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作戦 2

 一歩進む。そこでしゃがむ。

 視界の端に使用人の姿が過る。


 ほんの一瞬遅れていたら、間違いなく自分たちは発見されていた。摘まみだされる位で済めば良いが、カルガと令嬢の色恋沙汰は屋敷主の旦那も知っている。

 誰に見つかれば、ただでは済まない。


 令嬢は後宮へお呼びがかかった。

 その令嬢と、純潔を保ちながらの慕情であれど、通い合わせる男を雇っているわけにはいかない――だからカルガは解雇され、口封じとして別の勤め先をあてがわれたのだ。


 立ち上がる。三歩歩いて止まる。ちょうど柱の陰。

 腹の出た小作人が勝手から入ってきて、もたもたと廊下を横切った。これも紙一重の差で発見を逃れた瞬間だ。


 背後についてくるカルガがどんな顔をしているのか分からない。

 タカークは心臓が口から飛び出す思いである。嫌なべとべとした汗が体中に纏いつき、できるなら今すぐこの場から飛び出したい位だ。


 (俺は信じる)


 階段を上る。

 令嬢の部屋はすぐそこだ。

 立ち止まりしゃがみ込む。

 頭上、二階の廊下をこつこつと通り過ぎる小間使いの足音が通り過ぎる。


 (レイア、俺は信じる)


 件の媚薬はカルガに渡した。

 貞操観念が強固すぎて、手すら繋ぐことができない純真な令嬢を、その気にさせるための。

 こんなものを使うのはどうかと思ったらしい、カルガは。


 だが、結局、それに頼るほか、令嬢への思いを完結させる方法はないのだ――なにしろ、白百合の花のように純真無垢で、恥ずかしがり屋で、奥手な令嬢なのだから。


 (どんな別嬪なのか見てみたいもんだよ)

 一歩、また一歩と目指す部屋に近づきつつ、タカークは腹の中で呟く。

 

 部屋までカルガを誘導し、自分は階段を上ったところから向かって右側の柱に隠れていなくてはならぬ。

 半刻、とレイアは言った。

 それより長ければ見つかるだろう、と。


 (頼むから半刻でけりをつけてきてくれよ)

 こればかりは、カルガの意思を信じるしかない。

 その場の雰囲気や別れがたい情に流されて、だらだら過ごしたならば、自分たちの命運は尽きる。


 (半刻だ)


 ついに目指す扉の前にきて、カルガは一瞬タカークを振り向いた。

 タカークが親指を立てて笑ってやると、カルガもにやっと笑った。やはり青ざめている。カルガももちろん、自分たちがどんなに危ない橋を渡っているのか理解しているのだ。


 カルガは一つ頷いて見せると、音もなく扉を押して部屋の中へ滑り込んだ。

 それを見届けるとタカークは、レイアの指示通り、柱の陰に隠れて時を待つ――半刻の間だけ、二階のこの空間には、誰も現れないはずなのだ。目を閉じた。




 今日も良い天気である。

 開け放しの窓から吹き込む風は温かで、もはや初春の弱弱しい肌寒さはない。

 欅の葉はあおあおとしており、季節はいよいよ力強い。


 ざわざわと風に枝が揺らされるたびに、木漏れ日が変化する。

 部屋に落ちる緑の影が楽し気に踊る――レイアは寝間着姿ではあるが、すっかり顔色もよく、寝台の上で胡坐をかいていた。


 髪の毛を無造作にひとくくりにしており、背中まで伸びた毛先が寝癖のままに好きな方向を向いている。

 レイアはにこにこと屈託なさそうだ。タカークはなんともいえない気分で親友を眺める。


 部屋の片隅には、丸椅子に座って猫のように目を細めている巨大な女がいるのだが、さっきから何一つ言葉を発しない。にこにこと満面の笑みでタカークを見つめている。その笑いを眺めると、妙に頭の中に靄が掛かるような、奇妙な感じがするのだった。

 (なんなんだ、この女……)


 

 カルガと令嬢の逢引作戦の顛末を伝えに、タカークは来たのである。

 レイアは、まるでその結末を知っていたかのように、何の驚きも感嘆もなく、ただにこにこと聞いていた。

 とんとんと階段を上る軽い足音が聞こえ、扉が開いた。

 セウランが茶を持って入ってくる。タカークを見て、軽く目を見開いたが特に何も言わない。

 すっと通り過ぎた時、流れるような髪の毛から、清涼感のある薬草の香りが漂った。


 


