有角鬼族の意地2
「イリイリアさん」
エクスマキナに吹き飛ばされた足や腕を氷で代用し、戦える態勢を取り戻した私の目に移ったのは、背後から胸を貫かれたイリイリアさんの無惨な姿。
致命所だ。心臓を潰されただけならともかく、それを行ったのは天族最強の兵器エクスマキナ。ああしている間も大量の魔力が内部からイリイリアさんの体を破壊しているだろう。それは残留し毒のように彼女の生を蝕む。
「こんなご時世ですもの。そんなに嫌わなくてもいずれ別れはやって来ますわ。その時まで本当の姉妹のように、どうか私と同じ時を過ごしては頂けませんか?」
初めて会ったとき、彼女に言った言葉がふと蘇った。
「ああ、今日がそうなのですね」
出合ってから五百年以上、想像していたよりもずっと長い時間を共に歩いてきた。今日が別れでも悔いはない。悔いはないがーー
「それはやることを全部やってからの話。ねえ? そうでしょうイリイリアさん」
私は冷気を含んだ魔力を全開に、エクスマキナ目掛けて駆け出した。
イリイリアさんもまだ諦めていない。逃がさないとばかりにエクスマキナの腕を両手で押さえつける。そしてその胸から溢れる血が茨のようにエクスマキナの全身に絡み付いた。
命をかけたイリイリアさん最後の抵抗。それに応えるためならこの命など惜しくはない。
「女王よ。氷の上の君臨者よ。我は氷河の民。熱持たぬこの身を汝の凍れる包容で抱き締めて! 『絶対零度』」
三重名詠唱により高まりに高まった第一級魔法。私はそれをすぐに放たずに左手に集束する。
「あっ!? あああああ!!」
強すぎる魔力に耐えきれず左手を中心に全身から血が吹き出す。でも止まらない。止まれない。エクスマキナ目掛けて駆ける足はそのままに、左手に集束した魔法に更に魔力を注ぎ込む。
まだだ。まだこの程度ではあの化物には届かない。自分の魔力で体が凍り付いていくのも構わず、魔力を高め続ける。
それに脅威を感じたのかエクスマキナがシールドを展開した。だがーー
「むだ…よ」
エクスマキナの体に絡み付いた血の茨が魔力を吸ってシールドの形成を防ぐ。それに気付いたエクスマキナはイリイリアさんを貫いている腕を大きく降って、血の茨ごとイリイリアさんを吹き飛ばした。
そしてエクスマキナは素早くシールドを展開しようとしたのだがーー
「命よ凍れ、世界と共に。魔技『生氷結』」
シールドの展開より早く私の全霊を込めた一撃がエクスマキナを直撃した。殴り付けた拳から放たれる冷気。あらゆるモノを凍らせるそれが容赦なくエクスマキナを襲った。
「くぅうう!?」
エクスマキナを殴り付けた左腕が氷の欠片となって砕け散る。胴体にも無数のヒビが入った。
だが0距離から魔技によって集束、倍増した第一級魔法を打ち込めた。これならーー
直後、凍ったはずのエクスマキナの腕が動いた。それに気づいた私は残った体力を総動員して後方に飛ぶ。
その際に腕と脚の代わりに代用していた氷がくだけ散り、私は受け身もろくにとれずに地面を転がる。
慌てて顔を上げればそこには平然としたエクスマキナの姿。思わず自嘲した。
「やはり、そんなに甘くはありませんのね」
死を覚悟して放った魔技。イリイリアさんの協力もあり、それはこれ以上ない形で打ち込むことができた。
なのに無傷。私の命がけの攻撃はエクスマキナの表面を凍らせただけだった。
分かってはいた。相手は億を超える数の魔族を屠ってきた最強の兵器。私やイリイリアさんが命を捨てたくらいで簡単に倒せるようなら、とうの昔に他の誰かが倒しているだろう。
初めから勝ち目なんてなかった。だがーー
「それが…なんだという話ですわね」
