十三歳前日
十歳の誕生日に与えられた外を一望できるお気に入りの部屋で、眼下に広がる景色を楽しむ儂の胸は遠足を翌日に控えた子供のように高鳴っておった。
明日で晴れて十三歳。儂が魔王の子供に転生して既に十二回の誕生日を迎えておるが、その中でも間違いなく特別な誕生日となるじゃろう。
何せ、人であった頃の心を尊重して成人するまでは女性と関係を持たないと決めておったのじゃが、それも明日の誕生日を迎えればついに終わりじゃ。長かった。六歳の頃には既にこれもう二十代と言っても通じるじゃんレベルまで育っておったから、それからの七年間は本当に長かった。
「聞いておられますか? リバークロス様」
「ん? ああ聞いてるよ」
儂は外を眺めていた視線を切ると、振り返り背後におるシャールエルナールを見た。そんなつもりは無かったのじゃが、つい生返事になってしもうた。シャールエルナールにしては非常に珍しいことに眉が微かに動く。
「ではもう一度、一から説明するであります」
「いや、大丈夫だよ。『支配者の儀』の開始時間は明日の零時ジャスト。場所は試練の間だろ?」
アポもなしに突然部屋にやって来たシャールエルナールは部屋に入るなり明日、と言うよりも今夜の儀式について事細かに説明を始めおった。別にそれ事態は構わないんじゃが、その説明が既に今週だけで通算六回行われておるのはどう言うことなんじゃろうか?
まったくもってシャールエルナールは心配性じゃて。
「シャールエルナール。心配してくれるのはうれしいけど、俺ももう子供じゃないんだよ」
正確には明日からじゃけど、心はいつでも三百歳。僕っ子を止めた儂に隙はない。
「成る程、失礼したであります。ちなみに何故十三歳が成魔とされるか覚えておいでですか?」
おやおや、シャールエルナールさんや。ひょっとして儂の記憶力を試すおつもりですかな?
「勿論覚えてるよ。過去、天族との戦いに置いて劣勢の時期があったんだよね。その時代、種の滅亡を前にまだ幼い子供を戦力として戦場に投入することも珍しくなかった。でもそのせいで貴重な魔族の戦士が力を持つ前に死んでいく。そんな現状を憂いた母さんがせめて生まれ持った種の力を最低限使いこなせる年齢になるまでは戦場に出さないべきだと決めたからだろう?」
「その通りであります。魔王様が『魔王』となられて五百年。その輝かしい功績は上げればきりがないでありますが、中でもこの十三歳保護法は滅亡の危機にあった魔族の戦力を持ち直させる切っ掛けとなった『魔王の英断』の一つであります」
『魔王の英断』。天族に滅亡の瀬戸際まで追い込まれた過去から現在の戦力が拮抗した状態へと盛り返す切っ掛けとなったマイマザーの大きな決断のこと。
全てが終わった後に聞くとへ~凄いな~。と言った感じじゃが、やはり当時は大変だったんじゃろうな。
「確か当初は反発も強かったんだっけ?」
「その通りであります。一部の力ある魔族はともかく、比較的子供を作るのが難しくない一般の魔族の中には自分の子供に対する情が薄い者も少なくないでありますから、どうして武器を与えれば十分に戦える者を戦場に出さないのかと、不満が続出したのであります」
魔族の子供なら五歳にもなれば一般の人間程度の身体能力は獲得できるので確かに戦えないことは無いじゃろうが、魔族や天族が争う戦場で一般人レベルの魔族に何ができるのじゃろうか?
