リバークロスの長い一日は終わらない
生後四日で初めて顔を会わせ、三歳から共に修行するようになってからは毎日のように一緒にいた儂の今世の家族。マイブラザーとマイシスターとは変わらず良好な関係を気付いておるが、それでも成長するにつれて会う機会は少しずつ減って来ていた。
まぁそれは仕方のないことじゃと思うし、成長と共に家族と疎遠になるのは何も魔族に限った話ではない。
寂しくはあるが、ずっと傍におる関係から時折合って互いの近況報告を楽しむ関係へと変化するのも悪くはないじゃろう。
もっとも、マイシスターもブラザーも同じ部隊に配属されておるようじゃし、案外魔王軍に入れば以前のような関係に戻るかもしれんがの。
しかしそれはあくまでも未来の話じゃ。現在のマイブラザーとマイシスターは所属しておる部隊の関係で魔王城に居ること自体が少ない。
次に会えるのは早くとも一ヶ月後との話だったはずなのじゃが、えらい早い再開となったのう。
「どうしたも何もないですわ。今日はリバークロスの晴れ舞台なのですから、一言激励に来ましたの」
「いや、でも仕事は?」
「そんなの権力を使ってムリヤリ休みを勝ち取ってきましたわ」
腰に手を当て、すっかりとたわわに育った胸を張るマイシスター。
魔王の子供と言うこともあって軍では出世コースを爆走中なのじゃろうが、それでも入隊して十年も経っていないような若輩者にそんな権力があるとは。身分って怖いわ~。
「聞いたよ。また随分と無茶をしたようだね」
マイシスターから視線を横に移せば、そこではマイブラザーがいつもの微笑を浮かべておった。
「兄さんは相変わらず耳が早いね」
「馬鹿を言わないことですわね。貴方自分が何をやったか分かっていますの? ほんのついさっき戻ってきた私達が知るくらいなのですわよ。お兄様でなくとも魔王城中の者の耳に入っていますわ。人間の女欲しさにエルディオンに喧嘩を売ったんですって? 何てバカなことをしてますの。私、呆れて言葉も出ませんわ」
現在進行形でマシンガンのように出ておるじゃろうに。しかしこれもマイシスターなりに儂のことを心配してくれておる証。無粋なことは言わないでおいた。
「リバークロスをそこまで駆り立てるなんて、そんなに素敵な女性だったのかい?」
マイブラザーの質問に、儂は肩をすくめて見せた。
「欲しいと思う程度には」
ここはとても良い女なんだと大袈裟に言うべきなんじゃろうが、二人とも悪魔だから嘘が通じないんじゃよな。
「程度? その程度の気持ちで魔将に喧嘩を売ったのですの? ああ、リバークロス。女が欲しいなら私がいつでも相手をしてあげると言っているでしょう」
「いや、姉さん。姉と弟でそれはないから」
無論儂はこの考えが魔族では異端に属することを知ってはおるが、今よりも幼い時から堂々と口にすることで儂の考えを周囲の者に認知させた。
そのお陰で儂は一部の者に変な拘り、もとい性癖がある悪魔として噂されとるようじゃ。仕方のないこととは言え良識を大事に行動した結果が変人扱いとは……解せぬ。
「はー。リバークロス。今更あれこれ言いませんが、普通は貴方ほどの高位の悪魔が人間ごときと関係を持つこと自体があり得ないのですわよ」
「そんなこと言うけどね姉さん。良い女に種族は関係ないんだよ。それとあの人間は鑑賞目的だから実際に抱くかはまだ未定だから」
「鑑賞目的で魔将と? それは随分と高い買い物をしたね。……何だろう? 隠し事の匂いがするな」
アカン。マイブラザーが食い付いてきおった。別に探られたからと言って困ることはないんじゃが、良心が痛くて見捨てられませんでしたとは言いにくいし、フルウのことを教えるとマイシスターが人間風情がとかいって怒りそうじゃし。
うーむ。何故か今日はあれこれ考えなければならんことが多いの。
「お取り込み中のところ申し訳ないんですけど~。お坊っちゃまはそろそろ準備された方がいいですよ~」
エイナリンにしては珍しく非常に良いタイミングで声をかけてきた。
「エ、エイナリン!? 居ましたの?」
恐らくは魔法か何かを使って気配を消していたのじゃろう。驚愕の表情でエイナリンを見たマイシスターは次に急いで髪を手櫛で直し始めた。
……うん。もう儂、何も言わんけどね。
「居ましたとも~。隅っこの方でお坊っちゃまのために甲斐甲斐しくお茶を入れていました~。飲みます?」
「それは、その……感心ですわね。い、いいですわよ? 頂きますわ」
「何ならふーふーしてあげましょうか~?」
「え? そ、そんな。で、でもせっかくだし……」
顔を真っ赤にして俯きながらも、マイシスターはエイナリンにフーフーされたお茶を受け取る。
…………まぁ儂、何も言わんけどね。
それにしても百度の熱湯を一気飲みしても問題のないマイシスターに対し、そのフーフーは何か意味があるんじゃろうか?
