今日はエイプリルフールなので、クラスの女子全員に告白メールを送ったら、大変なことになった
「そ……そんなバカな……」
最後のメールを確認し終えた時、俺は思わず嘆き声を上げて天を仰いだ。
まずいぞ……コレ、どうしよう……。とんでもないことになってしまった……。
◆◆◆
俺の名前は“洞 吹二郎”。高校二年生……だが、つい今しがた学年が一つ上がった。
そう、今日は4月1日。俗にいう【エイプリルフール】の日でもある。
その日の前日……つまり3月31日に、俺は一つの作戦を企てていた。
“明日になった瞬間、クラスの女子12人へ一斉にメールを送ってやろう”と考えたのだ。
その文面は以下の通り。
《実は貴女の事がずっと好きでした。もし宜しければ、今日一緒にデートして下さい》
……というもの。普段からクラス内でおちゃらけてきた俺だから(きっと)許されるであろう、究極の悪戯だ。
とは言え、あわよくばという気持ちも当然ある。自分自身で言うのも何だが、今まで女の子と付き合えたことがない。
これを機に誰かからオッケーが貰えたらラッキー……そんな軽い気持ちであった。
(もし振られても……「いやいや、今日はエイプリルフールっしょ!」と笑い飛ばせるからね)
そう……ホント、冗談半分のつもりだったんだ……。
それがまさか……
「……全員オッケーって、マジかいっ!?」
返信されたメールの文面が獰猛なヘビだとすると、今の俺はひ弱なカエルだ。携帯画面を前にして、身体が石化したかのように硬直して動かない……。
予想外すぎる展開だ……今日の今日、しかも小一時間の間に全員がオッケーの返事をしてくるなんて、普通に考えてあり得ないだろ……。
しかもこっちは“好き”と本文に加えているのだ。それでも受け入れると言うことは……お付き合いも視野に入れたデートということになる。
エイプリルフール返しか? 一瞬脳裏によぎる。
だが、もし相手の気持ちがホンモノだったとしたら……「冗談でした、てへ♡」で済む問題ではない。
……よし、覚悟を決めるのだ、俺!
こうなったら、この一日で……全員とデートしてやるっ!
「……うぉぉぉぉぉっ!!! やってやる、やってやるぞぉぉぉっ!」
(近所にとって迷惑この上ないであろうが)某百獣の王の如く雄叫びをあげた俺は、これからのデートプランを綿密に練りはじめるのだった!
【AM3時】
暗闇の中、俺は“根津 智恵子”の家の前に立っていた。
到着を知らせるメールを送ると、暫くして小さく玄関の鍵が回る音がする。
「……入って」
ちょこんと顔を出した彼女は、静かにそう言った。
「お邪魔しまーす……」
俺は彼女の誘導のもと……まるでコソ泥かの如く、音を立てずに階段を登って目的の部屋へと進入する。
「どうぞ……」
根津さんは、散らかっててゴメンね……と俺をクッションの上へと誘った。
部屋は暗く、テレビのモニターとシーリングライトの豆電しか付いていない状態である。
画面上には某機動戦士を操作して遊ぶアクションゲームのタイトルが表示されている。どうやら今までずっとこのゲームで遊んでいたようだ。
それにしても……と俺は考える。一人目のデートから、もの凄いシュチュエーションだ。
こんな真夜中に女の子の実家へ上がり込み、家族が寝静まっている中、部屋で二人きりの状況である。
若い男女が、そんな場所でする事と言えば……皆は何を想像するだろうか。
「さて、それでは……」俺は根津さんを正面から見据える。
ギュッと……地面に転がったコントローラーを握りしめ、一言。「……ゲーム、やりますかっ!」
その言葉を聞いて、彼女は満面の笑みを浮かべながら、「うんっ!」と頷いた。
◆◆◆
「くくくっ……何その動きっ、おかしーっ」
「ええっ、だってこれ……真っ直ぐ進まないっ! ああっ……はい、死んだーっ!」
画面上で、俺が操作していたキャラが盛大に爆死する。これで5度目の自滅だった。
堪らず俺がコントローラーを投げ出すと、根津さんは腹を抱えて笑った。
当然夜中なので、大声は出せない……必死で歯を食いしばりながら、笑い声を噛み殺している。
俺は必死に悔しがるフリをしながら、彼女の様子を横目で見て、ほっと胸をなでおろしていた。
……俺の予想は当たりだった。
普段からゲーム好きと公言している根津さんは、学校でいつも眠そうにしていた。
もしかすると昼夜逆転気味の生活で、夜遅くまでゲームをしているのでは? と踏んだ俺は、ダメ元で連絡してみたのだ。“これから一緒にゲームしないか?”……と。
その時点では、彼女は冗談半分に捉えていたのかもしれない……“いいよ”とあっさり答えが返ってきた。
だが、俺は約束通りに彼女の家へと向かった。さぞかし向こうは驚いた事だろう。
相手は冗談だったとしても、こちらは本気の本気である。
何故なら、俺は今日一日で12人とデートをしなければならないのだ。深夜とはいえ、可能性があるならチャレンジあるのみっ!!
