王達の思惑 その一
「魔王様の子が魔将入りか」
私はグラスに注がれた血のように赤いワインを揺らしながら、先日行われた支配者の儀を思い出していた。
今は多少大人しくなってはいるが、それでもその在り方が危ういことに変わりはない例の悪魔王の娘、その心臓を得ていると言うだけでも驚愕ものであったというのに、まさか創造魔法を行使するとは。いやはや、規格外にも程がある。
これほど脅かされたのは何百年ぶりだろうか? その他の資質。魔力量、バトルセンスどれを取っても申し分なかった。無論王である私から見ればまだまだ甘いが十三歳という年齢を考慮すれば天才的と言う他ないだろう。
まさに魔王の麒麟児。その名に偽りなしだ。
「父上、このような時間に珍しいですね?」
私の巣に幾つかある庭園。その中でも特にお気に入りの東屋。ワインを片手に月を眺めている私に遠慮がちな声が掛かった。
無論私は声を掛けられる前からその気配に気付いていたので、何ら動じることなく声の主である愛しい娘へと顔を向けることができた。
王たる者、いついかなる時も慌ててはならないものだ。
「なに、今夜は月が綺麗だったものでな。月見ついでに一杯やっていたのだよ」
グラスを掲げ、ガラス越しに月を見てみる。そんな児戯を通してさえ世界は美しい。夜に輝くその姿のなんと雅なことか。世界という美の前では、私と言う存在のなんと小さなことか。
気づけば瞳から涙が溢れていた。ああ、これはいけない。王たる者が安易に涙を見せるとは。ハハ。無様な父を笑っておくれ、愛しい私の娘。
「これは妾としたことが、お邪魔だったでしょうか?」
そう言って娘ーーカーサアンユウは申し訳なさそうな顔をする。
おお、可愛い娘よ。愛しい我が子よ。父はそんな反応を期待していた訳ではないのだよ? もっと親しげにパパと呼びながらこの胸に抱きついてきて良いのだよ?
そうは思っても無論口には出来ない。王たる者、何時いかなる時も民の見本とならねばならないからだ。我が子を過剰に贔屓すればそれは不平を生み、不平はいずれ不満を呼ぶだろう。
ああ、なんと言うことだろうか。まさに私は王と父の間で揺れる悲劇の支配者。だが例え血の涙を流し尽くすことになろうとも、私はこの身に課せられた責務から逃げるわけにはいかないのだ。
娘よ、愛しい者よ。父として至らないこの身をどうか許しておくれ。
「父上?」
娘が決して口にできない激しい葛藤に揺れる私を不思議そうに見つめる。その瞳に貫かれただけで私の父性が王の耐久値を軽く突破し「フッ、はー」と叫びながらその愛しい体を抱きしめてやりたくなるよ。フフ。勿論しないがね。
「いや、構わないよ。丁度いい。少し付き合いなさい」
「喜んで」
娘は微笑むとゆっくりとこちらに歩いてくる。どんなときも余裕をもった行動を。私の教えに恥じない優雅な足取り。私は思わずその手を取って月明かりの下ダンスに興じたくなってしまったよ。フフ、だが駄目だ。ここは我慢だよ、私。娘とはこの機会に腰を据えて話す必要があるのだから。
「妾にお話があるのですね?」
娘は対面の席に座るかと思いきや、ワインの瓶を持って私の傍らに立った。
私としてはそんな従者の真似事をして欲しいわけではないのだが、下々の気持ちを汲むのも王たる者の役目。私は娘の好きにさせてやることにした。
「さすがは私の娘。話が早い」
ワインを口に含む。黄金の魔力石と選りすぐられた者達の血を混ぜ込んで作ったこの美酒。一口飲むだけで素敵な陶酔感を味合わせてくれる。そのあまりの効力に思わず元気一杯ですと自己主張をしようとする体のある部分を嗜めながら、私はこの世の極上を飲み干した。
