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カーン家 1

 群雄割拠の時代は終わり、大陸は今、五つに分けられている。


 ざっくりと東西南北に分け、仮にサイ国、トウ国、ホッ国、ナ国の四国が大陸の四隅を治めている。

 ほぼ中央に位置するチュー国は、切り立った山に囲まれている。チュー国は謎の国である。

 独特の地形が幸いして、三百年続いた群雄割拠の激風とは、ほぼ無関係でいられた。お陰でチュー国は、どの民族とも交わらない、純粋な自国の文化を保ち続けている。


 五分割――正確には四分割――された大陸は、しばし安寧の時を過ごしている。

 未だ百年には満たないが、ほぼほぼ争いのない平和な期間が続いていた。

 ただし、小さな火花は絶えない。四つの国でも仲の良しあしはあり、微妙な関係の上に、今の平和は乗っている。ぐらぐらと揺れながら、やっとのことで持ちこたえている。


 まやかしの平和だ。

 商い、文化、様々なものが華やかに開花しているが、その実、それらはいつ失われるかわからない。

 

 安閑としている貴族や、平穏に暮らす人々。

 しかし、国々は常に危機感を持っている。


 ここ数十年間のうちに魔薬士というものが生まれ、確立されたのは何故か。

 生ぬるい平和の底に未だにどす黒く沈殿する、四国の不安定さをいかにして調整するかという需要があったためである。

 魔薬士は比較的新しい職であるが、平和な五国時代が始まって以来、進化を続けいる。


 

 はじめは、いわゆる軍師のようなものだった。

 国々の均衡の状態を先々まで読み、他国とうまく付き合ったりけん制したりする知恵袋の様なものだ。

 

 やがて、そこに魔術、薬学の要素も加わり、人は彼らを魔薬士と呼んだ。

 



 平和こそ、求めるもの也。

 魔薬士道は、それに尽きるもの。


 王家専属の魔薬士は、国の命運を背負う。

 優秀な魔薬士を育てることは、国家の繁栄に関わる。


 


 カーン家は、代々、サイ国の王家専属魔薬士を担っている。

 群雄割拠に時代では、薬師として王家に仕えていた。まずは兵法ありきの多くの魔薬士とは違い、カーン家の場合は、薬学が最初にあった。


 名家であるが、敷居が非常に低い。

 

 「もともとカーン家は薬師であった。人を診る仕事が本業であるから、気取ってなんになる」

 というのが、現カーン家当主、ピタの言い分だ。

 

 ピタは齢56歳、極端なやせぎすで、白髪交じりの髪を上でひっつめにしている。髪型のおかげで、頬骨の出た、目の鋭い容貌が余計に恐ろし気に見える。


 妻ラウランは子らが幼い頃に亡くなった。病である。

 

 ラウランの病は、急性のものだった。

 突然発症し、手当てが後手に回っている間に、あっけなく死亡した。

 もし発症した時、ピタが在宅ならば術で間に合わせることができたはずである。 


 折悪しく、ピタはその時、トウ国との国境のごたごたのために、軍部と連れだって、長らく家を離れていた。

 トウ国とサイ国は、敵対しているというわけでもないが、友好であると言いきれるわけでもない、微妙な間にある。

 トウ国もサイ国も、二代目の国王を掲げている。二人とも壮年であり、幼い頃に群雄割拠の壮絶さを目の当たりにしていた。似たような年齢である。


 いずれ、争いが起きるだろう。

 だが、それは今であってはならない。


 魔薬士の意思は常にそうだ。

 この、今を護る。それに尽きる。

 




 国の平和の今を護っている間に、ピタは妻を失った。

 残されたのは、当時6つだった息子のレイアと、2歳になりたての娘セウランである。


 この二人を男手一つで育てて来たピタは、お国の偉い魔薬士というより、肝っ玉母さんの空気を醸し出している。鶏ガラのように痩せた背中からは、今晩の夕食の香りが漂うようだ。


 国の大事でもない限り、ピタは自宅で薬師を営んでいたので、一般人からは、「割烹着のお医者さん」と呼ばれていた。

 白衣の薬師服の上に赤い割烹着をつけ、娘のセウランをおんぶしながら診療していた。

 その側には、もやしのように青白いレイアが控えており、手伝いながら薬師を学んでいたものである。

 

 

 ピタにとって、妻を亡くしてからの15年は、無我夢中の日々であった。

 幸せではなかったわけではない。だが、本来妻、母が担うべき位置を、男がどんなに頑張っても埋めきれるものではないのだ。

 

 なので、ピタはトウ国に対しては――意識的ではないが――微妙な思いを抱いているのだった。


 

 

 

