本当は怖い、従者な二人
「……ようやく帰ってきた」
魔王城本丸八十階の三分の一を占める儂の区画。その中にあるもっともよく使用している言わば自室に入るなり、儂は大人が十人くらいは横になれるであろうキングサイズのベットに倒れこんだ。
悪魔の体を得てからここまで疲労したのは修行を除けば初めてかもしない。もう今日はこのまま何も考えずに寝るとしよう。そう思っていたのじゃが。
「何を寝てるんですか~。もうすぐ儀式なんですからしっかりしてくださいよ~」
エイナリンが腰に両手を当ててこちらを覗き込んでくる。不覚にもその美貌の接近に儂の心臓がドキリと跳び跳ねた。
「……今日、メチャクチャ疲れたんだけど」
「自業自得です~。大体あんな奴隷共にイチイチ気を使いすぎですよ~」
帰ってきたときはまだ姿を見せていた太陽も、王妃達の今後の待遇を話し合っているうちにすっかりと沈んでいた。
「仕方ないだろ。一応眷族予定の者からの頼みなんだから無下にはできない」
「それ本気なんですか~? 魔王城で人間を眷族にする何て火薬庫で火遊びするようなもんですよ~」
エイナリンは呆れたようにため息を一つ付くと、屈めていた体を起こして儂から離れーーようとしたのじゃが、儂がその腕を掴んで止めた。
「……なんですか~?」
「あ、いや、何でもない」
慌てて儂はエイナリンの腕を放した。ホント、何をやっとるんじゃろうか? 自分の行動に自分で驚く。
「……ふーん」
そんな儂に何を思ったのか、再びエイナリンの顔が近づいてくる。先程よりも近く、後少しで触れ合えるくらい間近に。
「エ、エイナリン?」
鼓動が理性の介入を阻むかのように速度を上げる。エイナリンの手が儂のやたらとカチコチになっておるある部分に触れた。
「あー、やっぱり。お坊っちゃまはこっち系ですかね~」
エイナリンはそこの状態を知ると男心を弄ぶ小悪魔のように、あるいは穢れを知らぬ少女のように笑う。その笑みがあまりにも魅力的で気が付けば儂はエイナリンへと飛び掛かっておった。ーーが。
「なに調子に乗ってんですかこのクソお坊っちゃまが~。今日散々私の手を煩わせたガキンチョ風情が私とヤレるとでも思ったんですか~?」
次の瞬間には儂はエイナリンに頭を押さえつけられ床に倒されていた。
「……えーと。スミマセンでした」
床に組伏されながらも、なんとか儂は両手を上げて降参のポーズをとる。
「謝ってすむなら治安維持部隊は入らないですよ~。誠意を見せてもらいましょうか、誠意をー」
エイナリンはそう言うと儂の頭を容赦なく床にガンガンと数度叩きつけおった。
「……おいくらでしょうか?」
はー。儂としたことが。まさかエイナリンを相手に我を忘れるとは。『種の目覚め』恐るべし。というかむしろ今、こうなるように誘導されたような?
「そうですね~。ちょうどお坊っちゃまの持ち物から一つ欲しいのがあったんですよ~。それ貰っても良いですよね?」
「ちなみにそれは何?」
「貰っても良いですよね~?」
「……ハイ。どうぞ」
理屈も常識も何も通じない。階級の恐ろしさを儂は久しぶりに体感するのじゃった。
「リバークロス様。ただいま戻り……何してるの?」
ドアを開けて中に入ってきたのは王妃達の身の回りの話が一段落した後、実際に色々動いてもらっていたアクエロちゃん。
アクエロちゃんは床に組伏せられている儂を見た後、その上のエイナリンを鋭い視線で射ぬいた。
「ああ。アクエロちゃん。丁度良いところに。お坊っちゃまが無理矢理私を手込めにしようと襲ってくるんです~。助け……アウチ!?」
両手を広げてアクエロちゃんの胸に飛び込もうとしたエイナリンの顔面を、アクエロちゃんが容赦なく殴り飛ばした。そして空中でクルクルと綺麗に回転するエイナリン。アクエロちゃんはそんなエイナリンを片手でガシリと捕まえるとーー
「リバークロス様。エイナリンを抱きたいなら今のうちにどうぞ」
などと言ってきおった。
「いやー。犯される~。でもアクエロちゃんなら。アクエロちゃんなら許しちゃう~」
え? これ、さりげにオッケー出てる? と一瞬ムラッとした儂じゃったが、ここで堕天使の誘惑に負ければ儂だけ酷い目に合うのは目に見えておった。
「それでアクエロちゃん。王妃達は?」
