修行の始まり
結果として私は惨敗した。
勇者順列第三位『黒狼』のギンガ。いくらこの体がまだ十歳とは言え、魔術に関する適正なら元の世界にいた時とは比べものにならない程に優れている。
マイスターには及ばないが私だって現在社会において近代兵器を相手に大立ち回りをしたこともある。だから勝てないまでも結構良いところまで行くのではないかとほんの少しだけ思っていた。だがそんな細やかな自信は歴戦の戦士の手によって簡単に打ち砕かれた。
どうやら私は戦うことが日常化している人間の力を侮っていたようだ。
「…なるほど、これは驚きだ。まるでお前を見ているみたいだよ」
叩きのめされ、地面に横たわる私を見下ろしながらギンガがポツリと言った。
私は荒い呼吸を繰り返しながらそんなギンガを見上げるが、彼女は私と目を合わせようとしない。
ギンカは落ちていたコートを静かに拾うと、そのまま私に背を向けた。
「お前の力量は把握した。今日の私の修行はここまでだ。後はマーレから魔法の手解きでも受けな」
「あ、ありがとうございました」
負けたのは悔しいがやはり全力をぶつけられる相手が居るのと居ないのでは大違いだ。事実、今の戦闘だけでも幾つもの改善点が見つかった。これを直すだけでも私の力はかなり向上するだろう。
私は震える体に活を入れて立ち上がると、感謝を込めて頭を下げた。
「…ふん」
しかしギンガの態度はそっけない。ひょっとしたら何か気に触ることでもしてしまったのだろうか? 聞きたかったがギンガはさっさと行ってしまった。
その背を見送ると私は再び地面に倒れ込んだ。これほど疲労したのはいつ以来だろうか? まさに精魂尽き果てたと言った感じだ。
「カエ、大丈夫か?」
「カエラさん。怪我はしていませんか?」
全力を出せた充実感に、砂にまみれることすら心地よく感じ始めていると、地面に転がる私のもとにマレアとビアンが駆け寄って来た。
「大丈夫。…ごめん。負けちゃった」
これが順当な結果と言うものなのだろうけど、それでもせっかく応援してくれたのにと少しだけ申し訳ない気分になった。
「何言ってるんだ。凄かったぞ。流石カエだ」
「ええ。ギンガさんの実力は当然としても、まさかカエラさんがあそこまで強かった何て驚いたわ。これは私達も頑張らないといけないわねマレア」
「おう。俺達も強くなるぜ」
グッと親指を立てるマレアと自分だって負けないのだと意気込むビアン。そんな二人に私は思わずジーンときてしまった。ああ、これが友情。これが青春。魔術師として現実を直視する冷徹な思考と言うのは必要だと思うが、やっぱりこういうのもケーキのように甘くて良いものだ。
マイスター風に言うのならホッコリすると言う奴だろう。
「私も強くなるよ」
「へっ、負けないぜ、カエ」
「そうです。私も負けませんよカエラさん」
そう言ってガシリと手を取り合う私達三人。ああ、いい。いいわ。女の友情。でも共に視線を潜り抜けるうちに友情はいつしか禁断の、禁断のぁー!!!
「か、カエラさん?」
何故かビアンがちょっと引いた感じで声をかけてくる。
「…何?」
「い、いえ。その、少し様子が可笑しかったので…」
「そうだぞ、カエ。顔が紅くて何だか呼吸も荒いぞ」
「疲れているのよ」
「それもそうか。本当に凄かったもんな。そうだ部屋まで連れて行ってやろうか?」
そう言って腰を落とすマレア。これはあれだろうか? おんぶしてくれると言うのだろうか?