「さて、彼に会ったそうだね」
私が空になったグラスをテーブルに置くと、すかさず娘がワインを足してくれた。
「……申し訳ありません。嫁入り前の身でありながらはしたない真似をしてしまいました」
そう言って頭を下げる愛しい私の娘。
血を重んじる我々吸血鬼にとって男女の営みと言うのは非常に大きな意味を持つ儀式だ。従者も連れずに異性と二魔だけになる。これで相手がただの友人ならまだ幾分かはマジだが、将来契ると決めた相手と軽々しくそのような時間を作るのは誉められたことではない。
仮に何らかの事情で嫁ぐ先が変わってしまった場合、血に嘘を混ぜる。もしくは混ぜたと疑われるのは我々吸血鬼にとってこれ以上ない恥なのだ。
その恥を贖うためならば我々はいくらでも血を流すだろう。どこまでもやるだろう。血も精も命の証。これはそれほどの問題なのだ。だが今回はーー
「気にすることはない。確かに通常ならそれぞれの従者をつれ、二魔で会う前に最低三回は互いを知る場を設けるところだが、今回は会いに行ったわけではなく偶然なのだろう?」
「誓って」
力強く頷く娘の言葉に嘘はない。それは長い年月を生きた私の眼力が保証しているし、大体あの日の両者の行動は一通り洗ってある。
娘は友人と商業区に遊びに行っただけだし、魔王様の子供が商業区に現れたのは全くの偶然。これで怒るのは王としての器量が疑われるというものだろう。
「ならば構わないよ。…ふふ。それにしても面白い偶然だ。まさか彼の支配者の儀、その当日に君達が出会うとはな。これは君達には縁があると考えた方が良いのかな?」
私の言葉に普段は滅多なことでは動じない娘の顔が一瞬で赤くなる。
おやおや。そんな反応を見せられたらね、愛しい私の娘? 王としては嬉しく思えても、父としては複雑な気持ちになるというものだよ。無論そのような情けない感情を娘に見せるわけにもいかず、私はグラスを多少乱暴に(とはいっても傍目には分からないほど些細なものだが)揺らすとワインを一口で飲み干した。
「……どうやら彼を気に入ったようだね」
「き、気に入るなど……。妾はただ、その…」
娘は照れながらも再び私のグラスにワインを注ぐ。動揺していようがワインを溢すような不作法はしない。長い年月を経てようやく生まれた私の三番目の子供。ふむ。目に入れても痛くないとはまさに君のことを言うのだろうね。
「恥ずかしがることはない。良いことだと私は思うよ。魔王様は我等を同胞だと仰ってくださっているが、私は全ての魔族は等しく魔王様の配下に入るべきだと考えている」
本来なら誰の下にも降らない。降ってはならない種族の代表である王がこのような発言をしても娘は驚かない。いや、娘だけではなく、今や誰に言っても驚かれることはないだろう。それほど以前から私は魔王様による正式な全魔族の支配を唱え続けていた。
「分かっております。父上がいつも仰っておられる魔族の新時代の幕開け。それには魔王様による真の統一が不可欠。ですね」
「その通りだ。今のように魔族の連合を統べる者としての魔王ではなく、全ての魔族を統べる真なる魔王へと魔王様になって頂く。それが魔族全体、ひいては我々吸血鬼の為になると私は信じているのだよ」
魔族間でも種族によっては少なくない因縁がある。天族との戦に勝てばそれで全てが終わりというわけではないのだ。
せっかく異種族を滅ぼし新たな時代が来たと思ったら今度は同じ魔族同士でまた戦をする。それはあまりにも美しくない。だからこそ必要なのだ。魔を統べる者が。真なる魔王が。私はそれを自分の半分も生きてはいないあの少女に望んでいる。
こんな私を見れば、お前達は笑うだろうか?