「いきなり連絡来るし、しかもこんな夜に会おうなんて言うから……私、少し疑っちゃったよ」
ある程度ゲームを楽しんだ所で、ポツリと根津さんは呟いた。“身体目当てじゃないか?”そう思っていたのかもしれない。
「そんな訳ないだろー。俺は根津さんが楽しそうにゲームの話をしているのを聞いてて、一度一緒にやってみたかったんだ」
俺が言うと、一緒に楽しむほどのレベルじゃないけどねー、と彼女ははにかむ。
「ならさ、今度はもっとゆっくり……一緒にゲームしたいな。こんなコソコソしないでさ」
「うん……私も、楽しかったから。また一緒にやろうね」
時刻は4時半を回っていた。空の先が明るくなり始めている……そろそろ時間のようだ。
彼女としても親が起きる前には俺を帰したいのであろう。
俺たちはそっと部屋から玄関まで抜け出し、そこで別れを告げた。
こうして一人目のデートは完了した。
しかし、のんびりなどしていられない。次の予定はすぐそこまで迫っていた……。
【AM5時】
次の相手は、土手沿いの陸橋下を待ち合わせ場所にしていた。
俺が現地に着くと、ジャージ姿の“牛田 ヒカル”は、こちらに気付いて駆け寄ってくる。
「ゴメン、待たせちゃったかな?」
「ううん、まだ集合時間前だよ。あたしがちょっと早く着いちゃっただけ♪」
早く走りに行きたいのか、軽くその場で足踏みをしながら彼女は言った。
牛田さんは陸上部に所属している。その中でも長距離走を専門としていて、県でも上位に入賞しているんだとか。
何より、走る事自体が大好きのようだ。毎朝のジョギングを欠かさないらしい。その情報を得ていたからこそ、俺は“一緒に走ろうよ”とメールした訳であり、返事は勿論快諾であった。
◆◆◆
「はっ……はっ……はっ……」
朝焼けに照らされた土手を、俺たちは軽快に走り続ける。
呼吸とペースを合わせた、心地よいジョギングだ。
「君って結構走れるんだねー」
「はっ……はっ……そ、そうかな……?」
少しずつ余裕がなくなってきた俺に対して、牛田さんはケロリとしながら並走してくれている。
やはりここは流石の陸上部。10キロ走の折り返し地点に来たと言うのに、ほとんど息が乱れていない。
「普段よりペース落としてるからね♪」と彼女の言葉に、俺はもうちょっと運動しようと心に誓った……。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……あーきちぃ!」
「……ゴールっ! あははっ、お疲れ様ー♪」
元の地点になんとか戻ってこれた俺は、そのまま膝から崩れ落ちる。
「あーダメだよー。乳酸溜まって動けなくなっちゃうよー」
牛田さんは手を差し伸べ、俺を引っ張り起こしてくれる。そのまま肩を貸してくれた彼女は、クールダウンと言いながらゆっくりと歩き始めた。
恥ずかしい……男の俺がこんな……女の子の肩を借りながらフラフラになっているだなんて……。
俺は息も絶え絶え、ゴメンな……と呟くと、牛田さんはニッコリ笑顔で、凄いと思うよと返してくれた。
「だって初めて10キロ走ったんでしょ? 普通は無理だって! 根性あるなーって見直しちゃったよ」
「……それって普段の俺のイメージはヘタレって事か?」
「……ふふ。そうかもねー?」
互いの顔を向け、笑い合う。
後半は苦しかったけど、こうして走り終えてみると、いつの間にか清々しい気分になっていた。
辺りはすっかり明るくなった。牛田さんの汗がキラキラと輝き、何だか魅力的に感じる。
「……走るのって、楽しいな」
「あはっ、でしょでしょ? 私もいつも以上に楽しめちゃったよ♪」
また近いうちに走ろうと約束をして、俺たちは解散した。
【AM7時】
朝の日差しが眩しい。どうやら今日は雲ひとつない快晴のようだ。
俺はそんな中、最寄駅近くのカフェに足を運んでいた。
チェーン店とは違う、古風な造りの扉を開くと、ふあっとコーヒー豆の香ばしい匂いが俺を迎え入れてくる。
「あら……時間ぴったり。遅刻するかと思っていたわ」
カウンターに腰掛け、店のマスターと向かい合う彼女は、“虎丸 可憐”。
名前とは裏腹なクールさが売り(?)のクラス委員長だ。一見嫌味のように聞こえるその言葉も、彼女の中では日常会話なのである。
「おや、彼氏かい?」渋い声のマスターに、食い気味で「違うわよ」と答える彼女。
どうやら虎丸さんはここの常連のようだ。
あっさりと交際を否定されてしまう状況に、俺は思わず苦笑い。
するとマスターが「照れ隠しだよ、照れ隠し」と小声でフォローを入れてくれた。「初めてだよ、あの子が知り合いをここに呼んだのは。しかもそれが異性だなんてね」
◆◆◆
「……」
