眷族マーレ・エルシア
「邪魔するぞ」
眷族となったマーレ達に与えたいくつかの部屋。その内の一つである部屋の前でノックをするべきかほんの少しの間悩んだ儂は、すぐにこの部屋がなんの部屋なのかを思いだしてそのまま開けた。
「リバークロス様」
かなり広いだけの殺風景な部屋。魔法の練習や軽く体を動かすためのその場所でマーレとギンガが互いに杖と槍を手に向き合っていた。
すぐに儂の下にマーレが駆けつける。同時に背後でサイエニアスが対応しやすいように立ち位置を変えるのが分かった。ちなみにアクエロも付いて来たがったのじゃが、エイナリンの機嫌がやばかったので従者の仕事を手伝わせることにした。
それにしてもサイエニアスの奴、マーレが儂の眷族になっておると事前に教えてもこの反応。護衛としては正しいのかもしれんが仲良くさせるには時間が掛かるかもしれんの。
「ご足労ありがとうございます」
マーレが跪き頭を垂れる。儂は一先ず会いに来なかったことを謝ることにした。
「放ったらかしにしておいて悪かったな。色々と忙しくてな」
何せ桃源郷におったからの。現実よサラバ! 的な感じじゃったわ。あ~。早くあの幸せな空間に戻りたいの。
「いえ、問題ありません。お気遣いありがとうございます」
「ここでの生活はどうだ?」
「お陰様で快適に過ごさせてもらっています。ただ……」
「ただ、何だ? 遠慮は要らん。言いたいことがあるなら言ってみろ」
聞き入れることが出来るかは別の話じゃがの。
「では僭越ながら。何かしらの役割を与えて頂ければと」
「役割、ね」
まぁ、元々マーレはダークエルフになったことで割り切りこちらで生きていく気満々じゃったからの。こんな半ば幽閉されておるだけの状況に満足できんのも当然じゃろう。
「ギンガもか?」
儂はマーレと比べると随分ゆっくりやってきたギンガに視線を向ける。ギンガは全身を黒い甲冑に包み顔には黒い仮面のようなものをつけ、かろうじで見えるのは唇くらいじゃ。恐らくスキルで作っておるのじゃろうがどういうつもりでそんな格好をしておるのか聞くと儂の繊細な心にダメージがいきそうなので触れないことにする。
「俺はリバークロス…様の命令に従うだけです」
うわ。何とか態度には出さないように頑張っておるが、メッチャ嫌そう。完全にやる気ゼロじゃな。儂は視線をマーレ達の遥か後ろにいる二人の少年少女に向けた。
「……あいつ等は邪魔になると思い俺が来るなと言いました」
ギンガがすかさず庇うようなことを言う。いや、別に挨拶に来なかったのを怒っている訳ではないからの? 当然じゃが警戒されまくっとるの。こんな状態で何か命じてもろくなことになりそうもないし、かと言っていつまでも放置しておくのもなんじゃしな。う~む。…とりあえず無難なことでも命じておくか。
「ギンガはこのままあの二人を鍛えていろ。マーレは有角鬼族のフルフルラとイリイリアの下で魔物の育成を手伝って貰う」
あの二人なら万が一でもマーレが馬鹿なことをしても対処できるじゃろうし、魔物の育成なら上級魔族に比べて身体能力が劣るマーレでもやれるじゃろう。
「ありがとうございます。全力を尽くします」
「何か聞いておきたいことはあるか?」
「では一つだけ。その魔物はリバークロス様がお作りになられた魔物ですか?」
「いや、違う。この間祝いの品として巨人族から送られてきたものだ。まだ小さいのも結構いるが将来的にはかなりの戦力になりそうだからな。五十頭ほど居るんだが俺はまだ手勢が多くはないからお前が手伝ってくれるなら助かる」
ちなみにフルフルラとイリイリアも儂のハーレムメンバーに入ってはおるが、儂がサイエニアスを気に入ったのを見て若い者の邪魔にならないようにと、少し距離を置くことでサイエニアスを立てておる。
ちなみにフルフルラが八百歳でイリイリアが七百九十歳。どちらもマイマザーより年上じゃ。何でも有角鬼族の王の元ハーレムメンバーらしいのじゃが、自分の女を送ってくるなんて何を考えておるのじゃろうか? お陰でことに及ぶ前に本当によいのかと同じ意思確認を何回も繰り返してしもうたわ。