「いいの?」
「おう。全然オッケーだぜ」
ああ、マレアったら何て言い笑顔をするのかしら。これは本当に将来が楽しみね。ふふ。思い返せば私、マイスターが男がいる女には手を出さない何て言うくせに私を抱くのを拒むから、向こうではついそっちに走ってしまったのよね。
でもまぁ、それは仕方のないことだと今でも思う。私だって性欲はあるのだ。それなのに愛した男は抱いてくれない。なら隠れて他の男とすれば良いかとも考えてしまったけれど、もしもそれがマイスターに発覚した場合、ただでさえ低い抱かれる可能性が完全にゼロになってしまう。それは嫌だ。だから私は考えた。それはもう一生懸命考えた。どんなにお願いしても抱いてくれないので仕方なく無理矢理抱くかと襲い掛かったこともあるが、普通に返り討ちにあって、更に考えた。
そして閃いたのだ。男がいる女がアウトなら、女の恋人がいる女はセーフではないだろうかと。
事実、マイスターの部屋にはそういう映像や本などが多くあった。私も元々性欲を満たしたいだけで別に相手にこだわりはなかった。いや、勿論誰でも良いと言うわけではないが、魔術師としての視点のせいか、性はあくまでも肉体の反応の一つで排泄と変わらない程度の認識だったので、愛した相手が抱いてくれないのなら男だとか女だとか小さなことにこだわる必要も無いのではないかと思ったのだ。
だから折角なのでマイスターが好みそうな女を落としまくった。そしてマイスターが理性をぶっちぎって私と私の恋人達を襲えるように様々な手で誘惑した。しかし不思議なことに、私が誘惑すればするほどマイスターの部屋からその手の本が消えていった。あれは今思い返しても不思議でしょうがない。
「どうした? 乗らないのか?」
中々動こうとしない私に腰を落としたまま、マレアが聞いて来た。
「ごめんなさい。考え事してた。乗るわ」
今世の私は果たしてどうするのだろうか? 流石にまだ子供の体と言うこともあって性欲は覚えていない。あるいはこのまま性とは無縁でいるのかもしれないし、もしくはーー
「帰るにはまだ早い」
その一言が私を妄想から現実に引き戻す。
振り返れば賢者マーレがじっとこっちを見ていた。いけない。そう言えば魔法の修行が残っていたんだ。マレアがあんまりにも可愛いことをするのですっかり忘れていた。
慌てて謝罪の言葉を口に仕掛けた私よりも早く、賢者マーレが言った。
「見事な勝負だった。確かに言うだけのことはある」
最後の台詞はビアンとマレアに向けられたものだ。二人は、特にマレアは嬉しそうに胸を張った。
「だろ? カエはスッゲー勇者何だぜ。きっと将来は『剣聖』なんて片手でチョイだぜ」
「『剣聖』を越える? …なるほど可能性はあるかもしれない」
聞けば『剣聖』とやらは勇者の第一位、片や私は最下位の二十四位。まだ幼く伸び代が大きいとは言え、最下位が最強を越える可能性を否定しなかったのだ。これはかなりの高評価を貰えたと思っていいだろう。
冷たい、と言うよりも波一つない湖面のように静かな青い瞳が私をまっすぐに見つめて来る。
「一つ聞く。魔力操作は誰に習った?」
「教会の先生方ですけれど」
恐らくはそんなことが聞きたいんじゃないんだろうなと予想しながらも、無難な答えを返しておく。
「他には?」
案の定、賢者マーレは私の魔力操作に目をつけたようだ。正直その事実にほっとする。現代魔術師であった私は魔力操作には自信があり、事実村に居た時もそして教会に来てからも私より魔力操作が上手い人間には会ったことがない。
前世の努力がこの世界でも認められたようで、魔力操作が優れていることは私の密かな自慢だったのだ。だがそうは言っても最強クラスと比べればどうかは流石に分からなかった。
ひょっとしたら井の中の蛙的な気持ちを味わうことになるかも知れないと少しだけ覚悟もしていたのだが、賢者マーレのこの反応をみる限り、どうやら自信を持っても大丈夫なようだ。
「いえ、他にはいません。教会の先生方だけです」
ああ、本当ならここでマイスターのことを言うのに。現代魔術師最強の男の凄さを喧伝しまくるのに。それができない我が身が恨めしい。
「なら、ほとんど我流? 体術も魔法も年齢を考えるとずば抜けていたけど、魔力操作はその中でも破格と言ってよかった。今の段階でも超一流」
