お伽噺
サンエルの言葉に促されるように、私も壁に掛かった絵を見上げてみる。
絵の中では角を生やした赤い髪の悪魔と十二枚の翼を持つ金色に輝く髪の天使が互いに軍を率いて睨み合っていた。
天使は天上から太陽の如く、悪魔は奈落の底から業火の如く。まるで二者の対立がそのまま世界を裂かんばかりの迫力だ。
その時、ふと気がついた。
「あれ? 私もこの絵、どこかで見たことがある気がするわ」
「それはそうでしょうとも、これは天界最強と呼ばれ、魔族を殲滅にまで追い込んだ偉大なるお方エイン・ナインス・ルシフェリア様と魔王との対決を描いた有名な絵なのです。似たようなものが沢山出回ってますよ」
聖女であるキリカがやって来て、私と並んで絵を見上げる。言われてみればこれ、歴史の本か何かでも見たことがある気がするわ。
「エイン・ナインス・ルシフェリア……様ね。その名前、有名よね」
「当然です。エイン様は天界史上もっとも強かったと言われている伝説の三十三天のトップ、オルエリナ様と並んで天界最強と呼ばれたお方なのですから」
「確か物凄い創造魔法を使えたんだっけ?」
創造魔法はこの世界の魔法システムに直接自分の法則を書き込むことで扱える完全なオリジナル魔法。
口で言えば簡単そうだが、普通はこの世界に普遍的に存在する魔法システムの根源に触れればまず肉体と精神が持たない。何よりも既に数多くの魔法が存在する中で、自分独自の魔法を開発するというのは容易なことではないのだ。
下手をすれば苦労して創造魔法を作ったのに既存の魔法の組み合わせで再現可能ということにもなりかねない。
私もいずれはチャレンジするつもりでいるが、それは百年、あるいは二百年先の話になるだろう。
「はい。あのお方の創造魔法『決して消えることのない栄光』はその加護下にある者のエネルギーの消費を無くします。即ちエイン様の祝福を受けた者はどれだけの魔力を使おうが疲労することが一切無く、常に全力で戦え続けられたのです。その力は物質にさえ作用し、一度放った矢は壁にぶつかろうがそのエネルギーを保持し続け、やがては強力無比な魔物の体ですら貫いたそうです」
いやいや、何なの? その無茶苦茶な魔法は?
「エネルギーの消費を無くす魔法って、それも加護下と言う言い方からして複数に適応出来たということよね?」
「エイン様の魔法は百万の兵にだって効果があったよ。それはそれは凄かったんだから」
サンエルが呟いた。その蒼い瞳は未だにここではない何処か遠くを見詰めたままだ。そうか人間にとってはお伽噺の人物でも、サンエル達天族にとっては過去実際に会ったことのある人物なのよね。
「なるほど、それは確かに最強ね」
決して疲労することのない、常に最強の状態で居続ける百万の軍勢。そんな軍隊に襲われたら、そりゃいかに魔族と言えどもたまったものではないだろう。
まぁ、マイスターなら勝っちゃいそうだけどね。
「あれ? でも、ならなんでその最強の天族が死……お隠れになったんだっけ?」
エイン・ナイン・ナインスは確か二百年程前に死んでいたはずだ。それほど強くて誰に殺られたのだろうか?
私の質問にサンエルは答えない。絵の中にいるかつての伝説をじっと見つめたままだ。
代わりにキリカが答えた。
「人を愛したからだと言われてます」
「……えーと、格好いい理由ね」
私の相槌に天族への忠誠心が厚いキリカが半眼を向けてきた。いや、そんなメルヘンなこと言われても、他にどう返せと言うのよ?
