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生産区

 初めて生産区に足を踏み入れたのは儂が九になるかどうかと言う時じゃった。魔王軍に入り、以前よりも少しだけ会う機会が減ったマイシスターがシャールエルナールがいないときを見計らって、美味しい物を食べに行こうと儂を連れ出したのじゃ。


 強い魔力を帯びた肉を食えば食うほどに強さを増すことができる下位の魔族とは違い高位魔族ともなれば余程の肉でもない限り強さに影響はなく、故に口に運ぶ食料は娯楽、あるいは交友や同盟を結ぶ際の儀礼的な場合が殆どなのじゃ。


 そして儂もマイブラザーも娯楽としての食に興味がなく、だから時おり兄弟で魔王城本丸を抜け出して遊ぶ時も場所はもっぱら商業区となり生産区にまで足を伸ばすことはなかった。…この時までは。


「これがとっても美味しいのですわよ」


 そう言ってマイシスターから手渡された肉を一切れかじる。口の中で広がる何とも言えない風味と歯ごたえ。なるほど、それは確かに美味かった。だから儂はそれをあっという間に平らげると、好奇心からマイシスターに聞いてみたんじゃ。


「これ、何の肉?」


 マイシスターはとても良い笑顔で儂の手を引っ張ると、別の場所へと連れていった。どうやら近くで解体ショーをやっているらしい。


 無邪気に儂の手を引くマイシスターにホッコリしながら、この後は何をしようかなどと無邪気なことを考える儂。そして幾人かの魔族が集まっておるそこを指差してマイシスターが言ったのじゃ。何時ものように、儂が大好きな姉の声で。


「ほら、あれですわよ」


 そしてそこで見た光景を儂は永遠に忘れんじゃろう。そして何に対して自分が美味いと感じたのか。その罪も。


 それからのことはあまり覚えてはおらん。確かマイシスターが儂の顔色を見てひどく慌てた様子で儂を魔王城本丸へと連れ帰ったのだと思う。マイブラザーにも話を通したのか、それ以降誰も儂を生産区に連れて行こうとはしなかったし、儂も足を向けることはなかった。なのにーー


「こんな理由で来るとはね」


 足を踏み入れた途端に何処からともなく漂ってくる血と獣の匂い。様々な魔法具が並ぶ商業区と同じように、ここでは多種多様な生物が生者、死者を問わずに陳列され売買されていた。


 魔術師として生物を使った実験は儂だってするし、事実初めてここに来たときは眉をしかめる程度ですんだこの光景も、今では儂の心を物凄い勢いで抉ってくる立派な凶器じゃて。


 儂は心を落ち着かせるために一度深呼吸をすると、余計な情報が入ってこないように意識を傍らの二人へと向ける。


「いいか? 知り合いを見つけても決して声を掛けるな。目も合わせるな。俺の後ろを黙ってついてこい」

「わ、わかりました」


 頷くフルウの顔色は明らかに儂よりも悪い。それはそうじゃろう。今ここにいる人間の中にはかなりの率で最近マイマザーによって滅ぼされたらしい盾の王国の出身者がおるはずじゃ。もしも知っている人間を見かけでもしたら…。い、いや駄目じゃ。これ以上同情すればそれこそ本当に切りがない。


 儂はフルウのことを考えるのを止めて、戻ってきたカーサちゃんへと話しかけた。


「カーサちゃん。場所は分かった?」

「うむ。尋ねれば一発だったぞ。どうやら商魔の言う通りかなり有名なイベントのようじゃな」

「カーサちゃんは知らなかったの?」


 それだけ有名なら儂と違いすでに魔王軍に所属しておるカーサちゃんなら何か聞いておっても不思議はなさそうじゃが。


「そう言えば部隊でも誰かがなんぞ言っておった気がするが、今夜は妾にとっても特別な日なので、その事が気になってそっちは気にも止めんかったわ」


 今夜? 何かあるのだろうかと気にはなったんじゃが、もし聞いて今のような厄介ごとが増えると嫌なので、突っ込まないことにした。


「それじゃあ、行こう」

「うむ。付いて来るが良い」


 そうして歩き出したカーサちゃん。しかしその歩みはあまりにも普通すぎる。


「カーサちゃん。悪いけど急ごうか」

 