儂は理性を総動員して誘惑を振り切った。
「お坊っちゃまの指示通りエリアの一部を改造し、そこに放り込んでおきました」
アクエロちゃんはエイナリンを羽交い締めにすると次にエイナリンの服をビリビリと引き裂きながら儂の質問に答える。相変わらず無表情でこの子とんでもないことするの。それにしてもエイナリンの肌……ゴクリ。…ハッ!? イカン儂。賢者、賢者になるんじゃ。
「そ、そうか。急いでちゃんとした場所を作らないとな」
「大丈夫です。男二人のブツはキチンと潰しておきましたから。リバークロス様の奴隷が万が一にも傷物になることはありません」
「……………………え?」
はて? 聞き間違いじゃろうか。今、サラリととても恐ろしいことを言わんかったかの。
「さすがアクエロちゃん。仕事が早いですー」
そう言って一瞬前まではアクエロちゃんに羽交い締めにされていたはずのエイナリンが、アクエロちゃんの背後からアクエロちゃんを抱き締めた。ビリビリに引き裂かれたはずの衣服はシワ一つなく、床にも塵一つ落ちてはいなかった。
「いやいや、……え? ちょっと待って? ちょっと待とうか? ………え? 何を潰したって」
さりげに見せたエイナリンの信じられん魔法も気にはなるが、同じ男としてとても申し訳ない事態を発生させたかもしれん儂は背中に嫌な汗をかいた。
「ハイ。ナニを潰しました」
無表情のままグッと親指を立てて見せるアクエロちゃん。いや儂が言うたのはナニではなく何? なんじゃが、もうこのやり取りで答えが出てしもうたわ。
「いやいや、俺そんな指示出してないよね?」
「何を怒ってるんですかー? 体目当てに女を購入してその近くに男を置くならこういう処置をしておこうと考えるのは下の者にとって当然ですよー?」
ついアクエロちゃんを責めるような口調になってしまった儂にエイナリンが不機嫌そうに答える。
確かに儂は全員を同じ所に入れておけとはいったが、それは引き離されると不安じゃろうと思ったからで、第一誰も何も言わなかったではないか。
「エイナリン。お前気付いていたのか?」
「お坊っちゃまのことを考えて部下が取った行動が必ずしもお坊っちゃまの意に沿うとは限らない。普通にあることでしょ~。それが嫌なら命令を出す側が色々工夫するべきですよ~。自分の無能を棚に上げて私を責めるなんて、……死にたいんですか~?」
殺気と言うほど大袈裟なものではないがエイナリンの感情を感じさせない、まるでゴミでも見るかのような視線に儂は何も言えなくなった。
「エイナリン。リバークロス様に失礼。リバークロス様がご立腹なのは私が至らなかったから。申し訳ありませんでした」
アクエロちゃんが頭を下げる。エイナリンがアクエロちゃんを抱き締めながら「アクエロちゃんが謝ることないのに~」と言っておるが確かにエイナリンの言う通り、一概にアクエロちゃんが悪いと言うわけではない。むしろ魔族でありながら人間を気にかける儂の方がここでは異端なのじゃ。
「いや、怒ってはないよ。確かに俺の命令が悪かった」
「寛大なお言葉ありがとうございます。しかし私としてもリバークロス様の期待に応えられないままではいられません。今一度チャンスを下さい。今度こそリバークロス様のご期待に応えて見せます」
その意気込みは嬉しいのじゃが、正直言って嫌な予感がした。
「ちなみに何をするの?」
「はい。ナニと言わずアタマを潰してきます」
平然と答えるアクエロちゃん。んん? 可笑しいの。どこかで会話のキャッチボールをしくじったようじゃ。儂が放り投げたはずの野球ボールがいつまで経っても帰ってこないと思ったらボーリングの球を投げ返された気分なんじゃが。
「いやいや、おかしいからね。うん。ひとまず一旦落ち着こうか。いい? アクエロちゃん。人間を簡単に傷付けてはいけないよ」
「何故でしょうか?」
心底から不思議そうに首を傾げるアクエロちゃん。その仕草だけなら可愛いんじゃがな。
「何故って……それは人間が壊れやすいからだよ。せっかく苦労して手に入れたのに簡単に壊れては困るだろう?」
「壊れればまた別の人間を私が連れて来ます。リバークロス様が望まれるなら何千人でも、何万人でも」
「いや、そう言う問題ではないんだよ。壊れやすいからこそ、大切に扱ってあげるべきと言うかだね。……とにかく分かるだろ? そんな感じだよ」