「心さ、リバークロス。一見無意味な行為もそこに意味を見出だす心があれば価値が生まれるんだよ」
そしてマイブラザーよ。お主は勝手に人の心を読むではない。ビックリするじゃろうが。
「そんなことよりもエイナリン。準備ってなに? 今夜はこのまま試練の間まで行って魔物を殺して終わりじゃないの」
まさかその他にも変な儀式とかあるんじゃろうか? やだなー。儂もうすでに結構ヘトヘトなんじゃが。
「いえいえー。準備と言っても魔王様に頂いたモノを装備するだけですよ~」
そういってエイナリンは何処からともなく黒いマントのような物を取り出した。
「何? それ」
何か知らんがやたら滅多に強い魔力が込められておるのじゃが。儂のデュランダルの指輪もかなり高位の魔法具なんじゃが、これには到底及ばんの。
「これは闇の星と賢者の石を魔王軍最高レベルの錬成スキルを持つ者達が魔王様と協力して作り上げられた唯一無二の魔法具、名付けて『魔王の鎧』ですー」
「母さんが? なるほど道理で」
エイナリンが手渡して来たマントを受け取ると、それはまるで意思を持っておるかのように儂の腕に絡み付き、瞬く間に全身を覆った。
おお? なんじゃこれ。儂の思うた通りの形になるぞ。
「良かったですわ。ちゃんとリバークロスも貰えましたのね」
儂が服でも鎧でも好きな形になることができる『魔王の鎧』で遊んでおるとマイシスターが何処か安堵したように言った。
「も、ってことは姉さん達も?」
「勿論ですわ。私は『魔王の剣』を、お兄様は『魔王の弓』をそれぞれ頂きましたわ」
「何で今まで教えてくれなかったの?」
そんな魔法具があったなら是非とも見せてほしかったんじゃが。
マイシスターは少しだけ言いにくそうに儂から視線をそらした。
「いえ、だって万が一にでもリバークロスだけ貰えなかったりしたら気まずくて」
「あの母さんがそんなこと……いや、確かに分からないな」
マイマザーは行動に一貫性を持たせながもたまに妙な気紛れを起こすからの。儂の時だけ、やーめた。と言っても確かに可笑しくはない。
「そうでしょう? 私もお母様の深遠なるお考えは読めませんわ。リバークロスの時だけ魔法具ではなく別の何かを与えるかもしれませんし、もうプレゼントは飽きたので無し…とも言い出しませんもの」
「ねだればくれるだろうけど、僕たちと同じような物が貰えるとは限らないからね」
「なるほど。二人の言い分は分かったよ。確かにこれ程の魔法具を二人だけ貰って俺には何もなかったら、ちょっと悲しかったかもね」
実際はちょっとどころではなく、かなり悲しかったかもしれん。それほどまでにこれは凄まじい魔法具じゃ。
「ハイハイ。泣ける話です~。兄弟愛最高です~。じゃあ本当にそろそろ時間がないんでチャッチャッと移動しますよ~」
二人の気遣いにジーンとなっておる儂をエイナリンが手を叩きながら急かしてくる。
「分かってる」
「そうですわね。それでは途中まで付いていってあげますわ」
そうして試練の間へと向かう儂ら四人。そこに途中でアクエロちゃんが加わったのじゃが、エイナリンの指示で儂の中に強引に入れられる。
歩きながら少し確認したんじゃが、『魔王の鎧』はその形を自在に変えるだけではなく、込める魔力によって質量や硬度をも変化させられるようじゃ。
普通の服にもできるし、かなり便利じゃなこれ。ちなみに今は鎧の形にしておる。儂としては魔物相手に大袈裟じゃからコートかあるいは服にしておこうと思うたんじゃが、エイナリンが力を見せる場なのだからこれが正装と言って譲らなかったのじゃ。
はー。まぁエイナリンの言葉も分かるんじゃが、魔将と戦った時も私服だったのに、こんな最強装備で格下の魔物と戦うなんて弱い者虐めみたいでイマイチやる気が出んの。
などと考えておる内に目的地へと辿り着いた。
「それじゃあ、リバークロス。私達は客席で見てますわ。精一杯やるのですわよ」
「リバークロスに余計な心配は入らないと思うけど、慢心だけはしないようにね」
マイシスターとマイブラザーから有難い激励を受けて儂は試練の間へと足を踏み入れた。観客は皆魔王軍の重鎮ばかり。聞けば本来ならマイシスターやマイマイブラザーと言えども簡単に見学できる儀式ではないとのこと。しかしそこはあの二人。マイマザーやファザーはもちろんのこと、シャールエルナールまで巻き込んで席を手に入れたらしい。
そこまでして来てもらった以上、カッコ悪いところは見せられんの。
