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旅立ち 1

 たあんたんたあん。

 ソーン村の空に花火があがる。

 幸いなことに晴天だ。


 並木には薄紅の春の花が咲き誇り、野には目にも鮮やかな黄色い小花が競うようにして開いていた。

 蝶も盛んに舞っている――ソーン村一番の長者、モー家の令嬢が王の後宮に召される日だ。


 道と言う道は畑の畦道に至るまで、真紅の花びらが散らされている。

 早朝から雇われ人が村中を走り回ってまき散らしたのだ。

 村人たちは今日だけは野良仕事の手を休めて、美しい後宮の花嫁を一目見ようと道端に並んでいるのだった。


 風も爽やかである。


 たあんたんたあん。

 花火が連発して青空を彩り、地上では楽隊がちゃんちきちゃんちきと賑やかなお祭り騒ぎを始めている。

 



 「……菓子を振りまきながら、馬車が走ってゆくらしい」

 タカークである。

 人ごみの中で、自然、体を押し付ける格好になっているセウランを、ちらちら見る。

 大柄なタカークの肩より低い位置にあるセウランの横顔は、人にもまれながらも冷然と無表情だ。

 

 少し離れた場所では、タカークの仲間たち――カルガを応援していた連中だ――が、祝いの振る舞い酒で良い気持ちになり、肩を組んで歌っている。人ごみの中で大変迷惑だ。

 ちなみに、カルガ本人は流石に出てきていない。


 「見えない」

 ぼそりとセウランが言った。

 ちゃんちきちゃんちきという楽隊の音楽は近づきつつある。がらがらと車輪が駈ける音、馬のひづめの音も。


 え、とタカークが聞き返すと、セウランは大きな瞳を見開いて、もう一度同じことを繰り返した。

 「しゃがんで頂戴な。あなたの肩に乗るから」


 ちゃんちきちゃんちきちゃりんちゃりん。

 かっぽかっぽかっぽ……。


 肩車されて、人々より抜きんでて高い位置に突き出したセウランである。

 セウランの足の間に挟まれたタカークの顔は、心なしか赤い……。

 

 花がこんもりと詰め込まれた馬車の天蓋は外されており、そこには何人かの女性が上半身を覗かせている。笑顔で手を振りながら、村人たちに菓子を投げ込んでいた。

 祝いのお菓子です。受け取ったら、次にめでたいことがあるのは、あなたかもしれません。


 セウランは身を乗り出して、色鮮やかな菓子の一つを掴み取った。

 むぎゅっと太腿で締め付けられて、タカークはくぐもった声をあげる。

 (くそくそくそ、だけどいい……)



 馬車が目の前を過ぎてゆく時、女性たちに囲まれてひっそりと座っている令嬢が見えた。

 細くて綺麗な女達の陰になって、ちらりとしか見えなかった。もしかしたら、見ることができなかった村人のほうが多いのではないか。


 「見えた」


 セウランは言うと、するすると猿のようにタカークの肩から降りた。

 

 「俺も見た……」


 なんとも言えない顔つきのタカークである。

 セウランは手に入れた黄色い餅菓子を指先で弄ぶと、ぽつんと言った。


 「多分、一月も経たないうちに、出戻りしちゃうんじゃないの」

 

 しいっとタカークは指を立てて口に当てる。思っていても本当のことを言うものではない。

 王は令嬢の顔をじかに見て、所望したわけではないのだろう。モー家が財に任せて画家を雇い、肖像を盛り立てて描かせたのかもしれない。

 召し上げられたとは言え、出戻りさせられる例は何件もある。

 モー家の令嬢も、その類になるのかもしれない――いや、恐らく、かなりの確率で、そうなるだろう――本物の姿を見て、タカークは顎が外れそうな心地だった。


 (なにが清楚で純真な令嬢……)

 花が盛られた馬車に座っていたのは、これでもかというほど太った、色の浅黒い、縮れ毛の娘だった。

 横顔は鼻が潰れて上を向いていて、乱喰い歯が覗いている。

 恥ずかしそうに伏せられた目は可憐といえば可憐だが、脂肪に埋もれていて、閉じているのか開いているのかわからないと言った方が正確だ。


 うをををを、ふんがふんが、がるるるるる。


 あの、モー家の屋敷の二階で漏れ聞いた、発情した令嬢の鼻息や声を思い出す。

 タカークはぶるぶると身震いをする。

 

 「わからんもんだな」

 「何がよ」


 あはははは、ぎゃあああああ。

 祝い酒で盛り上がる迷惑千万な若い衆を尻目に、セウランはそろそろ帰り支度だ。

 菓子を無表情で眺める白い顔に、さらさらと髪の毛が打ちかかる。薄紅の花びらが散っていた。


 タカークも何となく、仲間たちから離れ、セウランと歩いた。



 「カルガが、あの令嬢のどこに惚れたのかって」

 ふん、とセウランは興味もなさそうに鼻を鳴らした。

 仕方がないじゃない。恋ってそういうものらしいもの……。


 食べる?