妹であるイリイリアさんがあれだけの意地を見せたのだ。姉である私が折れる訳にはいかない。
魔力も気も使い果たし、足と手の代わりに代用していた氷もくだけ散った。唯一無事な左足と魔力を使って無理矢理体を起こす。エクスマキナがこちらを見た。
「はあああ!!」
私は残りの魔力を振り絞る。凍れ。凍れ。凍れ。皆凍れ。
私から放たれる冷気を、しかしエクスマキナは意にも介さない。初めに襲いかかってきたとき同様、虫でも踏みつけようとするかのように何の警戒もなく、こちらに真っ直ぐ向かってくる。
そうして鋼鉄の拳が私を打ち砕こうとしたその直前ーー
「まったく、危ないですね~」
場違いな程に呑気な声が聞こえた。そしてエクスマキナの両腕が飛び、その胸から剣が生える。
「……オリジナル」
機械そのままの無表情さで、エクスマキナが背後を振り返った。そこにはエクスマキナによく似た金髪金眼の宝石のような美女の姿。
「はいはーい。貴方のお姉ちゃんですよ~。最後に言い残すことはありますかー? まぁ、あっても聞いてあげないんですけどねー」
金髪金眼の美女ーー堕天使が双剣を振るう。するとあれほど頑強を誇っていたエクスマキナが一瞬でバラバラになった。
「やれやれ、散々手こずらせてくれましたが、隙をつければこんなもんですかねー。さて、そっちの白鬼さんは大丈夫ですかー?」
よりにもよってこの女に助けられるとは。私は礼を言うこともできず、ただ呆然と彼女を見上げた。
「返事はないですけど、見た感じ死にそうにはないですねー。後の二魔は……一魔は死亡でもう一魔が重症といったところですかー。少し待っててくださいね~。もう一魔連れてきたら逃がしてあげますよー」
私に背を向けて歩きだす堕天使。その方向はサイエニアスさんと別れた方角だった。
「何故、私達を助けるのですか?」
「一応これでも私はリバークロスの従者ですからねー」
その理由は気紛れで有名なこの堕天使らしくもあったが、アクエロさんを除き、ここまで誰かの為に動く堕天使にほんの僅かな違和感を覚える。
「では、リバークロス様の従者であるエイナリンさんにお願いがありますわ。私をイリイリアさんのところまで運んでくださいませんか?」
「死体を運ぶなら私が運んであげますよ~?」
足を止め、面倒そうに振り返る堕天使に私は首を横に振った。
「いいえ。イリイリアさんは死んでません。私が助けます」
「はあ? いやいやー。いくらまだ死にたてだからと言っても、あの状態から蘇生出来るとは思いませんけどね~」
確かにエクスマキナの魔力が残留しているせいで、たたでさえ難しい蘇生の難易度が跳ね上がっている。通常の方法で蘇生させることはできないだろう。
ならば相応の代償を払うまでだ。
「私のスキルは『等価交換』。私の命でイリイリアさんを助けます」
「文字に書いた能力がすべて現実になるほどスキルは万能ではありませんよー。ただでさえ他者の体にはスキルは作用しにくいというのに。下手をすれば死体に生命力を意味も無く流し込むだけで無駄死にしますよー?」
「私とイリイリアさんなら問題ありません。血と精は命の証。同じ血を引く私達ならスキルもずっと通りがいいはずですから」
堕天使が頬に指を当てて小首を傾げた。どうやら伊達にリバークロス様の従者をやってはいないらしい。私達の資料にもちゃんと目を通しているようだ。
「あれー? 確か貴方達二魔に血の繋がりはなかったはずなんですけどー。どういうことですか~?」
