん! エリカさん! だいじょうぶ?!」
隆の声だわ。エリカを心配して見に来た?
エリカの表情が急に女の子に戻った。と同時に周囲の異様な雰囲気がいきなり消えた。元の世界に戻ったようね。
「ふん」
と鼻を鳴らしたのはエリカではなく隊長だった。
隊長は、期待はずれの展開にがっかりした様子で奥に戻っていく。
いや、隊長、この場合、助かったのはわたしたちではないかと……。
隊長は、実はいわゆる魔法ヲタクなのよね。
たとえば、明かりや工作用レザーを指に埋め込んだチップから出すときの起動アクションを、【指をならす】とか【指にキス】とか魔法っぽく設定しているのもそのため。本物の魔法に接する機会などめったにないことだから、さぞ残念だったのだろうと理解はできる……けど、さっきのはかなりやばそうだったし。
エリカが玄関の扉を内側から開けた。
心配そうな顔の隆が、わたしとエリカを見比べる。 エリカは余裕の笑みでわたしにプレッシャーをかける。わたしはなんとか作り笑い。
「どうしたの? 隆さん、そんなにあわてて。わたしたち喧嘩なんかしてないわよ」
エリカの言葉に隆は納得してない表情。
「だって、何か異様な感じがただよってきたから」
彼も魔界の気配を感じ取ったのだろうか。外にも漏れていたんだわ。
「あら、思い過ごしよ。さて、お話しはおわっちゃったから、わたしは帰るわ。隆さん、また、明日ね」
エリカは隆の横をワルツを踊るようにすり抜けて、ほんとに帰ってしまった。玄関口には隆が残って、わたしを見ている。
「彼女にもなにかしたんじゃないだろうね」
してない、してない。ぶるんぶるんと首を大きく横に振る。
だって、ほんとに、こっちは何もしてないし。
隆はまだ納得してない様子だったけど、くるりと向きを変えて出て行こうとした。
「あ、あの……、彼女もだけど、わたしたち姉妹のことを不審に思うような人って、普通の人じゃないわよ」
わたしは、なにをバラしてるんだろう、隆がエリカの方を味方扱いしているのが嫌だからって。
隆は立ち止まってふりかえった。
「じゃ、ぼくも普通じゃないのか?」
「いいえ、あなたは……なんでだかわかんない」
「何が目的の何者かもわからない君の言葉は信じられないね」
地球人を食べようとしている宇宙人とは名乗れないわよ。でも、魔法を使う女っていうのも、あんまり良い目的であなたに近づいてきたとは思えないんだけど。
あ、そうか。彼女は隆に近づくために転校してきた。隆も、なにか普通じゃないから集団催眠が効いていないんだ。エリカが言っていた『パワー』がそれなのかしら。
わたしが、ぼーっと考えているうちに、隆は出て行ってしまった。わたしが我に返ったのは、隊長に声を掛けられたからだ。
「なるほど、剣崎隆はかなり核心に近づいているナ」
隊長はソーサーに乗っていた。まだ玄関が開いたままだ。わたしはあわててドアを閉めた。
「いろいろと問題が起きているようだが、黒服とエリカには、おもしろい手を思いついたぞ」
「おもしろい手?」
「ふふふ、多分今夜、黒服のやつらは人目を避けてうちに仕掛けてくる。武力行使だろうナ。そこで、この家のまわりに移送ゲートを張っておく」
移送ゲートは、つまり、離れた場所同士をつなげてしまう装置。
「どこに飛ばすんです?」
「ほんものの催馬楽家さ。黒服どもはこの家に突入したと思うだろうナ」
そして、エリカは黒服のことなんか知らないだろうから、わたしたちの手下かなにかだと誤解する。
「なるほど。……でも、黒服もエリカも、何者だかよくわかってないのに、いいんですか?」
「面倒は少ないほうがいいさ。少なくとも、どっちかは片付くだろう。それよりおまえは、剣崎隆をなんとかしろ。なぜ催眠が効いていないのか調査し、対処するんだ」
「は、はい」
上官に命令されると反射的に答えてしまう、軍人気質がつらい。いったいどうすればいいのか。
「わかってるのか? もし、催眠をかけることができないのなら、懐柔するんだ、親密になってな。だが、くれぐれも、食べたりするなよ」
「は、はい!」
親密って……嫌われてるようなんですけど。むやみに食べたりはしませんし。う~む、とにかく当たって砕けるしかないか。
第6話 食べちゃだめだ!
ほんとに砕けちゃうわけにはいかないけど、隆に真っ向から真相を尋ねるために、隣の剣崎家の玄関へ。家の周りを見回しても、おかしな黒服とかの姿は見当たらない。
制服のままじゃおかしいから、ラフな私服に着替えて、幼なじみがちょっと勉強を教わりに来たってことにする。
デニムのホットパンツにTシャツ姿。
モデル体型のおかげで、どんな格好も無難に着こなせるけど、ちょっとお色気過剰かな?とか後悔しかけていたのに、先に指がインターホンのボタンを押していた。
「は~い」
中からおばさまの声がして、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。
「どなたぁ?」
「あ、恵です。あの……隆に物理で教えてほしいとこがあって」
ガチャリとドアが開く。おばさまは、わたしの格好を上から下まで見回して、いたずらっぽくにっこりと笑う。
え~、やっぱりこの格好はまずいのかな。
おばさまは、どうやらわたしたちを幼なじみ以上にしたがっているようで、この二週間の間に『恵ちゃんみたいな子が娘になってくれたら』とかいう意味深なセリフを隆とわたしの前で十回くらい言っている。 そのおばさまが、この笑みを浮かべるくらいだから、この格好は結構刺激的なんだ。
「どうぞ~♪」
「失礼します……」
隆の家は玄関を上がってすぐのところに階段がある。二階が隆の部屋。隆はひとりっ子だ。実はまだ、この家に入るのははじめて。
もちろん、おばさまはそうは思っていない。この二週間は来てないって思っているだろうけど、それ以前には来たことがあるっていう記憶があるはず。
「今日は部活は休みだったのね。隆だけ帰ってきちゃったのかと心配してたのよ。隆は上よ」
「あ、はい」
おばさまは目を細めて、わたしの顔に顔を近づけ、にっこり笑ってささやいた。
「ひさしぶりに、上がってみる? 隆の部屋。フフフ」
「は、はい」
そのつもりで来たのだけど、こうもすんなりと事が運ぶと、逆に戸惑ってしまう。階段を上るわたしを、下からおばさまが見てる。振り返って目が合うと、にっこりされてしまった。
ドアの前に立っても、下のおばさまから見えている。恐る恐るノックする。
「隆? あ、あの、わたし。恵です。物理で教えてほしいとこがあって……」
反応がない。いないのかしら?
おばさまを振り返ると、おばさまがジェスチャーしてる。両耳を手のひらで覆うようにして……ヘッドホン?! それから手でドアノブをひっぱる動きをしてる。隆はヘッドホンをしてて、ノックが聞えないから入っちゃえってことね。
「は、入るわよ!」
わたしがドアを引いてあけて入るとき、階下のおばさまが声を殺して笑い転げているのがちらりと見えた。なにがそんなに楽しいのか……って、なにこれ!?
六畳ほどのスペースの部屋には、ベッドと机。ベッドに向こう向きにあぐらをかいて座ってる隆はヘッドホンをしてて、ヘビメタロックが漏れて聞える。そして部屋の壁や、天井にまで、ベタベタとポスターや雑誌のピンナップの切り抜きが貼ってある。
全部わたし!? ――じゃない『柴田カナ』だ!
ざっと見回しても大小百枚以上。いずれも顔のアップかバストアップの構図で、部屋の中のどこにいても柴田カナちゃんに微笑みかけられてる感じになる。
これって、つまり、隆は柴田カナちゃんのファンってこと?! しかも、かなりディープなファン?
隆は、アイドル柴田カナの顔をコピーしてるわたしに対して、怒ってるんだ! ひょっとして、柴田カナへの思いの強さが集団催眠を妨害したのかしら?! この部屋の状態があって、尚かつ隣の幼なじみが柴田カナちゃんそっくりっていう状況は、たしかに催眠でつじつま合わせするのに非常に困難なケースになりそうだし。
隆は何をしているのかしら? ベッドの上に白いボードを広げて、刑事ものドラマの会議のようにメモを貼ったり書き込みをしたりしてる。
……わたしに関する情報を整理してるんだ。
正体を推理しようとしてるの? 対策を練ってるのかしら?
あ、そうか、自分が万が一催眠にかかってしまったときのために記録として残すつもりかも。それは有効な手段。わたしたちの集団催眠やデータ改ざんは、こういう物理的な記録には効力が及ばないから。そういう書き物とか、日記とか、この部屋中の柴田カナちゃんの写真とかは、残ってしまう。
わたしが呆然としていたら、隆が聞いてる曲のシャカシャカが唐突に終わった。あ、気配に気がついて、隆が振り返る! やばい、この状況はまずい! この部屋をわたしに見られちゃったって隆が知るのは、まずすぎる! 逃げ出さなきゃ! ……う、動かない! 身体が動かない!
目が合ってしまった。
一秒ほど、お互い固まってしまっていた。先に隆の顔が真っ赤になる。
「ば、ば、ば、ばかっ!! 何、入ってきてるんだよ!」
彼はすばやくボードに布団を掛けて隠した。
「ごめんなさい、わたし、ノックしたし。おばさまが入れって。物理のわからないところを教わりに、じゃなくて、ちゃんとお話ししようと思って。こういうこととは知らず、ゴメンなさい!」
自分でもびっくりするくらい早口でいいわけしてた。
隆が机を見て、はっ、として、すばやく立ち上がって机の前に立って何かを隠した。
「とにかく出てけよ! 話なら、外でするから! 下りてろよ」
隆があわてて隠したのは、フォトスタンドだったと思う。柴田カナちゃんの横顔の、生写真かなにかだった。その写真は特別なものなのかもしれない。なんとなくわたしも見たことがあるような構図だった。柴田カナちゃんの有名な写真なんだろうか。よっぽど思い入れがある一枚なのか。
出て行けと言われたけど、話はしてくれるようだから、この居心地の悪い部屋から退散することにした。
「う、うん! 外で待ってる!」
階段を駆け下りるとおばさまがにやにや見てる。わたしまで顔が真っ赤になってしまった。玄関を飛び出て、扉を背中で閉めて、息を整えた。
もたれかかっていた扉が開いて、背中を押された。隆だ。
「あ、ごめん」
彼は扉がぶつかったことを詫びた。
「い、いえ」
家の奥では、おばさまがワクワク顔でこっちを見てる。
「公園、行こうか」
隆に言われて、こくりと頷いた。登校のときのように、前を歩く隆のうしろをついていく。隆の部屋を知ってしまって、なぜかこっちが恥ずかしくなって、まだ熱い顔をうつむき加減に、隆のかかとを見ながら歩いていくと、隆が左に曲がった。ここは家から百メートル先の公園だ。
ブランコとシーソー、滑り台つきの小さな複合遊具だけの、小ぢんまりとした公園。夕方の公園に人影はない。隆はブランコの支柱に手をふれながら眺め、やがてブランコに立って乗った。わたしは隣のブランコに腰掛けて、隆を見上げた。話をしに彼を訪ねたのはわたしの方だけど、わたしは彼がなにかを話してくれるのを待っていた。ゆったりと時間は過ぎていった。お互い、落ち着いてきて、頬の火照りも消えたころ、隆が夕日を見ながら話しはじめた。
「この公園で遊んだことはないんだ。いつも、うちのとなりの公園で遊んでいたから」
彼にとっての思い出の公園は、わたしの家に変わってしまった。わたしたちは彼の思い出の場所を奪ってしまったのよね。
「ぼくは、小さいころはこのへんのガキ大将みたいな子供だった。わんぱくで、他所の子を泣かしたりしてたし。かあさんは、ご近所に何度もあやまりに行っていた。小二のとき、となりの公園の遊具から落ちて頭を打って。翌日、病院のベッドで目覚めたぼくを抱きしめて、かあさんはわんわん泣いてた」
わたしはだまって聞いていた。彼が催眠にかかっていない理由のヒントがあるかもしれない、とか思ってじゃない。それは、幼なじみになりすました者として、聞いておかなきゃいけないことだと思ったから。
「それからぼくは、かあさんに心配掛けないように勉強ばっかする子供になった。でも、親からすると、つまんない子供になっちゃったのかもね。かあさんも、あきらめちゃったのかあんまりぼくに構わなくなって、物足りなさそうだった。……それが、この二週間は、かあさんが見違えるように生き生きしてからんでくるんだ」
二週間って、わたしが来てから?
