珍客 2
夢うつつの状態であった。
汗ばんだ寝台と見慣れた天井が、レイアの世界である。
(カルガとモー家のご令嬢の件……)
うんうんと唸りながら目を覚ましかけるが、体を動かそうにも高熱で節々が痛くてどうにもならない。
「あいつはどこかおかしいに違いない」
自分が村の同年代の青年たちから、どう思われているのか位、レイアは知っている。
幼いころからそうだ。
ごく小さい時、セウランの子守をしながら診療をする父から逃れて、外に遊びに出たことがある。自分と親しくしてくれるのは、どういうわけかうまが合うタカークだけだった。
レイアにとって、友達と言えばタカークなのである――つまり、他に友達がいない。
(タカークはどこだろう)
ふらふらと畦道を歩いて、タカークの姿を求めた。
黄色い夏の花。今にも雨が降りそうなもくもくとした黒い雲。
次第に暗くなってゆく村の中。
タカーク、今なら遊べるんだ、遊ぼうよ、また森に行こう。
話し声が聞こえた。
一軒の貧しい家の敷地の中だ。タカークの声もしたような気がして覗いてみたら、村の子供がみんな集まっていた。
「わー、お前こんどやってみろよ」
「アハハハハ……」
竹馬遊びだった。
ずいぶん高い位置に足場を置いて、危なっかしく、だけどそれが楽しいように、子供らは遊んでいる。
タカークは大きな庭石に座って、腕を組んで、白い歯を見せていた。
タカークなら、どんなに不安定な竹馬でも朝飯前に乗りこなすだろう。
村の子供らの中でも、タカークが特別な地位にいるのは、一目瞭然だった。
ほら、転ぶぞ、右に石がある……。
タカークがよく通る、落ち着いた声で指示を出す。
しかし指示が追いつかず、派手な音を立てて子供は転んだ。
わー。ぎゃははははは。
痛いとも、もう無理だとも言わない。
転んだことすら楽しい。
(私なら、打撲で体が動かなくなっている)
踏み込むことができずに、門の前で立ち尽くしていた。
ぼつぼつと、大粒の夏の雨が落ちかかってくる。
わあ、夕立だ、中に入るぞ――子供らは一斉に、貧しい家の中に飛び込んだ。
取り残されたレイアは、ずぶ濡れになってカーン家に帰って――生死をさ迷うほどの熱を出した。
(参ったな)
夢とうつつのあいだを行き来しながらレイアは思う。
時折、額の汗がぬぐわれる。
セウランだろうか。あるいは。
(私が他人から求められることなど滅多にないのに。その貴重な機会がこれなのに)
カルガの恋に一瞬の光を当てる。
タカークが、自分に声をかけてくれた。こいつに任せておけば大丈夫だと太鼓判を押して、仲間たちを納得させたのだ。
(参った……)
苦い煎じ薬が口に流し込まれる。
むせることなく飲み下す。早く回復しなくてはならない。
「他人から認められることが、そんなに大事」
温かく力強い声が囁きかける。
目を閉じたままレイアは、ううんと唸った。
そうだとも違うとも、言葉にならなかった。
額に大きな手が当てられている。じわじわと何かが注ぎ込まれているような気がする。
同時にその手は、レイアの生い立ちや人となりを読み込み、理解しているようだった。
「あなたはね、星の子なの。この大陸の平和を少しでも長く存続させるために生まれて来たの」
その価値が分からないのね、この村の人々は。
目を薄く開いた。
白い手ぬぐいで目の間の汗を拭われる。見えない。
セウランではない。
セウランのにおいは、薬草のにおい。
このひとのにおいは――何だこのにおいは――煮物の出汁のような。
(母さん)
「いつまでここにいるつもり」
食事の乗った盆を差し出しながら、セウランが不愛想に言った。
片手で耳にかかる髪の毛を振り払い、胡散臭そうに眺めている。
ヨクラは食事を貪った。
少ない。ぜんぜん足りない。しかし旨い。ここのごはん最高。
食事量について文句をつけた時、父さんに見つかってもいいの、とセウランから逆に問いかけられた。
もともと食がすすまないレイアである。しかも今は病に伏している。
「どうして、特盛のごはんを食べることができるわけ」
この、兄さんが。
セウランは腕を組んでヨクラを眺めた。
あっという間に平らげたヨクラは、にこにことしている。この笑顔を眺めていたら、おかしな気持ちになる。
なんというか――ぐるぐると渦の中を泳ぐような――暗示にかけられるような?
