見送り
「死にくされおんどれぁ~」
俺は姉さんを汚そうとする許されざる男に殴りかかる。まずは様子見の一撃。さすがに殺そうとまでは思わないので(ただし意気込みはそれくらい)、上級魔族なら普通に対応出来る程度の威力に留める。しかしーー
「お?」
防ぐか躱すかすると思われた一撃はウケンロウスとか言うクソガキの頬に綺麗に吸い込まれ、そのままその巨体をぶっ飛ばした。
車に跳ねられた人形のように地面を転がるウケンロウス。その無様な姿に俺は呆れ果てた。
「……おいおい。流石に今の一撃くらい避けろよ」
ぶん殴るついでに同年代の王子の実力を確かめようと思ったのだが、とんだ拍子抜けだ。まさかとは思うが親の七光りというだけでここにいる訳じゃないよな?
そんな心配をしている間にウケンロウスが立ち上がった。そして俺のところまで歩いて戻って来る。しっかりとした足取りで流石にダメージはないようだが、その姿は無防備そのものだ。それは俺の前に立っても変わらなかった。
「どうした? 俺が魔将だからと気にすることはないぞ。掛かってこいよ。それともまさかビビッたか?」
どうにもやる気が無さそうなので挑発してみる。しかしウケンロウスは表情一つ動かさない。まるで巌だ。そんな男が言った。
「俺にはお前の拳を受ける理由はあるが、お前を殴る理由はない」
「は? 姉さんの婚約者なんだろ? ここは俺から姉さんを力尽くでも奪おうとするところじゃないのか?」
「言ったはずだ。親は関係ないと。俺は俺の意思でエグリナラシアと共に居たいと願っている。ならば女達のボスであるお前から拳を振るわれればそこから逃げるわけにはいかん。何故なら彼女はきっとお前を倒したからと言って俺を認めはしないからだ。さあ、お前の気のすむまで殴ってくれ。その果てに俺を認めてくれたらこれ以上の喜びはない」
な、なんだこいつ? 無骨で厳つい顔してるくせに少しだけ格好良いような…。 い、いや騙されるな俺。嘘を言ってないと分かっているが、とにかく騙されるな。
「む、無抵抗を気取ったところでお前を認めるわけじゃないぞ」
むしろ俺としてはここで殴り合ってくれる方がいろんな意味で助かるのだが。しかしウケンロウスは両腕を組むとその場に腰を落としあぐらを掻いてしまった。
「構わん。お前が認めてくれるまで何度でも頼むつもりだ」
「その度にぶん殴るぞ?」
「構わん。いくらでも殴るが良い。その程度で俺は引かん。この気持ちは……本物なのだ」
「そ、そうか」
あ、なんかアカン。男としてそこはかとない敗北感。頭に上っていた血が一気に落ちた。
そして自分でやっておいて何じゃが練兵場を包むこの微妙な空気をどうすれば良いじゃろうか? 初顔合わせということもあって注目を集めていた儂がこんな暴挙に出ればそりゃあ目立つ。ましてや股間を蹴り上げた相手は巨人族の王子。ウケンロウスが喧嘩に乗ってくれたら互いの技量を見せるという意味でも盛り上がったのじゃろうが、これでは儂一人が悪者ではないか(あながち間違いではないのじゃが)。
こ、ここは秘技な~んちゃって! をやるべきじゃろうか。いやあれは扱いが難しい。一歩間違えれば儂の株がストップ安じゃ。
助けを求め周囲に視線を向ければサイエニアスは儂がどう行動するのか注視してはおるがフォローを入れる様子はなく、マーロナライアはあらあらといった感じでのほほんとしているし、アヤルネにいたってはマーロナライアの豊かな胸に頭を沈めて寝ておる。
