時間との勝負
「リバークロス殿」
儂らが地面に降りると直ぐに軍団長統括デカラウラスと統括補佐のウタノリアが兵を率いてやって来た。
「報告します」
ウタノリアが跪いた。
「この場所を囲むように十の転移魔法陣の出現とそれらを守る魔法具の発動を確認しました」
「転移魔法陣の配置はどうなっている?」
「ここから盾の王国へと繋がる直線上に三つが密集して、その三つの左右、少しばかり離れた場所に一つずつ。後はそれぞれ間隔を大きく開けてこの場所を囲んでいます」
「転移完了までの予想時間と転移してくる敵軍の数は?」
「規模が規模ですから多少の猶予はあります。しかしそれでも十分掛からないのではと。転移してくる敵数は魔法陣の規模から予想して一つの魔法陣に付き一万程かと思われます」
「このまま転移魔法陣の発動を許したら十万の天軍に囲まれるわけだ」
こちらは全兵合わせて五千。旗色が悪いにも程があるじゃろ。まともにぶつかり合うのは論外じゃの。
「盾の王国にいる魔王軍への救援要請は?」
「結界が展開されると共に長距離念話の妨害が始まりました。現在通信を試みてはいますが、恐らくこの包囲を抜けない限り念話は通じないものかと」
おのれ、ドーワーフ。用意周到すぎじゃろ。国を滅ぼした魔族に対する呪詛が聞こえてくるかのようじゃ。
「全員を率いて速やかに結界の包囲外に逃げる必要があるか」
………不味いの。シャールアクセリーナに兵を率いさせ線路の確認に行かせたことが完全に裏目に出ておる。合流を待っていたら転移が完成してしまう。かといってシャールアクセリーナ達を置いてはいけんし……。
ええい、これしかなかろう。
「デカラウラスとウタノリアは使える奴を連れてそれぞれ左右の魔法陣の発動を妨害してこい」
「了解しました。では後程」
ウタノリアは質問をすることなく、三つ編みを揺らして素早く去って行った。時間を無駄にしないその態度。頼もしいの一言じゃの。
「承知した。ただ……」
「何だ?」
意外なことに真っ先に飛び出していきそうなデカラウラスが僅かとはいえ貴重な時間を無駄にしてくる。
「正面の魔法陣は密集してるだけあって一番強力な魔法具が使われている。その上分かっているとは思うがあれは戦術級魔法具だぞ?」
戦術級魔法具。戦争で軍隊が用いるのを想定して作られた魔法具で、基本個人が扱うことを前提として作られているいる普通の魔法具とは起動させる為の魔力も、そして発動したあとの効果も桁が違う。
空を貫かんばかりの光の結界。戦術級魔法具の中でもかなり高位、それこそひょっとすれば特S級クラスのそれを本当に破ることが出来るのか? とデカラウラスは問うているのだ。
しかしその質問が出ると言うことはデカラウラスはこれから儂がどうする気なのかを言われずとも理解しているということでもある。こやつを軍団長統括に推薦してくれたサイエニアスには本当に感謝じゃな。
だから儂……、いや『俺』も彼女らを率いる魔将として恥ずかしくないように答える。
「それがどうした? あの程度俺一人で十分だ」
戦術級魔法具を破ることなどこの俺にとっては容易なのことなのだと、そう嘯いてやる。
一瞬だけ目を点にするデカラウラス。だが直ぐに腹を抱えて笑い出した。
「フッ。ガハハ! 良いだろう。ならば一番おいしい所はリバークロス殿に、いや大将に任せた」
そう言って今度こそデカラウラスは兵をまとめ駆けていった。さて、俺もうかうかはしていられない。
「ケンタロウス、カクカクカクロウ。お前達はシャールアクセリーナ達と合流次第全軍を率いて最短ルートで盾の王国を目指せ」
「むっ、しかし最短ルートには天族が……」
「道は俺がこじ開ける」
「カラカラ。カラカラ。一魔で? 流石に笑えんのだが。それに何故わざわざ魔法陣が密集してる所を目指す? 無理をせず魔法陣が少ない場所から抜けて身を潜めるなり、迂回して盾の王国を目指すなりしたほうが良いのでは?」
「アホか! この兵力が俺達だけに準備されたとでも思っているのか? これは明らかに盾の王国の奪還を視野にいれた転移だ。モタモタしていたらどんどん後続が来るぞ。第一向こうがこちらの行軍速度を上回っていたらどうする? 今のうちに俺達はなんとしても盾の王国周辺の転移妨害範囲に入らなければ孤立したまま全滅だ。分かったか? 分かったらとっとと自分達の兵をまとめろ!」