かつて居て、今はもう何処にも居ない友人達の顔が浮かんでは消えていく。……いかんな。年を取るとどうにも感傷的になってしまう。
「婚約者制度も魔族間の絆を深めるために魔王様と父上が考案されたのでしたね」
「そうだ。とは言ってもこれは強制ではないがね。そもそも魔族は我が強い者が多いからね、無理にくっつけても逆に禍根を残す結果を招きかねない。故に最終的には当事者の意思に委ねられている。愛しい私の娘、君も婚約者に不満があればいつでも取り下げて良いのだよ?」
この制度で必要なのは多種族同士の結びつきだ。影響力のある者同士がくっつくに越したことはないが、あくまでも種の垣根を越えることが必要なのであって、一般兵士同士でも別に構いはしない。
娘に婚約者をつけたのは私が王であるのと同時にこの制度の発案者だからだ。立場上自分の娘だけは例外などとは言えないし、言うわけにはいかない。
種のことを思えば必要な制度だと今でも信じているが、それが娘を苦しめはしないか、毎朝太陽を見上げる度に不安が頭を過る。
最終的な判断は当事者の意思に委ねられるとはいえ、真面目な性格の娘のことだ。嫌でも我慢するのではないか? そんな不安に押されて聞いてみれば、娘はその度にまるで台本を読むかのように「大丈夫です」または「心配入りません」を口にするのだ。しかし今日はーー
「父上。妾に不満などありません!」
おお!? 娘が私に声を荒げるなど過去にあっただろうか? まさかこれは親離れ? 親離れの前兆なのか? 早すぎるよ私のプリティーガール。
娘の気炎は、しかし一瞬だった。
「あ、その……申し訳ありません」
「良いのだ、愛しい私の娘よ。自分で考案したとはいえ血を重んじる我々吸血鬼にとって種族の違う相手との結婚は辛いのではないかと案じていたが、どうやら杞憂だったようだね」
「は、はい。妾は辛いなどと思ったことはありません」
今までも何度この会話を繰り返したことか。だが今までと比べ今日の娘の言葉はどうだ。娘自身が心の底から彼との結婚を望んでいる。そんな初々しい気持ちが伝わってくるようではないか。
ああ。懸念が一つ消えていくかのような清々しい気持ち。歌い出したい。踊り出したい。思わずそんな素敵な衝動を覚えてしまったよ。
私としてはこのまま娘の顔を曇らせることなく親子の会話に花を咲かせたいところだが、非常に残念なことに立場がそれを許さない。親としての懸念が消えても、王としての疑念が残っているのだ。
「愛しい私の娘よ、よければ話を聞かせてくれないかな?」
「話……ですか?」
改まった私の言葉に娘は少しだけ警戒したように身構える。無論娘は表面上は何一つ変わったところを見せてなどいない。今までと変わらず世間話の最中と言った体をちゃんと貫いている。だが魔力、気、そして肉体。動揺を隠そうとすればするほど、逆に不自然なまでに規則性を帯びるそれらの動きを見逃すほど、私は若くはなかった。
「君の婚約者、リバークロス殿のことについてだよ。せっかく会ったんだ。どうだい? 上手くやれそうだったかな?」
「はい。とても魅力的な殿方でした」
「そうか。それは良かった。ああ、これは王として知っておく必要があるので一応聞くのだが、解体場に彼が乱入するまでの経緯を君は知っているね? 愛しい私の娘」
「そ、それは…はい。知っております」
「その際に気になることはなかったかな? 例えば魔王の息子でありながら異種族を殊更贔屓するような言動をとったり、挙げ句の果てには異種族の為に同胞に牙を向けたりと、そう言った危険思想の持ち主である様子は?」
「い、いえ。か、彼はその……」
言いよどむその姿は我が娘らしからぬ醜態だ。無論ここで安易に怒鳴ったりはしない。王たる者、怒りの安売りはしないものなのだ。
「その、……なんだい?」
「あくまでも観賞用として人間を欲しただけです。盾の王国の人間と言う物珍しさが彼の欲を刺激し、そのせいで誤解を生みやすい言動を取ってはおりましたが、それも全ては若さ故かと」
「観賞用ね」
「はい。その通りです」
報告は上がっている。この言葉も完全な嘘ではない。しかし完全な真実とも言い難い。普段なら王である私を欺こうなど娘であろうと許しがたい大罪だ。だがしかし、だがしかしだ。娘は既にリバークロス……殿を婿として認めているようだ。故に夫の不利となるような発言は例え王である私相手にもするわけにはいかないと、本来なら重罪である王への隠し事をしようとしている。その覚悟……我が子ながら見事と言うしかないだろう。