ただサイエニアスもそうじゃが、長く生きているだけあってフルフルラもイリイリアもかなり強い。あれだけの強者を簡単に送ってこれる辺り、有角鬼族と言う種の途方もなさが窺い知れると言うもの。出来れば友好的にいきたいものじゃな。
そこでふと気が付いた。巨人族から送られてきた魔物もかなりの強さを誇るのじゃが果たしてマーレに育成できるじゃろうか? いや、それ以前にーー
「……何でしょうか?」
儂の視線に気づいたマーレが控えめに聞いてくる。う~む。やっぱり気になるの。
「立って魔力を全力で練ってみろ」
「え? ……分かりました」
怪訝な顔をしつつも素直に立ち上がると魔力を練り始めるマーレ。その力は儂の眷族になっただけはあって恐らくエルフの中では群を抜いておる……はず(他のエルフを知らないから眷族になる前のマーレと比べるしかない)。じゃが、それでも中級魔族の上位に入れるかどうか。ぶっちゃけると弱い。儂のハーレム最弱のネコミンにも瞬殺されるじゃろう(ちなみにギンガはパッと見、上級の下位と言ったところか)。
「賢者というのは第一級魔法が撃てる者のことではないのか?」
「その認識で間違いありません」
「本当に撃てるのか?」
幾ら眷属になってまだ日が浅いとは言え儂の力をブーストしてこの程度。それで第一級魔法なんて本当に撃てるのじゃろうか? ……怪しい。
しかしマーレは儂の疑いの眼差しに怯むことはなかった。
「はい。正し最低でもA級相当の魔法具の補助と五色以上の魔法石を二十、可能なら三十程必要とします」
「それは……随分と奮発するな」
魔法石の大きさにもよるが五色以上を三十となると結構馬鹿にならん。
「はい。ですから賢者、勇者もそうですが各国の支援をほぼ無条件で受けられる制度が確立しています。そうでもしないととてもそんな量が手に入らないからです」
なるほどいろんな国からちょい、ちょい、集めるのか。
「しかしそんな集め方で集めた魔力石でよく魔力を収束できるな? やはり勇者や賢者専用の職人でもいるのか?」
同じ色の魔力石でも当然形や大きさによって増幅できる魔力の量や伝導率は変わってくる。そういった誤差は魔術を扱う際、非常にやっかいな乱れを生むので、基本的に魔法具に使われる魔力石は加工された物を使う。しかしこの加工が中々に難しく、更に保有魔力の高い五色以上の魔力石となれば儂のような魔術師か、あるいは錬金など特殊なスキルを持つ者でないと加工することはまずできんじゃろう。
だから普通に考えたら国が集めた魔力石を専門の職人達が加工して勇者や賢者に渡すという工程を踏んでいるはずで、そんな分かりきったことを聞いたのは一応の確認と、コミュニケーションの一環のつもりじゃった。
「失礼しました。言い方が悪かったですね。私たちが各国に出向いて石を貰うのではなく、各国の魔力石はドーワーフの下へと送られ、そこで加工されます。それを教会が必要に応じて受け取り私達に配分します」
「ん? なら大量の魔法石がドーワーフの国一つに集められているのか?」
あれ? これって凄い戦略的に重要な話ではなかろうか? そう期待したのじゃが。
「いえ、ドーワーフの国はその性質上貴重な品を多く製造または取り扱っていますので、小国という形で各国の庇護に収まりつつ各地に点在しています」
「なんだ。そうか」
流石に魔法石ほどの貴重品を一ヶ所に集めるほど向こうも阿呆ではなかったの。ちょっぴりガッカリしたような、あるいは安堵したような、そんな複雑な気持ちになる儂。
「あの、リバークロス様。発言よろしいでしょうか?」
「ん? ああ勿論だ。何だ? サイエニアス」
儂の背後に居たサイエニアスが発言したので振り向こうとしたのじゃが、儂がマーレに背中を見せるのを嫌がったのか、サイエニアスは素早くマーレの横に移動すると同じように跪いた。