 「成功だった」

 

 タカークは長くは語らなかった。

 どんな具合だったかを淡々と述べた後、そう言って締めくくる。

 レイアは音を立てて茶を啜った。

 

 「はい」

 ぶっきらぼうにセウランが湯呑を差し出している。

 タカークが一瞬戸惑うと、覆いかぶせるように、何も入ってないわよと言った。

 

 

 薬草茶だ。

 なにが煎じられているのだろうか。柑橘系の香りがする。

 しばらく茶をすする音が静かに続いた。



 「……で、令嬢はいつ嫁ぐんだ」

 飲み終わった湯呑を弄びながら、レイアは言った。

 成功して当然、と言ったところか。タカークは、つくづくこの親友は底知れないと思う。

 

 明後日、とタカークは答えた。

 へえ、急ね、と、そこでヨクラがいきなり口を出したので、あやうく茶を噴きかけた。

 振り向くと、湯呑の茶をとっくに飲み干していたヨクラが、丸椅子に座ったまま身を乗り出している。昼寝中の猫のようだった目が、大きく見開いて輝いていた。


 

 「後宮に嫁ぐ時は、飾り立てられた車に乗せられて、ちょっとした見世物みたいになるものよ」

 少なくとも、トウ国ではそうだったわ。


 ヨクラはわくわくと目を輝かせている。

 セウランは無感動に、サイ国でも同じよ、と呟いた。


 そうだ。

 深窓の令嬢の姿が、その日ばかりは村中にお披露目されるのだ。

 飾り立てられた馬と車。

 楽隊と踊り子が先導しながら、ゆっくりと、まるで凱旋のように村中を回るのだ。


 村に晴れ姿を披露してから、花嫁は王に嫁いでゆく――そんな決まりである。



 「モー家の令嬢って、誰も素顔を見たことがないのよねえ」

 大きな急須を片手に、それぞれの湯呑にお代わりを継ぎ足しながら、セウランは言った。

 とにかく、ものすごく恥ずかしがり屋で、純粋で、男の人と交際するなんてとんでもない位のお嬢様だって聞くわよ――さして興味もなさそうにセウランは言い、ちらっとタカークを見た。


 探るような目つきである。

 一瞬、タカークと視線が交わり合う。

 どきどきひやひやと逸らしたのはタカークの方だ――いつだってセウランには負ける、タカークは。


 

 「どんな綺麗なひとなんだろうねえ」

 レイアがにこにこと言った。

 「タカーク、君、チラッとでも見なかった。声位は聞こえただろ」

 ……。



 (聞こえたともよ)

 茶を飲みながら、タカークは眉をしかめる。

 

 美しい幻想を壊したくはない――が、まもなく令嬢の姿は村中に公開されるのだ。

 (姿を見たわけではないが、あの声ときたら……)



 セウランの薬は恐ろしい。

 一体、あんなもの、誰に使うつもりで作っているのか。


 カルガがどんな手段を使ったのか分からないが、令嬢はとにかくその薬を飲み下したらしく――カルガが部屋の中に消えてまもなく、ものすごい声や物音が響いて来たのだった。



 むはむはむはっ、ぐるるるるるる、んふーんふー、ふんがふんが。

 どんがらがっしゃん――調度品が倒れる音だったろうか。


 悲鳴が漏れ聞こえてきてハラハラした。ただし、それはカルガの声だった。

 お嬢さん、え、ちょ、わ、ちょちょ、ちょま、ああああああっ。

 ……。




 (獣に喰われる前の絶叫のようだった)

 澄ました顔で髪を風に揺らしているセウランを盗み見しながら、タカークは微かに身震いする。

 

 半刻後、衣のあちこちが引き裂かれ、肌のあちこちに吸いつかれたような痣をこしらえたカルガが、命からがら逃げるように部屋から出て来たのを、鮮明に覚えている。

 がくがくぶるぶる。


 想いを遂げた満足感よりも、筆舌に尽くしがたい疲労がにじみ出ていたと思う。

 カルガの姿からは。




 どんな綺麗なひとなんだろうねえ。

 兄さん、あまり期待はできないものよ。

 あらー、分かんないわよ。楽しみねえ。


 令嬢はさぞ奥ゆかしい美貌の人だろうと妄想も逞しく、楽しそうに話し合う三人を眺めて、タカークは言葉を飲み込んだ。

 (今は、何も、言うまい)

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