「ありもしない、きみとぼくとの昔話をなつかしそうに話して。多分、それは、自分の子供にそういう子供時代をすごしてほしかったという、かあさんの願望が生んだエピソードなんだろうね、きみたちが植え付けた記憶とかっていうのじゃなくて」
隆は、わたしたちの集団催眠のシステムを、よく理解してるようだ。
「笑えるんだよ。小さなきみを、野良犬から守って怪我をした、だの、きみにいいとこを見せたくて、ひそかに水泳教室に通って、小学校の水泳大会で優勝した、だの。あげくは、きみといっしょの学校に行きたくてガリ勉になったことになってる。ほんとうのぼくの思い出よりも、ずっと楽しそうな話ばかりさ。自分は、きみにつりあう男になろうとするぼくを、ずっとサポートし続けてきたけなげな母親ってことになってる」
なんだか夕日を見る隆の目がやさしそうに笑っているように思えた。
「……もしも、ぼくもみんなと同じように、きみたちの力の影響を受けるようになったら、ほんとうにあったことは忘れて、かあさんの、あの楽しそうな思い出の中に浸かれるのかな?」
隆がこっちを振り向いた。夕日に照らされた眼鏡が光る。ひやぁ! わたしの胸がドキンと鳴った。
や、やばい! 彼を食べちゃいたい! だめだ! 食べちゃダメだ、食べちゃダメだ、食べちゃだ・め・だ!
よだれが出そうなのをのみこんだら、彼の言葉が質問の形だったのに気がついた。
「ええ、そうよ。互いに連携して、つじつまが合うような記憶を形成していくしくみなの。おばさまが作った思い出話は、ほかの人にとっても本物になってるわ。でも、あなたが、なぜ催眠にかかってないかわからないの」
「……きみたちが、何者で、何をするつもりかわからないけど、このまま自分だけまわりと違う記憶を持ってるよりも、あの思い出の中に取り込まれたほうが楽なのかもな。そしたら、ぼくが落ちて頭を打ったときの遊具は、この公園のあの滑り台ってことになるのかな?」
「そうね。そして、病院で泣いてるおばさまの横では、小さなわたしがいっしょになって泣いているんだわ」
「……だったら、協力してもいいよ。ぼくが掛かってない理由を調べるの」
え? そういう話になっちゃうの? 怒ってるんじゃないんだ。
「いいの?」
「ただし、約束してほしい。ぼくの家族や友人に危害を加えないって。侵略者だったりすると、この約束は無理かな?」
目的は侵略ではないけれど、支配しようとしているのにはかわりない。しかも食べようとしてるし・・・・・・たぶん。
「うん。……うん! 約束する」
嘘だ。わたしは隆に嘘をついた。
隆の目をまっすぐ見ることができないので、うつむいて。あ、でもこれじゃあ、嘘ついていますって言ってるようなものだ。
あわてて取り繕うためにブランコから立ち上がろうとしたら、バランスをくずして前につんのめってしまった。
「きゃっ!」
ブランコの前を囲う鉄枠に顔から突っ込んでしまう! 目の前に鉄棒が迫ったとき、視界が陽炎のようにゆらりとゆらいだ。
「だいじょうぶ?!」
ぶつかった、と思った瞬間、わたしは隆の腕に抱きかかえられていて、ぶつかりそうだった鉄枠は、一メートルほど離れたところにあった。
え? どういうこと? 何が起きたの? 隆を振り返ったが、隆は心配顔でわたしを見つめていて、不思議顔はしていない。っていうか、ドアップだし。かーっと顔が熱くなった。この体制から逃れることで頭がいっぱいになってしまう。
「あの、え、だいじょうぶだから……えと……離して……」
「あ、ごめん」
隆も照れ顔になってわたしを立たせると、一歩下がって距離をとった。
「あ、ありがと」
恥ずかしいのがすこしおさまると、またさっきのことが不思議に思えてきた。隆は隣のブランコで立ちこぎしてたんだ。どうやったら、わたしを抱きとめられたわけ?
まてまて、それよりあの事故の前に、大事な話をしていたような……! そうだ、隆が協力してくれるって話。
「あ、あの、明日の放課後、時間取れるかな? わたしの家で、検査させてくれます? そのとき、話せることは説明するから……わたしたちのこと」
「ああ、いいよ」
隆は、ゆっくりと家に向かって歩きはじめた。わたしがやや遅れてあとに続く。夕闇が迫っていた。
第7話 エリカの逆襲
「公園でなにがあった?」
家に帰るなり、隊長がきつい口調でわたしに言った。
「え?」
耳まで真っ赤になったと思う。何? 公園へ行ったって、どうして知ってるの?
「エリカが来てから、このあたりで魔界が拡大したら探知するようにセンサーを設定し直しておいたのだ。さっき公園で反応があって、エリカがまた来たのかと思ってモニタしたら、公園にはおまえと剣崎隆しかいなかった」
なんだ、わたしたちを追跡してたわけじゃないんだ。ちょっと、ほっとした。
「隆の部屋へ行ったら、外で話そうということになって、公園で話しをしてました。あ、隆が協力してくれることになりました。どうして催眠にかからないか検査させてくれるって……魔界? え? わたしたちだけでしたよ、最初から最後まで。……え? あ? じゃあ、あのときのが魔界? ……じゃ、魔法?」
「よくわからんナ、ちゃんと報告せんか」
よくわかっていないのはわたしだ。
「わたしがブランコから降りるときに、つんのめって、鉄棒にぶつかりそうになったら、ゆらゆら~っとなって、いつのまにか隆が支えてくれてたんです」
「ふむ、おまえがそんなドジをやるやつだとは知らなかったが、どうやら役に立ったようだナ」
隊長は、あごに指を当てて思案顔。やがて、ぼそぼそと、わたしに言うでもなくつぶやきはじめた。
「エリカがらみだからな。エリカが言ってた隆のパワーとやらは魔力か。自覚がないのか有って隠してるのか。検査ができるというのは上出来だナ。検査内容は魔力関連に絞ってみるか」
「はぁ?」
きっ! と、こちらをにらんで隊長が言った。
「検査は明日の放課後だ。つれて来い。それで、おまえどこまで剣崎隆に話したんだ」
「まだなにも! ……でも、明日説明するという約束で……」
「よし。ではおまえは、明日剣崎隆に説明する内容をまとめてレポートにして提出しろ。余計なことまでバラすんじゃないぞ」
「は……はい!」
そうだ。どこまで話すか考えなくちゃ。全部話せるわけ、ないんだもの。
日付が変わろうとするころ、わたしは五回目のダメだしをくらっていた。
「ダメだダメだ! これじゃあ、わたしらは地球の敵だと勘ぐられるじゃないか。書き直し!」
投げ返されたメモパッドを受け取り、自室へもどろうとすると、隊長が乗ってるコマンドソーサーのアラームが鳴った。
「ム!」
隊長が外の様子をホログラムで表示する。実物の十分の一のサイズで、この洋館と周囲が映し出される。ちょうど、隊長とわたしが居る場所に洋館が表示されている。表の道と隣の隆の家の駐車場に動くものがある。隊長が不審な動きをマーキングしていくと、センサーはそこに次々と『敵』の姿を明るく縁取り表示する。
「ほほう、なかなかやるじゃない。パワードスーツ二体に陽子銃で武装した十一人の兵士か。本気で相手をしてやりたくなるじゃないか。だが、今夜の相手は、わたしではないぞ」
隊長が移送ゲートを始動させた。ホログラムの洋館をピンクの膜が覆っていく。これは作戦指示用のモニタ表示で、現実の洋館には変化は見えない。しかし、これで、この家のまわりはゲートで覆われた。
窓や入り口を通り抜けるにしろ、壁や屋根を破って侵入するにしろ、ゲートの膜を通過したものはすべてここから四キロ離れたエリカの洋館に飛ばされる。逆向きもそうだ。今、エリカの洋館から出るものはすべて、こっちの庭に飛ばされている。光も飛ばされているので、今、こっちの庭にいるやつらが見ているのはエリカの洋館だ。
門からバラ園に入った兵士は、あの背の低い男らしい。例のヘルメットを被っている。後方に合図すると彼の両脇に身長三メートルほどのパワードスーツが音もなく進み出てきた。これも地球製っていうことなんだ。なかなかがんばるじゃないか、地球人。
男が合図した。まずパワードスーツが玄関の両横から建物内に突入する。パワードスーツが壁をぶち破るはずだが、ぶち破ったのはこっちの洋館ではなく、あっちの洋館の壁だ。はでに破壊したが、音はしなかった。パワードスーツに、消音装置がついているわけか。消音装置は、奇襲に使用する装置で、装置の周囲で発生した音を、外へ漏らさない。このあたりの科学技術までとなると、地球人が独力で開発したことにするぎりぎりの科学レベルだと思う。
パワードスーツにつづいて兵士が十人、窓や扉から突入する。こっちは消音装置は装備してないらしい。生身の人間が身につけて運べるほど小型軽量化された消音装置はないってことね。ガラスが割れたり鍵が壊されたりする音が、建物の周囲でしている。 実際に壊されているのは、エリカの家のほう。この家は今、この家のまわりの空間とはつながっていないから。
背が低い男は動かない。玄関の前で片ひざをついて仲間が突入する様子を観察しているよう。
「ふん! 用心深いやつめ」
背の低い男が、自ら突入するタイミングを待とうとしていた隊長が、あきらめて移送ゲートを切った。
外の男が見ていた洋館が、エリカの洋館からこの洋館に戻ったはず。
建物はまったく同じだけど、パワードスーツが開けた大穴が消え、開いたはずの玄関の扉も閉まったままの情景に戻る。それを見た男があわてているのがモニター越しにもわかる。ホログラムかなにかだと思っただろうか。地球人の常識ならその程度かな。
ちゅどーん!
と遠い爆発音が伝わってくる。四キロ先からだわ。男が振り返るけど、男から見えるのは火柱にかすかに照らされた雲の赤みだけだったと思う。男は、何もおきない目の前の洋館と、爆発音がした方角を見比べて、ある程度状況を理解したようで、走って引き上げて行く。
わたしたちは、ホログラムモニターを望遠に切り替えて高い視点からエリカの洋館の様子を見た。
四キロ先で火柱が上がっっている。炎が数十メートル吹きあがっている。
あんなに燃え続けるものがあるようには見えないのに、鋭角なピラミッドのような形の炎が、高さ二十メートルぐらいまで、ロケットの噴射のように勢い良く真上に燃え上がっている。炎から黒こげになったパワードスーツと兵士らしい人型が、ぽいっ、ぽいっ、と放り出されるように出てくる。炎の色が、赤から紫に変わった。
「む!」
炎の中から、上空へ向かって、紫に光るものが飛び出し、百メートルほどまっすぐ上がったところで、紫の炎の羽を広げ滞空した。やがて、炎の翼を大きく一度羽ばたかせるや、水平飛行に移った。
「戦闘準備しろ! エリカが来るぞ! ……魔女め! これほどとはナ!!」
不意打ちを食らったはずのエリカは、兵士たちを短時間であっさり退けて、こっちへ向かってくるようだ。ホログラムがその様子を映し出す。背中に生えた炎の翼を後方に流しながら飛んでいるのは、たしかにエリカだった。エリカの本体も、翼同様、紫に燃える炎でできているように見える。その表情は、激しい怒りを撒き散らしていた。
隊長は戦闘準備と言ったが、準備をする間はまったくなかった。紫の炎は、高速で飛来して、この洋館の上空で速度を落とし、ゆっくりと玄関前に降り立った。ホログラムだけでなく、実際の窓越しに紫色の光が家の中を照らす。ホログラムでは、炎が消えて、セーラー服姿の普通のエリカの姿になる。いや、普通じゃないわ。セーラー服は攻撃を受けた様子を物語るように蜂の巣状態で、申し訳程度に肢体にまとわりついているだけ。しかし、セーラー服の裂け目から覗く白い肌にはまったく傷はない。
隊長はそこでホログラムを切って、ソーサーごと玄関を向いた。
カチャリ
玄関が開錠され、ゆっくりと扉が開き、つんと澄ましたエリカが歩いて入ってきた。エリカは、玄関ホールをへだて、吹き抜けを通して二階の通路に居るわたしたちを見上げた。
「あなたたちの差し金でしょう? やってくれたわね。屋敷がだめになったじゃないの」
「すまんナ。不審者がこの家を襲撃しそうだったので、そっちへ送ったまでだ」
隊長とエリカの間の空気がピリピリと緊張で震えているように見える。
そして、それはほんとうに動きはじめた。隊長のソーサーのアラームが鳴り始める。エリカが自分を中心に『魔界』を広げはじめたんだわ。球形のゆらぎのが大きくなる。だけど、それはエリカとわたしたちの中間あたりで押さえ込まれるように広がるのを止めた。球体は半径五メートルくらいのサイズで震えている。
「魔法は科学で解明された力だ。科学の力で『魔界』を発生させることもできるし、その応用で、こうして『魔界』の成長を押さえ込むこともできるんだ、ナ!」
エリカは不思議そうな顔をしたけど、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「屋敷の地下には大切な礼拝堂があったのに、おかしな鉄巨兵が一階の床を踏み抜いて壊してしまったの。あるんでしょ? ここの地下にも、同じものが。明け渡していただこうかしら、屋敷ごと」
「その『魔界』の内側では、おまえは無敵かもしれんが、こっちまでは魔力は及ばんぞ。どうやって戦うつもりかナ」
隊長も余裕の笑みを返す。わたしだけ蚊帳の外みたい。隊長の斜め後ろで立って見てるだけ。
「あいにくと、自分で試してみないと納得しないのよ、わたしは」
エリカは両手の人差し指を立てて、床を指差して、その指をくいっと裏返して上に向けた。その指につられるように、玄関ホールの床のタイルが割れて長さ二十センチほどの、くさびの形にはがれて十個ほど浮かび上がり、そのとがった先を隊長に向けて空中で静止した。
殺気を感じ取った隊長が、自分の前に防弾フィールドを発生させたのと、くさびが飛んでくるのが同時だった。
くさびは、『魔界』の内側ではエリカの魔力により意のままに動き、放たれた矢のように飛んだ。そして『魔界』と『現世』の境界を越えると、力を失い慣性で飛ぶだけの石に変わった。
ただし、その境界線における『現世』での初速は秒速五百メートル以上。地球の鉄砲から放たれた銃弾と同等の運動エネルギーを持っていて、殺傷力がある石つぶてのままだ。
数発はフィールドをそれて、わたしたちの背後の壁に突き刺さった。残りは、隊長の前に張られた防弾フィールドに捉えられて静止していた。そのうちの一発は隊長の眉間に、あと三センチほどのところで止まっていた。隊長は、微動だにせず、エリカを見ながら笑みを浮かべたままだった。軍人らしい、頼もしい姿だ……と思って見ていたのだけど……。
「……すばらしいぞ! 本物の魔法だ! わたしは今、本物を目にしてる!」
ただの魔法ヲタク的反応だったのかも。
「魔力もないくせに、見るからに魔法のような技ばかり使って。やはり、まともな人間じゃないわね。おまえたち」
「そっちこそ、まともな人間じゃないじゃないか。催馬楽の一族というのは魔族かなにかかナ? どうして剣崎隆に近づいてきた?」
「フフフ。同じ質問を返してあげるわ。魔力も持たない輩が、未来の魔王にいったい何の用なの?」
隆が、未来の魔王?