途中から曖昧な言い方で煙に巻こうとする儂。いつものアクエロちゃんならあえて騙されてくれるのじゃが。
「それは駄目です」
「何で?」
「相応しくありません」
アクエロちゃんの目を見て気づいた。あ、これアカン時の目や。
「いいですか? リバークロス様。貴方は私の永遠に終わることのない快楽なんです。貴方を通して私は喜びを知る。殺戮の喜びを。陵辱の快楽を。屈服の性を。そんな貴方が、私を永遠に悦ばせてくれる貴方が、人間ごときを使い捨てにできないはずがありません。さぁ、命じてください俺の快楽以外を殺せと。私はそれを必ず実行しましょう。そしたら喜んでください。それこそが私の喜びです」
タダほど怖いものはないとは言うが、当然アクエロちゃんはアクエロちゃんの快楽があって儂に心臓を差し出した。と言うか無理矢理押し付けてきた。その目的から逸れるようなことを儂がするとアクエロちゃんはたちまち危ないアクエロちゃんへと変貌するのじゃ。
まだ儂が三つの時、部屋でアクエロちゃんの秘密を暴いた時にも感じた狂気が儂の全身にまとわり付いてくる。
気を抜けば無様に悲鳴を上げ、これから先二度とアクエロちゃんに逆らえなくなりそうじゃ。……気合いを入れる。魔術師である儂はいつだって巨大な力には敬意を払い、一度たりとも侮ったことはない。だから十年間同棲生活する中でアクエロちゃんと言う巨大な力の扱い方は学んできたつもりじゃ。
儂は数多の悪魔を従えたと言われるソロモン王になった気分でアクエロちゃんを睨み付けた。
「なるほどな。アクエロちゃんの言い分は分かった。ならば俺から言うことは一つだ。黙って俺に従え。そしたら俺はとても嬉しい」
全身から魔力を放って威圧する。手加減などしない。本気の殺意をのせる。何故ならそれこそがアクエロちゃんが思い浮かべる支配者の姿だからじゃ。
自分の想像通りの姿を見せる儂に、アクエロちゃんの雰囲気が和らぐ。
「……確かにその態度は支配者らしくて格好良いです。でもまだまだですね」
「あれれー? じゃあ、主従ごっこは終わりですかー? アクエロちゃんが望むのなら今すぐに心臓、取り出してあげますよ~?」
エイナリンがここぞとばかりにアクエロちゃんの耳元で囁く。この堕天使がぁ~!! 取り出す心臓はアクエロちゃんのものだけですよね? そうですよね?
「エイナリン。リバークロス様に失礼。今はまだまだでもこれからきっと立派な支配者になられる。それに未熟な方の方が支える悦びと育てる悦び両方味わえる。私の日々は変わらず快楽に満ちている。こんなに嬉しいことはない」
アクエロちゃんはスカートの端を摘まむと儂に頭を下げた
「大変失礼しました。リバークロス様の望むように取り計らいましょう。以後人間への危害は最小限に留めます」
「う、うむ。よきにはからえ」
とっさに何か支配者っぼく聞こえるような返答をしたつもりであったが、口にした後に間抜けっぽいと気付く儂。
「でもでも~。それなら男は何のために飼うんですか~? ぶっちゃけ生き物と言うのは居るだけで手間をとられます~。まぁ、私も一応は従者ですから? 用途のある奴隷については文句言いませんけど~。使い道のない奴隷の面倒まで私の可愛いアクエロちゃんに見させるつもりじゃないですよね~?」
うう。仕事の不満を堂々と上司に言いおって。優秀過ぎる部下を持つ弊害じゃな。
「それはほら、あれだ」
「どれですかー?」
ヤバイ。どうしよう。普段こういう時頼りになるアクエロちゃんも儂をジーと見て何も言わない。きっと儂の返答次第では教育方針を変える必要があるなとか考えておるんじゃろうな。アクエロちゃん、マジ悪魔。
「感謝されるだろ?」
「はー?」
エイナリンが何言ってんだこいつ? 的な顔をする。アクエロちゃんは相変わらずの無表情。だが儂の返答がお気に召さなかったのは分かった。その身から再び不穏な雰囲気が漂い始めておる。
正直に言いすぎたかと思わないでもないが、どのみち悪魔であるアクエロちゃんがいる以上嘘は通じない。つまり本音を駆使して説得するしかないのじゃ。
ふふ。何か知らんが逆境過ぎて逆に燃えてきたわ。この処女共が。今まで数多の女達に使ってきた儂の交渉術を見せてやろう。