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作戦 1

 ここ数日の間に季節は勢いを増してきている。

 初春の弱弱しさが徐々に本格的な春の力強さを帯びており、窓から差し込む木漏れ日も明るく温かい。


 良いところだわ。

 窓際に丸椅子を寄せ、無頓着な恰好で座りながら、外を眺めるヨクラである。

 

 この部屋は隠れ家にもってこいだ。

 目の前にそびえる大欅が目隠しの役割を果たしてくれる。それに、ざわざわと木立が揺れて声を消してくれるのだ。


 ピチチチチ。

 小鳥が何かに驚いたような声を立てて、一斉に飛び立つ。

 窓のさんに顎を乗せて、欅を見上げていたヨクラの目の前を、雀が何羽か、せわしなく通り過ぎた。



 この部屋に身を隠すことができるのは、そう長い間ではなかろう。 

 まず、自分がここに入り込んでいることに、あのピタ親父が気づいていないとは思えない。

 (腐っても魔薬士……)


 国家に仕えるほどの魔薬士がどんなものか、熟知しているヨクラである。

 ピタは、自分を見た瞬間から、面倒な奴がきたと察したはずだ。

 (あの雷親父……)


 粥をたらふくご馳走してくれたのは、ピタなりに敬意を示したからかもしれない。誰への敬意か――決してヨクラに対するものではない――トウ国の実父、国の専属魔薬士のセーガへの敬意だ。


 サイ国の魔薬士ピタと、トウ国の魔薬士セーガの間に、特に交流はないはずだ。しかし、優れた魔薬士同士、互いの動向に注目しあっている。

 魔薬士同士が、互いに好意を持ち合っていれば、国同士の平和は約束されたようなものなのだ。

 他国の魔薬士に対し、敬意を払うのは、国を背負う者としての義務である。


 (でも、わたしを追いだしたのよねえ)

 ピタは。


 つまりピタは、ヨクラの意図まで見抜いたと考えるべきか。

 単に、お櫃の中を空にされたから怒った、というわけではなかろう。

 


 役人に引き渡されたくなけりゃあ、さっさと国に帰るこった、この家出娘が。


 赤い割烹着を着たまま、頭から湯気を立てて、自分より倍以上太ましいヨクラを玄関から叩きだした、ピタ。

 額に青筋を浮かべながら、口から唾を飛ばしながら、だけどあの目はもっと切羽詰まった思いと諦めが複雑に入り乱れていた――と、ヨクラは思う。


 

 「すう」


 心地よい風が顔に触れたのか、レイアが寝返りを打った。

 穏やかな顔つきである。

 さっきの一悶着で、治りがけの体は疲れただろう。今は静かな眠りの中にいる。


 こけた頬と色の悪い唇に、ほんのりと笑みが浮かんでいるのをヨクラは見る。

 無精ひげもぼつぼつとまばらに生えてきていて、ああこのひ弱い子も男なんだなと苦笑する。


 レイアの満たされない思い、誰にも認められない自身への思い――ここにいる限り、私は永遠にうだつの上がらない弱弱しい変人で、何も成せないまま一生を終えるに違いない――暗澹たる暗い靄の中に、きっかけさえ与えてやれば激しく燃え盛る叡智の火種がちらついている。


 ヨクラはそれを、レイアの額に当てた手で読み取った。


 (この子は、ここから旅立たねばならない)

 ピタの複雑なまなざしと、なにかにつけて兄を構いたがるセウランが思い浮かぶ。ヨクラは目を閉じる。

 (旅立ちはいつも、なにかを引きちぎらなくては叶わないものよ)


 レイアは眠り続けていたが、その口元は微笑んでいる。

 やがて太陽は真昼を迎える。

 窓から差し込む光は角度を変えて、レイアの寝顔の陰影がより濃くなった。

 

 (勝利の笑みだわね。この子はもう、全部見通しているのだわ)

 ヨクラはレイアの寝顔に見入っていた。




 カルガの家は、昼間は留守である。

 おまけに施錠されていないから、入り放題使い放題だ。

 村の若い衆の溜まり場になっていることを知らないのは、カルガの老いた両親だけである。


 タカークが一枚の紙切れを持って、そのアジトに戻った時、仲間たちは不満と焦りで不穏な空気を醸し出していた。


 モー家の令嬢が嫁ぐ日が早まったことで、カルガに同情する仲間たちは皆、早く何とかしなくてはとうずうずしている。

 タカークはその指揮を執る立場なのだが、肝心の彼が、未だ煮え切らない。タカークはあの、カーン家の弱っちい変なのに必要なものを用意してもらい、そのうえ作戦まで依頼すると宣言した――表向きは黙っていたが、皆、本心は穏やかではない――あんなお坊ちゃん、信用なんかできるもんか。そもそもカーン家はおエライ魔薬士の家ではないか。

 「あいつ、カルガのことを親父に言い付けたりしてないだろうな……」


 煙管を使っている奴がいて、狭い小屋の中は煙草の煙でもうもうとしている。

 タカークは一瞬目をすぼめたが、仲間たちのふて腐れた表情を見回して、ぐっと眉をひそめたのである。


 「レイアは病で寝込んでいる」

 だが、件の媚薬を用意してくれたし、策もこの通り、授けてくれた。


 仲間たちがだらしなく座り込んでいる間を掻き分けて、タカークはテーブルに紙切れを置いた。

 レイアの授けてくれた策。

 体力を振り絞って調べた上で、絶対に間違いがないと胸を張って言いきることができる、唯一無二の作戦。


  

 カルガの思いを遂げさせてやるには、この方法が最も確かである。

 カルガをモー家の令嬢の部屋まで誘導し、共に時間を過ごさせてやること。

 屋敷の人間の目に触れず、まるで透明人間のように足を踏み入れ、通り抜け、令嬢の部屋に入り込み、そしてまた退出することができる――そんな策だ。


 