「やはり剣崎隆は魔力を持っているのか。だからわれわれの催眠の影響を受けていないのだナ。魔王とは、また、大げさな呼び名だナ」
この隊長の言葉は、エリカの逆鱗に触れたらしい。にこやかな笑みはそのままなのだが、内に秘めた怒りが殺気となって押し寄せてきた。
「魔王をバカにすることは許さないわ。彼が覚醒したら、彼はこの地球をすっぽり自分の影響下に治めてしまうこともできるほどの存在よ。この星を砕くこともできる力の持ち主なのよ!」
あたりの空気がビリビリと震えるほどの殺気が、声にこもっていた。
隊長がどう応じるか、興味津々で表情を見ようと身を乗り出してみると、その横顔は意外にも眉を八の字に寄せての思案顔だった。
「ちょっと待った。おまえ、今なんと言った?」
隊長の、戦闘中にはありえないかわいらしいアニメ声の問いに対して、エリカのテンションは変わっていない。
「許さないと言ったのよ! 魔王をバカにする行為は万死に値するわ!」
「いや、そこじゃない。その先だ」
「……彼の力は、わたしなどよりずっと上よ。覚醒したら、あなたのその機械なんか役にたたないわ。この地球ごとすっぽり自分の世界にしてしまえる」
エリカも、隊長の様子が変わったのに気がついたらしい。すこしだけ怒りのトーンが収まっていた。
「もうちょっと先だってば」
じれったそうに隊長が言う。
「魔王は、この地球を破壊するほどの力を持つ存在なの……なによ、怖気づいたの? 戦う気がうせたの?」
「ああ! そうだナ! だって、戦う理由などないじゃないか!」
あ、そうか。地球人類は超光速航法を発見して外宇宙に進出すれば、連盟の一員として迎え入れられるけど、それより先に自分の惑星を破壊する兵器を所持してしまった場合は、危険分子としていずれかの宇宙人の政府によって占領統治されることとなるんだったわ。地球を破壊できる兵器は、別に科学力による機械である必要はない。超能力や、魔力でも条件にあてはまることになる。
「地下室は自由に使うがいい、催馬楽エリカ。我らは同志だ」
第8話 なぞの転校生パート2
「あら、おはよう恵ちゃん、エリカちゃん。隆ちゃんと登校の時間?」
ななめ向かいの園田の奥様が玄関前の掃除の手を休めていつものように声をかけてくる。わたしの隣にいるエリカの姿を見て、瞬時に記憶を訂正し、毎朝挨拶をしていたのはわたしたち二人だったってことになったはず。
「おはようございます。毎朝ご精が出ますね」
わたしは学生かばんを両手で持って、やや斜めにお辞儀し、優等生っぽく微笑む。
「おはようございま~す」
わたしとおそろいのブレザー姿のエリカさんもそれに倣う。
自宅である洋館の庭を囲う青銅の柵からあふれそうな薔薇の前を、園田の奥様の視線を意識しながら通り過ぎ、おとなりの家のインターホンを押す。
「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」
インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうで隆を呼ぶおばさまの声がする。
「隆! 恵ちゃん達が来たわよ。早くしなさ~い」
ドアが開いておばさまが顔を出す。
「恵ちゃん、エリカちゃん、おはよう。隆、すぐ降りてくるから」
隆は階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしとエリカさんを無視して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い本を持って、その洋書を読みながら歩いていく。
「それじゃあ、おばさま、いってまいります」
「いってきます、おばさま」
わたしとエリカさんはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。
この状況で、わたしたちを無視して平然と歩いていける隆を、なんだか尊敬しちゃう。
わたしがいきなり現れた朝も、こうだったんだ。驚いていないわけはない。動じても、それをまわりに悟らせない徹底したポーカーフェイスは、隆の知性の成せる業だろうか。尊敬に値すると思う、と、同時に、申し訳ない気持ちになって、ちょっと駆け足して追いついて、横から小声で呼びかけた。
「ごめんね、隆。こういうことになっちゃって」
隆は、本から顔を上げて、わたしをちらりと見た。
「で、今度はどういうことになったの?」
「ええとね、わたしたち『三』姉妹はあなたの幼なじみで、長女のわたしと次女のエリカさん……エリカは、歳は一歳違いなんだけど、生まれ月が四月と三月で同じ学年なの。で、あなたのクラスメイト……ってことになったんだけど、いい?」
良くはないだろう、隆的には。
「へぇ。エリカさんまでいっしょになっちゃって、味方じゃなかったの?」
あきれたのか、もう、こっちを見てもくれない。本を見てるまんまだ。
「味方よ~。ただね、わたしの家がだめになっちゃって、同じ苗字のよしみで恵さん、じゃないや、恵姉さんたちといっしょに住まわせてもらうことになったの。三人ともあなたの味方よ。心配しないで」
エリカさんはノリノリだわ。
「じゃあ、昨日の話は反故になったのかな」
あ、これはわたしに言ってる?
「検査は、必要なくなったの。エリカさんのおかげで理由がわかったから。でも、ちゃんと説明はするから! ……話したいの。隆の家に迎えに行くから、待ってて」
やっとのことで、隊長に原稿のOKももらえたし。
踏み切りで立ち止まった隆は、またわたしの方をちらりと見てくれた。
「ふうん」
無表情にそれだけ言って、隆は本に目を戻した。
「タカちゃん、グミ、リカ、おはよう!」
今朝も踏み切りで由梨香が合流する。エリカさんが、わたしに目配せする。エリカさんは由梨香と初対面だから、どういう相手か知らないわけよね。わたしと調子を合わせるように、と目で合図を送る。
「おはよう、由梨香」
とわたし。
「由梨香ちゃん、おはよう」
エリカさんがつづく。順応がはやい。
「はぁぁ」
隆のわざとらしいため息が続いた。またまた、ほんものの幼なじみの由梨香の記憶が変えられちゃってることを、良く思っていないみたい。そりゃあそうだよね。ごめんね、ほんとに。
教室には、理数科以外の男子も集まってきていた。この風景は先週も見たことがある。彼らがむらがっているのはひとりの男子生徒の机のまわり。
「これとこれ、2Lサイズで」
「1200円です」
「おれは待ち受けにダウンロードさせてくれ、こっちの横顔」
「2000円。コピーや印刷はダメですよ」
写真部の一年生が写真を売ってる。写っているのはわたし。
被写体本人が教室に入ってきたと知ると、クモの子を散らすように机から離れ、よそのクラスの生徒や上級生は廊下に出て、クラスの男子は教室内で、わたしを遠巻きに囲んで見てる。
ん? どうやら様子がちょっと違う。今回はわたしだけじゃなく、エリカさんも対象になってるらしい。
彼らのあたらしい記憶の上では、わたしもエリカさんも入学以来ずっとこのクラスなんだけど、生写真は、わたしの分は二週間前から、エリカさんに至っては昨日のセーラー服姿のしかないはず。
でも、彼らはそれにさえ理由をつけて記憶を構築してくれている。どういうストーリーになっているかは、コンピュータを検索すると確認できるようになっている。
頭の中のチップを使って屋敷のコンピュータに遠隔アクセスして検索してみると……
あらまあ、あのカメラ小僧くんは、とっても律儀なポリシーの持ち主で、被写体のOKを取らないかぎり盗み撮りをしないんですって(うそよね)。
必死で頼み込んで、わたしがOKしたのが二週間前で、エリカさんはやっと昨日になってOK。昨日エリカさんがセーラー服だったのは、エリカさんが演劇部のお助け要員として劇の役の衣装合わせをしてたからってことになっているそう。
ビレキア星の技術で、人間の記憶と電子的なデータは改ざんできるけれど、紙の写真はどうにもならない。エリカさんの魔法なら、そういうことまでつじつま合わせができちゃうのよね。で、まあ、クラスの座席表が紙媒体で残っていたりすると厄介なのだけど、幸いそういうものがないので、昨日の席替えもチャラになっている。
わたしとエリカさんは隆をはさんで横一列。隆から見たら、左にわたし、右にエリカさん。昨日座っていた座席をまったく無視して、平然と自分の両側に座るわたしたちに、内心は怒っているであろう隆は、これまた、なにごとも感じないかのように普通に席につく。
待っていたように、クラスの男子生徒たちが、わたしたち姉妹の座席まわりにあつまってきた。
「さ、さ、催馬楽さん! 今度の日曜、ゆ、遊園地などいかがでしょうか?!」
エリカさんに向かって、有名レジャーランドのプラチナチケットを差し出して、腰を九十度に曲げてお辞儀してるクラス委員さん。それって、昨日わたしにしてたことと同じじゃない?
「そこはもう飽きちゃったの。別のところを誘ってみてくださる?」
エリカさん、にこやかに答えるけど、絶対に他のところを誘ってもOKなんかしないと思う。クラス委員さんは、永遠にもてあそばれて、あちこちのチケットを買い続けることになるのかしら。悪魔みたいな対応だわ。あ、人のこと言えないか。
わたしのところへは、小さなリボンつきの包みを差し出す二年生。
「も、申し訳ありません! あなたの誕生日を間違えてしまうなんて、ぼくはとんでもない不届き者です。どんな罰でも受けます! ですが、せめて、このプレゼントだけはお受け取りください!」
あ、そうか。エリカさんと一歳違いの同学年姉妹だっていう設定に変わったせいで、わたしの誕生日が、今日の時点で過ぎちゃった日に変わってしまったんだ。昨日までなら、わたしの誕生日はまだ来てなかった設定だったから、多分、わたしの誕生日が来たら、渡そうと思っていたプレゼントが用意してあったんだ。
記憶の設定を変更しても、電子データ以外は改ざんできないし、プレゼントも消えない。そしておそらく彼の家の机にあるであろうカレンダーのしるしも訂正されない。一歳違いの妹のエリカさんと同じ学年だから、わたしは四月生まれ、っていう情報が脳に配信された瞬間に、カレンダーの印が誤りだという結論に行き着いてしまったのね。
これは、かわいそうな被害者だわ。無理にエリカさんをクラスメートにしようとしたわたしのせい。
なんだか気の毒に思えて、彼からのプレゼントを受け取ろうと、右手を伸ばした瞬間、周囲にいた十人ほどから、同じように、リボンつきのプレゼントが、いっせいに、さっ! と差し出されたの。
そうよね、同じ状況に陥ったのは、彼ひとりじゃないはずなんだから、こうなってしまうのは当然。彼のプレゼントを受取るということは、ほかの人のも受け取らなきゃいけないっていうことになる。
わたしは危うくプレゼントを受取ろうとした右手を垂直に立てて、プレゼントの箱をできるかぎりやさしくと心がけて手のひらで押しかえした。
「ごめんなさい。学校でこういうものは受けとれません。先日も先生に注意されてしまったの」
彼はへなへなと座り込み、まわりの男達も、しゅんとうなだれてプレゼントをしまってしまった。
うなだれた男子たちも、すぐに気を取り直し、またわれ先にわたしに話しかけようと位置取りをはじめる。
隆の席をはさんで、向こう側のエリカさんの席でも、なにやら争いが起こっているようだ。
「なにを言うか。ぼくは、もう、中学三年の春模試のときから、エリカさんだけを見てきたのだぞ。入試のときになってはじめてみそめたなんてやつは、エリカさんのファンとしては、ず~っと後発組だ」
「おいおい、オレは中二の夏模試からだぞ、先輩面すんな」
どうやら、いつからエリカさんに惚れているかっていうことを争っているようだけど、あなたたちの記憶にあるのは、あなたたち自身が作った妄想よ。エリカさんを見たのはみんな昨日が始めてなの。
隆は両側の席に集まったとりまきにはさまれてもみくちゃにされ、背中で押されたり、机や椅子をずらされたりしているんだけれど、黙って本を読み続けている。
ホームルームの時間になると、担任が学生服の男を連れている。まさか、また、転校生ってこと?
