アクエロへのお仕置き
「さて、取り合えず言い分を聞こうか?」
支配者の儀を終え、眷族にした人間とその連れに部屋を与え(何かあると面倒なので全員に個室を与えた)あらかたの面倒ごとを片付けた俺は、床に正座させたアクエロの前で腕を組んで立っていた。
「魔将第十一位の撃破、おめでとう。さすがは私のリバークロス」
おっと、私のときたか。分かってはいたがこいつ全く反省してないな。とはいえ俺は基本的には女に甘いので最後にもう一度だけチャンスをやるとする。
「……それだけか?」
怒気を隠さずに問いかける。これで返答しだいではどうなるか伝わったはずだ。
「それだけ」
しかしそれでもアクエロの態度は変わらない。正直アクエロのこう言うところは大好きだが、だからと言って笑って許すのかと問れればそんな訳はなかった。
「ぐぁ!」
俺はアクエロの顎を蹴り上げた。宙に浮くアクエロの体、一見細首に見えるそれを締め上げるようにして掴んだ。
腕に力を込める。ぶっちゃけ上級魔族は酸素なんて必要としないので首を絞めただけでは苦しくともなんともないだろう。だが俺がどれだけ怒っているのか、そのアピールにはなるはずだ。
その上でもう一度問いかける。
「それだけか?」
「それだけ」
やはりアクエロの返事は変わらない。俺はアクエロの顔面に拳を叩き込んだ。
拳がのめり込み……整った顔が可哀相なことになる。
「それだけか?」
「それだけ……ぐは」
もう一発殴る。普段の俺なら女にこんなことをすれば良心が痛むが今は全くそんなことはなかった。
俺の拳を二発無防備に受けたアクエロの顔は酷い有り様だったが、その瞳は些かも怯んでなどいない。
思わずため息をつく。
「言い方を変えようか。反省はしてるか?」
「勿論反省してる」
その言葉に嘘はない。嘘はないがーー
「ちなみに何について反省をしているんだ?」
「時期を焦ったことに決まっている。あまりのチャンスに時期尚早と分かっていながら行動をしてしまった。この次はもっと仕込みを完璧にしてミスらないようにする。……反省」
もう一発ぶん殴ろうかと思い拳に力を入れるが、アクエロの揺るがない瞳を見て止めた。良い機会なので一応確認してみたが、やはり暴力や単純な痛みでこの悪魔を従えるのは無理なようだ。
「……俺がお前の心臓を持っていることを忘れてないか?」
では死の恐怖ならどうだろうか? だいたい本来ならこんな反乱は成立しない。アクエロの心臓は変わらず俺が握っているのだから主導権は常に俺にある……はずだ。大体あの時だってやろうと思えば操られる前にアクエロの心臓を潰すことはできた。
ならば何故あの危機的状況でその選択肢が頭に浮かんでこなかったのかと言えば、生まれたときからずっとそばに居たアクエロに情がわいた……訳ではなく、魔術師としてこれほど便利で稀少な悪魔を手放すなんてあり得ないと思ったからだ。
「殺したいのなら好きにして。心臓を捧げた時からこの身はリバークロスのモノ」
自分の価値を知ってか知らずか、アクエロがそんなことを言う。
「俺のモノならなんで俺に従わない?」
「それは簡単。私がリバークロスのモノであるように、リバークロスが私のモノでもあるから。リバークロスこそ私に従えば良い」
同一化。いつか兄さんに聞いた考え方が頭によぎる。やはりこういう思考になるのか。心臓を握っていようが相手が死ぬのを恐れなければ主導権なんてあってないようなものだ。結局はーー
「実力を示す以外にお前を本当の意味で従わせる手段はないと言うことか」
「それは当たり前。私は私の為に生きている。私が欲しいならリバークロスの生き方に私を巻き込めばいい。もっともリバークロスにそれだけの魅力があればの話だけど」
言ってくれる。
「お前みたいな危険な女、捨てるかもしれないぜ」
「できるならどうぞ。でも私の力は役に立つ。リバークロスはきっと私を捨てられない」
ちっ、やっぱり分かっていやがる。自分の価値を把握して上手く立ち回る強かさ。嫌いではない。いや、むしろ好感が持てるくらいだ。
そしてそう考えている時点で既にアクエロの術中だった。
「なるほど。確かにお前の言う通りだな。俺はお前を手放せそうになさそうだ」
創造魔法の使用、純粋なブーストとしての高いその効力。アクエロが居るのと居ないのでは戦闘時における生存率が大きく変わる。
最大の問題はアクエロのヒモなしバンジーを進んでやりたがるような困った性癖だが、そもそもの話ここまでイカれているからこそ0歳のガキに心臓を捧げたとも言える。ならば棚から牡丹餅状態の俺が文句を言うのもお門違いだろう。何よりもこのイカれぐあいも含めて俺はこいつが気に入っている。
そう、気に入っているのだ。今度のことだって本当はーー
「……正直に言えば操られたことぐらい別に怒ってはいない。いつかやると思っていたし、お前と言う巨大な力を扱うにあたって油断した俺が悪いと言えばそれまでだからな」
そう。別に俺だけの話ならここまで怒らなかった。俺だけの話なら。
「怒っているのはお嬢様を殴らせたこと。私はリバークロスのことならなんでも知っている」
そう言って俺の頬を優しく撫でてくるアクエロ。その腕を通じて蛇が俺の体に巻き付いて来ているかのような、そんな錯覚を覚えた。
「……やはり分かっていてやったのか」
「当たり前。……私をどうする?」
どうすると言われても……どうしようか?