淹れたてのコーヒーを啜ると、その苦味につい顔をしかめてしまった。俺にはまだコーヒーの美味しさが理解できる程の舌は持ち合わせていないようだ。
だが、ここのコーヒーは他と香りが段違いに良いというのは、素人の俺にでも分かった。
それを虎丸さんに伝えると、「それすら分からなきゃ、追い出しているところだわ」とつれない言葉が返ってくる。
「まぁまぁ、まだ若いんだし。ホラ、苦いコーヒーにはこれが合うよ」
良い具合で間に入ってくれたマスターは、俺たちの前にトーストが乗ったお皿を差し出してくる。
モーニングサービスと称したソレには、小倉とホイップがたっぷり乗っている。
「おぉ、こりゃ凄い!」
早朝ランニングでお腹が空いていた俺は、遠慮なくがっつく。
「下品な食べ方ね」虎丸さんはそう言ってトーストを齧る。「……美味しい」
彼女の顔が綻ぶのを、俺は見逃さなかった。
「虎丸さん、甘い物好きなの?」
「別に……普通よ」
「ふふ……じゃあ駅の裏にある“丸山ベーカリー”のシュークリームはご存知かな?」
「当然」短く答えた彼女は、コーヒーを啜っている。
「……では、そのシュークリーム、裏メニューがあるのは知っているかな?」
ピクッと、虎丸さんの眉が動いた。僕は得意げに話を続ける。
「あそこはね……“クリームマシマシ”ができるんだ。しかも無料で」
「……詳しく説明して」
そこからの彼女は見違えるように目を輝かせて饒舌になった。横にいたマスターも、「こんな彼女見たことがない」と驚くような変化っぷりである。
隠れ甘党である俺の知識がこんなところで活きるとは……虎丸さんも同類だったのだ。
そのお陰で、お互いのオススメのスイーツ屋の情報を交換し、とても有意義な時間を過ごすことができた。
最後は「オススメのスイーツ店、一緒に行こうね」と言葉を残し、虎丸さんは足早に喫茶店を後にした。
向かう方向からして、先ほど俺がオススメしたベーカリーであろう。
やはり、女の子は甘いものに弱い……か。
小さくなる彼女の背を見届け、俺は次の場所へと足を向けた。
【AM9時】
解放された図書館は、既にかなりの人で賑わっていた。
いや、賑わっているという表現はおかしいかもしれない。皆、本に目を通すか、黙々と勉強をしているのだから。
「……」
「……」
二人用のテーブルに、俺と向かい合わせで座る“宇佐 美希”とは、まだ一度も会話をしていない。“私語厳禁”の張り紙が目の前にある以上、気軽に話しかけることもできないからだ。
彼女は学校でもトップクラスの成績で、難関大学を受験すべく、常に勉学に励んでいた。
そもそも、そんな宇佐さんからデートの許可が貰えると思っていなかったのだが……蓋を開けてみると、これはデートなのかと疑いたくなる内容である。
《ねえ》
仕方なく、俺は携帯で宇佐さんにメールを送ってみた。
ペンを持つ彼女の手がピタリと止まり、自身の携帯画面を覗いている。
《何?》
返事をするや否や、またペンを手にとって参考書に目を移している。俺の返事を待つのも惜しいくらい勉強したいという事なのか?
《なんで俺を呼んだの?》俺は改めて宇佐さんにメールを送った。
すると……ふぅ、と小さく溜息をつき、彼女は物凄いスピードで画面をタップし始めた。
すぐさま、俺の携帯に返事が届く。そこには長文がずらっと書き連ねられていた……。
《私は、見ての通り忙しい。朝から晩までここで勉強しているし、夕方から深夜まで塾がある。親から期待されているの。絶対に受験では失敗できない。だからデートなんてしている暇なんてない。貴方との時間なんて作れない。それを分かって欲しくてここに呼んだの》
……なんということだ。宇佐さんは、俺とデートがしたくて返事をくれたわけではなかったのか。
確かに、学校でもクラス行事や休日の集まりに顔を出しているイメージがない。誰かと喋っている様子もなく、常に周りとのコミュニケーションを避けている印象が強い。
《ならさ、俺に勉強教えてよ》と彼女の好きなジャンルに合わせてみても、
《無理。私は人に勉強を教えられる技術がない》と取りつく島もない。
集中したいから、返事はもうしない。宇佐さんは小声でそう言うと、参考書に目を落とした。
そして、彼女の言う通り、それからは一切こちらに目を向けることはなかった。
……はてさて困ったぞ。俺はこれからどうすればいい?
次の予定だってある。ここで時間に余裕が出来たのであれば、俺としても喜ばしいことではあるが。
だが……それで本当にいいのだろうか?
宇佐さんはわざわざ俺をここまで呼んだのだ。口ではああ言っているけど、本心は違うんじゃないのか? みんなと高校生活を満喫したいのではないのだろうか……?