「今のダークエルフの発言なのですが、我々の認識では確かにドーワーフの国は各地に点在していますが、各国の庇護に入っていると言えるほど地理的に近くはないのですが。事実今回も魔王様率いる我々魔王軍は盾の王国を攻め落としましたが、一番近いドーワーフの国まではかなりの距離があり、盾の王国陥落を知ってもそこのドーワーフ達は逃げようとすらしていないほどです。よってそこのダークエルフの庇護に入っているという言い方に疑問が残ります」
はて? マーレには眷属化の際に多くの制約をかけたので儂に嘘をつけんはずじゃが。だいたい儂は悪魔なのでマーレが嘘をついてないことは分かっておる。そして同時にサイエニアスが嘘をついてないことも分かっておる。
「……ということらしいのだが?」
流石にこれだけの情報で考えても分からないのでマーレに直接聞いてみる。マーレの態度は何も変わらない。
「それは…」
そうしてマーレが口を開こうとしたその時ーー
「マーレ!! それい……ぐわあああ!?」
「お袋?」
恐らくは制約に触れたのじゃろう。突然のたうち回りだしたギンガ。そんなギンガの下にギンガの息子である少年が駆け寄る。
「テメー! 悪魔! お袋になにしや……がぁ!?」
「ヘイツ!?」
今度はマーレ妹が叫ぶ。一瞬で少年の背後に回ったサイエニアスが少年の頭を床に叩きつけたのじゃ。マーレ妹がこちらに駆け寄って来ようとするが、意味もなく怪我人を増やしてもあれじゃし、儂は魔力式念動力でマーレ妹の動きを止めた。やれやれ本当に手間の掛かるガキンチョ共じゃの。
「殺しますか?」
ボニーテールをわずかに揺らして淡々と聞いてくるサイエニアス。
「いや、いい。それと少年。俺はなにもしていない。ギンガが俺との約束の一つ、意図して俺に不利益をもたらさないと言う制約に勝手に触れただけだ」
今の状況だと発動するかはかなり微妙じゃが、恐らくギンガの中ではマーレがこの話をした時点で儂が利益を得たと言う認識になったのじゃろうな。つまりこの情報は恐らく……『当たり』じゃ。
「……マーレ。続きを言え」
「よ、よせ。マー……ぐわあああ!?」
懲りずにまたのたうち回るギンガ。やはり儂が眷属にする前からダークエルフになりかけていたマーレとは違いギンガの心は簡単には魔族側には来ないの。役割を与えて適当に会話をしたら帰るつもりだったのでこんな展開になるとは予想外じゃ。サイエニアスを連れてきたのは失敗じゃったか? サイエニアスの様子を窺ってみるが少年を黙って押さつけておるその姿からは何を考えておるのか分からない。分からないが儂の眷族のこの醜態を見て……いや、今はマーレの話を優先するべきじゃな。
儂が視線を向けると、マーレは躊躇うことなく続きを口にした。
「魔族の方々が知っているドーワーフの王国は実は魔族の方々の目を誤魔化す為のもので、そこにあるのは主に逃走手段であり、重要な物は殆んどありません。戦争に必要な物を即座に各国に提供できるようにドーワーフの本当の国は必ず各国の近くにあるのです。これを私達はドーワーフの真の王国と呼んでいます」
サイエニアスが小さく手を上げた。
「発言よろしいでしょうか? リバークロス様」
「許す。どうした?」
「ダークエルフになったのは何もそこの者だけではありません。その情報が出てこなかったのは不自然では?」
「確かにな。……ああ、少年は放してあげて良いぞ」
「かしこまりました」
サイエニアスが組み伏せていたギンガ息子を離した……が、その際に魔力を衝撃波として放ち、ギンガ息子の意識を奪った。ちとやり過ぎなような気もするが、この少年うるさいので仕方あるまい。儂は魔力で動きを封じていたマーレ妹を放し、少年を介抱させることにした。
「それでマーレ。今のサイエニアスの意見について何か反論は?」
「ダークエルフになった者に賢者がいなかっただけかと。また例え賢者がいてもドーワーフの真の王国の場所は秘匿されているので実証できなかったのではと思います」
「なら、マーレも場所は知らないのか?」