ここが魔族領内なら一つの進路にこだわらずとも良いだろう。だが生憎とここはすでに天族領内。向こうが包囲を完成しきる前に何としても魔族領内に戻る必要がある。
「むっ、承知した」
「カラカラ。カラカラ。……了解」
そして二人は兵を呼ぶと指示を与える。軍団長の下には師団長がいて、各種族の王子である二人につけられている師団長はさすがに優秀だ。てきぱきと兵をまとめ指示を出していく。これなら問題なさそうだな。
ケンタロウスとカクカクカクロウも優秀そうではあるのだが、やはりまだ若い。当分の間、二人は無理に戦わせたりせずに常に軍隊とセットで使った方が良いだろうな。
「リバークロス様。我々もお供いたします」
そう言ったのはサイエニアス。その後ろには俺の女達が並んでいた。
それぞれがずば抜けた実力をもった頼もしい女達だが、それでも死地に飛び込むとなるとやはり男の部下ももっと雇っておけば良かったと考えてしまうな。
「……ついてこれない奴は置いて行く。いいな?」
いや、この考え方は女達に対する侮辱か(ウサミン達は喜びそうだが)。戦場にいる以上、使える奴は使う。でなければ結果的により多くの仲間が死ぬことになるからな。
覚悟はあるのかと問うような俺の視線をサイエニアスは小揺るぎもせずに見返してくる。流石は俺の女、無事に帰れたらまた部屋に籠ることにしよう。
「ハッ。お任せを」
サイエニアスが軍人っぽい敬礼をしてくる。その後ろではーー
「久々に腕がなるわねイリイリアさん」
「その通りですわね。フルフルラお姉様」
「わたしもがんばります」
「ひえー。す、凄いことになってきたよ。……ね、ネコミン大丈夫? 顔が真っ青だよ」
「な、何いってんのよ。それはウサミンの方でしょ?」
「大丈夫だ。ウサミンもネコミンも何があっても私か守る」
「あらあら。まあまあ。大変なことになったわね」
「腕がなる。天族どもは一人残らずぶっ殺してやる」
それぞれがいつもの調子で息巻いていた。多少やかましいがそれ以上に戦意が高そうで何よりだ。そして誰よりも戦意が高いのがもう一人。
俺は今にも暴れだしかねないほどに感情を昂らせているソイツへと話しかけた。
(アクエロ)
(なに?)
(状況は分かっているな?)
(凄いドキドキする。頑張ろう)
絶望どころか不安の欠片もない、やる気に満ち満ちた声と感情がこれでもかと伝わってくる。日常では頭のネジが一つ外れてしまっているかのようなこの狂人が戦場を前にするとこんなにも頼もしく感じるのだから、本当に人の印象とは状況次第で大きく変わるものだと思う。
まあ、頭のネジが外れているのはオレも一緒なんだがな。
(あれをやるぞ)
俺のその言葉にアクエロが珍しく驚いていた。
(……本気? 私を信用するの?)
(ああ。お前は俺を乗っ取らない。少なくともいまはな)
(どうして?)
(お前が従者をやるのは結局は自分が楽しむためだからだ)
(それが何?)
(俺と協力して天族の大軍と戦う。こんな美味しいシチュレーションで以前失敗した二番煎じの手なんか使って、お前が楽しめる訳がないだろ?)
そもそもあの時は魔王を初め各種族の王や魔将などがいて、俺を乗っ取って戦いを挑むには最高のシチュエーションだった。だが、いまは? 俺を乗っ取っても天族には元々俺とアクエロどちらが肉体の主導権を持っていたかなんて知らないし、関係のないこと。それでは今一つ盛り上がらない。アクエロはきっとそう考えるはずだ。
何よりもアクエロは快楽の追求者。油断はできないが次何かやらかす時は前と同じパターンではなく、別のやり方を試してみるだろうと俺はほぼ確信していた。
ほんの少しの間、アクエロは口を閉ざした。それはまるで俺の言葉を噛み締めているかのような沈黙だった。
そして蛇が笑う。
(ふふ。さすがは私の式神。私のことが分かってる。さあ、絶望的な状況を覆す為に二魔で力を合わせて立ち向かいましょう。それはきっととても楽しいことだから)
魔術師として俺はその言葉に感動を覚えた。ああ、いいぞ。この状況で心底からそう思えるお前だからこそ、俺の相棒なのだ。共に行こう。力の極致。その果てに。
(信じてるぜ、アクエロ)
(愛してるわ、私の式神)
そうして俺達は共に詠う。
「月の扉を開けて、夜の帳を越えて、新しき朝を迎え入れよう」