儂が姿を見せると一瞬だけ空気が揺れた気がしたが、解体場の時のような分かりやすいざわめきは起こらなかった。
静寂。その場を支配しておるのは儂の足音が試練の間の隅々まで響き渡るような圧倒的な静寂じゃった。
うーむ。もっとお祭りっぽい感じと考えておったのじゃが、何か思うておったのとは少し違ったようじゃの。
試練の間は円上の形をしたかなり広い部屋で、儂がおる場所を見下ろすような形で客席が設けられておる。見上げれば数多の視線が儂を見下ろしていた。そして客席の更に上へと視線を向ければ壁にいくつかの大きな窓があった。窓の向こうはカーテンで遮られその中を見ることはできないのじゃがーー
「……強いな」
魔法具と思われる布で遮られた向こう側から降り注ぐ視線の強さは弱者が存在しないこの場においても郡を抜いていた。
魔将と同格。あるいは上か。恐らくあの窓の向こうに居るのが『王』とやらなんじゃろうな。
そしてその王達よりも更に高い所にバルコニーがあり、その場所には大小様々なドクロが重なって出来た一つの玉座が置かれていた。程なくして死の象徴とも言うべきその玉座の横に一人の悪魔が姿を見せた。
儂の誕生にも立ち合ったマイマザーの右腕、大悪魔エラノロカじゃ。
「揃っていますね。魔王様がおいでになります。皆、跪き頭を垂れなさい」
傲慢なその言い草に、しかし文句を言う者は誰もおらず、皆席から立ち上がると膝をついて頭を下げた。
無論儂も膝をつく。そこでふと王達はどうしているのだろうかと気になったのじゃが、王達の姿は相変わらずカーテンによって遮られ、その様子を伺い知ることはできなかった。
実際はどうなのか知らぬが、各種族の王は魔王の配下ではないとのことじゃし、あの魔法具はこのためのものか。
儂が周囲を観察しておると、ついにマイマザーが姿を見せた。途端に場に様々な感情が飛び交うのが分かった。殺意、歓喜、恐怖、崇拝。ただ一つ共通しているのは誰も彼もがマイマザーを仰ぎ見ておると言うこと。その絶対的な高みに座す魔王が、驚く程いつもと変わらない態度で儂に話しかけてきた。
「聞いたぞリバークロス。エルディオンを相手に大立ち回りだったようじゃな」
「はい。魔王様。機会がありましたのでエルディオンさんと軽いお手合わせを少々」
跪いたまま臣下としてマイマザーに接する儂。今回の一見で今まで以上に悪目立ちをしてしまった儂は従順な臣下を演じることで事態が悪化しないように努める。
「ふふ。頼もしきことだ。魔将と殺り合う程の力を持つお主には今夜の儀式は退屈なものとなるやも知れぬが、その力を皆のものに見せつけてやってはくれんかの?」
「勿論です。魔王様が望まれるなら何時でも何処でも俺の力を示しましょう」
「そうか。そうか。嬉しいのう。だが魔王様などと畏まる必要はないぞ? 可愛い妾のリバークロス。妾としては何時ものようにママと呼んでくれても一向に構わんのだが?」
「いえ、公私のケジメがありますから。それにいつもは母さんと呼んでいるはずです。捏造は止めていただきたい」
三百年も生きとると他人にマザコンと思われたところで痛くも痒くもないのじゃが、自分の意見も言っておくことで気骨もちゃんとありますよアピールもしておくことにする。
「おお。愛い反応じゃ。そんな可愛い妾のリバークロスに余興とプレゼントを用意したぞ。嬉しいであろう?」
「プレゼントなら既に頂きました。素晴らしい鎧をありがとうございます」
「む? …ああ、それではない。ふふ。まぁ良い。先ずは余興のほうからじゃな。エラノロカ」
「はい、魔王様」
マイマザーの傍に控えておるエラノロカが鈴を鳴らすと試練の間の壁に設置されている扉の一つ開いた。
なんじゃ? 余興と言いつつも先にバトルをするのかの? まぁ、やることは変わらんし儂としてはどちらでも良いんじゃが。
そうして敵? が入ってくるの儂は余裕綽々で待つのであったがーー
「え?」
現れた者を見たとき、儂は思わず目を剥いてしもうた。何故なら入って来たのはまだ十代と思われる人間の少年とエルフの少女だったからじゃ。
魔王が言う。
「同胞を数多く殺した勇者第三位の子供と、エルフの賢者の妹じゃ」
マイマザーは愉悦に歪んだ、楽しくて仕方ないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「さぁ、そこの人種どもを殺せ。可愛い妾のリバークロス」
どうやら儂の長い一日はまだまだ終わらんようじゃ。