「……」
ダメだ、良い案が思いつかない。今の俺が何と言葉で説得したところで、彼女の心に響くとは思えなかった。
そうこうしているうちにリミットが来てしまった為、心残りではあるが、俺は一人その場を後にすることにした……。
【AM11時】
ランチデートでは、ラーメン屋やファーストフードのチョイスはNGランキングの上位だと聞いたことがある。落ち着いて話が出来ないのが一番な理由ではないだろうか。
しかしながら、“辰巳 茉莉花”は、あえてここをチョイスした。麺も野菜も山のように盛られるスタイルのこのラーメン店を。
「しやっせーぃ!」
威勢のいい声が俺たちを出迎える。カウンターのみの店内は狭く、お世辞にも綺麗とは言えない場所だ。こんなとこでいいのかよ……と思ったが、不思議と彼女はご機嫌なのだ。
開店前から並びが出来ていたが、ギリギリファーストロットに滑り込めたらしい。麺の茹で上がりを前にして、店員にトッピングの有無を聞かれる。
「あ、ウチは全部超少な目で。で、その分この人に全部乗っけといて♪」
「え、ちょ……」
「かしこまりやしたぁ!!!」
辰巳さんは勝手に俺の注文まで済ませてしまった……。
おいおい、ここのラーメンって、元々それなりの量があるんだよな……これは大変なことになるんじゃ……
「へい、お待ちぃ!!」
俺の嫌な予感は的中した。大きな丼にこれでもかと盛り付けられた野菜の山。その下には大量の麺が眠っているのだろう……。
「キミなら、こんなのペロリだよね♪」
「……。」
まぁ、俺は大食いな方ではある。この量でも問題なく食べきることはできるだろう。だが、実は大きな問題を抱えていたのだ。この問題については後述する事になるので、ここでは割愛するが……。
「い、頂きます……」
考えていても仕方がないので、早速箸を手に取り、食す。
……ウマい。極太麺と分厚くカットされたチャーシュー。そして少しクタった野菜。全てを纏めて口にする。うん、ウマい。
「ふふっ♪」
ふと辰巳さんを見ると、自身のラーメンにはほとんど手をつけず、俺が食べ進める様子をマジマジと眺めていた。
「……食べないの?」
「いや、見惚れちゃってね。キミの美味しそうに食べてるとこ、ウチ……好きだよ♡」
「ぐっ……!?」
まさかの言葉に、思わず箸を落っことしそうになる。こ、こんなストレートに“好き”と言われるとは……。
「やだなぁ、勘違いしちゃった? まぁいいけどサ♡」
「……へ?」
よくよく聞いてみると、どうやら辰巳さんは俺の食事を取る姿が好きらしい。口を大きく開けて豪快に食べる姿を見ていると、なぜかキュンとしてしまうんだとか。
「クラスの中で、キミが“美味しそうにご飯を食べるランキング”のトップだよ!」とまで言われてしまった。何なんだそのランキングは……。
それにしても……俺がこんなにも観察されているとは思いもしなかった。
みんな俺の事なんて興味がないのかと思っていたが、こうして全員がデートの許可をしてくれた事もあるし、考えを改めて良いのかもしれない。
「ささ、どんどん食べてる所見せてよ! キミのカッコいい姿をサ♪」
そう言われると、何だか気分が良い。煽てられているだけなのかもしれないが、単細胞の俺はホイホイ乗せられてしまい、目の前の丼を完飲するまで一気に食してしまったのだ……。
◆◆◆
「いやーやっぱり凄くイイ! めっちゃドキドキしちゃったぁ♡」
「は、はぁ……そりゃ、どうも……」
辰巳さんは反応に困る言葉を残し、店先で別れを告げると、そのまま自転車でさっさと帰ってしまった。
こっちはただラーメンを食べていただけなんだけどなぁ。世の中には俺が理解できない趣向があるようだ。
まぁでも、向こうも満足していたみたいだし……良しとしようっ!
【PM0時半】
先ほど“大きな問題”があると、俺は言った。
それは俺が今いる場所を伝えれば理解できるのではないだろうか。
ここは、某ホテルのビュッフェ会場……そう、本日2度目の昼食である。
「……う」
先ほどから、まだ小一時間しか経ってない……お腹なんて空くはずがない。てか、食べた麺が胃の中で水分を取り込み肥大しているのか、逆に満腹になってきているくらいだ。
一方で……テーブルに所狭しと並ぶ豪華な食材を前に、キラキラと目を輝かせている女子がいる。
“蛇田 碧子”……俺のことなんてそっちのけで、席に荷物を置くと、もう食べ物を取りに行ってしまった。
なんでもこの店……月初めはカップル限定の特別ランチビュッフェを開催しているのだとか。
「やぁん、凄ぉい♡ こんなに美味しそうな食べ物が、いっぱ〜〜い♡」
持ってきた食べ物に早速手をつけ始める彼女。
俺が何を言おうと、耳に入らないようだ。ムッシャムッシャと片っ端から口の中へ放り込んでいく。
つまり簡単に言うと、彼女はこのランチビュッフェにありつく為、俺をダシに使ったのだ。
「あれぇ、食べないの? せっかく来たんだから、キミも食べなよぉ」
頰をパンパンに膨らませながら、キョトンとする蛇田さん。
「……」
……なんかムカつくなぁ。……よし、こうなったらっ!!
俺は席を立つと、向かいの席……蛇田さんの隣へと移動する。
「……へぁ?」
4人用のボックス席であるのにも関わらず、隣に来られたら、そりゃあ不思議に思うだろう。だが、俺は構わず腰を落とし、彼女に向かって微笑む。
「カップルなんだから、隣に座ったって問題ないだろ?」
「え、え、えっ!?」
「こら、ダメだろ……カップルみたいにしてなきゃ、店員に怪しまれるぜ……。ホラ、口開けて……あーん」
「えっ、あ、あーん……」
蛇田さんは一旦口の中の食べ物を飲み込むと、言われるがままに口を開いた。
周りの視線も集まりつつある中、俺はゆっくりと食べ物を口に入れてやる。
「恥ずかしい……」と顔を赤らめながらも、まんざらでもない様子の彼女だ。ならばと俺は、畳み掛けるように追撃を試みる。
「ホラ、口の周り……ソースが付いているぞ」俺はナプキンで口元を拭いてやる。さらに彼女の耳元に顔を寄せた。「食べてるお前の姿……可愛いぜ」
「っ!? 〜〜〜〜っ」
耳たぶに触れるか触れないかの距離で囁いてやると、彼女は目を見開いて悶えた。
ふふふ……さっき俺が言われて嬉しかった事を、そのまんま試してみただけなんだけどね! 思った以上の効果があるようだ。
これは、俺の事を利用したバツだ……とことん恥ずかしい思いをしてもらおうじゃあないかっ!!