ならばその意を汲もう。私の質問に対してあらか様な嘘をつかない限り、娘を問い詰めない。私は自分の中にそんなルールを決めると、娘に合わせて世間話、その延長として質問する。
「実はだね、あの日何があったのか大体の調べは終わっているのだよ。何せあれだけの騒ぎになったからね。調査に向かわせた者達も彼の足取りを追うのに大した苦労はなかったようだ」
娘は黙って私の話を聞いている。だがほんのわずかな緊張を私は娘の態度から感じ取っていた。彼の足取りを私が調べた事実に娘が緊張を覚えた。この事から察するにやはり娘も彼の行動に対し多少の危うさを覚えていると考えて良いだろう。……よくない懸念が現実味を帯びてきた気がした。
私は何の問題もないと言わんばかりの笑みを浮かべると、娘に問いかけた。
「そこで最後に当事者である君にも話を聞いておこうと思ってね。愛しい私の娘。もう既に他の者に聞かれただろうがもう一度私にも話してくれるかい?」
魔王の子供達。そう呼ばれる三魔の調査は以前から行っていたが、ガードが固くて中々どのような魔族なのか調べられていない。特に次男であるリバークロス殿は年齢の問題もあって謎が多い。軍に入隊した以上これから情報は今まで以上に入手できるだろうが、最悪の場合を考慮して早くどのような魔族なのか把握しておくに越したことはないだろう。
私は娘に向けている笑顔に少しだけ王としての威圧を込めた。娘を脅すような真似に胸が張り裂けそうなほど痛んたが、これも責務。ああ、どうか許しておくれ、愛しい私の娘よ。
「……分かりました。ではまず妾が彼に会った所から説明をーー」
私の威圧を前に黙秘は不可能と理解したのだろう。娘がとつとつと語りだす。私は娘の話に黙って耳を傾けた。
「ーー以上です」
「ふむ。なるほどね。大体の話は分かった」
娘の話を聞き終えた。…困ったぞ。懸念が大きくなってしまった。
娘は彼の心証を悪くさせないために幾つかの場面で上手く誤魔化そうと話をぼかしていたが、最初に言ったとおり元々多くの目撃者がいたのだ。例え嘘をついてもそれが分かる程度の情報は既に私の手元にある。この状況で口八丁に彼を庇おうとしてもそれは無理というものだ。これで私は限りなくあの日の真実に近い情報を手に入れた。
リバークロス殿が何故魔将と戦うことになったのか? 経緯はともかく、その主な動機として二つ程予想できる。
一つは本魔が公言している通り女の為だ。幼少の頃より女好きで有名だった魔王の次男坊は気に入った女を手に入れるためならば手段を選ばず、女の為とあらば魔王様が用意された余興すら平気で台無しにする。一部では既に色狂いと呼ばれており、この性格のせいで魔将とも激突したのだろう。……という予想。
そんな相手に娘を送り出さなければならない。父として考えるならば頭の痛い話だが、王として考えるならそれほど悪い話ではない。
色に狂った王子。欲望がハッキリしている分コントロールを効かせやすく、一魔族としても上に立つ者が女好きで特に被る被害はない。いや、むしろ魔族全体として考えるなら彼ほどの魔族が多くの子孫を作るのは頼もしくさえある。
今現在、もっぱら庶民の間で広がっている……いや広げているのはこちらの話だ。これは私だけではなく他の王の手の者やあの『殲滅』も少なからず動いているようだ。
そのおかげか、人間の女欲しさにしでかしたリバークロス殿の行動は、魔王の息子は色狂いと言う共通認識が広がることで一先ずは落ち着いたようだ。
とはいえ支配者の儀の方はともかく、解体場の件にお咎めがなかったのはリバークロス殿が魔王様の息子であることと、魔将を倒した上、自身も最年少の魔将入りを果たしたことが無関係ではないだろう。後は解体場の責任者であるあの野蛮な角の魔将に気に入られたことも大きい。
多少の問題はあるがリバークロス殿の行動がこの話の通り、色に狂ってのものならばそれはそれで良い。
問題は行動の動機がもう一つの方だった場合だ。そう、まさか天族との最終決戦を目前に控えた今、恐らくは時期を考えても最後の主力となり得る世代。その世代を牽引するかもしれない魔族がまさか人間を守るために行動したなどとは……その可能性は考えるだけでも恐ろしい。恐ろしいが王として考えない訳にはいかないだろう。