「それって実際役に立つの?」
せめて最低限の訓練を積んだならまだしも、それもなく普通の一般人の身体能力でこの幻想世界の戦場に飛び込むなんて自殺行為にしか思えんのじゃが。
「それほど大きな力を持たない者にとって、数はただ数であるだけで力でありますから」
言われてみれば確かにと思うてしもうた。ふむ…どうもいかんのう。最近の儂はすっかりとこの強すぎる魔族の体を基準に考え始めておる。日に日に数百人どころか数人に囲まれて驚異を感じておった人間の頃の感覚が薄れているのを実感するわい。少し気を付けた方が良さそうじゃな。
「…でもそれでも母さんは子供を戦場に送るのをよしとしなかった」
「その通りであります。魔王様はどんな反発が起ころうとも十三歳に満たない者を戦場に送り出すのを禁じ、決してそれを曲げませんでした。当時は状況も今とは異なり魔族は劣勢でありましたから、魔王様のこの命令には多くの者が激怒したのであります。しかし…」
話に熱が入って来たのか、拳をグッと固めるシャールエルナールから無駄に強い魔力が突風となって室内を駆け回った。
「しかし魔王様は自らが最前線へと赴き憎き天族共を蹴散らすことで分からず屋共を黙らせたのです。滅亡の可能性が誰の頭にも過ぎり始めたあの時代。我らの黄昏を払うあの太陽のごとき魔王様のお姿は今でも忘れられないであります」
在りし日を思い浮かべ頬を染めるその顔は、まるで夢見る乙女のようじゃ。ただその身から放たれる力は乙女などと可愛らしいものではないんじゃがな。
「あの、シャールエルナールさん? 風が危ないレベルになりそうなので少し落ち着いてくれませんかね?」
「おっと、これは大変失礼したであります。本官ともあろう者がリバークロス様の前で何と言う不作法を。かくなる上は私を拷問…」
「いいから! 気にしてないから」
儂は力一杯。それこそ目の前のシャールエルナールの魔力に負けぬ魔力を発しながら叫んだ。
「そ、そうでありますか?」
「そうなの。はい、この話はお仕舞いね」
最近発見したんじゃが、拷問を望むシャールエルナールを止めるには最後まで言葉を言わせないのが一番じゃな。
「とにかく今夜の『支配者の儀』については大丈夫だよ。あれだよね。十三歳になって魔王軍入りする子供の中から親が一定以上の地位にいる者が受ける儀式で、そこで力を見せないと入隊後の進路が大きく変わるんでしょ?」
「その通りであります。『支配者の儀』はリバークロス様にとってとても重要な意味を持つものでありますので、くれぐれもそのことれをお忘れなきよう、お願い致します」
そう言って敬礼をしてみせるシャールエルナール。心配してくれるのは嬉しいのじゃが、こんなに念を押してくるとは。儂、未だに子供と思われておるんじゃろうか? 既に体はこんなにもムキムキな上に身長ではシャールエルナールを追い越しておるのじゃが。
生まれた時から精神年齢三百歳の儂はシャールエルナールを困らせるようなことだってして……しておるの。うむ。バッチリしておったわ。
儂はマイブラザー達と行動を共にするようになったこの十年を振り返って、シャールエルナールの態度に納得してもうた。とは言え、主にヤンチャの原因はマイブラザー達なんじゃが。いや、結局儂も参加しておったのでやはり文句は言えんのう。
などと考えておると、ここ十年の間にすっかりと儂等の保護者となった魔王軍の最高幹部が更に口を酸っぱくして言って来おった。
「特に只でさえ『支配者の儀』には魔王軍の中でも力ある者が多く集まるのであります。もしもここで魔王軍の一角を担う支配者に相応しくないと判断されれば、最悪魔王軍から放逐、あるいは将来の禍根を絶つために死刑もありえるのであります。そうなれば例え魔王様でも簡単には庇えないので、ほんと~に気をつけて欲しいのであります」
なんじゃそりゃ? 魔王の子供でも処罰するとは厳しすぎではなかろうか。いや、それほどの権力を持つ者だからこそ、無能では困ると言うことじゃろうか?
「その最悪のケースって結構起こったりするの?」
「ご安心ください。最悪のケースなど滅多に起こらないのであります」
ああ、だから今まで言わなかったのじゃな。しかし滅多にと言うことは起こる時は起こるんじゃろうか? それにシャールエルナールの言い方、それ現代ではフラグと言うんじゃが。大丈夫…じゃよな?
「…でもまぁ、ただ魔物を倒せば良いだけなんだよね」
『支配者の儀』などと大仰に言うたところで、やることはただ他の魔族に儂が上に立つだけの力があるのかどうかを見せるだけ。ハッキリ言って今の儂、そんじゅそこいらの魔物如きに負ける気がしないんじゃよな。
「油断は大敵であります。魔王様のご子息。その中でも最も有名になりつつあるリバークロス様の『支配者の儀』。用意される魔物もかなり上位のものと推測さます」
普段の儂ならその忠告になるほど気を付けるよと返すのじゃが、今回はーー