まったくこう言うときに限って普段喧しいウサミン達はいない(儂が王妃達の所に置いてきたのが原因)。こ、こうなればウケンロウスの肩を叩き、爽やかな笑みでお前を試していたんだぜ(歯をキラリ)。みたいな感じで誤魔化すしかない。そ、そうじゃ。それしかない。はぁ。はぁ。よ、よし。やるぞ。爽やかさじゃ。爽やかに行って、最後に友情の握手。この状況を打開するにはこれしかないんじゃ。
「なんの騒ぎですのこれは?」
今まさにウケンロウスに近付いて歯をキラリさせようとしていた儂の背後から思いもよらぬ声がかけられた。
「ね、姉さん?」
「エ、エグリナラシア?」
まさかの当事者登場に儂もウケンロウスも等しく驚く。まぁ儂の場合は助かった安堵感の方が強かったがの。新たな魔王の子供の登場に明らかに場の空気が変わったし。やれやれ。短期は損気というが、次からはもっと気をつけねばな。
「どうして姉さんがここに?」
儂は内心でマイシスターに感謝感激しながらも外面はいたって平静に問いかけた。
「何言ってますの。大切な弟の魔将としての初任務。見送りに来るくらい姉として当然ですわ」
「耳早すぎない? 魔王様からご命令を賜ったのはついさっきだよ」
「ふふ。姉の偉大さを思い知ったようですわね」
髪をかきあげて得意気に笑うマイシスター。あ、さては儂の周囲に『耳』を潜ませておるな。妥当な所としてはアクキューレを含めた悪魔族の誰かかの? しかし、……ふーむ。情報収集か。軽視していたわけではないのじゃが、現代では基本そういうのは弟子に任せておったので、今一力を入れてはおらんかったの。やはり儂ももっとそっち関連にも力を入れるべきかもしれん。
「姉さんが居るならひょっとして兄さんも来てるの?」
「いえ、任務が外せなかったので残念ながら来れませんでしたわ。お兄様がフォローしてくださったので私は来られたのですが、実はあまり長くいられませんの」
「そうなんだ。無理しなくても良かったのに」
初任務といっても廃棄された可能性が高い場所を発見するだけの簡単な仕事じゃ。無論僅かなりとも成果を出せる余地は残っておるが、正直外れである可能性の方が高いじゃろうな。よって今回のこれは軍事演習の側面が強く、大げさに見送って貰うほどのものでもないんじゃよな。
「まったく。リバークロスは相変わらず冷めてますわね。こう言うときはありがとう姉さんと感激して抱きついて来れば良いのですわ」
マイシスターはそう言って両手を広げる。実の所タイミング的にもメチャクチャ感謝感激しておるのじゃが、まぁ部下の目もあるしそれをこの場で伝えるわけにはいかんの。
「姉さんには叶わないな」
儂は苦笑するとマイシスターとハグを交わした。うーむ。とても落ち着く良い匂いじゃの。
「それで? もう一度聞きますげどこれは……。あら? どうして貴方がここに居ますの?」
ハグを終えたマイシスターが不思議そうにウケンロウスを見た。
「お、俺は、その、リ、リバークロスにお前との仲を認めてもらおうと思ってだな」
「あら、そうでしたの? 中々良い心がけですわね。貴方のそういうところは好きですわよ」
む? ウケンロウスはテンパっておるが、マイシスターは何か気安い感じじゃのう。まさかとは思うがマイシスターも憎からず想っておるのじゃろうか?
「お、俺もお前のことはす、好きだ」
ウケンロウスがでかい図体に似合わない照れた仕草で自身の坊主頭を掻いた。
「「ちっ」」
思わず舌打ちをした……んじゃが、何か他にも似たような音がしたような?