 差し出された黄色い餅菓子を、タカークは複雑な思いで受け取って一口に頬張った。





 どうどんどうん。

 ちゃんちきちゃんちきちゃりんちゃりん。


 カーン家の前の通りも、花嫁の馬車は通り過ぎてゆく。

 レイアの部屋からは大欅が邪魔をして、馬車の姿は見えない。だが、賑やかさは十分に伝わった。

 

 寝台で横になり、うとうとしているレイアである。

 体はほとんど回復したが、少しだるさが残るので、大事を取った。

 敷地内の別棟では父が診療をしているはずである。祭だろうといつだろうと、病人けが人は出るものだから。


 楽し気な賑わいがレイアの眠りを浅く引き上げる。

 温かい掌が額に触れた。心地よい――今にも目覚めそうになっていたレイアは、再びぬるま湯の様なまどろみに落ちた。




 幼いころから、どこか孤独を感じて来た。

 母を亡くし、妹と父ピタと共に生きて来た。

 幸せでなかったわけではない。


 (そう、温かい場所だものね。確かにここは、あなたの『うち』なのだわ)


 ほんわりと温もるような、橙色の輝きが過去に見える。

 その柔らかな輝きの中に、少年時代のレイアはいた。


 厳しい父から魔薬士について学んだ。

 幼いセウランが泣けばあやしてやり、笑えば自分も嬉しくなった。

 虚弱な体質と、頭の中で全てを読み解く性質が災いし、村の子供たちからは変人視されて一人ぼっちだった。


 だけど友達が一人もいなかったわけじゃない。

 タカーク……。



 力強い少年。

 父子家庭で育ち、父は軍人の出らしい――とはいっても、ほんの歩兵くらいの地位らしく、戦いのない世ではそんな経歴は何の役にも立たなくて、結果、村で貧しい農家を営んでいる。

 軍人肌の父親はタカークをしごいた。タカークもそれに応えてみるみるうちに逞しくなり、やがて相応の年になれば村の小さな武道修練塾に通わされた。


 村の男の子なら、だいたいが通う塾である。

 貧しくても、金子のかわりに畑の芋を納めれば教えてくれる寛大な先生だから。


 レイアは、その塾に通いたかった。

 どんなに通いたかったことだろう。

 

 「父さん」

 「なんだ」


 森で薬草になる草を摘み取る作業中、もくもくと働く沈黙を、レイアは破ってみた。

 くうくう寝ているセウランを背負いながら、振り向きもせず父は草を籠に放り入れている。



 言いかけて止めた。

 何でもないです――レイアの言葉は頼りなく消えて行き、ピタがけげんに思って振り向いた時はもう、レイアは草摘みに集中していたのだった。


 (叶わない。この村では、私が羽ばたくことなんか)





 「羽ばたきたいんでしょう」

 温かな声がそう囁いた。


 少年レイアは、草摘みの手を止めて振り仰ぐ。

 森の柔らかな緑の木立。眩しい木漏れ日。

 天から注ぐ明るい光の中から、その囁きは聞こえるようだ。


 「なら、思うように走ってみるべきよ」

 自由に。

 軽やかに。


 声は明るく、楽しそうだ。

 誰にでもできるものなのよ。

 どこまでも軽やかに、風のように駆け巡るの。

 あなたを、そこにとどめておくことなど、誰にもできやしない。


 

 レイアは、セウランをおんぶして、草を摘み続ける父を見る。

 白い薬師服に赤い割烹着の父。

 あぶう、と柔らかく寝言を呟く赤ん坊のセウラン。


 チチチ、チュン。

 小鳥が囀る。

 レイアは戸惑いながら頭上の輝きに目を凝らした。



 「戻りたければ、いつでも戻ることができる。だけどあなたは今、行きたいのね……」

 もう、あなたの背中の羽根は大きく育っていて、思いのままに羽ばたくことができる。

 それを、しなさい。


 木漏れ日の輝きは、徐々に人型になってゆき、やがて、ぼってりとした体形の、ふくふくとした女性の姿になった。


 

 「あたしは先に行ってるわ。トウ国、セーガ家に来なさい」

 本当のあなたが、そこでなら、余すところなく活かされ輝くはずだから……。






 「ヨクラ」

 

 はっと目を開いて飛び起きた時は、既に夕刻だった。

 開け放された窓からは黄金に似た色の日差しが斜めに入り、欅の枝の影が、床に長く伸びている。


 とんとんと足音が聞こえた。

 レイア、入るぞとピタの声が聞こえる。久しぶりの父だ。

 床に伏していた間はヨクラをかくまっていたから、セウランが父を寄せ付けなかった。父の声はかすれていて、懐かしかった。


 薬草粥を持って父が入って来た時、レイアは無意識に部屋を見回していた。

 窓際には丸椅子が置きっぱなしになっていて、そこには緑に光るなにかが乗っている。

 ……ヨクラは忽然と姿を消していた。レイアは茫然と目を見張る。



 「顔色は良い。脈も異常がない。舌もよろしい。治ったようだな」


 粥を机に置くと、手早くピタはレイアを診察した。

 うむと頷くと、熱い粥の皿を押し付け、必ず食べるようにと言い渡した。

 赤い割烹着をひらひらさせている。



 父よ。




 「父さん」

 「何だ」

 「その割烹着は、もしかして、母さんの形見ですか」


 ピタは眉を片方あげた。心外そうである。

 出て行きかけていたが改めて振り向き、重々しく言ったのである。


 「儂が縫った。形見など普段使いにできるものか……」



 どすどす父が階下に降りていった。

 レイアは粥の皿を机に置くと立ち上がり、丸椅子の上に乗っているものを取り上げる。


 翡翠の兎の根付。




 待ってるわよ。

 温かな声が聞こえたような気がした。

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