俺は自身の食事をセーブしつつ、蛇田さんに食べさせ続ける。
俺の言葉が影響したのか、心ここに在らず……放心状態の彼女。まるで金魚のように目を丸くしながら、次々口に運ばれる惣菜をパクパクと食べ続けていった……。
【PM2時】
何とか2度の昼食を乗り切った……。もう、お腹ぱんぱん、動けない……。
だが、俺はついている。次のデートは今の俺にとって最高のシチュエーションだったからだ。
日向ぼっこと昼寝が好きな“桂馬 紗理奈”とのデートには、大きな芝生がある公園を選択していた。
シートを用意して、一緒にコロリと寝転がって語り合おう……という、何とも平和でのどかなデートである。
よく考えたら昨日からまともに睡眠を取っていない俺は、逆に今までよく眠くならなかったなと感心してしまう。
だが、食欲が満たされた午後のこの時間帯……眠くならない奴がいるだろうか?
「にはー。いいお天気♪」彼女は二人が余裕で寝られる大きさのシートをバサリと敷く。「日向ぼっこには、ピッタリの気候だねぇ」
そうだね、と俺は足早にシートの上へ寝そべろうとする……も、それを寸での所で桂馬さんに阻止された。
「あ、ねぇ……ちょっと待って。これ、作ってきたんだぁ」
彼女がリュックからおもむろに取り出したモノ……それは四角い形をした、漆塗りの重箱であった……。
これは……まさか……
「お弁当……ですかね……?」
「うん、そうなの♪」彼女は微笑むと、頑張って作ったんだぁ、と付け足した。
いや……何だよこの不運はっ! 食えねぇよ、もう!!!
あー無理。匂いだけでも正直キツいのに……あーやめてっ! 蓋開けないでぇぇ……
「……うわ。すんごい豪華だ……」
1段目には綺麗に彩られた惣菜達。高価な素材は使われていなさそうだが、盛り付けも含めてしっかりバランスが取れている。美しい。
2段目は可愛く握られたおにぎり達が出迎えた。一個一個に海苔でちょこんと顔が描かれている。中身の具材によって表情を変えるという拘り振りだ。女の子らしい、器用で繊細なデコレーションである。
そして何より……大きさからして2人分であろうそのお弁当は、全部桂馬さんの手作りだと言うから驚きだ。
うん、驚きだよ……。驚きだけど……食えねぇよ。
「……あれ、お腹いっぱい……だったかな……」
俺が躊躇しているのを感じ取られたのだろうか……桂馬さんは少し悲しそうな表情を見せる。
「……そうだよね。こんなの、いらなかったよね……私の手料理なんて……ホント……ごめん……」そそくさと弁当の箱を閉じる彼女の目は、少し涙で潤んでいた……。
「……待て待て待てぇーーい!」
今度は俺が寸でのところで桂馬さんの動きを制した。
せっかく俺の為に作ってくれたお弁当。おかずの種類を見たところだと、きっと朝から仕込んで作ってくれていたに違いない。
ここで手をつけないというのは、俺自身の良心が許さない。
「いやぁ、はっはっは。桂馬さん、もしかして俺がお腹いっぱいにでも見えたのかな? ……実はこう見えて、餓死しそうなくらい飢えていたのだよっ!!」
あからさまな去勢をはってみる。ここは、自身をとことん追い込むスタイルで行くと決めた!
俺はハラヘリ……ハラヘリ……ハラヘリ……洗脳するかのように脳内で言葉を繰り返す。
「あー美味しそう……い、頂きまーすっ!!」
意を決して口内へとおかずを放り込む……っ!
「……うま」
思わず口から言葉が出た。これは嘘偽りではない。
お腹いっぱいの状態でこれだけ旨味を感じることができるのだ……これが本当に空腹時だったら、どれだけ幸せを感じられたことだろうか。
あまりの美味さに満腹中枢も一時的にマヒしたようだ……これは好機と一気に食べ進めて行くっ!