「ふーん。まぁ問題ないよ。ただの魔物にはもう負ける気がしないからね」
気が付けば儂はついそんなことを言っておった。恐る恐るシャールエルナールの様子を窺えば案の定、儂のことを大丈夫かなこいつ、的な感じの目で見ておる。
やれやれ、そりゃ忠告したそばからまるで危機感のない発言を聞けばそう思うじゃろうな。事実、魔物は確かに魔族が作り出してはおるが、機械を作った人間が機械よりも強いわけではないように、魔物の中にはそこいらの魔族よりもよほど強い者もおる。特に自我を発言した魔物の中には上級魔族にも匹敵する個体がおるとの話じゃ。どう考えても決して侮って良い相手ではない。
なのにあの発言。困ったことに最近たまにこう言うことがあるんじゃ。何と言うか十代特有のパッションに支配されるとでも言えばいいんじゃろうか? 感情を理性で制御しきれず、もて余しておる感じじゃな。
正直これは魔術師としてかなり恥ずかしいことなんじゃが、冷静に考えればこの体は魔族、それもその中で最も優れた一つなのじゃから、人間の体よりもコントロールが難しいのは仕方ないじゃろうて。
むしろ魔術師として乗りこなしがいのある体に燃えるくらいじゃわい。よし、とりあえずシャールエルナールには儂が魔物を侮ってはいないことを伝えねばな。
そう思い反省の言葉を言うべくシャールエルナールを見ると、当然じゃがバッチシと目があった。
怜悧な瞳。腰にまで届く艶やかな黒髪にはまるで似合わない色気のない軍服。しかしそれが逆にアンビバレンスな魅力を引き出し、その下に眠る肢体の艶やかさに想いを馳せらせる。
ゴクリ、と思わず喉が鳴った。
「? 何か?」
その一言で儂の理性が復活する。
「いや、ごめん。何でもない」
ふー。危ない。危ない。明日を待たずして儂の欲望がハッスルしてしまうところじゃったわい。
「そうでありますか、ただ…」
そう言うとシャールエルナールが何故か儂との距離を不用意に詰める。これは彼女の性格を考えると非常に珍しい行動じゃ。儂の心臓が少しだけ騒がしくなる。
やがてシャールエルナールは儂のすぐ傍、それこそ抱き合っておると勘違いするほど近くに身を寄せてきた。
そして儂の耳元にそっと息を吹き掛けながら囁くのじゃ。
「本官は、いつでも構わないんですよ?」
それはいつもの軍人もかくやと言うシャールエルナールのぎびきびした声とはかけ離れた、こちらの獣欲を刺激する色欲に満ちた声だった。
「う、おっ」
儂は思わずシャールエルナールの体に腕を回しかけ、しかしグッと堪える。ここで手を出せば今までの我慢は何じゃったんじゃと言う話じゃ。
紳士じゃ。紳士になるんじゃ儂。
そうして何とか気持ちを落ち着かせると、儂はシャールエルナールの両肩を掴み、そっと儂から引き離した。
「か、考えておくよ」
「見に余る光栄であります」
そう言って敬礼するシャールエルナールの声はもう完全に普段のものへと戻っておった。儂はそれにホッとしたような、あるいは少し残念なような気持ちになる。
その時、ノックもせずに部屋の扉が開かれた。
「あれ~? 何やら言い雰囲気ですね~。まさか私のアクエロちゃんをないがしろにして、シャールとシッポリ楽しんでたんじゃないでしょうね~。お坊っちゃま?」
「そんなわけないだろ」
入って来たのはエイナリン。そのいきなりすぎる言葉に別にやましいことも無いのにドキリとする儂。
「貴様、堕天使風情がリバークロス様に何と言う口を。そこに直れ。今から貴様を殲滅する」
次の瞬間、シャールエルナールからあまりにも強い魔力が放たれ、かなり強固に作られておるはずの部屋の床に大きな亀裂が入った。
ちょいちょい。シャールエルナールさんや? ここ儂のお気に入りの部屋なんですがね。
「いやー怖いです~。助けてください~。アクエロちゃん」
エイナリンは非常にわざとらしいベソを掻きながら少し遅れて入って来たアクエロちゃんの背後に隠れた。
それを見てギクリと身を強張らせるシャールエルナール。
「あ、アクエロ様もおられたのですか」
悪魔王の娘であるアクエロちゃんは魔王軍最高幹部であるシャールエルナールが頭を垂れる一人。そんな人物を前に敵意に満ちた魔力を向けていられるはずもなく、急速に纏った敵意が萎んでいった。
儂はこれ幸いと、さっさと空気を変えることにする。
「アクエロちゃん。それとエイナリンも色々とご苦労だったね」
「とんでもありません。リバークロス様。従者として当然のことをしたまでです」
そう言って肩で切り揃えられた黒髪を微かに揺らして頭を下げるアクエロちゃん。その頭には白いヘッドドレス。ここ数年でアクエロちゃんの格好はメイド服に固定された。まぁ、似合っておるから別に良いのじゃがの。
「本当ですよ~。まったく『支配者の儀』に合わせて従者が挨拶回りなんて、魔王様も面倒なこと考えますよね~」
エイナリンのマイマザーを非難するかのような軽口にシャールエルナールが「貴様!」と声を上げ、超怖い目でエイナリンを睨む。