「お~い、静かに席に着け。今日から転入生だ。N市中央高の理数科から編入でこのクラスの仲間になる。さあ、自己紹介を」
「阿久根翼です。よろしく」
クラスがざわつく。先生が静めようとする。エリカさんのときとは違った反応。彼がいかにも怪しい格好だったから。
「こらこら、静かに。阿久根くんは病気のせいで進級が遅れ、みんなより年上だ。頭に被っているモノも治療のための特殊な器具なんだ。笑ったりいじめたりするやつは、このクラスにはいないよな? 先生はみんなを信じてるぞ」
先生は拳を机の上でぎゅっと握って、固く眼を閉じて天井を仰いだ。教育モノのドラマの主人公の気分に浸っているらしい。これはビレキアの催眠のせいじゃないわね。
紹介された転校生は、謎の部隊を率いていた背の低い男だ!
転校生!? どう見たって二十歳過ぎでしょ? それに、頭には、あのへんてこヘルメットをほんのすこし控えめにしたモノを被っている。改良型なのかしら。アメフトのヘルメットに画鋲を二十個ほど付けたような形状の灰色の機械のあちこちで、なにやらチカチカ光っている。
「ええと、席はそうだな、この列の最後尾に座りなさい」
先生が指示したのは、わたしの列だ。
「彼もお仲間かな?」
隆がささやく。わたしはエリカさんのときよりも激しく首を横に振った。
エリカさんもこっちを見てる。そうか、エリカさんは彼を見てないんだ。隆の背中越しにエリカさんに向かって声を出さずに唇の形で伝える。
「(カ・レ・ハ・キ・ノ・ウ・ウ・チ・ニ・キ・タ・ヤ・ツ・ラ・ノ・り・い・だ・あ・ダ・ヨ)」
エリカさんの表情が露骨に変わった。まるで、ガスバーナーにいきなり火がついたように怒りの炎に火が点いた。それまでなにごともないおだやかな雰囲気だったのが、いきなり触れることのできない危険な炎を吹き上げはじめた。
男……阿久根が机の間を歩いてくる。こちらをチラチラと観察しながら。彼がわたしと隆の机の間を通り過ぎようとしたとき、エリカさんを中心に『魔界』と『現世』の境界を示すゆらぎが教室いっぱいに広がるのが見えた。エリカさんが椅子をガタンと鳴らして立ち上がって殺気のこもった声で言った。
「人の家を襲っておいて、挨拶もなく通り過ぎるつもり?!」
いきなり教室でからむのはマズい、と思ってまわりの反応を気にして見回すと……みんな止まってる。先生も、ほかの生徒たちも固まってしまって微動だにしない。教室の外は動いているみたい。遠くで電車の音がするし、鳥も鳴いている。廊下の向こうでは、学内の雑多な音が聞えてくる。エリカさんが魔法でこの教室だけ止めてしまったのだ。
エリカさんと阿久根とわたしと……隆も動いてる。
「む? これはおまえの仕業か?」
男は、鞄から髭剃り機のような機械を出してエリカさんに向けた。なにかの銃?
「あ~ら、昨日のと同じ銃? あなたの仲間たちに聞かなかった? わたしには効かなかったって。あのひとたち、せっかく生かしておいてあげたのに。レディの家にいきなり踏み込んでわたしを見るなり撃ってきて。おかげでわたしのセーラー服は穴だらけになっちゃったのよ」
「エリカさん、教室の中でやりあうのはやめときましょうよ。阿久根さん、あなたも、ほかの生徒を巻き込まないで。誤解があるのよ。ちゃんと話しましょう」
「インベーダーめ、なにを言うか。学校を巻き込んでいるのはおまえたちだろう。わたしは地球を守るために戦っているんだ」
阿久根は銃口を振りながら咆えるように言い返してきた。
「恵、めんどうよ。そのかぶりものを取っちゃえばいいんでしょ」
エリカさんの提案に阿久根が身構える。
阿久根のヘルメットを取ってしまったら、おそらく彼は、瞬時に記憶を修正して無害な存在になってしまう。わたしのことを『インベーダー』なんて言わなくなるし、そのために邪魔になるような記憶はすべて忘れてしまう。つまり、仲間や黒幕についての情報も、目的や組織についての情報も失われてしまうことになる。でも、それでは、まったく解決にならないんじゃないだろうか。
「待って、待って。話し合うには、あれが必要よ」
ひょっとして、話してわかり合えるような相手なんだとしたら、ヘルメットを被ってくれていないと話ができないわ。
ここで隆も本を閉じて立ち上がった。
「もう、やめてくれないか。授業の時間になるぞ」
「そうよ。あとでお話ししましょう。学校が終わってから……ってエリカさん、なんで隆も動いてるのよ! 彼を巻き込まないでよ!」
「何言ってるの! わたしごときの魔法が隆に効くわけないでしょう?!」
え? そういうものなの? エリカさんが『ごとき』って、隆はいったいどれくらい? あ、地球を破壊できる魔王だっけ。
「魔法? 魔法って、そいう話なのか?」
隆にとっては魔法って非科学的なオカルトよね。
「ゴメン隆。そういう話も混じっちゃったのよ。放課後ちゃんと話すから」
わたしは両手を合わせて隆を拝み倒す。
「おまえたち、わたしを無視してるんじゃない! これは陽子銃なんだぞ」
阿久根はますます興奮して髭剃り機もどきの銃を振り回す。
「だ・か・ら、そんなもの効かないの。服に穴開けるだけ。しまったら?」
エリカさんは高飛車。
チャイムが鳴り出した。一時間目が始まってしまう時間。いつまでもこの教室だけが止まっていていいはずがない。隆が強い口調でエリカさんに言った。
「もう授業だ! もとにもどすんだ!」
そのとたん、教室いっぱいに広がっていた魔界の揺らぎがはじけたように見えた。
まわりの生徒たちが動き出した。チャイムがまだ鳴っている。チャイムの音をドラマチックなBGMに、エリカさんはうっとりした目で隆の怒った目を見つめている。
「やっぱり。すごいパワーね。わたしの魔法なんて消し飛んじゃったわ」
エリカがやめたんじゃなくて、隆の力で魔法の効果が消えたっていうの?
「とにかく、阿久根さん? お昼休みにお話ししましょう」
ってことで、この場は収まったんだけど、隆も巻き込んでしまった。阿久根『さん』は、多分、彼にとっての『インベーダー』であるわたしと、ひょっとするとエリカさんのことも情報をつかんでいて、見張るつもりでここに来たんだろうけど。さっきのことで隆も関係者だって思ったに違いない。
第9話 説得で納得?
昼休み。本当は、生徒が立ち入ることを禁じられている屋上に、阿久根を誘った。
彼は、警戒しながらも付いて来た。つまるところ、単なるインベンダー退治に来たわけではなく、情報収集が目的なんだわ。だから老け顔の生徒に化けてまで近づいてきたってことね。
教室を出ると、数メートル離れて隆がついて来る。
「待ってて、隆。あなたには放課後ちゃんと話すから」
「聞かれたくないなら、離れて待ってるよ。でもきみらが学校で争いを始めないように、見張っていたいんだ」
昼休み時間は限られていて、ここで隆と口論している時間はない。結局、隆には、屋上への出口のドアのところで待ってもらうことにした。なにか起きたりしないかぎり、屋上へは出て来ないっていう約束で。
阿久根とエリカさんとわたしは、屋上の中央あたりで立って話すことにした。手すりからは最短でも十メートルくらいある。下の校庭から見えない位置に立ったからだ。隆が待っているドアとは二十メートル離れている。ひそひそ話せば聞えない距離だ。
わたしと阿久根が向き合い、エリカさんはななめ四十五度でわたしの右横やや後ろにいる。ちょっとだけ傍観者モードらしい。阿久根と向き合うと、おそらく160センチくらいしかない彼は、わたしより頭半分くらい低いので、わたしが見下ろすことになって心証悪そうになる。それが気になったので、あごを引いて、やや上目遣いになるように彼を見るようにした。
「まずね、知ってもらいたいのは、阿久根さんたちに技術提供したりわたしたちが宇宙人だって言ってる人物も、宇宙人だっていうこと」
「何の話かと思えば」
彼は軽蔑するように笑った。
「『宇宙人』よ。わたしもその人も。でも『インベーダー』ではないの。侵略なんてしないの」
「周辺の住民の記憶を操作して、かってに住みついて。すでに侵略じゃないか」
「それは、地球に溶け込んで、情報収集や交流の起点になるためよ」
まあまあ嘘ではないけれど……胸がちくちくしないではない。うちの場合、多分食べるのが最終目的なんだから……。
「そもそも、おまえたちが住民の記憶操作を行なっていることを発見したのは我々だ。だれかにおまえたちがインベーダーだと教えられたわけじゃない。わたしが組織のリーダーだ、誰もわたしに命令できるものはいない。どこの政府にも属さない独立した組織なんだから。我々の力でインベーダーを見つけ、自分たちの力で排除しているんだ」
「でも、あなたたちが使っている技術は地球独自のものじゃないでしょう?」
「……現代のものじゃないだけだ。インベーダーの技術などではない」
なるほど、『現代』じゃないってことは……。
「未来人だって名乗っているのね。それこそ嘘だわ。過去へのタイムトラベルは存在しないことが科学的に証明されてるのよ。地球ではまだでしょうけど」
「そんなバカな……」
彼は、すこしあわてているようだった。ひょっとして疑問に思うことがあったんじゃないかしら。
「なにか思い当たることがあるのね。そいつが地球人らしくないことを言ったことがあるんじゃない? ボロを出したことがあるんじゃない?」
「……」
「図星みたいね。おかしいと思わない? あなたたちが使っている機器は、どれも、ぎりぎり今の地球の科学理論や技術で製作可能なものばかりだわ。未来の科学なら、もっと小型化や高性能化ができると思わない?」
彼は自分が被っているヘルメットを見上げた。
「そのヘルメットだってそうよ。耳栓くらいに小型化がされてもよさそうじゃない?」
「歴史のパラドックスを起こさないためだ。未来技術をそのまま持ち込んだら、発明者不在の科学技術や理論が存在することになるから、ヒントだけくれているんだ。我々はそのヒントを研究機関や政府に流し、成果物の提供を受けている。だから政府にも顔が効く」
それで、ヘルメットおじさんが高校に転入できちゃうわけね。
彼は、強く言い返すことで、自分も信じようとしているようだけど、やはりまだ疑問を抱えているよう。
「昨日使った消音装置はどう? あれはきわどい技術だったわ。どこかすぐに理解できて製作できるところがあった?」
「……日本にはなかったが、海外で可能なところが見つかった。だからこそ装備できたんだ」
「そのことを『未来人』さんは知ってた? 日本の国産品じゃないって。発明者不在にならないように配慮してるっていうなら、未来にはどこの国で開発されたかっていう歴史が残ったままになってるんでしょう? 日本製じゃないんなら情報提供したときからそれを知ってるはずじゃない?」
どうやら彼自身、そのことを疑問に思っていたようだ。もうひと押し? かな?