「別に大した話ではありません。上級魔族を母に持つ姉と中級魔族を母に持つ妹。大切に育てられた姉はやがて父が外で何魔もの姉妹を作ってはすぐに戦場に送り込んでいたことを知ることになります。ですが既に時は遅く生きている内に会えたのはたった一魔の妹だけ。……それだけの、よくある話ですわ」
そう、別に珍しくもない。魔族がいよいよ追い詰められ、魔王が台頭してくるまでの、まさに最悪の時代。その時代において使える者は子供だろうが何だろうが容赦なく使われた。
例外と言えば将来貴重な戦力になる上級魔族の子供か、よほど奇特な親を持つ子供くらいのものだ。
会ったこともない私の妹達は容赦なく戦場に送られ、そしてそこで当たり前のように死んだ。それだけの、よくある話だ。
「なら、妹さんも血が繋がっていることを知っていたんですか~?」
「それは分かりません。私は言ってはいませんが出合ってから五百年も経っているのので、ひょっとしたらどこかで知った可能性もありますわね」
とはいえ私はイリイリアさんが事実を知っているとは思わない。昔に比べれば随分とマシにはなっているがイリイリアさんは少し視野が狭いところがある。一度のめり込めば持ち前の負けん気を発揮するのだが、興味の無いことには徹底して無関心。血縁者を探してみようなんて発想自体きっと持たなかっただろう。
「でも今一緒に居ると言うことは自分から会いに行ったんですよね~? そのとき自分がお姉ちゃんだって言おうとは思わなかったんですか~?」
「言う必要なんてありませんわ。だって血の繋がりなんて関係なく、この五百年間、私たちは本当の姉妹だったのですから」
「やれやれ、惚気ですか~? 羨ましい限りですねー。私もアクエロちゃんとそんな風にイチャつきたいものですよー」
呆れたように堕天……エイナリンさんがため息を突く。次の瞬間、私の体は彼女の魔力に包まれて浮きあがった。
「正直、失敗して白鬼さんにまで死なれたらリバークロスがうるさそうなので、本音としてはやらせたくはないんですけどね~」
そうは言いつつもエイナリンさんは私をイリイリアさんのすぐ傍まで運んでくれた。
「あら、気になるのはアクエロさんではなく、リバークロス様なんですか?」
「一応従者ですからね~。あっ、勿論アクエロちゃんの方がずっと大切ですよ~」
「そうですか。ではついででも良いので、これからはリバークロス様のこともちゃんと見てあげてくださいね」
脳裏にあまりにも若すぎる主の顔が浮かんだ。
私はもう十分に長い時間を生きた。有史以来繰り広げられてきた戦争も終わりが近い。ならば年長者として有角鬼族の若い子達のために何かしてみるのも良いかもしれない。そう思い私は魔王の息子の元に送られることを自ら志願した。
道具として送られても女として魔王の息子に取り入ることが出来れば、将来的に魔王の息子を使って有角鬼族に利益をもたらせられるかもしれない。
魔王の権力は時が立つほどに増大していっている。その勢いはすさまじく、最早どの種族であろうが一種族では対抗できないほどだ。そんな魔王の息子に取り入るのは決して無駄なことではない。そんな想いからの行動だったのだが計算外だったのはイリイリアさんまでついてきてしまったことだ。
私だけならともかく妹を酷い目にあわせられない。お陰でサイエニアスさんにまとめ役をお願いして、魔王の息子の性格を分析するところから始めなければならなくなった。
幸い魔王の息子は随分と甘い性格をしており、これなら時間をかけて関係を構築すれば必要なときに上手く行動を誘導できそうだと思った。だがーー
思い出すのは創造魔法を発動したリバークロス様の雄々しいお姿。その姿に我らが王の姿が重なって見えた。
その年齢でそこに居るのか!?