 時間的にはそろそろ処刑とやらが始まっても良い頃合いじゃ。急がんと間に合いそうもない。


「走るのか? しかしそこの奴隷はどうするつもりじゃ?」

「わ、私なら大丈…」


 フルウが言いきる前にカーサちゃんがその言葉をピシャリと止めた。


「これ、奴隷よ。勝手に喋るでない。お主の不用意な発言でリバークロスに不利益が生じたらどうするのじゃ? 聞かれた時のみ口を開け」

「も、申し訳ありません」


 表情を上手く隠してはおるが、それでもどこか悔しそうな様子で項垂れるフルウ。まぁ敵である儂等に頼み事をするだけでもかなりつらいじゃろうに、こんなことを言われてはの。ふーむ。仕方の無いこととは言え、ちょっと可哀相になってくるの。


「フルウは俺が担ぐよ。それとカーサちゃん。フルウは奴隷でなく俺の眷属だから。そういう風に接してくれないか?」


 あ~、なぜ儂がここまで気を使わねばならんのじゃ。こういう気持ちにさせられるから、魔王城(ここ)で人間とは関わりたく無かったんじゃよな。

 

 カーサちゃんはカーサちゃんで、儂の言葉に納得してなさそうな顔でこちらを見てくるし。と言うか言い返して来た。


「眷属であろうと、いや眷属であるなら尚更躾はちゃんとしておいた方が良いぞ。甘やかしてそやつが何かしでかした時、それはそやつの主であるお主の意思と言うことになるんじゃからな」

「それは…そうだね。気を付けるよ」


 なるほど。言われてみればそうなんじゃよな。儂の眷属(ぶか)と公言しておるものが、どこぞで悪さ、つまり人間を助けようと魔族を殺したりしたら、そりゃ当然儂が悪いと言うことになるの。……あれ? じゃあ人間を魔王城(ここ)で眷属にするのって物凄い悪手ではなかろうか? い、いかん。可愛そうじゃが眷属化をする際には行動にかなりの制約をつけさせてもらうしかないの。


「カーサちゃんの忠告は受け取った。だが今は急ごう。助ける…その姫を奴隷にすると決めた以上死なれていては不愉快だからね」


 儂はそう言うとフルウをお姫様抱っこした。


「きゃ!? あ、あの…」


 フルウは儂の腕の中で居心地悪そうに身をよじる。…はて、何じゃろうか? この魔王の体はかなりのイケメン。その上毎日百度以上の炎を纏って清潔感も完璧なはずじゃし。それともやはり悪魔というだけでアウトなんじゃろうか?


「何だ?」


 色々考えても答えなど出ないので、取り合えず聞いてみた。


「い、いえ。何でもありません」


 しかしフルウは遠慮がちに首を降るだけ。仕方のないこととは言え、眷属にすると決めた以上、このままの距離感では少しやりにくいの。


「カーサちゃんの言うことは最もだが、俺に対してなら言いたいことを言っても良いぞ?」


 何せこやつにはこれから儂と人間達の間で板挟み、もとい中間管理職的なことをやってもらう予定じゃからな。変に感情を溜め込んで爆発されても敵わん。うーむ。しかしそう考えると人間を眷属にした場合、厳しく接した方が良いのか、それとも優しく接した方が良いのか、この辺の匙加減が大変そうじゃな。


「いえ、本当になんでもありません。お心遣い、…ありがとうございます」


 ああ、そんな複雑そうなありがとう何て別に欲しくないんじゃよな。


「そうか、なら行…どうしたの? カーサちゃん」


 ふと前を見れば、何故がカーサちゃんがジトっとした目で儂を睨んでおった。


「その抱きかた。…良いな」

「は?」

「い、いや。何でもない。付いてまいれ」

 

 そう言ってさっさと駆け出してしまうカーサちゃん。儂は藪蛇にならぬよう黙ってその後に続いた。その際フルウは儂の腕の中で身を小さくし、周囲の情報を決して得まいと目を固くつぶると両手で耳を閉ざした。出来れば儂もそうしたい。そう思わせる光景が嫌でも目に入ってきおった。


「ここは?」


 物理的な距離ではなく精神的な辛さから、ようやっとの思いで辿り着いたのは野球でもやっていさそうな、えらく近代的に見える巨大なドームじゃった。


 まぁ、魔王城本丸のようなメチャクチャな建物があるのじゃからこういう建物があっても不思議ではないが、何かファンタジー風な建物が多い中、この建造物はミスマッチのような気がするの。いや、逆にこれがこの世界の前衛的ポジションにおるのかもしれんの。


「大型種専用の解体場だな。魔物や動物の解体の他にも、時には今回のように処理予定の生物を争わせたりする時に使ったりする。見ての通り広さも中々の上、客席は結界で保護されるので今回みたいなイベントにはまさに持ってこいの場所というわけよ」