「本当にそう言われているんですよ。今から二百と数十年前に後の世に『堕ちた勇者』と呼ばれる勇者が現れます。その勇者はとても強く単独で数えきれない上級魔族を屠ったと伝えられているほどです」
「それはアンデット以外の上級魔族をと言うこと?」
「はい。種族を問わずにと言う話です」
「なるほど、それは確かにすごいわね」
勇者は基本的に人類で唯一上級魔族に対抗できる個人戦力と考えられているが、それも仲間が居てこその話だ。
人間である勇者が単独で倒せる上級魔族は相性で優位に立てるアンデット族くらいのもので、他の上級魔族を相手にする場合は優秀な仲間の存在は絶対の前提条件となる。
私も上級魔族とは今まで数度しか戦ったことはないが、どれもサンエルが居なければ勝てなかった化け物揃いだ。あれを一人で倒したというのなら、その『堕ちた勇者』とやらは相当強かったのだろう。
まぁ、マイスター程じゃないでしょうけどね。
「過去に例の無いその勇者の力に興味をもったエイン様は、その勇者を自らの弟子とします」
「それが切っ掛けで愛が芽生えちゃった?」
「一説によると勇者の方がエイン様を愛してしまい、結婚を申し込んだそうです」
「おー? なんだなんだ? エイン様の話か? 俺も子供の頃、何度も聞かされたぞあの話」
「私も聞かされたわ」
「マレア、ビアン」
今いるのは一階で最も広い受付兼待機室、(ホテルのロビーのようなところだ)。こんな所でサンエル含め絵を見上げていたものだから何事かと興味を持ったのだろう。やって来たマレアとビアンも私達と一緒になって絵を見上げる。
二人の言葉から考えるにどうやら相当有名な話のようだ。恐らくはお伽噺とかそんな感じになっているのではないだろうか。
……あれ? なら何で天族命とも言うべきウチの母は、その話を私にしなかったのかしら?
「僕はもう寝るよ」
「え? ああ、うん。おやすみ」
やたらと感傷たっぷりに絵を見ていたサンエルがようやくその視線を絵から外した。普段無駄に明るい奴が急に暗くなると調子狂うわね。
「あとカエラ。君なら大丈夫だと思うけど、人の話をあまり鵜呑みにしないようにね」
「ん? まぁ、気を付けるわ」
私が頷くとサンエルは微かに苦笑して部屋に戻っていった。最後のは良く分からない台詞だったけど、お伽噺と事実は違うとか、そんな感じのことが言いたかったのかしら?
「えーと。…それで求婚してどうなったの?」
「エイン様はな、愛を知らなかったんだよ」
答えたのはマレアだ。それにビアンが頷いた。
「ええ。あまりにも優れたお方で生まれつき感情と言うものをほとんど持っておらず まさに純粋な天意の体現者だったらしいわよ」
「はい。ですから勇者の求婚にも応じませんでした。感情を知らないエイン様は愛など肉の欲が見せる幻想に過ぎないと言って、勇者の求婚を切って捨てたらしいんですよ」
「うわー。それはその勇者ショックだったでしょうね」
同じ断るにしても断り方と言うものがあるでしょうに。まさかこれで勇者が変な復讐心を燃やすとか言う話じゃないでしょうね。
キリカが人差し指を立てた。
「それがですね。勇者はめげずにエイン様に求婚するんですが、やがて自分に振り返ってくれないエイン様に一方的にある誓いを立ててしまうんです」
「誓い?」
そこで突然マレアが胸に手を当てて、イケメンボイスを出した。
「貴方は愛を幻想と呼びその存在を否定するが、幻想こそが人に力を与えるのです。そして貴方を想うこの愛があれば私は如何なる者にも決して負けはしない。師よ、愛しき者よ。見ていてください。幻想が生む無双の力を。それを持って貴方に愛の存在を証明してご覧に入れましょう」
うーん。こうして見るとマレアの奴、昔からそんな気配はあったけど、成長して女が惚れそうな女に見事に成長したわね。
遠くでオカリナが「わ~」とか言って手を叩いてるし。
「マレアさん、女優にもなれるじゃないですか? はい、皆さん。熱いですから気を付けて下さいね」
そこでニルがお茶を持って来てくれた。さすがは出来るお姉さんだ。私のためにお盆の上には角砂糖がこれでもかと載せてあった。
「つまり強敵を倒して再度求婚しようとしたわけね」
惚れた相手のために武勲を立てようとする勇者。何だか本当にお伽噺じみてきたわね。私はニルにお礼を言ってお茶を受け取った。その際、お盆の上にあった角砂糖は全部お茶の中に放り込んだ。