魔術師にとって魔力操作は基本にして奥義だ。私もそれなりに自信はあるが、私にとって超一流とはすなわちマイスターだ。マイスターを差し置いて私が誉められることに、どうしても違和感を感じてしまう。
「ありがとうございます。でもまだまだなのでマーレさんもご指導の程、宜しくお願いします」
「分かってる。私もやる気でた。みっちりとしごく」
一瞬だけ感情の高まりに合わせて賢者マーレの体から魔力が漏れる。…うわ、マイスター以外にここまで凄い人がいるなんて、本当に異世界に来たんだなと嫌でも実感させられる。
「そう言えば、賢者の意味は理解してる?」
「単独で第一級魔法を使える者のことだと」
主言語と言う特別な言葉を用いるこの世界の魔法システム。どの主言語を用いるかで魔法の威力は大きく変わり、それにともなって要求される魔力も変わってくる。
もっとも弱い魔法は主言語ではなく『燃えろ』など現象をイメージさせる言葉、つまり準言語と呼ばれる言葉を用いた魔法で、これが第四級魔法。一般の魔法使いは主にこれを使う。
次の第三級魔法が民、騎士、管理者の主言語を用いた別名群衆級魔法。
魔力でシステムと結合し主言語を唱えた時点で魔法のキャンセルは出来ない(これをこの世界の人達は世界と繋がると表現している)。それ故に第四級魔法を少し使えるようになった魔法使いが自身の力量も把握しないまま第三級魔法に挑み、毎年多くの魔法使いが亡くなるという。
それ故に第三級魔法の習得は教会管理下のもと資格制にするべきだと言う声も毎年のように上がるようだが、魔族との争いが激化しつつある近年、そんな規制をして優秀な人材の成長を妨げるべきではないとないと言う声の方が圧倒的に多いらしい。
しかしいかに規制されないとは言ってもやはり思うところはあるらしく、私も村に居る時から第三級魔法への挑戦は教会の許可か降りるまでは絶対にしてはならないと何度も忠告された。
そんな事情もありこの第三級魔法を使いこなせるかどうかが一流の魔法使いかそうでないかを分ける境目と言われている。
そして次の第二級魔法、別名英雄級魔法。これを扱える魔法使いは文句なしに超一流であり、どの国に行ってもまず職に困ることはないとのことだ。
そして扱える者に『賢者』の称号を与える第一級魔法、別名王級魔法。私も話に聞いただけだが、どうもこれは他の魔法とは一線を隠すものらしい。
「正確には賢者であろうと第一級魔法、つまりは王級魔法の使用には媒介を必要とする。王級魔法は本来なら一流の魔法使いが数十人がかりで行う大魔法。勇者ならあるいは媒介無しでも撃てるかもしれないが、それでも精々一発が限界。私が君に教えるのは王級魔法までの足掛かり。王級魔法が使えれば単騎で絶望的な戦況をひっくり返すことも可能であり、上級魔族にも対抗出来るようになる。…死ぬ気で覚えて」
「…頑張ります」
無難な返事を返しながらも、それほどの力に触れられるのかと魔術師として胸が踊った。
現代魔術師であった私がこの王級魔法のことを聞いて真っ先に思い浮かべたのが現代最強の兵器、つまりは核だ。まぁ実際そこまでの威力があるのかは不明だが、問題はそれほどの力を使わなければ対抗できない上級魔族とやらの存在だろう。
何やら最近魔族や天族の動きが怪しく、大きな戦争が起こるかもしれないと言う噂をよく聞くが、それほど強力な存在が敵対するなら確かに驚異だろう。
何よりも戦争をすれば負けた方には悲惨な末路が待っている。この世界に生まれた以上、私も他人事ではないのだ。
とは言え実のところあまり心配はしていない。何故ならこの世界の何処かにはマイスターがいるからだ。現代最強の魔術師がこの魔法に満ちた世界で己の才能を十全に活かせる体を手に入れた。そこに勇者として力をつけた私が加われば、上級魔族だか何だかしらないがまるで負ける気がしない。
「マーレ様、私も賢者になれるでしょうか?」
ビアンがどこか思い詰めた様子で賢者マーレへと問いかけた。賢者マーレはビアンをじっと見つめ、言った。
「貴方次第」
「俺は? 俺は?」
ビアンの横に並んだマレアが勢いよく手を上げながら賢者マーレに問う。賢者マーレはそんなマレアをチラリと一瞥すると、
「……頑張れ」
と、物凄い適当な感じで言った。だがマレアはそんな賢者マーレの態度にもいつもの笑みを返す。
「おう。頑張るぜ」
そうして私達三人の修行の日々が始まるのだった。