「「ん?」」
一体誰じゃと横を見てみれば全裸にマントとを羽織った変態と目が合った。
「カラカラ。カラカラ。……あー。羨ましい。恨めしい。何でああいうイベントが我輩には起きないのだろうか? まったくもってけしからん。我輩以外に生命を謳歌しておるやつは皆死ねば良いのに」
「アホなこと言ってないでお前はさっさとその股間のエレファントしまえよ」
何故も何もこやつの場合は格好と性格に問題があるのではなかろうか? 大体お主は謳歌するしないの前にアンデットなので生命がないじゃろうが。始まる前からデットエンドじゃろうが。
「それでリバークロス。私の婚約者はどうでしたの?」
「え? あ、ああ。……ふん、全然駄目だね。姉さんにはもっと良い男がごまんといるよ」
実はちょっぴり格好良い奴じゃと思ったのじゃが素直に認めるのも悔しいので負け惜しみでも言っておく。
「あら、そうですの。なら婚約は解消ですわね」
「「え?」」
変態の次はウケンロウスと声が重なってしもうた。いや、というか……え? マジで?
儂が恐る恐るウケンロウスを見てみれば奴は捨てられた子犬のような顔でおろおろと狼狽しておった。その様子からは儂の前で見せた勇ましさなど欠片ほどもありはしなかった。
うーむ。流石にちょっと可愛そうになるの。
「えーと、姉さん? 俺がどうとかじゃなくて、姉さんの気持ちはどうなの?」
「私の気持ち?」
不思議そうに小首を傾げるマイシスター。くっ。何という可愛い仕草なんじゃ。さすがは儂のエンジェルさんじゃ。
「そうそう。勿論姉さんがウケンロウスと付き合うのが嫌だというなら婚約破棄出来るよう俺は全面的に協力するよ。でもそうじゃないならちゃんと考えた方が良いんじゃないかな。どうなの? やっぱりあの厳つい顔が生理的に無理とかそんな感じ? それなら仕方ないと俺は思うけどね」
ちなみにこれは誘導ではない。あくまで質問じゃ。本人の意思を尊重しようとしておるだけなんじゃ。
「確かに優れた容姿ではありませんが、別にそれで嫌いということはありませんわ」
「じゃ、じゃあ好きなの?」
クッ。溺愛しておる娘に恋人が出来る父親とはこういう気持ちなんじゃろうか? ああ、儂今から初任務なのに無性に酒が飲みたくなってきたんじゃが。
「好意というよりは好感と言ったところですわね。そもそも私にとっての理想の男性はお兄様やリバークロスですわ。それ以外の男はあまり興味がありませんの。でも私達上級魔族にとって子供を生むのは大切な仕事でしょ? リバークロスは相手をしてくれないので、仕方ないから一魔か二魔、手頃なのを確保しておこうかな程度の気持ちですわね」
「そ、その考えはどうかと。子供を持つのは大変なことだし、やっぱりパートナーは真剣に選ばないとね」
うーむ。自分で言っておいて何じゃが、既にハーレムを結成しておる儂がこんなことを言っても驚くほど説得力ゼロじゃな。
「別に適当に決める気はありませんわ。ちゃんと見極めて合格ラインを越えた者の中から一番良さそうなのを選ぶつもりですし、それに誰との子であろうと私の子として生まれた以上、立派な魔王軍の魔族に育ててみせますわ」
「まぁ、確かに姉さんなら良い母親になるだろうね」
とにかく身内には物凄く優しく良い姉じゃからなマイシスターは。それに最近では身内以外の者にも無意味にキツく当たることが減ってきておる。無論まだまだ儂らに接する時と比べれば容赦がないが、その容赦のなさが逆に威厳のようなものを感じさせたりもするのじゃから大したものじゃ。
きっと儂の居ないところでマイシスターはマイシスターなりに色々と成長しておるのじゃろうな。嬉しいような、寂しいような。そんな気持ちじゃて。
「姉さんの考えは分かったよ。とにかくそれなら尚のことウケンロウスのことは俺の言葉でなく姉さんの意思で決めてくれる?」