セウランはぼんやりとした靄のようなものに苛立った。
そうだ。
どうしてここにヨクラがいるんだろう。なぜ父に言い付けて追い出すことができないでいるのだろう。
それどころか、ヨクラに協力しているのか。
兄が床についてから、もっぱらセウランが薬や食事、その他の世話をしている。
父には指一本触れさせていない。それで、この部屋の秘密が保たれているわけだが。
(おかしいわ。このヒト、どういう正統な理由でここにいるのかしら)
その部分を頭の中で考えると、決まっていつもぐるぐると渦が沸いてきて、思考が中断されるのだった。
にこにこと人の良い笑みを浮かべた、まんまるぱつんぱつんのヨクラがセウランを見つめている。
そのふくふくとした手には、古い書物が握られていた。
「レイア君は、今日明日中に回復するんじゃないかな」
ほっぺについたご飯粒をぬぐいとり、口に入れながらヨクラは言った。
まだまだじゃないの、いつも一週間はかかるのよ。
セウランは反論しかけて、はっとする。
さっきまでうなされていた兄が、安らかな寝息を立てていた。
やつれてはいたが、顔色はずいぶん良い。
煎じ薬が効いたのか――セウランは首を傾げた――いや、特に変わった薬ではないはずだ。
すうっと、涼しい風が開いた窓から入ってくる。
汗のひいたレイアの広い額を風が通り抜け、髪の毛を僅かに揺らした。
今日も良く晴れている。
タカークは後ろめたそうに周囲を見回しつつ、抜き足差し足で歩く。
カーン家の敷地の中だ。
薬房の煙突からは煙が出ている。
誰が中で作業しているのか――ピタ親父か、セウランか。
そろそろと歩いて、レイアの部屋の前の欅の前に立った。
梢がそよいでいる。
チチと小鳥が鳴いた。
あれから三日間、レイアからは音沙汰がない。
件の媚薬は用意できたのか。
なにか良い策が浮かんだのか。
モー家の令嬢が王宮に嫁ぐ日が、急きょ繰り上げられたのである。
もはや猶予がなかった。
仲間たちは、姿を見せないレイアに苛立ち、ほらなやっぱり、という態度を隠さない。
タカーク、あいつはやっぱり駄目だよ。おまえ、いい加減に付き合いをやめたらどうだよ。
……。
(多分、熱でも出して寝込んでるのだろう)
タカークは見当をつけている。
だいたい、レイアが姿を見せなくなる時はそうだ。
寝込んでしまうのだ。この親友は、時折、脈絡なく、なんで、という時に。
タカークは意を決して欅によじ登る。
そして、開けはなされたレイアの部屋の窓を覗き込んだ。
本が詰め込まれた棚、なんら飾り気のない広い部屋。
「おい、レイア……レイア」
呼びかけてみる。
返事はない。
思い切ってタカークは身を乗り出し、窓のさんに腕をかけた。
ずいぶん不安定な恰好で、タカークは部屋の中を覗き込んだのである。
一歩間違えば命にかかわる。
タカークの足元は遙か下だ。ざわざわと梢が揺れる。風が強い。
ぐいと首根っこを掴まれ、タカークは目を丸くした。
巨大な誰かが目の前を遮り、片手でいとも簡単に自分を持ち上げ、放りだしたのである。
「あ、なあんだ、君かー」
のんきな声。
どさっ。
痛々しい音を立てて、タカークは落下した。