「仕方がない。どんな従者を与えられているのか、それはその魔族に掛かっている期待を表す。その為の従者巡り。ここで力の弱い従者が挨拶に回れば、魔王様がリバークロス様に懸ける期待は大したことがないと判断され、儀式への集まりが悪くなる」
「そうは言ってもですね~。どいつもこいつもリアクションでかすぎですよ~」
「それはエイナリンが有名すぎるのが悪い。後、いちいち煽ったりするから」
なぬ? 会いに行ったのって魔王軍の中でもお偉いさん達なんじゃよな? 何をしとるんじゃ、この不良従者は。
「特に会う度にお母様に喧嘩を売るのは本当に止めてほしい」
「それは無理です~。あのクソ悪魔の面を見る度にぶち殺したくなって仕方ないんですよ~。と言うか~、アクエロちゃんこそあのアバズレを殺そうとする度に一々止めに入るのいい加減止めて欲しいんですけど~」
「それは無理。私はお母様もエイナリンも大好きだから」
「あ、アクエロちゃん。嬉しいです。私も大好きですよー。これからも私達ズッ友ですよー」
背後からアクエロちゃんを抱きしめ、これでもかと頬擦りするエイナリン。アクエロちゃんは無表情にそれを受けておるが、アクエロちゃんの心臓を持つ儂には、アクエロちゃんが無表情ながら何気に喜んでおるのが分かった。
それにしても何じゃろうな。なかなか言い場面なのにズッ友のせいで儂の方がズッ転けそうじゃったわ。と言うか、その言葉こっちの世界にもあったんじゃな。
そして何よりも悪魔王を殺す的な発言をしたエイナリンに対し、シャールエルナールの目付きが半端なくヤバイ。ああ、頼むからキレんでくれよ。この部屋のライフはとっくに0なのじゃからな。
「とにかく~。私達この二週間一睡もせずに働いていたんですから~。少しゆっくりするですよー」
普段は空気なんて読まないくせに、たまにタイミングの良いことを言うエイナリン。儂はすぐさまその言葉にのった。
「そうだね。それがいいよ。少し仮眠でもして来たらどうだい?」
そしてシャールエルナールと喧嘩になる前にさっさとこの部屋から出ていくのじゃエイナリン。
「いいですね~。たまにはお坊っちゃまも良いこと言います~。さぁアクエロちゃん、久々に私と寝るですよ~」
「寝るなら私、リバークロス様の中が良い」
アクエロちゃんはそう言うとエイナリンの腕からスルリと抜けて儂の下へとやって来た。
「え? え?」
エイナリンの奴が呆気に取られた顔をしておる。マイマザーにすら平気で口答えをするエイナリンにこんな顔をさせらるのはアクエロちゃんぐらいじゃろうな。
「宜しいですか? リバークロス様」
「俺はいいけど、あれはいいの?」
勿論あれとはエイナリンのことじゃ。あれ、怒らせると怖いんじゃよな~。三歳まではそれほどでもなかったんじゃが、この十年ですっかりエイナリン恐怖症になってしもうた儂。いや~有能過ぎる従者と言うのも考えものじゃな。やはり身の丈に合わないものは危険じゃて。
「はい。問題ありません」
儂の質問にアクエロちゃんはそう応えるとエイナリンを振り返ってーー
「それじゃあ、おやすみ」
と言って、儂の中に入ってきた。この儂の中に入ると言うのはそのままの意味で、まるで水の中に入るかのようにアクエロちゃんが儂の体に収まっていく。
恐らく儂がアクエロちゃんの心臓を保有しておるからできる芸当なのじゃろうが、アクエロちゃんが儂の中に入って来ると、アクエロちゃんと重なりあっているような何とも奇妙な感覚に陥る。最初こそこの感覚に戸惑ったものじゃが、何度も繰り返していくうちに最近ではむしろこの状態の方が普通だと思えるようになってきたくらいじゃ。
「ガーン。ショックです~」
儂の中に完全に入ったアクエロちゃんを見て、その場に崩れ落ちるエイナリン。シャールエルナールはそんなエイナリンを見下ろしてザマァとばかりに笑っておるが、儂としてはキレたエイナリンの八つ当たりが怖くてそれどころではない。
「さ、さて。それじゃあ時間まで何してようかな」
何気ない風を装って部屋から脱出するつもりだったのじゃが、その一言でエイナリンの奴が顔を上げおった。あまりにも突然顔を上げるので不覚にも儂の心臓が飛び跳ねてしもうたわ。
しかし予想外なことに顔を上げたエイナリンの表情は平然としたもので、そのままスクリと立ち上がる。そして珍しいことに儂に向かってニコリととても良い笑顔で微笑みおった。
「それじゃあー。市場でも見て来たらどうですか~? 少し前にちょっとしたイベントがあったんでー、今とっても賑わってるんですよ~」
イベント? はて、何じゃろうか? 十三歳になったら暫くアクエロちゃんと部屋に籠ろうと考えておるので、その分の修行を今の内にしておこうと思い立ち、ここ暫くの間外に出ておらんかったからの。何かやっておってもサッパリじゃて。
「市場か、それもいいね」
お祭り騒ぎは嫌いではないし、時間までの良い暇つぶしになるかもしれんの。そう考えた儂は外へと出掛けるのじゃった。