 レイア21歳。

 セウラン18歳。

 雪が溶けだし春が近くなったころ。


 まだ夜は寒い。

 蝋燭の灯を頼りに、薬房で薬草の仕分けをしていたのはレイアである。

 冷たい風が吹き込むので、夜は格子窓に雨戸がつく。

 蝋燭がなければ、暗闇だ。


 そろそろ休もうかとレイアは思っている。

 少し風邪気味である。

 医者の不養生ではなく、もともとレイアは体質が弱い。

 ひょろひょろの骨川筋衛門である。生白い顔をしており、猫背でがに股ぎみなので、いかにも貧弱なのだった。

 父ピタが痩せぎすながら、しなやかなばねのように鍛えられた体をしているのに対し、レイアは全然駄目だ。

 まるで運動神経が良くない。考え事をしながら歩くので、よく転ぶ。体に青あざが絶えない。


 あいつはアホではないかと近所の同年齢たちには思われていたが、その実、頭脳はずばぬけて優秀である。

 ピタが所有する膨大な魔薬士の育成書は、すべて読破してアタマの中に入っている。

 一度読んだ学書は細かいところまで脳のひだに焼き付けられており、ずっと忘れることがない。驚異的な記憶力がある上に、恐ろしく計算が早いのだった。


 明晰な頭脳を持つにも関らず、見た目はうだつがあがらない。

 ぼうぼうに伸ばした髪の毛は目にかかり、後ろでゆるく束ねられてはいるが、いっそのこと切ってしまった方が良いのかもしれない――と、誰もが思う。

 見た目にこだわらないので、髪を整える時間があれば、薬房で仕事をしているか、書物を読んでいるほうを選ぶのだ、レイアは。


 低く柔らかな声で、ゆっくりと喋る様子も、気の短い相手ならば苛立つだろう。

 慢性的な寝不足と、疲れがたまるとむくみが瞼にくるせいで、だいたい、目は半開きだった。

 

 (こいつには嫁は来ないだろう)

 と、だいぶ早い段階でピタは思っている。

 (無理に嫁に迎えたとして、嫁が気の毒である)

 そこまでピタは思っている。


 それで、レイアはこの年になるまで一度も見合いをしたことがない。



 

 さて、初春の夜更け、そろそろ寝ようとレイアは思った。

 蝋燭を持って薬房を出て鍵をかけ、外気の鋭さに思わず身をすくめた。

 こんもりとした庭木は黒く巨大な影となり、明るい三日月が黒い梢から覗いている。

 

 庭のあちこちには溶け残りの雪が残っていた。


 早く寝床に行こう。

 レイアは白い息をあげながら歩く。

 ずびずばと洟が垂れかける。このままいつまでも外気に触れていては、間違いなく熱を出す。

 自分の体質はよく分かっていた――なのに、寒い夜更けに薬房に籠るのが、この男たる由縁であった。



 薬房から自宅まで、ほんの数歩。

 ひょろ長い足で進み、玄関に手をかけた時、がさと音がして、レイアは振り向いた。

 

 そして、腫れぼったいまぶたを目いっぱい開いて――ちょっと君、やだ、なに失神してるの、頼むからしっかりしてよ――その場で卒倒したのだった。




 ひ弱いレイアが振り向いて見たもの。

 それは、音もなく背後に忍び寄っていた、旅の女であった。

 恰幅が良いので、夜目には男性に見えたのかもしれない。


 「出た」

 と、呟いてレイアは静かに気を失い、その痩せた背中を女は片手で受け止めたのだった。


 白い息が荒っぽく夜空に上る。

 苛立つ旅の女の、だみだみとした大声が、カーン屋敷にとどろいた。


 「ちょっとあんた勘弁してよっ、ねえっ、宿に困ってるのよっ、お願いよおっ」

 どどん、どんどどん。

 

 狂ったように玄関の扉が叩かれる。

 





 「父さん、玄関の戸が壊れてよ」


 暖炉の上に、冷え切った兄を温めるための湯を用意していたセウランである。

 何事かと二階から降りて来たピタを振り返りもせず、冷たい調子で言った。



 「どうしてお前が戸を開かない」とピタは言った。可愛くない娘である。

 しゅーと沸騰した湯気をあげる薬缶を取り上げながら、セウランは淡々と答えた。


 「怖くて無理よ、女ですもの、父さん」

 



 

 どんどどん、ばんばん、げし、げしげし。

 早く開けて、この子冷たくなってる、ついでにあたしも寒くて凍えてる、ねえ、おい、そこに人がいるの分かってんだよ、うわあ白目剥いてる、お願いお願い早く開けてくださいっ。

 


 丑の刻。真夜中。

 ピタは溜息をついた。

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