「ふふ。よく噛まないと、喉詰まらせちゃうよぉ」
はい、と桂馬さんは水筒からお茶を注いで俺に手渡してくれる。その気遣いもまた、素晴らしい……。
「桂馬さん……いい奥さんになれるよ」
「ええーもぅ。キミは褒め上手だなぁ」
先ほどまでの泣き顔から一転……彼女が俺に向けた笑顔は、園内を明るく照らす太陽に負けないくらいのものであった。
◆◆◆
全部食べた……食べきったぞ……。
美味しかったからこそ出来たことだ。彼女の手作りでなければ、きっと成し得なかったことであろう。
「うあ……ねむ……」
突如襲いかかってくる、強烈な眠気。緊張の糸が切れてしまったのか、フラリと地面に横たわる……。
ふよっ……
「……ん?」
「ふふ……♡」
俺は地面に頭を付けたはずである。しかし、その柔らかい感触はソレとは違った。
「……あ」
ここは……桂馬さんの太ももの上だ。膝枕をしてくれているのである。
いいの? ……眠気が強すぎて、俺は目で彼女を見上げることしかできない。
「ホントはお腹いっぱいだったんでしょ? それなのに、あんなに美味しそうに全部食べてくれた……嬉しかったよ。ありがとう」
笑顔で、一眠りしていいよ、と桂馬さんは言った。
……どうやら満腹なのはバレていたようだ。だけど、美味しかったのは事実である。その事を告げると……俺は……そのままゆっくりと……目を閉じた……。
【PM4時】
これからのデートは、本日一番の山場と言っても過言ではないかもしれない。
何故ならば……俺の目の前には2人の女の子がいるからだ。
「あ、やっほー。待ってたよー」
「じゃあ、早速行こうか!」
“羊山 芽衣”と“猿川原 萌奈美”は仲良しの2人組だ。いつでも行動を共にしている。
だが……いくら仲が良いからと言って、こんな形でのデートになるとは思いもよらなかった。ちなみにどちらも、相手には俺とのメッセージのやり取りは伝えていないらしい。
いつも一緒の友達には内緒で、スリルのあるデートを楽しみたいんだとか。デートを楽しむのは結構であるが、此方としては実に冷や汗モノである。
そこで……俺は悩んだ結果、デート場所を駅前のカラオケ店にする事にした。
ここなら、1人が歌っている時に、もう1人の女の子とこっそり話をすることが出来る。とにかく、3人でいる際にどれだけ“2人きりの時間”を作れるかが勝負の鍵となる。
クズ野郎みたいなデート方法だが、1日に12人とデートをするのだ……今更あれこれ言ってはいられない。
「♪〜〜♬〜〜」
少しではあるが仮眠ができたこともあり、眠気はある程度解消出来た(身体は怠いけど……)。
そこで、俺は最初の一回だけ全力で歌い、後は体力を温存する為に2人交互に歌ってもらった。そしてその間にもう1人とこっそり話をしていく戦法を取る。
部屋内では普通に話をしても声が届かないので、耳打ちに近い形で会話を繰り返す。すると、俺が声をかける度に2人は何故かほぅと顔を赤くさせていた。
「君の声って……何だか魅力的なんだよね♡」
2人は揃っておんなじ事を口にした。聞くと、意外に声フェチな女の子は多いらしい。
声ねぇ、俺の声って……そんなに良いのかな?
「痺れる……♡」「キュンキュンしちゃう♡」
口々に述べられる、俺の声に対しての感想。
おいおい……2人とも。俺を褒めたところで何にもないってば……!
◆◆◆
「よっしゃぁ、もういっちょ歌うぞー!!」
「「きゃー♡」」
……結局、体力を温存させるはずが、カラオケの後半は俺のリサイタルとなっていた。
クラス一調子のいい男、それが俺である。当然、このダメージはこの後々のデートで大いに引きずる結果となるのだった……。
【PM5時半】
もうちょっと歌っていくね、と言った2人を部屋に残し、俺は一足先にお暇させてもらった。
次の予定は18時に駅前集合。少し時間に余裕はある。
合間に携帯チェックを……と思い、画面を見やると、一通のメールが届いていた……。
《助けて》
短く、それだけ書かれたメッセージ。送り主は……図書館デートを行なった、宇佐さんだ。
何かあったのか……? 不安がよぎり、俺は野外に飛び出す……
ザアァァァァ……!
大雨だ。
さっきまでの快晴が嘘のよう。突然の夕立に、辺りの人々も阿鼻叫喚の様子を見せている……。
なるほど……と言うことは……。
俺は止めていた自転車に飛び乗る!
向かう先は……図書館だっ!!
【PM5時40分】
やはり俺の読みは当たっていた!
図書館の入り口で、鞄を抱えて途方にくれる女の子……宇佐さんを確認する。
この土砂降りでは、衣服はもちろん……鞄の中身である勉強道具ですら無事で済むはずかなかった。彼女は誰に声をかける事もなく、軒先でじっと足元に視線を落としている。
「……宇佐さんっ!」
俺が声をかけると、宇佐さんは、はっと我に返ったようだ。顔を上げ「来て……くれたんだ……」と小さく呟く。
「さっきあんなに冷たくしちゃったのに……何で……」
「それはいいからっ! この後塾があるんだろ? 駅まで飛ばせば間に合うのか!?」
「……う、うん。何とか……」
「よし! それならほら、これ着てっ!」
俺は自身が纏っていた雨具を彼女に着させてやる。こんな事もあろうかと自転車に備え付けていたものだ。
「でもこれじゃ……貴方が濡れちゃう……」
「大丈夫っ、俺は“雨の日に逆にテンションが上がるサッカー部”の血が流れているからっ!」
「くくっ……な、なにそれ……」
初めて、彼女が笑ったところを見た気がする。なんだ、良い笑顔できるじゃねーかよっ!
「よし、しっかり掴まっておけよ! 鞄はお腹の前側っ、じゃあ……行くぞぉぉぉっ!!!」
視界を遮る大粒の雨が降りしきる中、俺は後部座席に宇佐さんを乗せてガムシャラにペダルを漕ぐ!
なるべく安全運転で行きたいところだが……ここは時間を優先である。
「……あのさ、宇佐さんっ!」
そんな中、俺はどうしても彼女に伝えたいことがあった。
会話ができるような状況ではないので、前を向いたまま話を続ける。
「……さっき、デートする時間がないって言ってたけど……そんな事ないんじゃないかな? こうした移動時間だって、一緒にいられるなら……立派なデートだと思う!」
これは……午前中に“貴方との時間は作れない”と言い放った彼女に対しての、俺が出した答えである。
きっと、宇佐さんは本当は1人で寂しい思いをしているんだ。だから俺に助けを求めたのではないか。
1度目は今日の図書館デート……その時の俺は疑念を抱くまでにとどまっていた。
だけど、2度目……さっきのメールで、確信に変わった。
宇佐さんが発信した微弱なシグナルを……ようやくキャッチすることが出来たのである!