溶けきれなかった砂糖がジャリジャリ、ジャリジャリと口の中で音を立てる。カー、甘い! もう一杯。
「そうです。しかしそれが全ての悲劇の始まりでした。堕ちた勇者はよりにもよって悪魔王へと挑み、そこで囚われの身になるのです。そこで、その……あ! ありがとうございますニルさん」
一瞬何かを言いよどんだキリカがニルからお茶を受け取る。その間にマレアがさっさと答えを言ってしまった。
「エロいことされたらしいぞ」
「はー? …ああ、悪魔だもんね」
悪魔は精神に干渉するスキルを持つ者が多く、また性魔法なども巧みで、その気になれば人間一人を屈伏させるくらい分けもないだろう。
それ故に魔族、特に悪魔との姦淫は大罪とされているし、一般人の間では悪魔は人を誘惑するものと考えられている。
だが実際には悪魔が人間と肉体関係を持つことは極めて稀だ。これは単純にそこまで手間暇かけて人間を支配下に置いたとしても、返ってくるリターンが殆ど見込めないからだ。
自分の言うことを聞き、それなりに強いものが欲しいなら目的に合わせた魔物を作った方が遙かに効率的であり、今でこそこの間違った認識に色狂いが拍車をかけてはいるが、実際に悪魔がそこまで人間に労力を割くことは殆どないのだ。
「悪魔王ほどの悪魔が人間を相手にね。よっぽど強い奴だったのね、その勇者」
「はい。だからこそ起こってしまった悲劇とも言えます。勇者は一年もの間悪魔王の責め苦に耐えたらしいのですが、あることが切っ掛けでついに悪魔王に屈します」
「ん? あ、待って。それは聞いたことがある気がするわ。確か…そう、子供が出来たんだったわよね」
「はい。血を分けた娘を前に勇者はついに悪魔王に膝を降り、それ以降天族様方に仇なす最悪の敵として活動します」
「当然眷属化もされてるのよね。そりゃ強いはずだわ」
人間時でも上級魔族に匹敵するような人間が悪魔王の眷属になればその実力がどれ程のものとなるのか、想像に難くない。
「そんな勇者を倒したのがエイン様なんだぜ。ただエイン様もその時の傷が原因で死んでしまうんだ」
「勇者にやられたって事?」
いくら悪魔王の眷属となった勇者が相手とはいえ、最強とまで言われた天族がやられるとは思えないのだけど。
「いえ、その辺りは諸説あってハッキリしないんです。勇者と相打ったとも、悪魔王にやられたとも言われていますが、共通するのは悪魔王の眷属となり果てた勇者を見たエイン様が明らかに動揺し、そのせいで重傷を負い、そして死んだということですね」
「えーと、つまり結論としてエイン様はその勇者を愛していたということ?」
でなければ隙など見せないだろう。
「そう言う説もありますが、多いのは人である勇者を子供として愛しており、自ら手にかける直前に親としての愛情に目覚めたという話ですね」
「ふーん。確かに悲劇ね」
愛を知らなかった最強の戦士が愛を知ってしまったが故に敗北する。
お伽噺としては有り触れていそうな物語だが、それで最強戦力を失ってしまった天族にとっては笑えない話だろう。
「ええ。だから今思えば魔人国に流れていく人間に教会が必要以上に苛烈な対処をするのは、このような過去があるからかも知れません」
「確かに人類が裏切って天族に痛手を与えるという状況は今とよく似ているわね」
そして勇者が裏切ったというくだりには私も個人的に思うところがある。いや、きっとその事を考えているのは私だけではないはずだ。
「勇者かぁ。なぁ、魔人国の女王は盾の王国の元王妃なんだよな。それに大将軍は……。ならひょっとして……」
「はいはい、無駄話はそこまでよ。明日はせっかくの休暇なんだから、今日は早く寝なさい」
マレアの言葉をビアンが止める。私としてはマレアの言わんとすることはちゃんと話し合って置くべきことだとは思うのだが、ビアンの気持ちも分かるので今は黙っておく。
所詮は可能性の話。急ぐ必要もないだろう。
私は一つ頷くと、ビアンの意見に賛同した。
「そうね、寝ましょうか。二人とも出来れば次の仕事は魔人国と関わりの無いもので頼むわよ」
『色狂い』。個人的に興味はあるが相手は上級魔族だ。情報が足りない以上、迂闊に近づくのは危ないだろう。
当面の活動は増えた魔族や魔物を狩りつつ、魔人国の調査。こんなところになりそうね。
ビアンとオカリナの二人が頷く。
「了解よ、団長」
「が、頑張ります」
「ええ、お願いね。それじゃあお休み」
私は二人に手を振ると、今度こそ誰にも止められず自室へと戻るのだった。