試練の終わり
パンパン、と魔王が手を叩く音が周囲に響いた。
「冗談。冗談じゃ」
その一言に俺は思わず安堵の吐息を吐き出しそうになるが、中々消えようとしない殺気がそれを許さない。
「ほれほれ、どうした皆の者。怖い顔は止めて仲良くせんか」
魔王が場を取りなすようにおどけて言うがそれでもエイナリンへ向けられた殺気は引っ込まなかった。
「あーあ。魔王様のつまらない冗談のせいでか弱い私が大ピンチなんですけど~」
「うーむ。軽い冗談のつもりだったのじゃが、いい加減皆の者にもお主と仲良くして欲しいものじゃな」
「私は別に仲良くしてやってもいいんですけどねー。ほら、私って絶世の美女じゃないですかー。美人薄命とは言いますけど、やっぱりいい女は周りから妬まれて大変ですー」
「お主がその減らず口を止めればもう少し皆と打ち解けられるのではないのか?」
「何言ってるんですかー。私は皆さんと仲良くなりたくてわざと明るく振る舞ってるんですよー。実は健気な女の子なんですー。だから皆さん仲良くしてくださいね~」
そう言ってエイナリンは王達に笑いかけるが、殺気はむしろ強まった。お願いだからもう黙っていてくれと俺が祈るような気持ちでエイナリンを見つめていると、エイナリンはすっと右手を一人の王がいるであろう窓へと向けた。
「ただし悪魔王。テメーは駄目です」
「ちょーー」
と待った~! という暇もなくチュドカーン! と一人の王がいたであろう場所が吹っ飛ぶ。何してんの? 何しちゃってんの? この人。
「ふー。これで世界から邪悪がまた一つ消えました。やっぱり良いことをすると気持ちがいいですね~」
満面の笑みで流れてもない汗を拭う真似をするエイナリン。兄さんが「戦いが始まったら一目散に逃げるよ」と俺達の前に立ち、姉さんは「素敵ですわ」と頬を紅潮させてエイナリンを見つめている。
エイナリンの暴挙に、しかし魔王の笑みは崩れない。
「あやつなら今日は欠席じゃぞ。というか妾が来ないように言っておいた。一応は魔法具を通してこの支配者の義を見ておったはずじゃがな」
その言葉に安堵すると共に俺は眉をひそめた。エイナリンが攻撃した場所からも強い力を持つ存在を感じていたからだ。
不思議に思ったのは俺だけではなかったらしく、エイナリンは唇に人差し指を当てると不思議そうに首を傾げた。
「あれー? 可笑しいですね~。 じゃあ魔族違いで誰か殺っちゃいましたか~。マジめんごですー。恨むなら余計なことをした魔王様を恨んでくださいねー」
悪びれる様子もなく責任転換するエイナリン。邪悪がどうのこうの言っていたが、それはこいつのことではなかろうか?