「ねぇ、『未来人』に会わせて。正体を見破ってやるわ」
「だめだ。そもそも、この時代に実体化してないんだ。声とシルエットだけで。時間通信しているんだ」
「なるほど。多分、わたしのように地球人の外見になれるほど地球人に似ていない種族なんだわ。ねぇ、聞いて。この宇宙にはたくさんの宇宙人がいて連盟があるの。その連盟のルールで、地球は保護されてる。地球人が超光速航法か惑星破壊兵器を手に入れるまでは、ほんとはコンタクトできないの。たしかにうちはそのルールを破ってることになるわ。同じように、地球とコンタクトできるようになったときに有利な立場に立てるように、あちこちから潜入者が来てるでしょうね。そして『未来人』はあなたたちをつかってライバルを蹴落とそうとしてるんだわ。あなたが今までに退治してきたほかの宇宙人はどうだった? 激しい抵抗があった? 大きな騒ぎに発展する前にたいして抵抗もせず退却していくんじゃない? みんな」
これも図星らしい。
「もしも潜入してるってことが連盟に対して明らかになったら、それこそ立場が危ういから、あなたたちとハデに戦ってまで地球に残ろうとするはずがないの。うちもそうだわ。だから自分で戦わずにエリカさんに振ったの。エリカさんは宇宙人じゃないのよ。地球人なの。普通の人間じゃないだけ。でもこうしてわたしたちは仲良く姉妹をやっていられるわ」
彼はわたしとエリカさんを見比べていた。エリカさんも出番がまわってきたと思ったのか、わたしの話を肯定してくれた。
「わたしは、いわゆる魔族なのよ。あなたたち人間より昔から地球にいるわ。彼女たちとつるんでまだ丸一日にもならないけど、彼女たちの言ってることは本当みたいよ。侵略とか、本気になってたら、とっくにされてるわよ。彼女たちが本気になったら、あなたの部隊じゃ敵わないわよ。わたしでさえ、どうだか」
ほんとにエリカさんがそう思ってるのかしら。彼女の力は十分にわたしたちに対抗できそうだったんだけど。
阿久根はなにか考え込んでいたけど、もう、反論はしなかった。
「ひょっとしたら、このヘルメットが、もうわたしの脳を守ってくれていないのかもしれないけど、きみらの言ってることで腑に落ちる点が多々ある。我々は、普通の地球人たちがパニックにならないように秘密裏にインベーダーに対処したいのに、なぜかその……『未来人』はおおっぴらにしたがっている節があるんだ。今までの相手が、本気の抵抗をしてこなかったっていうのも当たってるし。昨日、うちの部隊は炎に焼かれて全滅してもおかしくなかったのに、わざわざエリカくんに助け出された。その理由が知りたかったんだ」
昨夜の襲撃者の命を助けたのは、エリカさんの気まぐれなんだろうけど、ま、ここはいい方向みたいだからスルーしとこう。どうやら阿久根は偵察じゃなくて、疑念を晴らしに来てたのね。
「もしも、きみらを時間通信のときに立ち合わせたら、どちらが本当のことを言っているか、証明できるかい?」
「やってみせるわ」
ワナを張られるかもしれないけど、相手の正体を確かめるチャンスですもの。
昼休みの終わりの予鈴が鳴った。
心配(?)してくれてる隆のところに、わたしたち三人は平和な会談を終えて戻った。『心配なかったでしょ?』と首をかしげて微笑みかけると、隆は頬を染めてそっぽを向いた。しまった。ちょっと、いまの微笑みは、アイドルの柴田カナっぽすぎたのかな。ファンの彼には酷だったかもしれない。反省、反省。
「よくやってるナ。上々じゃないか。あとは、相手の正体を確かめて、地球に関与している証拠をつかめば、お互い様ってことになる。もしくは、そのまんま阿久根を味方に引き込めばこっちのモノだナ」
帰宅後、隊長に阿久根のことを報告すると、めずらしく隊長が手放しでほめてくれた。地球へ来てはじめてかもしれない。
「それで、剣崎隆のほうはどうなってる?」
浮かれた気分はいっぺんで冷めた。
「こ、これから迎えに行って、こっちで話す約束です。検査する約束だったので」
「ふむ。エリカの情報のおかげで、検査の必要はなくなったがナ。見ろ」
隊長が空間に映し出したのは、昨日、うちに隆がやってきたときのの画像だった。エリカさんを心配して来たときのだわ。
玄関に立っているエリカさんと隆の画像に特殊処理が施される。魔界と現世の境界をスキャンしたものね。エリカさんのまわりには、急速に収束していく球形の境界があり、それとは別に隆の身体をぴったりと境界が覆っている。
「公園でおまえを助けたときは、この魔界を急激に広げたからセンサーに反応したんだナ。剣崎隆は常に魔界に居る。常時魔界が存在しているからセンサーが見落としていたんだナ。魔界までは催眠の波動は届かない。だから彼には催眠も効かない」
「……どうして、常に魔界? ……」
わたしの疑問に答えたのは書斎を通って地下から出てきたエリカさんだった。
「魔力で維持しないと、あの人間の身体が滅んでしまうからよ」
「エリカさん。隆が滅ぶって、どういうこと?」
「人間としての隆さんは、子供のころ、落下事故で死んでいるの」
「!」
公園での事故だ!
「もちろん、魔王としての彼は、そんなことで滅んだりしないわ。でも、彼は人間として生きることを選んだ。わたしは、夢を通じてお迎えに参上したのだけど、人として生きることを選ばれたあの方に、肉体を維持する術をお教えしたのよ。わたしも普段からやってることだから。あ、わたしがどうして普段から魔力を使って肉体を維持してるか、なんて野暮なことは訊かないでね。まあ、そのおかげであなたたちの催眠からも守られてるわけね。で、そろそろ魔王の気が変わったかと思って様子を見にきたんだけど。まだ、早かったみたいね。お迎えする時期じゃなかったようだわ」
「お迎えって?」
「彼が統治すべき世界へ、よ。わたしの一族は、魔王の案内役を務めている一族なのよ。今回ご転生された魔王には、わたしがお供するの。とても光栄なことだわ。魔王がその気になられるまで、気長に待つつもりよ」
「彼は自覚があるのかしら……魔王だって……」
「ないわね。無意識に魔力を使ってるのよ」
なんだか、かわいそうなのはなぜ? このまま、普通の人間にしておいてあげたい。
「いつまで、人間でいられるのかしら」
「そうね、もしも、自覚がなければ、普通に人間が死んでしまう年齢になったら、死んでしまうでしょうね」
「つまり、百年生きたら、とかっていうこと?」
「ええ。でも、もしも自覚があれば、千年でも二千年でも、若いまま人間の姿を保っていられるわ」
「じゃあ、彼も、魔族だと知ってしまったら、そうなるの? 教えちゃいけないってことなの?」
「いいえ。隆さんの場合、人間として生きたいから、あの姿を維持している。つまり、人間的でない生き方をした人間、なんていうのは望んだ姿じゃないわ。人間として、なにかを成し遂げたときには、魔族として目覚めるかもしれないわね。もちろん、なにか危険な目にあって、降りかかる火の粉を払いのけるために、覚醒してしまうことはあるかもしれないけれど」
「では、彼に、わたしたちの催眠の力が及ばないわけを説明するのに、『あなたは魔族です』って言っても大丈夫なのね」
「ええ。そうでなければ、わたしが彼の前で、軽々しく魔法や魔力のことを口にするわけがないでしょう?」
なるほど。
「……じゃあ、わたし、呼びに行ってきます。約束だから、こっちのことは説明しなくちゃ」
「うむ。二人にしておいてやるから、話し終わったら報告しろ」
はあぁ。行かなくっちゃ。うまく話せるかしら。
今回も、色仕掛けってわけではないんだけど、露出度高めな普段着モード。ピチピチのデニムの超ミニスカートに紫のニーハイ。ピンクのタンクトップは妙に緩め。隊長のコーディネート。
逆効果だと思うんだけどな。隆は柴田カナちゃんのファンなんだから、わたしの首から下のモデル体型は疎ましく思ってるかもしれないのに、そこを強調するなんて。
隆の家の前で、ちょっとためらってしまう。でも今日は昨日と違って約束があるんだし。会わないわけにはいかない。目を硬く閉じてインターホンを押した。
「はーい」
中からおばさまの声がして、パタパタとスリッパの軽快な音が近づいてくる。
「どなた~?」
「あ、恵です。あの……隆を迎えに……」
言い終える前にガチャリとドアが開く。おばさまは、わたしの格好を上から下まで見回して、昨日以上に満足げににっこりと笑う。
「ウフフフフ♪ どうぞ~♪」
「失礼します……」
「隆から聞いてるわよ。恵ちゃんが来たら、部屋に通してくれって」
「えっ?」
あの部屋?! なんか行きづらいんですけど。っていうのが顔に出たのか、渋々靴を脱いでスリッパを履いたわたしを、おばさまが階段へ押し上げながら言った。
「大丈夫よ、ポスターとかは片付けちゃってたから。多感な年頃ねぇ。急にベタベタ貼ったかと思ったら、また、すぐに接いじゃったりして」
「え? すぐ?」
「ええ。二週間ほど前よ、急にベタベタ貼ったのは、柴田カナちゃんが載ってる本とかごっそり買い込んできて」
え? 二週間って……それって、わたしが地球に来てからってこと?
階段を一歩一歩上がりながら、情報を整理していた。
そういえば、貼ってあったポスターは、どれも顔のアップやバストアップの写真ばかり。つまり、わたしと柴田カナちゃんの見分けがつかないような写真だ。ひょっとして、隆は、アイドル柴田カナではなくて、急に現れた幼なじみの催馬楽恵の写真を貼ってるつもりだったってこと?
「あぁあっ!」
思わず大きな声を出してしまった。
あの、机の上のフォトスタンドの写真! 思い出した! あれはわたしの写真だわ! クラスのカメラ小僧くんが、先週売ってた生写真のうちの一枚だわ! 構図や背景に見覚えがあったはずだわ。あれは高校の校庭での写真じゃないの!
隆も密かに買ったってこと? で、その写真だけ大事にフォトスタンドに入れて机に飾って……って、もう、これって、隆は柴田カナじゃなくてわたしにラブラブってこと?!
ドアの前まで来てしまった。下ではおばさまがなにかを期待してニコニコしながら見ている。
わたしは、というと、あきらかに動揺していた。
これは任務なんだから、もしも隆がわたしにラブラブだとしても、デレデレしている場合ではない。気を引き締めて、戦場に出陣するときの心構えを思い出すのよ。
ごくりと溜まった唾液を飲み込んで、トントン、とノックする。
「恵です。隆、入っていい?」
「どうぞ」
ぶっきらぼうな隆の返事。扉を開けると、たしかに昨日とはぜんぜん様子が違う部屋。壁や天井のポスターは全部片付けられていた。隆はベッドに座ってこっちを向いている。
でも、わたしの格好を見ると、そっぽを向いてしまった。わたしはというと、恐る恐る(?)眼球だけ動かして、視線を机の方に向けた。
フォトスタンドが伏せて置いてある。
わざわざ伏せているってことは、まだ、写真が入ったままだってことだ。柴田カナの写真は片付けたけど、わたしの写真は飾ったままってことになる。ってことは……やっぱり……?!
え~っ! そんなの、どんな顔して接すればいいのよ!
「突っ立ってないで、どこでも座りなよ」
座るって、どこに?