「魔族が多いけど、どうやって入ろうか? …権力でごり押しできるかな」


 もうここまで来たら魔王の息子であることを隠すことにあまり意味は無い。いや、今からしでかそうとしておることを考えれば、むしろ魔王の息子であることを全面的に前へ出していくべきじゃろうな。ではなければ儂、下手すれば反逆者になりかねん。


「うーむ。出来ないことはないと思うのだが、商業区ならともかく生産区ではの。妾の言うことを聞くどうかは半々だな」


 商業区なら顔が利いたんじゃろうか? ああ、そういえば確かーー


「確か鬼族、その中でも牙派が商業区を取り仕切っているんだっけ?」

「うむ、そしてこの生産区を取り仕切っておるのは角派。儂等『牙』は昔から『角』とは馬が合わんのでな。魔王様が儂等を束ねられる以前は何度か殺り合ってもいたそうじゃ」


 殺し合いに発展している時点で、馬が合う合わないの問題でもない気がするの。同じ鬼と言う種族でありながら牙持つ吸血鬼と角持つ有角鬼族との殺伐した過去に少々唖然とする儂。


「その頃は確か結構天族に押されてたんだっけ?」

「うむ。個々としての力では魔族の方が強い者が多いのだが、知っての通り妾達魔族は認めた者以外には決して頭を垂れん。各種族を率いる『王』は強力であれどその力に大きな差はなく、故に魔族が一丸となることもできぬまま天族の統制のとれた攻撃に押され続けておったらしい」


 そんな中、現れたマイマザーがその圧倒的な力で魔族を統一し、五分の情勢まで巻き戻したと。…ヤバイのう。この話はいつ聞いても魔術師としてマイマザーをリスペクトしてしまうわい。


「それで、ひょっとして今も『角』と『牙』は険悪とか?」

「いや、今はそれほどでもないぞ。確かにあまり馬は合わんが、それでも嫌々手を取り合う程度には仲良しだ」


 それは果たして仲良しと言って良いのじゃろうか? いや、殺し合いもあった昔に比べれば言っても良いのかもしれんの。


「それなら一先ず試してみてくれないかな」

「それは構わんが、どうやってあそこまで行く?」


 周囲を見渡せば何処もかしこも魔族がひしめき合いまるで壁のようじゃ。お金が無いのか何か知らんが、入れないのに解体場を囲んでおるのはなんの真似なんじゃろうか? 後、今気づいたのじゃがドーム状になっておるのはひょっとして空から除こうとする魔族対策じゃろうか?


 まぁ、何でも良いが、こちらもここまで来たならさっさと終わらせて帰りたいので、退いてもらうとするかの 


「それは勿論、こうやってだよ」


 儂は少々強めの魔力を見に纏った。途端に周囲の殆どの視線が儂の方を向いた。

 最も近くに居た魔族達は儂の魔力を浴びると小刻みに震え、ジリジリと儂から距離を取っていく。


「ふむ。良いの、それ」


 儂のやりたいことを理解したカーサちゃんが同じように強い魔力を身に纏う。それだけで儂等が高位魔族と言う証明書のようなものじゃ。自然と道が開き、儂等は堂々とその中を行く。


「何だ? お前等」


 やがて入り口の前へたどり着くと警備員らしき魔族が出てきた。そしてその中の三人が儂らの方へとやって来る。

 

 どれも人間と比べると身長が高く、体もムキムキじゃ。十中八九、こやつ等が鬼族の角派とかじゃろうな。アクエロちゃんの話では確か牙派は従順派、角派は反発派じゃったかの。有角鬼族は頑固者が多いと聞くし、ここは魔王の息子の儂よりも同じ鬼族のカーサちゃんに任せるかの。