「心配はいらん。エラノロカ」
「はい。こちらに」
魔王の後ろに控えていたエラノロカ。その手はいつの間にか眼鏡をかけた執事服の男を掴んでいた。男の全身からは煙がモクモクと上がっていた。
「あれあれー? 誰かと思えばアクエロちゃんのお兄さん君ではないですか~。良かったですー。危うくアクエロちゃんに怒られるところでしたよ。魔王様マジグッジョブ」
グッと親指を立てるエイナリン。最初は余計なことだとか言ってたくせに物凄い手のひら返しだな。これにはさすがの魔王も苦笑いだ。
「やれやれ。お主は本当に自由じゃの。……さて、支配者の儀はこれにて終了じゃ。同胞達よ、今回の儀を見て思うところがあれば遠慮なく妾に申すが良い。ではこれにて……」
「お待ちください魔王様」
今度こそ終わりかと思えばまたもや一転。今度は何だよと思えば魔王に声をかけたのは魔将アナラパルだった。
……正直すっかり存在を忘れていた。確かアクエロに乗っ取られた俺が串刺しにしてその後……どうしたっけ? まるで記憶にないがああして無事に立っているところを見るに上手く逃げれたらしい。
途中からは眼中になかったとは言え、あの状態から五体満足で脱出するとはやはりこの魔将は油断ならないな。
とはいえ流石にダメージは大きいらしく、腹に空いた穴を手で押さえてはいるが、そこから流れる血は一向に止まる気配を見せない。
「む。どうしたのじゃ? 妾の忠実なる臣下、魔将アナラパルよ」
「……勝負は終わってはおりません。私はこうして立っており、まだ負けてはいません」
「ほう。ほう。……なるほどの、確かにお主の言う通りじゃ。勝敗はまだついてはおらんの」
「お母様!?」
疲労困憊の俺の状態を気遣ってか姉さんが非難するように声を上げた。
「そんな顔をするではない妾の可愛いエグリナラシアよ。お主は本当にリバークロスが好きなのじゃな」
「当然ですわ。私の弟なのですもの」
得意気に胸を張る姉さん。そんな姉さんを魔王は優しいがどこか温度を感じさせない瞳で見下ろしている。
「ふむ。妾にとっても可愛い息子。故にリバークロスよ。お主に選ばせてやろう。戦うか? 否か?」
そうして俺に全員の注目が集まってくる。正直今日はもう色々やらかしすぎて周りにどう認識されたのか考えたくもない。考えたくもないが、ここで魔将を倒したという経歴を手に入れておくことは今後俺の立場を少しは良くするかもしれない。そんな打算が働いた。
何よりもここまで激しい戦いを潜り抜けた一日の最後が、無力感に打ちひしがれたままなんて勘弁してほしい。だから俺は決断する。
「……やります」
「リバークロス!?」
「大丈夫だよ姉さん」
「でもその体では…」
姉さんが心配そうに俺を見る。その気持ちは嬉しいが一度決めた以上「あ、やっぱ止めます」では格好がつかない。さてどうやって説得するか。
「エグリナラシア。ここはリバークロスの好きにさせてあげよう」
そう思っていたら兄さんが俺の気持ちを組んでくれた。
「お兄様。………分かりましたわ。その代わりやるからには勝つのですわよ」
「任せて姉さん」
「信じてますわ」
姉さんは微笑むと俺の頬にキスをする。兄さんが俺の肩に手を置いた。
「僕は勝てとは言わないよ。危なくなったら逃げちゃえ、逃げちゃえ」
それだけ言うと未だ心配そうに俺を見ている姉さんを連れて兄さんは客席へと戻っていった。
「さて、悪いがあまり時間をかけたくない。さっさと終わらせよう」
俺は改めてアナラパルと向き合った。体がふらつく。いい加減体力が限界だ。
世界と深く繋がった影響で魔力はむしろあり余っているが、許容量を越える魔力を長時間保持していると体にどんな影響があるか分かったものではない。さっさと終わらせて休息を取らないとヤバいな。
「ふん。そう言うことは敵に言わないものなんだよボーヤ」
奇襲が得意なアナラパルのことだ、本来ならそんな情報を与えれば嬉々として時間稼ぎにでも走っただろう。それとも意表を突いてその逆だろうか? どちらにせよ今はそんなことを心配する必要は無かった。
「言おうが言わまいが関係ないな。どうせお前も俺と似たようなものだろう?」
いや、むしろ魔力に余裕がある俺とは違い、体力も魔力も底をつきかけているアナラパルの方が疲労は大きいだろう。
「アタイの……獣人の根性舐めんじゃないよ」
しかしアナラパルは疲れなどまるで感じさせない闘志を俺に向けて来る。
「……ただ、まぁ。確かにアタイも時間をかけたくはないね」
言葉とは裏腹にアナラパルの全身に力が満ちる。だがそれは燃え尽きる前の蝋燭の火でしかない。残りの全ての力を燃やしているだけだ。
「そうかい」
俺は拳に魔力を込めた。
「そうだよ」
アナラパルが大剣を構えた。
「なら」
「ああそうだね」
俺達は同時に駆けだした。
「「一撃だ」」
そうして決着はついた。