 仲間たちは次第に表情を凍り付かせてゆく。

 嘘だ、そんなことが現実にできるわけがない。冗談ではない。俺ぁこの話、降りるぜ。

 口々に反論する仲間たちである。

 畑仕事や武術の訓練のおかげで腕に自信のある奴ばかりだが、この時ばかりは皆顔をこわばらせ、怖気づいた。


 というより、疑っているのだ。

 こんなことが、本当に可能なのかと。




 「俺ぁ信じるぜ」

 タカークは皆を見回した。太い眉を寄せ、眼光を鋭くさせる。

 誰かが止めようとしたならば、腕づくで納得させるだろう。


 ざわざわと仲間たちは顔を見合わせている。

 誰もタカークと行動を共にしようとは思わないらしい。

 

 (まあ、バレたら下手したら監獄行きだもんな)

 タカーク自身、背中に冷たい汗が這うような心地だ。


 モー家の令嬢が王の後宮に嫁ぐ以上、自分たちがしようとしていることは王への反逆となる。

 公になったならば、大事になる。


 (いやしかし、命がけの仕事であることは、最初から分かっているはずだ)

 タカークは覚悟を決めていた。

 村のお人よし、みんなの人気者のカルガの色恋をただ囃し立てて応援したいだけのお祭り気分に浸る時期は過ぎた。今から、それを現実に叶える段階に入る。


 レイアの、指示の元に。



 「タカーク、お前、あの坊ちゃんと手を切ってくれ」

 「あいつおかしいよ」

 

 懇願するように言う仲間もいる。

 皆、カルガの思いを叶えたい気持ちより、タカークや自分たちの身を案じることで一杯になっている。

 タカークは、俺は一人でもやるつもりだ、最もカルガがこの作戦に乗じてくれたらの話だがな、と言い放った。


 (レイア、俺はお前が凄い奴だと知っている……)

 


 ……。

 あの時。



 大きな手に引きずり込まれて、タカークはレイアの部屋の中に落ちたのだ。どすん。

 階下に響き渡るような音だったので、ひやりとした。だが、あの雷親父のピタが飛び込んでくることはなく、部屋の中には見知らぬ大女がにこにこと笑っていたのである。


 レイアは寝台から身を起こし、目を丸くしてタカークを見下ろした。

 ずいぶんやつれて骸骨のようになっている。体を起こすだけでも辛そうだった。

 レイアはタカークを見て察したらしく、すぐに寝台の脇の机に向かい、紙になにやら書きつけたのである。



 

 「正午に牧場前を通過、門の前に立つ。そこから三歩歩き、まず体を低くする。5つ数えてから立ち上がり、そしてまた五歩。右に茂みがあるはずだから、そこに体を隠して10数える。それから……」


 事細かに書きつけられた内容は、一見意味不明なものだ。

 だが、レイアはこの通りにすれば、屋敷の小作人や使用人、奥さんなどに見つからないで、令嬢の部屋にまでたどり着けると言うのだった。


 「令嬢の部屋に入ったとしても時間はあまりない。きっかり半刻。それ以上はだめだ、見つかってしまうだろう」


 半刻してから部屋を出て、帰路につく。その帰路についても、手順がある。

 窓から飛び降りるなど、劇的なものではない。そんなことをしたら、返って見つかるのだとレイアは笑う。


 半刻後、部屋から出たら左を向いて体を低くする。右手に鏡があるはずだから、そこに体が映らないように。

 そして六つ数えて立ち上がり、階段の左の手すりに体をこすりつけるようにして降りてゆく。

 一段、体を低くする。もう三段降りて、次は右の手すりに寄る。五つ数える……。



 「実行するもしないも、任せる。だけどこれを渡しておくよ」

 セウランの作った凄まじい媚薬の入った麻の巾着を、レイアは差し出した。


 「百歳の老人でも子供をつくることができるほどの薬らしいから、むやみに使わない方がいい」


 

 レイアの目は暗く澄んでいて、正面から見ると、別の次元に吸い込まれそうな気がした。

 こいつは何か別のものを見ている。同じものを見ているはずなのに、こいつはそこから何かとんでもないものを読み取るらしい――タカークは目をしばたたきながら、紙切れと怪しい媚薬を受け取ったのだった。

 (レイア、恐ろしい男……)




 

 カルガの家の中で、仲間たちは騒然としていた。

 中には立ち上がり、自分はこの話から降りると言い出す者まで現れた。

 タカークは口を引き結んで連中の騒ぎを見据えている。


 「俺は乗るよ」

 

 ギイと扉が開いたかと思うと、カルガが現れた。

 どこから話を聞いていたものか。

 皆はしいんとした。



 逆光で表情がよく見えない。カルガは目を光らせながら、つかつかとタカークの側に歩み寄った。

 自分より頭一つ分小柄なカルガを見下ろしながら、タカークは思う。

 (カルガは本気で、モー家の令嬢を……)



 カルガは、テーブルのに置かれた媚薬と紙切れを見た。

 そして、タカークの手を握った。

 大きくうなずくと、仲間たちを見回して言ったのである。


 「うん。俺は乗る。どうせ他に考えはないんだ」

 もしバレたら、おまえたちは関係がないことにする。安心しろ。だからやらせてくれ。俺はやる。




 


 カーン家の二階では、レイアが未だに眠り続けている。

 窓際ではヨクラがうたたねをしている。

 心地よい風が部屋に流れている。温かだ。


 様子を見に来たセウランが、眠る兄の寝台の側に腰掛けた。

 無精ひげがみっともなかった。後で剃ってやらなくてはと思う。それにしても。




 (兄さん、何を笑っているの……)

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