 儂が視線を送るとカーサちゃんは一つ頷いて左手の指輪を鬼へと向けた。


「下郎、言葉に気をつけろよ。妾はこういう者だ」


 何じゃろうか。今思ったのじゃがこのカーサちゃんの身内(なかま)とそうでない者への温度差、マイシスターに似ておるの。


「これは…分かった。用件は何だ」


 カーサちゃんがしておる指輪を確認した鬼が遠巻きにこちらの様子を窺っている護衛仲間へと手で合図をした。その合図を見た殆どの者達が散っていく。


「連れと遊んでおるのだが、ちと中をみたい。良いだろう?」

「その言い方だとチケットは持ってないんだろうな。……はぁ、良いだろう。ただし代金は支払ってもらうぞ」

「いくらだ?」

「そいつ等も含めて『虹』二十で許してやる」


 いやいや、虹二十と言えば、オーダーメイドの魔物を名うての錬金術師に頼めるではないか。いくらなんでもそれは取りすぎじゃろ。


「たかが見世物にそれはふんだくりが過ぎると言うものであろう?」


 カーサちゃんも同じことを思ったのだろう。どこか呆れたように言った。


「何を言ってやがる、これでもあんたが『姫』だからかなりまけてんだぜ。何せ今回のこの見世物はここ百年以上の間、天族と魔族の勢力図を拮抗させていた、あの盾の王国の象徴共の処刑だぞ? これで晴れて現在この地上の最大勢力は俺達魔族だ。その祝いの最たるイベント。虹二十で入れるならここにいる殆どのやつが支払うと思うぜ?」


 なんじゃと? そこまでのイベントじゃったのか? しもうたわい。修行にばかりのめり込んで、必要最低限の情報しか得てこなかった弊害がこんなところで。これは…アカンの。今からでもやめた方が良いのではなかろうか? どう考えても洒落ではすまん。一歩間違えれは儂…かなりやばいことになりそうじゃ。


「ふん。例えそれが妥当な金額だとしても、すでに処刑とやらは開始しておるのだろう? 虹の十や二十、妾にはどうと言うこともないが、いざ支払って中に入れば終わってましたでは納得できんからの」

「その点なら安心しな。俺も囚われた人間共を見たが、あれは簡単に終わるたまじゃねぇ。まさに天族側のドラゴンだ」


 ドラゴンは魔族が作り出す魔物の中でも最強の一角。作った魔族次第では上級魔族にも迫る力を持つ。それに例えるとは姫か護衛のどちらかは知らぬが、余程の強者がおるようじゃの。


「ほう、そうか。では、…さてどうするかの?」


 カーサちゃんが視線で儂に問うてくる。正直に言うと、結構ガチで儂はここでやっぱりやーめた。と言おうか悩んだ。悩んだのじゃが、その時偶然か否か、今まで大人しく儂の腕の中で縮こまっていたフルウが儂の腕を掴んだ。


 目が合う。たったそれだけ。それだけのことで儂の腹は決まった。やれやれ、最初の懇願を無視できなかったのが痛かったの。まぁ、例え無視できても今度はきっと良心が痛んでおったので結局は同じか。


「おい、受けとれ」


 儂は鬼に向かって黄金の魔力石を五つ放った。これで手持ちは虹と五色が幾つかあるだけ。だがどのみちこれから先は小金ではどうにもならん領域じゃし、景気付けにはちょうど良いじゃろうて。


「お、おい。ボーズ。こんなに良いのか?」


 ふふ。さすがに驚いておるようじゃの。今度はその甲斐あったと思っておくかの。


「気にするな。迷惑料込みだ」

「は?」


 これから儂が中で暴れたら儂を通したこやつ怒られるんじゃろうか? その辺も含めた上での代金じゃ。


 事情を知らぬ鬼とは違い、儂の意図を正確に察したらしいカーサちゃんが少しだけ憂いたような表情を見せた。


「…妾が当初思っておった以上に大きなイベントであった。下手をすればお主でもただではすまんぞ。それでもそんなモノの為にやるのか?」


 そんなモノの、という言葉でカーサちゃんの視線が儂の腕の中のフルウを見た。確かに前世ではどうあれ今世では儂は魔族。縁も所縁もない他人の為にここまでする必要があるのかと考えんでもない。ないんじゃが、それでもやはり儂は自分の中の最低限の人間性(りょうしん)を無くしたくはないと感じていた。


 やれやれ前世ではもっと気ままな性格で、人間らしさなど人間であった時には気にもせんかったのに、種が全く別物になった途端に気にし始めるとは可笑しなものじゃな。


「心配してくれてありがとうカーサちゃん。でも心配は要らないよ」


 なにせ儂は元現代魔術師最強の男にして、最初で最後と謡われる魔王の息子。この程度のこと火遊びの内にも入らんわ。おお、そんな風に考えるとマジで楽勝に思えてくるから、暗示様々じゃな。


 儂は馬鹿でかい建物を見上げ、魔王の息子らしく堂々と宣言してやった。


「さぁ、手遅れになってもつまらない。さっさと俺の良心(どれい)を貰い受けにいこうか」


 そうして儂は解体場だとか言う不吉すぎる建物へと足を踏み入れるのじゃった。


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