儂の負け惜しみから出た一言で本気で惚れた女との婚約を解消されたとなったら、無抵抗を気取っておったこの男も今度はさすがにキレるじゃろう。股間蹴り上げておいてスゲー今更じゃが、軍団長と仲違いしてもろくなことにはならん。だからここは後腐れがないようにマイシスターに自分で決めてもらうのが一番じゃ。
儂の言葉にマイシスターは少しだけ考えるそぶりを見せる。ちなみにウケンロウスは乙女のように両手を合わせて祈るようにマイシスターを見ておるんじゃが、あのガタイであのポーズは……いや儂のせいじゃから別に良いんじゃがね。うん。
「分かりましたわ。ではウケンロウス。貴方とは今まで通り婚約者と言うことにしてあげますわ。私はどちらでも良かったのですけど、精々リバークロスに感謝することですわね」
「そ、そうか。その、助かる。俺はお前と一緒にいたいからな」
「それなら精々精進することですわ」
「ああ。お前に相応しい男になれるよう頑張ろう」
心底からほっとした様子のウケンロウス。こやつ例え上手くいったとしても絶対マイシスターの尻に敷かれるの。
「チッ」
そして変態マントが憎々しげにそんなウケンロウスを睨み付ける。骸骨姿ならまだ表情が分からんから良いが、美男子の顔立ちでやるから嫉妬の表情がこれでもかと表現されておる。第三者の儂にまで刺々しい気配が伝わってくるようじゃ。もうこやつはさっさと骨に戻って欲しいんじゃが。
儂が半眼で変態マントを見ておると練兵場に入ってくる者達がおった。
「お待たせしましたリバークロス様」
「アクエロ。戻って来たか」
アクエロの後ろにはウサミン達三人と巨人族からの贈り物である魔物を引き連れたマーレリバーにフルフルラとイリイリアの姿。ふむ。一先ず役者はそろったの。
「行くのですわね」
「ああ。そんなに長くはならないだろうけど姉さん達も任務があるんだろ?」
聞いた話によるとマイシスターとマイブラザーはシャールエルナールのもとで軍団長をやっておるらしい。
「ええ。まだシャールから詳しい話は聞いてはいないのですけど、私達もこの後幾つか用事を済ませたら魔王城を発ちますわ。ひょっとするとけっこう大きな戦に参加することになるかもしれませんの」
「……大丈夫なの?」
考えてみれば魔将なりたての儂よりも魔将上位のシャールエルナールの軍団長になった二人の方が危険な仕事に着きやすいのではなかろうか?
「心配無用ですわ。何故か今度の仕事はお兄様もかなりやる気でいつになく入念な準備をしてますの。お兄様が本気を出された以上天族だろうが何だろうが負ける気がまるでしませんわ」
「へえ。兄さんが。それは珍しいね」
マイブラザーはやるときはやる男じゃが、普段は昼行灯を気取ってあまりそう言う側面を見せたがらない。そのマイブラザーがやる気とはかなり重要な仕事のようじゃな。
「だからリバークロスは自分の心配だけしていれば良いですわ。もし本当に困ったことがあればすぐに私に言いなさいな。シャールをぶん殴ってでも必ず助けに行きますわ」
「姉さんこそ俺に出来ることがあったら何でも言ってよね。どんな時でも必ず助けに行くよ」
「生意気ですわね。弟のくせに」
「弟だからだよ」
そう言って儂とマイシスターは互いに笑みを浮かべ合う。ふむ。マイブラザーもそうじゃが、転生しようと決めた時はまさか儂にこんな素晴らしい家族が出来るとは思わなかったの。
マイシスターがそっと儂の体を抱きしめ、そして離れた。
「では、行ってらっしゃいですわ。リーバークロス」
「ああ、行ってくるよ姉さん」
そうして儂は魔将としての初任務に赴く。帰ってきたらマイシスターとマイブラザーを誘って商業区に遊びに行くのも良いかもしれんの。マイシスターの温もり、その余韻に浸りながら儂はそんなことを考えるのじゃった。