この話が事実なら戦略的にかなり大きな情報なのじゃが実証できないことには無意味。……いや、斥候を出して調査してみるか? この情報を聞いたことがある者がいたとして、その者が魔王の息子であり、魔将でもある儂よりも優れた調査能力を持っていたとは限らない。何よりも儂の立場ならマイマザーに言って飛びっきり優秀な部隊を調査に出してもらうこともてきる。
……ふむ。儂も成人となったし、いつまでも穀潰しというわけにもいかん。この時代の魔族として生きていく以上、戦争での戦果を求められるのは当然じゃろう。なら相手が人間でなくあまり感情移入することもないドーワーフで功績を立てておくのも悪くないかもしれんの。そう考えておるとーー
「いえ、私は知っています」
良い意味での予想外の返事がマーレから飛び出した。
「……なんだ? 機密に触れる立場にでもいたのか?」
上級魔族の視点で見れば大したことのないマーレじゃが、むこうでは賢者と呼ばれる存在なのだから、そういった地位に就いていたとしても驚きはせんな。
「いえそういうわけではありません」
「? ならなんでお前は知っているんだ?」
儂の当然の疑問に初めてマーレは少しだけ躊躇う様子を見せた。しかしそれも一瞬のことーー
「……故郷だから」
「は?」
聞こえてはおったが思わず問い返す儂。こやつ今、さらりと爆弾を落とさなかったかの。
「父がドーワーフ。母がエルフ。ギンガも元々盾の王国の近くにある村に住んでいてその縁で知り合いました」
ギンガが小さく馬鹿野郎と呻く。あ~。アカン。すっごくヤバい。これってあれかの? このままいけば最初と二番目の眷属の故郷を儂が滅ぼしちゃうパターン? 何その悪魔? あっ、儂悪魔じゃった。などと現実逃避しとる場合ではないの。
「ちなみにギンガが居たとか言うその村は?」
「魔物の大群に襲われてとっくに滅びました」
あっ、良かった。いや、良くはないか。お悔やみを……言わんほうがええの。それにしても問題はマーレの奴じゃ。いくら儂の質問に対して嘘が付けんからと言ってもいくら何でも平然としすぎではなかろうか?
「お前、本当に分かっているんだろうな?」
何を、までは言わずとも流石に通じるはず。実際マーレは聞いてこなかった。
「自分でも不思議……です」
「何がだ?」
「大好きな故郷だったはずなのに。それを悪魔に、リバークロス様に売り渡してしまったのに。まるで悲しくないことがです」
そうしてマーレは虚ろな瞳を儂に向ける。
「以前の私はきっとダークエルフへと堕ちてしまった時に、あるいはリバークロス様の眷属となった時に死んだんだと思います。だから…全然悲しくないんです。でも不思議ですね。同時に悲しくないことが少しだけ悲しい…そう感じてしまいます」
心と肉体、果たしてどちらが真の自分足り得るのか。答えはなくとも分かっている事実が一つある。それは心が変われば肉体に、肉体が変われば心に必ず変化が現れるということじゃ。ならば種族がいきなり変わってしまったマーレの心はどのようにその現実を受け止めておるのか。未だ魔王の血に振り回されておる儂は、この時初めてその場凌ぎで作り出した眷族に共感を覚えた。
「リバークロス様。私、少しはお役に立てましたか? 今の私には何もありません。だから居場所が欲しいです。これからも私を貴方の下において頂けますか?」
戦争をしておる以上、マーレもここに来るまでに多くの魔族を殺したはずじゃ。だから安易な同情はしない。しないがその自分を求めさ迷うかのような切実な言葉は儂の心にズシンと響いた。
だから儂はマーレへと手を伸ばす。……悪魔の手を。
「ああ、勿論だ。改めて宜しくな。俺の最初の眷族マーレ・エルシア」
マーレは安心したように息を吐くと伸ばした儂の手を掴み握り返してきた。その顔には損失してしまったかつての自分を悼むかのような悲しげな微笑が、そして儂の顔にはきっと共犯者を見つけた人でなしの笑みが張り付いていたことじゃろう。だがそれも仕方のないことではなかろうか。何故なら儂はもう人ではない。悪魔なのだから。……人類の敵なのだから。その覚悟をこれからもっと固めていかなければならない。マーレの手を握った儂はそんなことを考えるのじゃった。