俺の言葉に対し、彼女は声を発さない代わりなのか……腰に回した腕にギュッと力を込めた。
◆◆◆
駅に着き、すぐさま宇佐さんを改札前まで送り出す。
雨具はそのまま渡すことにした。もう俺は手遅れなくらい、全身ビショビショだったから……。
「ありがとう。今度、お礼させて……」
去り際に彼女が声をかけてきた。
俺はにっこり微笑み、「じゃあ、勉強教えて。勉強デートな」と言うと、
「うん、必ずね」
宇佐さんから、午前の時とは違う答えが返ってきた。
【PM6時3分】
次のデートには、少しだけ、待ち合わせ時間を過ぎてしまった。
現地に着くと、“白鷺 なるる”は腕組みをしながら改札方面を凝視していた。 俺が電車で向かってくると思っていたらしい。
「え、まさか自転車で来たの?」白鷺さんは怪訝な表情を浮かべ、豪雨の屋外と俺を交互に見やる。
その問いに対し、俺はそうだよと頷いた。
「どう? 水も滴るいい男だろ?」
渾身のギャグを放つも、
「いや、それはただのバカって言うんだよ」
白鷺さんの鋭利な言葉のナイフによって、バッサリと切り捨てられてしまった……。
◆◆◆
女性って……何でこうショッピングが好きなんだろう。俺はダメだ……興味ないからか、ものの数分で眠くなる。
駅直結のデパート、某アパレルショップ。本日最終日30%オフの声に白鷺さんは釣られ、またもや店内へと足を向ける。
俺は今回も試着室の前で待機……先程からこうやって何度も彼女のプチファッションショーに付き合わされているのだ。
「……」
「風邪引くから、服全部買い変えなよ。私が選んであげるから」……最初にそう言ってくれた白鷺さんは、俺が告げた予算内で全身コーディネートしてくれた。
普段選ばない様な服ではあったが、非常にセンスが良く、即決で購入した上に着替えも済ませる。
ここまで熱心に選んでくれたのだ。感謝の意を表した俺は「お礼がしたい」と申し出ると、「じゃあ私の買い物に付き合ってよ」と言われた。
そしてそれが……この地獄のツアーの始まりでもあった。
……ヤバい、眠すぎる。目の前がぐあんぐあんする。
1日の疲れが一気に吹き出た……もう、限界をとうに超えている……。
「……ねぇ、ねえちょっとっ!」
「……はっ!? な、何!?」
「……今、寝てたでしょ」
「いやいやいや、考え事してただけだよっ!」俺は激しくかぶりを振る。「白鷺さんの服、どれが似合うか真剣に考えていたんだよ」
「ふーん……まぁいいわ。ね、コッチとコッチ……どっちが似合うと思う?」
白鷺さんが見せてきたのは、二着の上着。色違いなだけなので、どちらでも合いそうな気がするが……。
「……こっち、かな。うん」
春先だし、明るい色の方を選択する。
「……ありがとう」彼女は短く答えると、またもや試着室の中へと消えていった……。
そしてその後、彼女が購入したのは俺が選ばなかった方。
……さっき聞いてきたのは何だったんだよっ! 参考にしないなら、俺に意見を求めるんじゃねーよっ!!!
◆◆◆
結局……白鷺さんとの時間は、今日のデートの中でいちばん手応えがなかった。
向こうの反応が微妙だったし、むしろこりゃ関係が悪化したかな……などと考えていると、彼女から俺宛にメッセージが届いた。
《今日の評価!!》
そう銘打たれたタイトル……その内容は、次のように書かれていた。
遅刻したこと→マイナス10ポイント
眠そうにしてたこと→マイナス10ポイント
服選びのセンス→マイナス10ポイント
その他諸々合わせて、合計→プラス100ポイント
「……え、何で合計だとプラスなの?」
内訳は全部マイナスなのに……“その他諸々”に何が含まれているのだ?
理由を問うと……
《だって……こんな大雨の中にも関わらず、私に会いに来てくれたんでしょ?》
だそうだ。
続いて届いたメールでは、《交通機関が麻痺してしまったから、自転車で向かって来たんでしょ? そこまでして私に会いたかったなんて……それがあるから、満点にしといてあげるっ!》と付け加えられていた。
俺がずぶ濡れになって現れたのを、そう捉えられていたらしい。
何という好意的な解釈……っ!!
俺は《そうだよ、よく分かったね!》とメールを返し、携帯をポケットにしまう。
ま、ここは結果オーライという事で……。
【PM8時くらい】
薄暗い店内……眠気を誘うミュージック。
個室タイプの飲食店で、俺は“湾内 悠里”と共に食事をしているのだが……。
眠い……。今までに感じたことのない眠気だ。食事も何の料理かも認識していないし、味も……もうよく分からない。
ただ必死に……目の前の睡魔に抗うべく、ひたすら太ももを抓っている状況だ。
「何だか今日のあなたって……いつもの騒がしいと雰囲気が違うわね」
湾内さんはそんな事を言っていた気がする。眠すぎて、頭に会話内容が入ってこない……。
ここは夢の中なのか……現実なのか……。
ほら、あれだ。“起きている”夢を見る時。あんな感じ……。
「うん」「そうか」「なるほどね」「わかる」
俺は途切れそうになる意識の中……彼女の話に、上の言葉を順番に繰り返して相槌を打つのが精一杯だった。
対応が雑過ぎて、怒られるかも……そんな考えすら思い浮かばない次元に達していたのだ。
……だが、彼女はそんな俺に対し、涙を流して感謝をしてくれていた。
「私が一方的に愚痴ばっかり喋っていたのに……こんなに熱心に聞いてくれるだなんて……。ありがとう……ありがとう……」
今の俺には女神の加護が付いているのだろうか? 何をしても良い方に展開が転がっていく。
よし、何はともあれ後1人で……終わりだ……。
【PM……わからん】
あぁ、眠い……。
ここは……何処だ……?