詠唱に入った俺に騒がしかった周囲がピタリと静まりかえる。
「準言語のみの詠唱? いえ、これは……まさか我らが王と同じ?」
「そうですわ、フルフルラお姉様。この力はまさしく……」
(深淵を覗き、朝の静寂を打ち破り、黄昏に輝くこの世界を愛そう)
俺の中ではアクエロが同時に詠唱を唱えている。魔王の息子と悪魔王の娘が作り上げようとする魔『法』。体から自然と溢れ出す魔力が周囲を圧倒し始めた。
「ね、ネコミン。こ、これなんか危なくないかな?」
「退避、退避よ」
距離を取る者。魅いったように動かない者。反応は様々だが周囲にいる兵も含め、多くの視線が集まってくる。
「手にしたものは異なる理。異なる器。されどそれは我が望みしモノ」
「あらあら。サイエニアスこれは……」
「ああ。間違いないだろう。話には聞いていたがまさか本当に使えるとは。それもあの年齢で……信じられない」
(追い求めるのは永遠の悦楽。快楽よ、この身を満たせ。生命よ、輝くものであれ。私はただそれのみを願い、求める)
「むう。まさか、まさかこれほどとは。さすがはエグリナラシアが愛する男」
「カラカラ。カラカラ。これはさすがの我輩でもおいそれと妬め、妬め……ああ、羨ましい。そして口惜しい。何故我輩は……」
「我は行く。我は飛翔する。更なる高みへと」
(私は行く。私は囁く。まだ知らぬ悦びを知るために)
そうして俺たちの声は一つとなる。
創造魔法ーー『強者の飛躍』」
魔法が完成した瞬間、俺の魔力は周囲の者達を置き去りに際限のない高まりをみせる。
「お、おおお!?」
「わ、我輩。びっくりである」
最年少組である男達が見たこともない巨大な魔力の波動に腰を抜かさんばかりに驚いている。一方女達は皆それなりに齢を重ね、場数を踏んでいるだけあって何人かを除いて比較的落ち着いていた。マーレリバーだけは例外的に若いがイリイリアとフルフルラの二人が庇うように前に立っているので、特に問題は無い。
今の俺の魔力を至近距離で浴びてこれだけの反応で済むなら、戦場でも問題なく力を振るってくれるだろう。
俺は魔将として頼もしい部下達に命じた。
「それぞれ行動を開始しろ。ウケンロウス、シャールアクセリーナと合流するまでは本隊の指揮はお前がとれ」
それだけ言うと俺は飛び出した。女達を待つ気はない。ノロノロしている暇はないのだ。ここからの一分一秒が生死を分ける。まさにこれは時間との戦いだ。周囲の景色を置き去りに俺はただ空を駆けた。
「闇の女王がお前の耳元で囁いた」
目指す先は天を突かんばかりの巨大な光の柱。その中にある転移魔法陣を破壊して何としても天族達の転移を妨害しなければならない。
俺は世界の根源からこれでもかと魔力を吸い上げた。
「君臨者よ。闇の底に鎮座せし者よ。とぐろを巻いたその巨体を起こし光を堕とせ。汝、光を飲み干す者なり。汝、永遠の愛に焦がれた者なり」
密集した三つの魔法陣を目指す最中、別の魔法陣を目指す者達を見つける。俺の目指す三つの魔法陣を基準に右に離れた場所の魔法陣にデカラウラスが、左に離れた場所にある魔法陣にウタノリアがそれぞれ百名程の兵を率いて向かっていた。
頼むぞお前ら。俺の役割が最も重要なのは言うまでもないが、距離的に左右の二つの魔法陣は無視できない。下手をすればあの二つの魔法陣が機能するかしないかでこちらの命運が別れるかもしれない。それほど重要だからこそ、あの二人を行かせたのだ。
不安はある。あるが、それはあの二人も同じだろう。何せ俺が転移を阻止できなければ推定三万の兵が道を塞ぐのだ。そうなれば例え突破できたとしても多くの時間を費やすことになり、その間に他の場所で転移を終えた天軍が集まってくるだろう。その結果どうなるか、それは考えるまでもないだろう。
だからこそデカラウラスは時間を無駄にしてまで聞いてきたのだ。俺ではなくお前で本当にいいのかと。
そして俺はそれに魔将として嘯いてみせた。ならばやり遂げて見せるしかないだろう。
魔力を詠唱に乗せ、強く強く、かつてないほど強く練り込んでいく。
「汝こそ紛れもない闇の民。さあ、その顎を開いて全てを飲み干せ」
創造魔法を発動した上で唱える第一級放出魔法、それも三重名詠唱により高まりに高まったエネルギー。これで破壊できなければ……。
いや、違う。弱気になるな。出来る。絶対に破壊出来る。というわけで喰らえ!