隆が座っているベッドは、隆のとなりがそれなりに空いている。でも、隆は真ん中あたりに座ってるので、どっちの隣に座っても、かなり接近してしまう。ベッドはだめだ。
椅子は、ベッドからはちょっと距離がある。今は机に向かって収納されてるけど、あの椅子の向きを変えてベッド向けにして座ろうかしら。あ、ダメダメ。今日は超ミニスカートだった。隊長のバカ。
しかたなく、わたしはその場で床のカーペットの上に座り込んだ。すると隆が、大きな円形のクッションをベッドの横から取って差し出した。下に敷けってこと? でも、ちょっとそれにはフカフカすぎのクッションじゃない? これって、テレビ枕用かなにかなんじゃ。
クッションを差し出す隆が、そっぽを向いて頬を染めているのに気がついた。あ、そうか。目のやり場に困ってるんだ。
もう。隊長のせいだぞ。
わたしはクッションを受取って、ひざの上に置いた。大きなクッションだったので、ひざ掛けのようにすっぽりと腰から下を完全に覆えた。
隆がやっとこっちを見てくれた。
「検査は必要なくなったんだろ」
そうだ。だから、ここで話せなくもないけど。
隆はここで話そうっていうつもりなのね。どの道話すことに変わりはないのよね。
ここからが、昨夜作った原稿内容の出番。
「まず、最初に、わたしは地球人じゃありません。わたしの星の名はビレキアっていうの。地球に来た目的は情報収集。あなたをマークするのがわたしの任務です。だから、幼なじみになって、クラスや部活もいっしょにしました」
「ぼくをマーク?」
「ええ。地球は今、発展途上の星として保護されてるの。保護が解ける条件は、自力での超光速航法の開発か、惑星破壊兵器の所持。前者は星間連盟への加盟が認められ、後者は、危険分子としていずれかの宇宙人の政府によって占領統治されることになるの。あなたは、超光速航法開発のキーマンになると予測されているの」
「超光速航法? ただの高校生が?」
「今はね。これは確率の問題よ。あなたが将来その研究に関与する可能性はビレキアの試算では98%以上。地球人類中ダントツの値なの」
「マークして、どうするの?」
「今のところは、密かに見守るだけの任務よ。保護されてる星へは、ほんとは誰も降りちゃいけないの。惑星の外から電波を受信したり、望遠観測したりしかしちゃいけないの。でも、新しく連盟に加わる惑星との関係構築は、どこの星にとっても重要事項だから、少しでも良い条件になるようにしたい。だから、密かに潜入するの。地球に来てる宇宙人は、ビレキアだけじゃないわ」
「エリカさんがそうなの?」
「エリカさんは違うの。宇宙人じゃなくて、地球の魔族の人。朝の魔法もエリカさんなの。地球の科学では、まだでしょうけど、ビレキアでは魔法は科学で解明された力なの。エリカさんは、隆にもその力があるって言ってるわ」
意外なことだけど、隆は、自分の魔力について、すなおに受け入れているようだった。おちついた表情のままだ。エリカさんはああ言っていたけれど、ひょっとしたら、自覚があるのかもしれない。
「昨日、公園のブランコで、わたしを助けてくれたとき、魔法で助けてくれたのよね。エリカさんが言うには、あなたは魔界の王になる素質があるそうよ。わたしたちの催眠が効かないのもそのせいなの」
「……やっぱり、エリカさんと会ったことあるよ。子供のころ、夢で」
「夢?」
「あの、遊具から落ちて病院に運ばれたとき、夢の中に出てきた人だ。ぼくのことを千年以上昔から待っていたって。多分、ぼくがあの事故で目を覚ませたのは彼女が夢の中で導いてくれたからだったんだ」
「そうだったの」
エリカさんが言っていたことだ。人間としての隆はそのとき死んでしまって、魔力で肉体を維持するようになったんだ。、
夢のセリフからすると、エリカさんって千歳以上ってことね。まあ、今さらその程度で驚かないけど。あ、そうか、それで肉体を維持する必要があるんだ。
「今日転校してきた阿久根は?」
「彼も地球の人。インベーダーを退治する組織のリーダーさんなんですって。どうも背後にはどこかの宇宙人が居るようなんだけど、阿久根さんには『未来人』だって名乗っているそうよ」
「インベーダー?」
「ええ。でもそんなものいないわ。だれも連盟保護状態の地球を侵略なんてしない。『未来人』を名乗ってるヤツが阿久根さんたちを騙して、他の宇宙人を蹴落としていたのよ。わたしたちも狙われたけど、エリカさんに助けてもらったの」
物は言い様よね。
「密かに潜入ってわりには、目立つ格好してるんだね」
うっ! 痛いところを。
「一応、元の姿に近い姿なんだけど、事前の情報収集が不十分だったらしいの。集団催眠の効果がなかったら、怪しすぎるよね、やっぱり」
「元の姿は、ぜんぜん違うの?」
「ビレキア人と地球人は似てるんだけど、さすがに、そのままじゃ地球人には見えないかな」
「本当のきみは柴田カナに似てるんだ」
「うん、まあね」
なんか、見られてる。想像されてるのかしら。
「で、これからも見守るだけ?」
「当面は、そういう命令だから」
「ぼくも、このまんま?」
「ええ。魔力が原因ってことだから、多分わたしたちの催眠は効かないわ。あなたは、知らないうちに自分の身体を『魔界』っていう空間で覆っているの。あなたに害を及ぼす外界の力は、境界を越えてその中に及ぶことはないわ」
「なるほど。じゃあ、記憶はこのまんまか」
「ええ。……ごめんね、おしかけの幼なじみで」
「まあ、そのうち慣れるよ」
そのあと、会話が途切れて、しばらく黙って向き合っていたんだけど、いきなりわたしの耳元で隊長の声がした。
『おい! もうすんだのかナ?』
「きゃっ!」
びっくりして、叫んでしまった。隊長の声は、隆にも小さくだけど聞こえてしまっている。終わったら報告しろって言っていたんだから、モニターしてたわけじゃないんだよね、隊長。
「今、隆さんの部屋です。話は終わりました。どうしたんですか?」
『そこに、テレビはあるか?』
「パソコンで見られるよ」
隆がデスクの上のパソコンを起動してくれた。いきなり隊長の声がしたってことには、動じていないみたい。
『夕方のニュースワイドで、今晩の歌番組の予告をやってる。剣崎隆にもどうせ知れることだから、いっしょに見てもらえ。どうも妙なことになってる』
第10話 CGアイドル『カナン』
テレビが映った。ニュースワイドのキャスターが、夜の歌番組のセットで、生放送の歌番組のリハーサル風景をレポートしている。歌番組の司会者と出演者の女性歌手にインタビュー中……って、わたしは鏡を見ているようなおかしな感覚にとらわれた。この歌手は、まるっきり、わたし?!
柴田カナちゃんではない。柴田カナちゃんそっくりな顔だけど、体型がモデル体型。つまり、わたしそのものだ。いったい誰?!
『……というわけで、視聴者のみなさんがごらんになっているとおりの姿が、このスタジオでも見えています。従来のCGですと、実際のスタジオには彼女がいなくて、電波に乗ってお茶の間に伝わる時点では、画像として合成して、ここに彼女が映って見える、というものでした。しかし、この次世代立体CGは、実際にこの場に立体映像が投影されて、彼女が見えているんです』
CG? 合成の立体映像なの?
『世界初の本格CGアイドル、カナンちゃんです』
『どうも~。はじめまして。カナンで~す』
か、軽い。アイドルだからしかたないのかもしれないけど、この姿で、ああいうのやられると凹むかも。
『カナンちゃんは、だれかにそっくりだって言われませんか?』
『はい。わたしの姿は、顔は柴田カナさん、身体はモデルのジェリカ佐藤さんのデータをいただいています。CGだっていうことを理解していただくために、ありえない合成っていうことで選ばれました』
『たしかに、こういう女性が実在するとは思いませんものねぇ』
おいおい、ここに約一名いますけど。
『さて、カナンちゃんがすごいのは、次世代立体CGってことだけじゃないんですよね。なんと、世界最大規模のAIとして人格を持ってるってことなんです。世界最大っていうと、カナンちゃんの本体は、どこかにでっかいスーパーコンピュータがあるんでしょうかねぇ』
『いいえ。たしかに、このテレビ局のビルの駐車場に、オペレータさんとマネージャーさんが乗ってるマイクロバスがあって、そこにCG制御用のパソコンが載っているんですけど、そのコンピュータに居るわけじゃありません。わたしは、固有のコンピュータに依存しない、ネットワークAIなんです。ネットワークAI製作のためのプロジェクト【Kプラン】に参加してくださっている日本を中心とした世界1000万人の方のご家庭のパソコンの、使用されていない部分1%か2%づつをインターネットでつないで、大きな仮想スーパーコンピュータができていて、そこにわたしが存在しています』
「Kプランにはぼくもこのパソコンで参加してるよ。CGアイドルのためとは知らなかったけど」
隆が言った。それにしても、この符合は何? AIってことは、偶然じゃないわ。高度なAIは、超光速航法に不可欠な技術だもの。
隆に勝手に教えるわけにはいけないけれど、彼が将来開発にかかわることになる超光速航法では、航行時に生物は命を失ってしまう。だから、乗員は仮死状態になることで死を免れる。ところが、パイロットは航行中も状況判断を下し、船をコントロールしなくてはならない。単なる自動操縦では操れない。一説には、禅問答のような判断が要求されるのだとか。
文明によっては、初期の超光速航行において、一回一人のパイロットが命を犠牲にしていたところさえある。その状況を解決する手段がAI。人格を持つが命は持たないAIをパイロットにすることで、超光速航法は運用されている。
隆のそばにわたしがいて、同じ姿のCGアイドルとしてAIがデビューする。これって、もしも偶然の一致だとしたら、その確率はどれだけばかげた数字かしら。
『今晩いよいよ、秘密のベールを脱いでデビューですね。それでは、今晩9時からのミュージックステージナインでお会いしましょう。お楽しみに!』
番宣のコーナーはここで終わった。
「……これって、きみらの集団催眠では、どういう話になるんだろうな」
隆の問いに答えたのは隊長の声だった。
『その対策はこれから検討する。ただちにこっちに戻れ』
「了解」
反射的に返事をして立ち上がったわたしの手を、隆がつかんだ。
「待って」
隆は真剣な目でわたしを見つめていた。
「ご、ごめんなさい。わたし、行かなくちゃ」
「ああ、わかるけど、ひとつだけ。……きみの本当の名前を教えて……くれないか」
油断したぁ! ここで、こう来たか!
気を緩めるのが早すぎたみたい。頬が燃え上がるように熱くなる。多分、今、わたしの顔は真っ赤になっちゃってる。
「ラシャカン……いいえ、教えちゃだめなの。忘れて。わたしは恵」
顔を伏せたわたしの手を、彼はしばらくつかんだままだったけど、やがて、離して言った。
「ゴメン。忘れないけど、呼ばないよ」
うわあ、今、猛烈に、彼を食べちゃいたい。
わたしは、自分の気持ちから逃げ出すように、隆の部屋を飛び出してしまった。
「遅かったな」
隊長は容赦なかった。
隊長は、リビングでネット上のカナンの情報を収集していた。八つの画面を同時に操作していて、その目は画面を追ってめまぐるしく動いていて、わたしの方は見てない。
「すみません。隆に呼び止められて」
「何て?」
「名前を教えろって」
「教えたのか」
隊長が、手を止めてこっちを見た。
わたしはこくりと頷いた。隊長は画面に視線を戻す。
「バカか」
隊長はほんとに容赦なかった。
「さっきの番組を皮切りに、ネット上にカナンの情報が飛び回っている。宣伝のためのリークもあるし、口止めされてた関係者のツィートもある」
任務の話に移ってくれたのはありがたかった。
「カナンの姿は、KプランのうちのCG部会に参加していた日本の協力者75万人による投票で決められた。あの姿に決まったのは二ヶ月も前だ」
「え? それって、あっちがわたしより先ってことですか?」
「おまえが、その姿になったのはいつだ?」
「地球へ降りる前日です。十六日前?」
「そういうことだナ。どうやら、うちの事前情報収集部隊は無能なんかじゃなかったってことだナ」
「わざと?」
「そうだ。超光速航法のキーマンに接近するおまえに、航法開発にかかせないAI技術で作られたCGアイドルの姿をさせ、惑星破壊兵器になりうる人物の覚醒のキーになる人物の家をわざわざコピーして住まわせる。しかも、実行部隊の我々には、そのことを知らせずに、だ」
「エリカの家も、隆が魔王なのも?!」
「ここまできたら、偶然じゃ済まされないだろう。わたしの姿が芸能人にそっくりなのは、おそらく、おまえの姿に意味があることをわれわれふたりに気付かせないためのものだ。そして、われわれはまんまとひっかかったわけだ……む!」
しゃべりながらもめまぐるしく操作を続けていた隊長の手が止まった。
「どうやら、だれかの思惑通りになったようだぞ」
隊長が凝視する表示を、わたしも回りこんで見た。
それは、CGアイドルについて語る掲示板だった。
『オレ、カナンそっくりの娘知ってるぞ』
『なにそれ? 妄想?』
『催馬楽恵』