正直姉さんを巻き込んだこと以外は別に怒ってなどいない。それに対しても既に顔面に拳を二つほど叩き込んでしまったし。あ、今更少しだけ罪悪感が。……いや、むしろこれで済ますなんて優しすぎるくらいだろう。うん。きっとそうだ。
俺は厳しい表情は崩さないまま、しかし内心では途方にくれてアクエロを睨んだ。……マジここからどうしよう?
アクエロの顔は自身の血で真っ赤だが、魔力を込めて殴らなかったので美貌自体は既に元通りだ。ふと、何を思ったのか俺は唐突にアクエロの顔についた血をなめてみた。
キョトンとするアクエロ。その顔は相変わらず表情の起伏に乏しいが、それでもどこか愛嬌を感じて、何だかもうこうしてるのが酷く馬鹿馬鹿しくなった。だから俺はーー
「抱く」
そう言ってアクエロをベットの上に放った。
「え?」
「へ?」
俺の突然の行動に目を瞬くアクエロと何言ってんのこいつはとばかりに目を大きく見開くエイナリン。ちなみにエイナリンは初めから部屋にいた。
俺がアクエロに手を上げた時、部屋にいたエイナリンに半殺しにされる可能性を当然考慮したし、また覚悟もしていたのだが、意外にもこいつはいつもの微笑を浮かべたまま最後まで口を出さなかった。
「ちょ、ちょっと何言ってるか分かんないですね~。真面目なお話は終わりですか~? じゃ、じゃあアクエロちゃんこっちに来るですよ~。そっちは発情した駄犬がいて危ないですよ~」
その代わりと言うわけではないだろうが、かつてない程オロオロと動揺をあらわにするエイナリン。こんなエイナリンを見るのは初めてかもしれない。というか誰が駄犬だ、誰が。
「……リバークロスが望むなら私はいつでも構わない」
その言葉に俺はアクエロの上に覆い被さった。
「ちょー? 不純異性交友反対! 不純異性交友反対!」
どこから出したのだろうか? 不純異性交友反対と書かれた大きな旗を振り回すエイナリン。俺は構わずアクエロの服を引きちぎった。
「……乱暴」
「悪いか?」
とてもではないが優しくしてやる気にはなれなかった。
「支配者っぽくて素敵。でも油断していると」
アクエロが組み敷かれた状態のまま俺の頬目掛けて左フックを放つ。ーー速い。
「っち」
俺はそれを何とか掌で受けるが想像以上の威力に一瞬体が揺れる。その隙を突かれる形で太股の辺りを捕まれた、かと思えばそこを起点にグルリと体が回転。気付けばアクエロが俺に覆い被さっていた。
「おお? いいですよー。さすがはアクエロちゃん。マウントを上手く取りましたー。いけ、そこですー。発情した駄犬をボコボコにするですよー」
なんか一人喧しいのが居るが俺もアクエロも無視した。アクエロは鼻と鼻が触れ合うほどに近く顔を寄せてきた。
「リバークロスは決定的なところで甘い。それで勝てるのは精々自分よりも遙かに力が劣る相手だけ。今回は私の負け。だから暫くは大人しくしてあげる。その間は今まで通りリバークロスが主で私が従者。でも油断してるといつでもひっくり返す。こんな風に」
そうしてアクエロが唇を重ねてくる。それは触れているのかいないのかが曖昧な、まるで俺たちの距離感を象徴しているかのような、そんなキスだった。
唇が離れる。髪が頬に当たってくすぐったい。そう思っていたらアクエロが俺の頬を撫でながら髪をどかしてくれた。目が合う。少しくらい照れた様子でも見せてくれればまだ可愛げがあるのに。そんなどうでも良いことを考えた。
「言っておくがな」
「なに?」
「もうお前に一切の遠慮をする気はないからな」
「好きにすればいい。私は初めから遠慮なんてしていない。……演技はしてたけど」
「ああ、だろうよ」
アクエロの腕を引いて体を入れ替え、もう一度俺が上になる。アクエロは抵抗しなかった。今度は俺から唇を重ねた。どこまでも貪欲に奥を目指して舌を伸ばす。同時に魔族の腕力を持ってアクエロの衣服をすべて剥ぎ取る。その次に自分のも。
「……いくぞ」
「いちいち許可を求める必要はない。貴方は私の式神なのだから。いつか完全に私のモノになるその日まで、この体は好きに使わせてあげる」
「ああ、そうかい」
そうして俺はアクエロと体を重ねた。
「ア、アクエロちゃーん」
外野が酷く煩い。だがそんなのを気にするほど俺もアクエロも可愛い神経をしてはいなかった。
そうしてその夜、俺達は一晩中互いの尾を喰らい合う蛇の如く絡み合った。
その数日後、俺のもとに魔王軍入隊許可書と魔将第十一位就任の辞令が届くのだった。