『己の尾を食らう者』
巨大な大蛇のごとき闇のエネルギーが光の壁を飲み込まんとその顎を開ける。だがーー
「固!?」
返ってきたのは光の壁を蹂躙する闇の蛇の姿ではなく、想像を絶する堅固な守り、その手応え。光の壁の強度は俺の想像を遥かに上回っていた。ヤバイ。ヤバイ。ここで失敗するわけには絶対にいかない。…………やむを得ない。
「アクエロ。『強者の飛躍』の出力を上げろ」
俺の創造魔法は世界とより深く繋がり、その繋がりを維持し続けることで、決して尽きることの無い魔力を操れるというもの。だがどれだけ無尽蔵の魔力を誇ろうがその器である肉体には限界がある。それ故に常に肉体が壊れないように多すぎる魔力はほぼ垂れ流しの形にして必要な分だけを少しずつ有効活用しているのだが、魔法の出力を上げるには一度ちゃんと体の中に魔力を通す必要がある。当然その際肉体に掛かる負担は通した魔力に応じて増えていく。
(肉体容量の予想限界値を百に仮定。十パーセントから三十パーセントへ出力を上昇させる)
途端に体に凄まじい負荷、ではなく熱が宿る。同時に更に勢いを増す俺の魔法。
「うおおおお!!」
僅かな拮抗。だがついには光の壁を一つ打ち破った。高まりに高まった魔法はその余波だけで転移魔法陣をかき消す。残りはあと二つ。だがここでーー
「くそ、もうか」
転移魔法が本格的に発動し始めた。俺の放った魔法はそのまま別の光の壁を攻撃しているが……。クソ! 間に合うかどうかはぎりぎりだな。デカラウラスとウタノリアの方はどうなっている?
見ればデカラウラスの方は巨大化した巨人達が自らの身も顧みずに死ぬ気の特攻を光の壁に仕掛けており、もう少しで破れそうだ。ウタノリアの方は百人規模の高度な魔術で光の結界を破ろうとしているが、まだ時間が掛かりそうだった。いや、今は他人のことよりもーー
「さっさと砕けろぉおおおお!!」
自分の担当分をどうにかしなければ。最初の結界を破る際に魔法の威力が大きく減衰したので二個目の結界を破るのに思ったよりも時間が掛かる。転移魔法はいまにもその効力を発揮しそうだ。クソ! 仕方ない。
「アクエロォーー!!」
(三十パーセントから五十パーセントへ出力を変更)
途端、体が発火したかのような錯覚が俺を襲う。これはヤバイ。そもそもアクエロの設定の仕方事態がかなり怪しい。本当に百パーセントが限界点なんだろうな? 希望的観測や根性論とかを数値に入れてないよな? ……何て考えてる余裕はねえ。
「消えろぉー!!」
体を焼きつくさんばかりの渾身の魔力を魔法に乗せる。既に第一級魔法の威力の限界を越えつつあるそれを魔法ではなく魔術により制御する。村や町に放てば一撃で跡形もなく吹き飛ぶだろう。それどころか国だって消せるかもしれない。それほどの威力。それほどの威力を持ってしてようやくーー。
ピシリ、パシり。二つ目の結界に亀裂が走る。クソ、一つ目の結界より固い。だか行ける。俺はここだとばかりに結界の中に魔法を押し込めるつもりで魔力を乗せに乗せた。そして起こる大爆発。魔法陣は跡形もなく吹き飛んだ。
「よし、これで……」
残る転移魔法陣はあと一つ。既に全力戦闘を何度も行ったように肉体には強い疲労感がのし掛かっていたが、これさえ消せればーー
だが無情にもそこで光が満ちた。転移魔法が発動する。駄目だ。幾らなんでも最後の一つはもう間に合わない。デカラウラスとウタノリアの二人はどうなった?
見ればデカラウラスの方は巨人族達がその肉体を使い捨てる勢いで結界を攻撃。数と質の両方を備えた超質量の連撃攻撃により結界を破壊、魔法陣を打ち消した。
ウタノリアも高度な魔術により結界を解除仕掛けていたが、惜しくも間に合わず転移魔法が発動。
こうなった以上は仕方ない。他の場所で転移を終えたであろう五万の天軍がここへ駆け付けて来る前に俺達は推定二万の天軍を蹴散らして転移魔法妨害範囲に入り、そのまま盾の王国に逃げなければならない。
その為にもーー
「君臨者の名の下に敵の頭上へと満ちよ暗雲。愚かなる民、天を震わせしその雄々しき咆哮を持って蹴散らせ」
シャールアクセリーナがこちらの本隊を率いてやって来るまでの間、少しでも多くの兵を削っておく。
俺は転移完了直後を狙って天軍目掛けて魔法を撃ち込んだ。