『だれそれ』
『女子高生。リアルカナン』
『知ってる知ってる。柴田カナ顔の長身美人って、街中の美女スレでプチ有名』
『詳細情報うp求む!』
『柴田カナ顔に、あの体型はないだろ、って否定組もいたが、まさかCG先取りとは』
『もろ、あの体型』
うちのクラスのカメラ小僧くんの隠し撮り画像が掲示板にアップされた。わたしの体操着姿だ。
そのとたん、掲示板の書き込みが爆発した。
『萌えぇぇぇぇぇ』
『なに、これカナンの体操着バージョン?』
『流れを読め。カナンじゃない。リアル女子高生』
『俺の嫁!!!』
『CG? コラージュ? えっ、リアル?!』
『高校名は?』
『メグミ神!』
書き込みは嵐のように続く。
『どこの女子高生だ? 情報ないの』
『個人情報につきうp不能』
『こら、情報の独占か?』
『もったいぶるな。知らないって正直に言え』
『まてまて、おまいら、この画像に映っている胸のあたりを拡大してみたまえ、高校の校章がデザインされているぞ』
『検索! 検索! データーベースと照合せよ!』
『データーベースって、学校情報をひとつひとつ確認するのか?』
『各都道府県の教育関連HPからリンクで各校の公式HPへ』
『全国の高校数は四千校以上。by夏の甲子園大会』
そのうち、高校の名前が体操着から割り出されて知られてしまった。
「どうやら、明日の学校は、すごいことになっていそうだナ」
「……どうするんです」
「ふむ。仕組まれたとおり、引っかかってみようじゃないか。おまえは、普通に登校しろ。わたしは木星軌道の母船に戻って問いただしてくる」
木星軌道には、わたしたちの本隊が駐屯している。一隻の揚陸艦と400名の兵士。あまり大きな部隊ではないが、もしも地球の軍隊と戦えば、たやすく勝利できる兵力。もちろん、そのために居るわけではない。地球周辺での有事に備え、潜入しているわたしたちの後方支援を行なうため。
隊長は、母船の部隊の中では、ナンバー2の地位にあたる。母船に帰れば、ナンバー1、つまり部隊長が居るのだけれど、部隊長も今回のことを知っていたかどうかわからない。しかし、母船に戻れば、方面軍本部や、本星との通信も可能になる。地球上からは、ほかの宇宙人に観測されないように地球外との通信は行なえないけど、母船まで帰れば問題ないから。
もっとも、地球から出ること自体も観測されるとまずいわけで、わたしたち潜入部隊は、原則、地球を離れてはならないことになっているのだけれど。だから、今回の隊長の母船への帰還は、かなり、思い切った判断ってことになる。
そのとき、コンコン、とノックの音がした。
リビングの扉が開いていて、いつの間にかリビングの入り口に立っていたエリカさんが、わたしたちの注意を引くために開いたままのドアをノックしたのだ。
「たいへんそうね。『何があったの?』って訊かないほうがいいかしら?」
彼女はおそらく、その千年を越える人生経験で、これに似たような状況を何度も体験済みなのだと思う。この呼びかけは絶妙だ。こちらが助力を求めたい場合には、「いいえ、聞いて欲しいの」と言い出しやすいし、逆にこちらが隠し事をしたい場合にも、「ええ、ごめんなさい」と答えるだけで関係を傷つけずに済む。
そして、今回の隊長の答えは、
「いや、知っておいてほしい」
だった。
エリカさんは、腕組みをしてリビングに入ってきた。
「じゃあ、あらためて『何があったの?』」
「恵そっくりのCGアイドルがデビューした。どうやら、恵の姿も、この家がおまえの家のコピーなのも、ただの偶然じゃなくて、うちの上層部の思惑らしいのだが、われわれは知らされていなかった。わたしはこれから本隊に行って、それを仕組んだ者の真意を確かめてくる。恵のほうは、明日、CGアイドルのそっくりさんとして、おそらく、騒がれることになる」
「あら、まあ」
「なにかあったら、力になってやってくれ」
第11話 食べたい気持ち
夜の9時過ぎ。この家にはテレビがないから、わたしは書斎でビレキアの端末を使って歌番組の映像を見ていた。
隊長は、もう木星軌道へ向かったあとで、この家にはわたしとエリカさんだけになっている。
やがてカナンの出番がきた。まず、司会者との会話があり、デビュー曲が紹介されると、イントロが流れ、彼女が踊り始めた。プログラムされた完璧なプロダンサーの踊りだ。そして歌がはじまる。ボイストレーニング完璧のプロの歌唱力。
しかしどちらも、機械的ではなく、とても人間味があって魅力的だ。
わたしは、照明を消した暗い部屋で画面の明かりに青白く照らされながら、「自分はどうして、このアイドルと同じ姿なんだろう」という疑問に取り付かれ、やがてその疑問は、「自分はいったい何?」という自問に変わっていく。
歌っておどるカナンを見ているうち、自分の顔から、だんだん表情が無くなってしまうのを、どこか客観的な位置にいる自分が感じ取っていた。
実体もなく、生い立ちもない存在。まぼろしなのは、カナンではなくわたしだ。わたしはCGであるカナンの影でしかない。
「ウツなのね」
後ろでエリカさんの声がした。振り返らず、映像を見たまま、わたしはこたえた。
「っていうか、自分は何なんだろうって。この娘……カナンは生きてるわ。わたしなんかより、ずっと地球人に近いわ」
「気休めを言ってあげましょうか?」
まただ。エリカさんはやさしい言い方を知っている。
「……ぜひお願いしたい気分ね」
「あなた、そのまんまで十分地球人よ」
「ありがと」
振り返ると、エリカさんがやさしく微笑んでいた。なんとなく微笑みを返している自分がいた。
「隆さんがどう思うか気になるの?」
そうか! そうだったんだ。
わたしが、あのCGアイドルと隆を結びつけるためだけにこんな姿をしてるなら、あっちが本物でわたしは偽者だってことになる。それがショックなんだ。隆が好きになるべき相手は、本当はわたしじゃなくて、あのCGアイドルだったんじゃないかって思うことが嫌なんだ。
わたしは、隆の気持ちを中心に考えていたから落ち込んじゃったんだ。
「そうね。そうだったんだわ」
すなおに認めてしまったら、涙がひとしずく頬をつたって落ちて、同時に、しめつけるような胸の痛みが楽になった。
「隆さんは、あなたが好きね。わかりやすいわよ、傍から見てると」
「え?」
「あなたはもっとわかりやすいわ。ウフフ」
エリカさんの言葉には、すこしもからかうようなところがなくて、そのやさしさに胸がポカポカしてくるよう。
「好きになっちゃだめなの……」
「どうして? 宇宙人は恋をしないの?」
「ビレキア星人の女性は、愛した男性を食べちゃうの」
言ってしまって、はっ、とした。魔族とはいえ地球人のエリカさんにこんなことをバラしたら、エリカさんが怒ってしまうんじゃないかと思ったから。でも、エリカさんの反応は意外だった。
楽しそうに笑い飛ばしたのだ。
「ホホホホホ。おもしろい宇宙人なのね。魔族と気が合うわけだわ」
「怖くないの?」
「あら、魔族が人を食べないとでも思った? 前世の魔王なんて、覚醒するときに千人の乙女の精気を吸い尽くしたというわ」
「ビレキア星は、ビレキア星人が進化して知能を身につける前に、氷河期を迎えてしまったの。極端な食料不足の中、子孫を確実に残すために、メスがオスを食べてしまうようになったの。文明を手に入れたあとも、そのことは本能として残っているの」
「地球にもいるわね。カマキリとか」
「ええ。ビレキア星では、ほかの動物にも多く見られるわ。食べることが生殖行為なの」
「だったら恥じることはないんじゃなくて?」
「宇宙に進出して、連盟に加盟して、ほかの宇宙人と交流を持つようになってから、価値観が変わってきたの。それまでは、愛し合った男女にとってあたりまえの儀式で、男は命をささげて、女はその命を子に受け継いで、生涯、食べた男のことを思い続けることに疑問はなかったけれど、最近は生殖に必要なところだけ食べて、男も生き続けるっていうカップルも多くなってきたわ」
「あらあら、どっちにしろ浮気なんてありえないわね」
「ビレキア星人には、浮気っていう概念はないわ。女は自分が食べた男の子供を生んで育てながら、一生その男のことを思って生きるの。だって、食べちゃったのよ。そうするのが当たり前でしょ?!」
なんとかエリカさんに理解してもらおうと、熱が入ってしまうが、こればかりは、ビレキア星人独特の感覚よね。
「それで? 隆さんを食べちゃいたいわけ?」
「だめよ。隆は地球の人だわ。価値観が違う。それに、もし、地球人の男性が食べられちゃったなんてことになったら、ビレキア星人が地球に降りているってことが連盟に知れて、連盟の規約違反ってことになる」
「隆さんなら、あなたに食べられちゃったくらいで死んだりしないわよ」
こわいことをきれいな顔でサラリと言う。誘惑しないでよ。
「でも、だめよ。好きになっちゃいけないの」
「今すぐ食べるのはだめでも、将来、ビレキア星人が地球におおっぴらに来られるようになったらいいんでしょ? それまで食べるのは我慢するとしても、好きになっておくのはいいでしょ? 真剣な気持ちならいいんじゃないの? 飢えて食べ散らかすんじゃなくて、愛情表現なんでしょう?」
「地球にとってはそうじゃないわ。ビレキア星は女性中心の社会で、男性の減少が問題になってるの。交配可能な地球の男性が相手になってくれれば人口問題は解決するんだけど。だから地球人の男を食べたいだなんて、一方的な理論、通じないわよ」
これはエリカさんの魔法なのかしら。ううん、なんか話しちゃうのよね。こんなことまで話してしまって、いけないってわかってるのに。
「あらあら、地球に来てる目的はそれなんじゃないの? わたしと争う理由がない、というのは、魔王が地球を破壊できる存在になるのを望んでるってことでしょう? まあ、わたしの方は、別に超光速航法とかが先だろうが百年先だろうがかまわないんだけど。とにかくどちらか条件を満たしたら、おおっぴらに地球に居られるんでしょ?」
エリカさんは、わたしが阿久根に説明した話しか知らないから、惑星破壊兵器が先なら占領だってことは知らないのよね。それとも隊長が話したのかしら。どちらが先かで扱いが違うことは、察してるみたい。
それにしても、さすが千歳越えの魔族さんだ。百年待つだなんて簡単に言っちゃうとは、気が長い。
「エリカさんと話してると、悩んでる自分がバカみたいね」
エリカさんがわたしの前髪をやさしくかき上げた。
「今日は、もう、寝なさい。明日はたいへんよ」
「ええ。もう一度カナンが出てる番組を再生してから」
エリカさんはにっこりと笑って「おやすみ」を言って、書斎を出て行った。
カナンの姿を再生しながら、今度は任務として客観的に彼女を観察することができたと思う。
第12話 カナンとの遭遇
さすがに家までは突き止められなかったのか、家を出てもなにも起こらなかった。
「あら、おはよう恵ちゃん、エリカちゃん。隆ちゃんと登校の時間?」
ななめ向かいの園田の奥様が玄関前の掃除の手を休めていつものように声をかけてくる。
「おはようございます。毎朝ご精が出ますね」
わたしは学生かばんを両手で持って、やや斜めにお辞儀し、優等生っぽく微笑む。
「おはようございま~す」
エリカさんもお辞儀する。
「見たわよ、恵ちゃん。あんまりそっくりなんでビックリしたわ」
園田の奥様は、あの番組を見たらしい。それともニュースかなにかかしら。カナンのことは、あちこちでトップニュースの扱いだから。
洋館の庭の薔薇と青銅の柵の前を、園田の奥様のいつもより執拗な視線を意識しながら通り過ぎ、隆の家のインターホンを押す。
「おばさま、おはようございます。隆は起きてますか?」
インターホンからは返事はなく、そのかわりにドアの向こうで隆を呼ぶおばさまの声がする。
「隆! 恵ちゃん達が来たわよ。早く、早く!」
ドアが開いておばさまが顔を出す。
「恵ちゃん、エリカちゃん、おはよう。隆、すぐ降りてくるからネ」
いまのとこ、視聴率は50%ね。ふたりにひとり。おばさまは知らないみたい。
隆は階段をゆっくり下りてきて、靴を履くと、わたしとエリカさんをチラ見して歩き出す。左手にかばん、右手に分厚い本を持って、その洋書を読む『ふりをしながら』歩いていく。
「それじゃあ、おばさま、いってまいります」
「いってきます、おばさま」
わたしとエリカさんはにこやかにお辞儀をして、隆のあとを追う。
隆は、本から顔を上げて、わたしをちらりと見た。彼は当然歌番組を見たわよね。三人中ふたりで視聴率は67%。
「ネットの騒ぎは知ってるんだろ?」
「ええ、学校と名前は知られてるわね」
「マスコミも無茶はしないだろうけれど」
これから何が起こるのかわからない。ビレキアの上層部は、コンピュータで何らかの未来予測をしているのだろうけれど。
普段どおり、人通りは少ないけれど、こっちを見たり、指差したりする人がいる。
ふみ切りで立ち止まったときに、周りに人が増えて、遠巻きにわたしのことを話しているのが聞こえた。テレビでカナンを見たっていうだけの人もいるけど、ネット上でわたしのうわさを知った人もいたようす。
「タカちゃん、グミ、リカ、おはよう!」
今朝も踏み切りで由梨香が合流する。