俺の隣に女の子がいる……。誰だっけ……?
……ああ。“猪越 薫”だ。
なんか喋っているような……喋っていないような……。
俺も何か喋ってる……? 口が勝手に動いているようだが、自分でもその内容は理解できない。
そもそも、何で俺はこんな無謀な事をしてしまったのだろう……。
あんな告白メールさえ送らなければ、きっと今日も平和に休日を過ごせただろうに……。
大体、明日から学校が始まるんだぞ……。こんな状態で回復できるとは思えない。始業式早々寝坊……十分にあり得る。
てか、ここは……何処だ……?
……あ、猪越さんだ。
眠い……。
あぁ……デートしてるんだっけ……眠い……。
ん、彼女の顔が近付いてくる……なんだ……?
んちゅ……
「…………ん?」
「……っ♡」
「……んん??」
……何だ、今の感触?
唇に、何か柔らかいものが触れたような……?
目の前には、未だ猪越さんの顔。その頰はトマトみたいに真っ赤になっている。
「……えっ!?」
さーっと波が引くように、眠気が消え失せていった。
俺は今……何をした(された?)んだっ!?
「え……猪越さん……今、もしかして……」
「……えええっ!? ち、違ったのっ!? だって君がこんなに綺麗な夜景の前で、向かい合って目を閉じるんだもん……っ!」
「え……ちょ……マジ!?」
まさか俺たち、キス……しちゃったって事!?
「あぁぁーー違ったのぉぉ〜〜!? ごめ、ごめごめごめーーんっ!!」
顔から火を噴くのではないかというくらいに、慌てふためく彼女。
俺も冷静でいることが出来ず、その場で2人は叫び合う。
周りのカップル達からは大顰蹙だ……。
何でも、俺が初っ端から肩を抱き寄せ(眠くて支えが欲しかっただけ)、耳元で愛の言葉を囁き(無意識で自覚なし)、綺麗な夜景の見える丘まで連れて行き(猪越さんが夜景に見とれているうちに、うたた寝してもバレないと考えただけ)、彼女に向き合ってそっと目を閉じた(眠かっただけ)、だそうだ……。
それを猪越さんは、口説かれてキスを求めてきたものと勘違いしてしまったらしい。
今日の1日を締めくくるに相応しいハプニングだが……。
こ、こんな形で……俺のファーストキスが……。(大事にとっておいたわけじゃないけどね)
【PM11時】
「あー疲れたぁぁぁ〜〜……!」
家に着いた俺は、さっとシャワーを浴びた後、ベッドにダイブする。
何とか、この1日を乗り切ることが出来た……。
根津さんと、自宅でゲームデート……
牛田さんと、土手でランニングデート……
虎丸さんと、カフェでモーニングデート……
宇佐さんと、図書館で勉強デート……
辰巳さんと、ラーメン屋でランチデート……
蛇田さんと、ビュッフェでランチデート②……
桂馬さんと、公園でピクニックデート……
羊山さん&猿川原さんとカラオケデート……
白鷺さんと、デパートでショッピングデート……
湾内さんと、飲食店でディナーデート……
猪越さんと、夜景が綺麗な場所でロマンチックデート……
12人……凄いよな。1日でこんなに女の子とデートが出来るなんて……。
とにかく……色々あったけど、最高の1日を過ごすことが出来た!
これで気持ちよく……明日の始業式を迎えられるな……。
ここで、俺は何度目かの強烈な眠気に襲われる。
だが……もう抗う必要もないので、そのまま深い眠りについた……。
◆◆◆
翌日。俺は寝坊することなく朝を迎えることが出来た。
日差しが心地よい……実に清々しい気分である。昨日はあれほど疲れていたと言うのに、嘘のように身体が軽い。
「……はは。もしかしたら、夢だったのかもな」
俺は独りごちながら、携帯を手に取る。
「……ん?」
携帯に、12通のメールが届いていた。特に何も考えることなく、中身を開く。
「…………げ」
だが、その内容に俺は愕然としてしまう。
メールは、昨日デートした女の子達からの返信だった。
皆、書き方はそれぞれだけど……要約すると、以下の通り。
《私も貴方のことが好きです。お付き合いお願いします》
という内容が書き連ねられていた。
「そ……そんなバカな……」
最後のメールを確認し終えた時、俺は思わず嘆き声を上げて天を仰いだ。
まずいぞ……コレ、どうしよう……。とんでもないことになってしまった……。
彼女たちのメールは、冗談ではないだろう。
何故なら、返事が来ていたのは“日付が変わってから”。つまり、4月2日に送られてきたものだったからだ。
「ヤバい、終わった……」
いくら何でも、12人同時に付き合うのは不可能だ。それが一同に集うクラスメイトなら……尚更……。
清々しかった朝の日差しが、今は酷く苦痛に感じる。
今日は始業式。登校時間は、もうすぐそこまで迫っていた……。