「父上? どうかなされましたか?」
愛しい私の娘が心配そうに私を見つめている。顔に出るとは私らしくもない。どんな時も余裕を持った行動を。それが高貴な者の在り方と言うのに。
故に私はこの機会に聞いておくことにする。王として、父として、娘の覚悟を。
「カーサアンユウ、私の愛しい娘よ。先程君の意思を聞いたが改めて問おう。彼との婚姻を止めるなら、ひょっとすればこれが最後のチャンスとなるかもしれないが、どうするかね?」
私の質問にカーサアンユウは手に持っていたワインの瓶をテーブルに置くと、正面から私の瞳を見据えた。紅い、血のように紅い瞳が月明かりの中、それに負けぬ輝きで煌々と輝いている。
「妾は生まれたときから彼の伴侶となるべく育てられました。妾もまた彼を伴侶になるべき相手と思い生きております。その心は既に妾の一部。妾の中に流れる血なのです。血は裏切れませぬ」
「聞けば彼は女なら手当たり次第と言う。その点のみを取っても血を重んじる我々の価値観とは大きく異なる。嫁げば君は苦しむことになるかも知れない。それが分かっているのか?」
「お言葉ですが父上、夫の一助となること以上に幸せなことがありましょうか?」
ああ、何と健気な。若くともさすがは私の娘。よし、もしもあのガ…おっといけない。いけない。例えそれが心の中であろうとも高貴な者に相応しくない乱暴な言葉遣いは止めなければな。…ゴホン。とにかくリバークロス殿が私の娘を泣かせた場合は真実がどうあれ危険因子ということで始末しよう。そうしよう。
だからひとまずこの場では娘の気持ちを組むことにする。
「……なるほど。娘よ、お前の気持ちはよくわかった。ならば血とその気持ちに殉じるがよい」
「はい。妾はこの血とこの想いに殉じます」
強い気持ちが現れた良い表情で愛しい我が娘は頷いた。その顔を見て先程は安易にリバークロス殿を嵌めようと思ったが、そうすれば私はこの子と敵対することになるかもしれないな、などと考えてしまったよ。
無論愛しい我が子と争いたくなど無いが、もしもそれが種にとって必要なことなら私は……いや、止めよう。こんな妄想は。きっとそうはならないはずだ。
あの魔王様の子だ。異種族にうつつを抜かして同胞を蔑ろにするような愚か者であるはずがない。これからも監視を緩める気はないが、フフ。きっと無駄になることだろうね。
それにしてもあの小さかった子が瞬きの間に一端の『魔』になるものだね。
どうりで今日はワインが進んでしまわけだよ。もう何度目になるのか、娘に注いでもらったワインを再び掲げそれ越しに月を見上げる。真っ赤に染まった世界。それでも美しい世界。私はふと思った。
「リバークロス……か」
「彼がまだ何か?」
娘が不安そうに問いかけてくる。おっといけないな。話は一段落したと言うのに下々を安易に不安にさせるとは。これは少々飲み過ぎてしまったかな? 私は自分の未熟さを誤魔化すように思いつきの言葉を続ける。
「カーサアンユウ。私の愛しい娘よ。君は古き言葉を知っていたかな?」
「古き言葉。……確か魔族が大昔に使っていた言語のことかと」
「そうだ。そして魔王様は子供達の名にその言葉を用いられていらっしゃる」
「ではそれぞれの名に意味が?」
「うむ。レオリオンは『這い寄る者』。エグリナラシアは『焼き尽くす者』。そしてリバークロスは……」
そこまで言って私は言葉を切った。思いつきの会話だったが改めて考えると何故? と考えてしまう。
「父上?」
まったく本当に何故魔王様はご自身の子にこのような名前をお与えになったのだ? この吸血鬼の王スペンサルド。魔王様への忠義に一点の曇りもないが、時折なされる『遊び』には言いたくもない苦言を言わざるを得ない。
故に答えが無いと分かってはいても、問わずにはいられない。
お前は何だ? 何故今この時代に生まれ、何の為にその名を与えられた?
「反転する運命」
それは何を指しての言葉なのか、矮小なこの身では運命など分かろうはずもない。故に私はただ願うだけだ。その名に込められた意味が、どうか魔族に新時代をもたらす福音であってくれと。
再び見上げた月は変わらず美しい。私は束の間、きっと来るであろう魔族の新時代へと想いを馳せるのだった。