「おはよう、由梨香」
とわたし。
「由梨香ちゃん、おはよう」
とエリカさん。
「見た、見た? グミが出ちゃったのかと思ったよ~」
これで四人中三人。視聴率は75%かしら。
校門の周りには、カメラ小僧ややじうまが集まっていた。脚立に乗ったプロのカメラマンもいるし、どうやらテレビ局らしいのまでいる。大きなマイクを持ったリポーターらしい女の人とかも待ち構えている。
まだこちらに気付いていないみたい。
「やっぱり、みんな先に行って。いっしょに行くと巻き込んじゃうから」
わたしは立ち止まった。
「だいじょうぶよ。固まっていけば。門の中までは追って来ないだろうし」
由梨香は楽観主義のよう。
「なんとかしましょうか?」
ってエリカさんは魔法を使う気かも。
「おいで」
と手を差し出した隆はナイト役をかって出てくれるみたい。
そういうやり取りをしていたせいで、不自然に立ち止まってしまって、取材陣に気付かれたようだ。
「あ! あそこだ!」
「お、来たぞ!」
どどっと二百人ほどの取材陣やカメラを持った男の人たちが、いっせいにこっちに走ってきた。まるで、獲物に襲い掛かる肉食獣の群れのよう。こっちまでの距離は五十メートルくらい。
わたしは、その勢いに思わず引いてしまって、反対側に向かって逃げ出してしまった。 戦場で敵に襲われるのなら踏みとどまって戦う覚悟はあるけど、芸能リポーターに囲まれて、全国ネットのTV生放送なんていう手ごわい敵とは、どう戦っていいかわかんないもの。
カメラマンたちはすごい勢いで走ってくる。わたしはとっさにわき道に入り、すぐ先の三つ角をさらに曲がった。曲がったところにあった自動販売機の陰に隠れた。これでやり過ごせればいいのだけれど。
取材陣たちは、わたしが入ったわき道に入り、三つ角まで来て、どちらにもわたしの姿が見えず、わたしがまっすぐ進んだか曲がったかで迷うはずだ。まっすぐの道には手近にいくつも別れ道が見えるけれど、わたしが曲がった方には、かなり先にしか別れ道が見えない。
わたしを追って、十秒遅れくらいでわき道に入ったのだから、あの三つ角で、まっすぐの道に追っていってくれる可能性は高いと思う。もっとも、あの興奮した集団が、論理的に判断してくれるかどうかは賭けだけれど。
やがて、三つ角まで集団が追ってきた気配がする。自動販売機からは、ほんの四、五メートルだ。
しかし、予想していたのとはまったく違った反応が聞えてきた。
「あっ居た!」
「待ってくださ~い」
「ちょっとコメントを~」
まったく迷わず、三つ角を直進していくようだ。まるで、その先にわたしの姿が見えているかのように。
すこし待ってから、自販機から顔を出して三つ角を見てみたが、もうだれもいない。いったい何が起きたのかしら。向こうの道の先に見えた誰かをわたしと勘違いして追って行ったのかしら。
それにしても、思わず逃げ出してしまったけれど、どうしよう。学校に行かなくちゃ。隊長の命令は、わたしをこの姿にした誰かの思惑に乗ってみろということだったのだから、逃げ出してはいけなかったんじゃないだろうか。
校門へ戻ろうとしたわたしの前に、家のブロック塀をすり抜けて、幽霊のように、ブレザー姿の少女が現れた。
わたしだ。
カバンも服装も髪型も、体型も顔も、鏡のようにそっくりなわたしが、塀をすりぬけて目の前に出てきた。そして彼女はゆっくりこちらを向いた。
カナンだわ。
彼女の姿にノイズのような横筋が入り、まばたきする間に服装が変わった。ピンクのワンピースドレスにつばの広い帽子と大きな色メガネ。いかにもお忍びの芸能人ふうの服装。素性を隠そうとしているにもかかわらず、かえって目立つ格好なんじゃないかな。
「はじめまして、催馬楽恵さん」
声は彼女のほうがやや高く、張りもある。でも、よく似ていた。
三つ角の向こうで、集団がさわいでいる気配がある。わたしを見失ってしまって戻ってくるようだ。そして、この道にも、通勤や通学の人は数人いて、わたしたちは見られている。
「その先で曲がりましょ。わたしといっしょに登校しましょう。取材の人たちは、わたしにまかせて」
カナンが三つ角とは反対の、やや離れた曲がり角を指差した。そちらへ曲がれば通学路に戻れる。
彼女が先に立って歩きだした。
「ありがとう。あの人たちを撒くために、わたしの格好をして、おとりになってくれたのね」
わたしが礼を言うと彼女は踊るように、歩きながら、くるりと360度ターンした。その途中、サングラス越しでもはっきりとわかる満面の笑みで言った。
「ええ。面白かったわ」
歩きながら肩越しに振り返って、彼女は微笑みかけていた。ほんとうに『楽しい』と感じているのか、それともわたしの気持ちをほぐすためなのか。
「自己紹介はいらないみたいね。昨夜のネットでの騒ぎを知って、あなたを見に来ちゃったの」
これが未来予測された事なんだろうか。わたしが取材から逃げて、彼女とふたりで出会うことが。
「ほんっとにそっくりなのね、わたしたち」
わたしも彼女を見て、そう思っていた。
やがて、元の通学路に出る。校門までは百メートル。校門あたりにはカメラを持った人たちはほとんど残っていない。そして、隆やエリカさんが心配そうにこっちを見てる姿が見えた。わたしを追ってきた集団は、まだ脇道に入ったままのようね。
「やっとあなたが良く見えるようになったわ。ほら、わたしってCGでしょ。この目でモノは見えないの。今、あなたを見てるのは街頭の防犯カメラ。ちょっと借りちゃってるの。さっきまでは自販機の防犯カメラだったから画像が荒くて。この耳では声も聞こえないから読唇術なの。カメラの方を向いてしゃべってね」
周囲には登校中の生徒たちがいて、わたしたちに注目しているが、その分距離を取ろうとしてくれていて、数メートルの空間がわたしたちのまわりに空いている。
「あなたのことを、もっと知りたくて来たのよ。どうしてその姿なのか。偶然の確率を計算したけど、ありえない数字よね。ネット上でアクセスできるデータだと、たしかにあなたは、わたしが生まれるずっと前からその姿をしてる。でも、ネット上に写真投稿とかされはじめたのは、ほんの十日ほど前から」
地球に潜入するときに、データを書き換えたので、ネット上にはわたしの嘘の生い立ちが記録されている。紙媒体は捏造できないけれど、ネット上は完璧なんだと思っていた。隠し撮り写真の投稿までは、偽造していなかったのね。
そうよね、こういう容姿の少女が実在していたとして、ごく最近まで隠し撮りされていないのは不自然よね。
「そこで、わたしが立てた仮説は、こう。『催馬楽恵の姿は、わたしの情報を元に、最近造られたものだ』ってネ」
ええ、その仮説は正しいわ。AIにはビレキアの集団催眠は当然効かないから、そういうことになっちゃうわよね。
「でも、整形の跡もないし、プロポーションも本物だわ。あなたって、本当に何者かしら。わたし、ますますあなたに興味がわいちゃったわ。今朝もね、あなたに会いたくて、マネージャーにわがまま言ってつれてきてもらったのよ。わたしって、CG制御用のパソコンが乗ってる車から、二百メートル以内までしか投影できないから」
それが地球のCG技術の限界ってことなのね。でもAIの技術はすばらしいわ。
彼女はまちがいなく人格と自我を持っている。他人に興味を持って、わがまままで言うなんて、なんて高度なのかしら。地球の科学技術は、その方面ではかなり進んでいるのかもしれない。
「あなたは無口なのね。わたしはおしゃべりなの。マネージャーにも、すこしはしおらしくしてろって言われちゃうくらいにね。あ~あ、校門に着いちゃったわね」
校門で待っていたのは、隆とエリカさんと由梨香。そして、カメラを持った十人ほどのヲタクさんたち。わたしたちのツーショットをバシャバシャ撮っている。
校門あたりにはプロの取材の人は残っていなかったらしく、遠巻きにして写真を撮るだけのようだ。と、さっきわたしが入った路地から、取材の人たちが出てきて、わたしたちが校門に居るのをみつけて走ってくるのが見えた。
「ねえ、催馬楽さん。わたしたち、お友達になりましょう」
カナンさんが右手を差し出した。
「握手は形だけよ。わたしって、ほら、CGでしょ。何にもさわれないの。だから握手も、感触ないけどしてるふりだけよ。でも、握手って、感触よりも手を握り合っているっていう図式が重要なんだと思わない?」
わたしも右手を差し出した。右手同士が交錯する。でも、たしかになにも感触がない。映像はあるけど、そこにはなにも実体がないからだ。
わたしたちが握手のポーズを取ると、まわりでいっせいにシャッター音が鳴り、ストロボの光がきらめいた。
「さあ、早く学校に入って」
促されて校門の中へ入ると、隆が手をつかんで校舎の方へ引っ張っていってくれた。取材班は学校の中までははいってこない。カナンさんがサングラスをとって、取材陣に呼びかけている。
「みなさん、おはよう。取材はわたしにお願いします。彼女は一般の女子高生で、取材を嫌がってるみたいですよ。無理に話を聞こうとしたり、未成年の姿をそのまま報道するのって、いけないんじゃないですかぁ?」
わたしのかわりに取材を引き受けてくれるみたいだ。
「何があったの?」
隆がわたしの手を握ったままたずねた。エリカさんも心配そうに見てる。
「カナンさんが現れて……友達になろうって」
校舎の横の銀杏並木の下で、手をつないでるわたしたちを、カナンさんがちらりと見た気がした。気のせいね、だって彼女はあの目で物を見るんじゃないんだもの。
あ、え? わたしったら隆に手を握られたままだ!
意識したとたん、顔から火が出そうになる。隆は手をあわてて離してそっぽを向く。
エリカさんはそんなわたしたちを楽しそうに笑って見ていた。
校内でも、距離をとって指差しながら噂話する人や、姿を見ようと他の学年からやってきたやじうまが絶えなかった。
「えっ! うそ~ホント、そのまんまじゃ~ん」
廊下を歩いていると、そんな近くで聞えるようにうわさしなくったていいじゃない、って言いたくなる。聞きたくなくても耳に入ってくる。
「なに、あんたあの子知らなかったの? 一年の理数科の子よ。柴田カナ顔で入学時から有名じゃん」
知らなかったほうの人は、多分、この二週間でわたしに校内で会ったことがない人ね。入学時からいたわけじゃないから。
「『柴田カナ』プラスモデルの『ジェリカ佐藤』なんかじゃなくて、彼女のコピーなんじゃないの? あのCGアイドル」
「ネットじゃ、そういう結論よ」
『結論』になっちゃってるの?
いきなり廊下でわたしの前にふたりの男が飛び出してきてひざまずいた。古典劇のようなプロポーズのポーズをとる。
「お願いです恵姫、わたしの手をお取りください」
と、上級生A
「いえ、あなたにはぼくこそふさわしい」
と、上級生B
「CGは触れることはできないけれど、あなたは現実の女性だ。あなたこそ理想の存在です」
と、これはA。あんたたちふたりでセリフ合わせでもしたの?
「あなたのエスコート役にはぼくこそがふさわしい」
ちょっとあなたたち、わたしの横に、隆っていうナイトが居るのが見えてないの? って言葉を飲み込んで、無視して二人の間を早足ですり抜けた。
今日は、カナン効果もあって、エリカさんよりわたしのほうが注目をあつめているようだった。
集団催眠は正常に機能していて、わたしの容姿を疑う者はいないみたい。みんな、こんどのことは偶然だと思っているか、ネット上の『結論』とやらを信じていて、わたしの容姿が作り物だとは疑っていない。
わたしの方が、昔からこの容姿だったと『記憶』している人たちなのだから、当然かもしれないけど。
教室に入ると、クラスメイト達の質問攻めに遭った。
「カナンのモデルになったって本当?」
「本当にジェリカ佐藤と同じサイズなの?」
「あれ、CGだなんて言って、本当はキミが出てたんだろ?」
「ば~か、さっきカナンといっしょに校門にいたの知らないのか」
「ふたりで握手してたよね。本当にそっくりだよな」
「あの握手ってビリビリ感電したりしないの?」
無視して座席に向かうわたしを、隆が庇うようについていてくれる。そして強烈だったのはエリカさん。わたしの席の前の机を、鞄でバシン! と叩いて、いっぺんにクラスを黙らせた。
「おだまりなさい! 愚民ども! 恵おねえさまになにか質問したいヤツは、妹のわたしを通しなさい! くだらない話だったら、このわたしが許さないわよ!」
暗黒オーラ全開で、半径三メートル以内に自席がないものは皆沈黙して後退した。
席に着こうとすると、阿久根さんが近づいてきてささやいた。
「どうやらたいへんそうだけど、悪い、昨日の約束、いいかな? 今夜が、時間通信の予定なんだ」
例の『未来人』との通信だ。わたしは、阿久根さんに約束したんだ。時間通信のときに立ち合わせてくれたら、どちらが本当のことを言っているか、証明できるって。
「行くわ、もちろん」
隊長は不在だ。自分で判断しなくちゃ。隣の席に着いた隆が見てる。阿久根さんとのやりとりが聞えないようにと小声になる。
「午後六時に家まで迎えにいく」
阿久根さんも察して、小声でささやいた。
「わかったわ」
席に着いたわたしを心配そうに見ている隆の視線を感じた。