私は震えた。まるで我が王と初めて会った時のように、あるいは魔王を初めて識った時のように。若く、そして強大な力を前に何かが変わっていく。そんな予感がしたのだ。
正直、年甲斐もなくワクワクした。こんな気分は何百年ぶりだろうか? だから有角鬼族の利益とか抜きにこの方の力になるのも良いかもしれない。そう思ったのだが、まさかその直後に長い魔生の終わりがやってくるとは。
どれだけ長く生きても、生とはままならないものなのだと、つくづく思い知らされた。
堕天使が大袈裟に肩を上下させる。
「お願いするだけならタダなので好きなだけすればいいんじゃないですか~? 私がそれを聞くかどうかは別ですけど~」
「ではお願いしますわ。リバークロス様とその周りに居る者達を貴方の力で助けてあげてくださいな」
「リバークロスだけではなく他の連中もですか~? 強欲な奴ですね~」
呆れたように、あるいは可笑しそうにエイナリンさんが笑う。私も精々不敵に見えるよう笑って見せた。
「だって私、こう見えても鬼ですから」
「なるほど、納得です~」
これは了承ととっても良いのだろうか? いや、元より駄目で元々の話だ。気紛れな堕天使が気紛れを起こすささやかな切っ掛けにでもなってくれればそれで良い。
それよりも今重要なのはーー
「さて、お待たせしましたわねイリイリアさん」
愛しい妹の体に触れる。まだ暖かい。胸に視線を向ければ当然だが貫かれた心臓は完全に破壊されていた。スキルだけの力で蘇生は難しいかもしれない。それならーー
「エイナリンさん。私の心臓を取り出して、イリイリアさんに入れてもらえませんか?」
一から破壊部分を再生するより、その方が蘇生確率が上がるだろう。
「仕方ないですね~。合図をくれれば取ってあげますよ」
私は一度イリイリアさんの頬を撫でる。随分時間を無駄にしてしまったが蘇生は死んでからの時間が短ければ短いほど可能性が上がる。これ以上はもう時間をかけるわけにはいかない。
「……今すぐお願いしますわ」
なるべく綺麗に取り出せるように全身の力を抜いた。するとーー
「はい、取りましたよ~」
「え?」
何の痛みも、それどころか衝撃すらなかった。胸を見る。傷すらない。だがエイナリンさんの掌の上では心臓が一つ、未だ体に繋がっているかのように強く脈打っていた。
「本当に、貴方は化物ですね」
「お褒めにあずかり恐悦至極です~」
改めて実感する。目の前に居るのは魔族を滅亡の瀬戸際まで追い詰めた伝説の存在なのだと。
その姿は若かりし頃の憎しみと何よりも恐怖の象徴。魔生の最後を前に言葉を交わすのが彼女であることが、今更だがとても不思議なことのように思えた。
思わず苦笑する。
「何ですか~?」
「いいえ。何でも無いですわ。……では、すみませんが私の心臓をイリイリアさんの中に入れてもらえますか?」
「仕方ないですねー。ほら、これでいいですか~?」
「ええ。ありがとうございます」
私は魔力で自分の体を浮かしてイリイリアさんの上に覆い被さる。壊れた心臓と私の生命力。だがそれだけでは蘇生するにはまだ弱い。
「せっかく綺麗に取り出してもらったところ悪いのですが……」
「はいはい。血を与えたいんですね~」
エイナリンさんが指を鳴らすと胸に穴が開き、心臓を失ったその場所から大量の血がイリイリアさんへと落ちていく。
私はエイナリンさんに感謝をしつつスキルを発動した。血を通じて私の『生』がイリイリアさんに、そしてその代わりに私の中に『死』が流れ込んでくる。
ほどなくして最早私のモノではない心臓が脈打つのを感じた。どうやら無事成功したようだ。
「言い残すことでもあれば、妹さんに伝えてあげますよ~」
生命力を殆ど失い、既に生き物と言うよりはひび割れた氷の彫像のような私にエイナリンさんが声をかけてくれる。
「心配いりませんわ。共に歩いた時間の中で、言いたいことはとっくの昔に全部伝えてありますから」
ねえ、そうでしょう? イリイリアさん。
はい。本当にその通りですわ。フルフルラお姉様。
薄れ行く意識の中、可愛い妹の声が確かに聞こえた。それが嬉しくて、私は…、私は…ーー。