レイアの資質 2
見た目はともかく、魔薬士としての才覚は大したものである――レイアのことだ。
ソーン村のような田舎ではいまいち理解されないが、魔薬士の心得がある者ならば、すぐに勘付くはずだ。
レイアの目は半開きの瞼に覆われているが、常に全体を映している。そのくせ深い。
ゆっくりと喋る深い声は、聴いていると頭の中の絡まりがほぐれるようであり、断片的でわかりにくい物言いは、実は要点を鋭く突いているのだった。
ヨクラがレイアの資質を肌で感じたかどうかはともかく――なにしろ、じかに接したのはほんの僅かな時間である――古い星読みの書が、きっちりと指示しているのだった。
レイア・カーンは、逸材である。
トウ国を救うのは、彼しかいないのだ。
トウ国だけではない。、近い未来に崩れる五国の微妙な均衡を、やんわりと立て直し、争い事が起きる未来をできるだけ先延ばしにできるはずだ。
「星の子也」
と、星読みの書は、この人物の事を呼ぶ。
大きな戦いが起きる直前に、必ずそういった人物が生まれるという。ところが、肝心のその人物の自覚が遅れるために、結局その人物の特質が活かされる事がないまま、戦乱の時代に突入するのだ。
「星解きの書」
と、掠れた金文字で彫られた表紙を、ヨクラは撫でる。
カーン家を追い出され、行く当てもないので、とりあえず小高い丘の草の上でおすわりをして、まんぷくの腹を休めているところだ。げえっぷ――盛大なげっぷがでた。
ヨクラは、諦めていない。
セーガ家を脱出してトウ国とサイ国の国境を超えてここまで来たのだ。牛小屋で寝て、頭を青臭い口でべたべたと舐められて飛び起きたこともある。これでも嫁入り前なのだ。
ごはんなんか、三日に一度まとめ食いするしかない。その三日に一度すら叶わないこともあった。思い出すだけで泣けてきそうだ。
(レイア君と話してみなくては)
立てた膝に頬杖をついて、ヨクラは悩ましく考える。
高く抜けるような空から、すうっと風が落ちて来た。ぬくもりと冷たさがまじりあう春の風。
小高い丘の上だから、ソーン村の様子が見渡せる。
つつましやかな低い垣根のカーン家。薬房から煙があがっているところを見ると、薬を煎じているのだろう。
庭の欅がざわざわと枝を揺らしている。
畑では牛を使って、人々が働いている。
午前も遅い。そろそろ昼になるあたりだから、だいたいの人は食事をしに引っ込んでいるはずだ。
おや、とヨクラは顔をあげる。
もくもくと薬房から煙が上るカーン家に動きが見えた。
屋敷から白い薬師服姿の猫背がに股が出てきて、なんとなくコソコソしながら薬房に向かった。
レイアだろう。頭に手拭きを被っているところを見ると、髪を洗ったか濡らしたか――ヨクラは興味を引かれて目で追った。
薬房から煙があがっているところを見ると、中に誰かがいるのは確かだが、それはあの飯炊きが上手なのに頑固なピタ親父なのか、あるいは別嬪の娘のほうなのか。
更に、屋敷の敷地に、忍び足で入り込むでかい男が見えた。
肩幅が広く、ごつごつと歩く男だ。レイアの二回り位はあるだろう。
男はレイアの肩を叩いた。レイアは振り向くと、頷いたようだ。
なにか、しようとしている。
ヨクラは自分の置かれた状況を忘れて、にやにやと眺めた。
ンモォ、モォー。
牛の鳴き声がのんびりと聞こえて来た。
魔薬士とは、軍師的な才能と、薬師の技量が必要である。
別の解釈では、魔薬士の「魔」の部分を、魔術――幻惑する術であるとか、読唇術、星を読む力だ――と捉える場合もあって、国によっては王家専属の魔薬士に、不可思議な技を求めることもある。
ここサイ国では、どちらかというと王家専属の医師として見られている。
もちろん、何らかの緊急事態があれば、頭脳役としての働きも期待されるのだが、ここ数年続く安閑とした平和の中では、そういった方面の仕事はほぼない。
トウ国は、極秘事項だが、お家問題が生じている。
第一王子のゴウアンと第二王子のスーアンの対立に加え、現国王の色好みが、いざこざを更に過激にしていた。
これを何とか納めなくてはならないのが専属魔薬士のセーガであるが――こんがらかったお家問題を簡単に解決できる魔術も薬もないのだった。
カーン家の魔薬士が薬師方面に突出しているとしたら、セーガ家は軍師的な部分が強いかもしれない。
かつて大陸が戦乱状態だった時、セーガ家は優れた兵法家として活躍したという。その名残で、代々男子は戦術を学んでいる。
同じ魔薬士でも、まるで色合いが異なる。
それでも、魔薬士は魔薬士である。
己の長所を最大限活かして、今ある平和を長く保たせるというのが、彼らの共通の使命なのだった。
さて、レイアである。
もともと脳みそのできが異様に良い上に、父ピタの教えをみっちりと受けて育ち、魔薬士としてはほぼほぼ独り立ちできるほどの力を持っている。
だが、レイアに決定的に欠けている「魔薬士の条件」がある。
運動神経だ。
今は平和な世であるからほとんど必要がないとは言え、ひとたび波乱になれば軍師としての活躍が期待される魔薬士。つまり兵法家である。
ある程度の武芸のたしなみは必須だろう。
しかしレイアは重たい鎧を纏えば一歩も歩けなくなるだろうし、そもそも刀を下げて立っているだけで、貧血を起こすだろう。薬師のくせに、この虚弱体質だけはどうにもならないらしい。
運動神経だけではない。もう一つ、彼に欠けているもの、それは。
「……ちゃー」
タカークである。
カーン家の欅の陰で、男二人して、ひそひそと話し合っている。
薬湯をかけられたレイアは非常に臭い。タカークは鼻の息をつめて喋らねばならない。
「ほれは、まずったら」
それはまずいことをしたな、とタカークは言った。
レイアは眉をひそめて考え込んでいる。視線の先は煙のあがる薬房だ。あそこに、セウランがいる。
「はんらら、おまえが作れお」
なんなら、おまえが薬を作ればよいだろう、とタカークは言ってみた。
モー家の令嬢と、カルガは相思相愛なのだが、この度令嬢はめでたく国王に召し取られることになった。
こればかりはどうにもならない。逆らって駆け落ちしたところで追手がかかり、少なくともカルガは死刑だろう。おまけにカルガの老いた両親もただでは済むまい。
ただ、タカークたちは、カルガに思いを遂げさせてやりたいのである。
令嬢と一度きりの契りを結ぶことができれば、カルガも救われるだろう。
相思相愛なら、夜這いすれば済むことじゃないかとレイアは思ったが、そうはいかないらしい。
モー家の令嬢が、大変つつましい乙女だとか。
相思相愛なのに、手も握っていないそうな。
「お嬢さんだって、はじめてはカルガに捧げたいと思ってるはず」
と、タカークらは言う。
「つまり、お嬢さんの貞操観念を覆すほどの、こうブワッとムラムラアッと、くる、なんというか……」
媚薬
「……みたいな奴を処方してくれまいか。それも馬に呑ませるくらいの、強烈なやつを」
なにしろ、凄まじい貞操観念の持ち主で、自分の犬が発情するのを見て、衝撃のあまり二日ほど食事をとらなかったというのだから相当だ。
(木の股から生まれたわけでもあるまいし)
それにしても、そのご令嬢、どれほどの美女なのか。
レイアは女性の美醜には疎い。妹のセウランのことを、村の衆は残念な別嬪と呼んでいるのだが――花は花でも、ありゃ棘つきの花だぜ――いまいち、どのあたりが別嬪さんなのか分からないレイアである。
「いや、作れない事もないけれど、そういうのはセウランが得意で」
レイアは薬房を伺いながら言った。
煙が途切れてきている。
恐らく薬を煎じ終えたのだ。あとは冷ましておくだけだから、もうしばらくしたらセウランが薬房から出てくるはずだ。
その隙を狙って薬房に入り、欲しいものを物色すれば良い――無断でひとのものを盗るのは気が進まないのだが。
飲ませれば物凄い勢いで発情する媚薬。
一口飲んだだけで凄まじい下痢が起こり、体内の不要物が一気に排出できる痩せ薬。
香りを嗅がせれば幻想を見せることができる薬。
一次的に目が見えなくなる薬。
一次的に仮死状態になる薬。
とにかく本音を喋りたくなる薬。
等。
怪しい事このうえない薬を調合し、セウランは裏で良い商売をしている。
ピタには内緒であるが、知れたところでセウランが改めることはない。
「これも薬師の仕事よ。だって必要としている人がこんなにいるんですもの」
……。
あ、とタカークが息を飲んだ。
セウランが薬房を出て裏に回ったのである。
レイアが動いた。
あれっとタカークは見送った。
目標を見定めたレイアは、別人のような素早さで薬房へ駆け込んだのである。
(砂漠のトカゲのようだ……)
セウランの怪しい薬棚から、該当する媚薬を抜き取る作業はレイアにしかできない。
タカークが見ても分からないからだ。
それにタカークは薬の匂いが苦手である。
薬湯の臭い匂いをぷんぷんさせたレイアとは、今は一緒に動きたくないのだった。
そろそろと忍び足でカーン家を出ようとするタカークである。
ひやっとした冷たい手が肩にかけられて飛び上がった。
目を血走らせて振り向くと、氷の様なまなざしのセウランが立っていた。
薬師服に赤い前掛けをしている。
うさんくさそうにタカークを眺め――自分より頭二つ分は高い相手の顔を睨みあげている――腕を組んでいた。
「わっ」
「兄さんに何を押し付けたのよ」
開口一番にセウランは言い放った。
研ぎ澄まされた刃の様な目である。紅もさしていないのにくっきりと赤い唇が悩ましい。
ごくっとタカークは唾をのむと、一息おいて、覚悟を決めた。
「いやちょっと頼みごとをな。こっちのことだ。それより」
相手に口を挟む隙を与えてはならない。なにしろセウランの毒舌は、今にも発動しそうだ。
タカークは腰をかがめてセウランの目線と自分の目線を合わせた。
「レイアに何を言われて拗ねてるんだよ。本当はレイアはお前にじかに頼もうと思っていたんだが、お前が機嫌を損ねてできなくなったと嘆いていた」
セウランはじいっとタカークを見つめた。
美しい目である。
見つめあう時間が永遠のようで、タカークは息が詰まりそうだ――くそ、可愛い、くそ……。
「婚前交渉をしたことがあるのかと聞かれたわ」
ぶー。
タカークは口中の唾をまき散らした。
非常に迷惑そうにセウランは顔を背ける。なにすんのよ汚いわね、今日はなに、二人してわたしに嫌がらせする計画なの。
ぷんぷん頭から湯気を放ちながらセウランは屋敷に入る。
その背中を、呆然とタカークは見送った。
けえん。けえん――頭上高く、猛禽が弧を描いて飛んだ。
タカークは顔に血が上ってくるのを感じ、思わず自分の頬を平手で打つ。
(レイア、だめな奴)
常識というか、人の心の機微というか、恥じらいというものを、まるで解していない。
大問題だと思う。
タカークは改めて、親友のダメさを思い知った。