勇者と賢者
シスタークラリネットとの会話から丁度一週間後、私が暮らす教会に勇者と賢者がやって来た。
「昨日の歓迎会で挨拶はしたが、俺が今日からお前達の教師役のギンガ・アイタスだ。よろしくな」
褐色の肌に肩よりも長い銀髪。服の上からならばモデルのようなスレンダーな体格に見えるが、昨日お風呂に一緒に入った私は知っている。一見細く見える彼女の体が、実は無駄な肉の一切を削ぎ落とした、鍛えに鍛えぬかれた体であることを。
綺麗に分かれた腹筋。鍛えられたと一目で分かる二の腕やふくらはぎ。彼女の体は例えるなら限界まで引き絞った弦のようだ。
「私がマーレ。……よろしく」
三角の帽子を被ったいかにも魔法使いと言った格好の青い髪と瞳のエルフ。実年齢は四十と言うことだが、二十代、いや十代の後半と言っても通じるであろう若々しい容姿をしていた。
私はそんな二人に向けて頭を下げる。
「私がカエラ・イーストです。勇者と言っても右も左も分からない若輩者ですが、先輩の勇者達に恥じぬよう静一杯頑張りますので、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」
昨日も挨拶したが、向こうが改めて挨拶してきた以上こちらも返しておく。どれくらいの期間になるのかは分からないが当面は弟子と師の関係だ。良好になるよう努力して損はないだろう。
「なるほど、口は一丁前と言う感じか。で、そっちが?」
ギンガの視線が私の横の二人に向けられた。
「ビアン・ネルサスと言います。この度は縁あってシスタークラリネットから勇者であるカエラさんと共に学ぶ機会を頂きました。どのような修行にも耐える覚悟ですので、ご指導の程、何卒宜しくお願い致します」
スカートの端を摘まんで綺麗なお辞儀をして見せるビアン。私が言うことではないが、とてもではないが十歳の少女の態度には見えなかった。
「マレア・オルドレイ。頑張るから、よろしくだぜ」
グッと親指を立てて見せるマレア。こちらは年相応と言った感じだ。しかしギンカはどちらの挨拶にも特に好感や嫌悪の感情を見せなかった。
魔術師である私にはその鋭い視線が常に私達の足運びや呼吸、自然体での気や魔力の流れを観察していることが分かった。どうやら表面的な態度にはそこまで関心を持たない性格のようだ。
「ネルサスにオルドレイ? これはまた有名どころが出てきたな。まぁ、勇者の供としたら文句なしだがな」
「ギンガ」
「おっと、悪い」
賢者マーレの声にギンガがばつの悪そうな顔で私の方へ視線を向けて来た。別に隠さなくともビアンとマレアの二人が格式の高い家の子供だと言うのは知っている。いや、それどころか私が共に学んでいる同世代のほとんどの子供達が何らかの権威を持つ家柄の子供、つまりは有名な騎士や魔法使いの子供だったり、あるいは貴族の子供だったりする。
初めはそう言うクラスに私が入れられたのかと思ったのだが、どうも勇者である私のために、各方面からわざわざ集めたらしい。
それもこれも勇者が聖女と並んで個人で唯一上級魔族に対抗できる希少な戦力だからだ。
勇者は現在私を入れて世界で二十四人。最初聞いたときはそんなにいるのかとも思ったが、世界中の人間の中で上級魔族に対抗できるのが二十四人+聖女ではむしろ少なすぎるくらいだろう。一応人間の側には天族と言う上級種族がいて、基本的に上級魔族はそいつ等が相手をしているらしいのだが、それでも自衛手段はあるに越したことはない。
そして常に有用で希少なモノには価値が生まれる。
そんなわけで私の回りには権威持つ家柄の子供が多く、全員とは言わないが、何人かの子供達は私と仲良くなるよう親に言われているようだ。
恐くギンガや賢者マーレは私の得た友人が、そんな大人の打算によってもたらされたものだとは教えたくないのだろう。
私としてはマイスターを探し出すには個人の力よりも社会的な力が必要になるかもしれないので、それでも構わないのだが、何にせよ、大人が命じれば子供が何でも言うことを聞くと考えるのは傲慢ではなかろうか。
「そう言えばお前、もう通り名を与えられたんだったな」
私と視線を合わせたギンガが思い出したように言った。
「通り名? 私にですか?」
知ってはいるが惚けて見せる。あまり自分で口にしたくはない名だからだ。自惚れているなんて誤解されても面倒臭い。
「何だ? 知らないのか。現在二四位の勇者は『天才』と呼ばれている。その年で通り名がつくなんて『剣聖』以来だな。つまりお前に掛かっている期待も半端ではないと言うことだ。ま、それで俺等がここに来たんだがな」
「その剣聖と言うのは?」
「ん? ああ、まだここに来て半年だったか? なら知らなくて当然か。『剣聖』ってのは現在の勇者のトップ、つまりは第一位のことだ。子供の頃から魔物討伐をやっていた奴で、まだ二十代の若造なのに既に人類最強と呼ばれている」
若い頃から戦っていて、二十代と言う年齢で早くも人類最強? それってまさか…。私の胸が高鳴った。
「あの、その人って女好きですか?」
「は? …マセたガキだな。もうそんなことに興味があるのか? 女癖は悪い…と言う程でもないが、片っ端から声をかけていくタイプではあるな。まぁ、勇者に関わらず傭兵だとかいつ死ぬか分からない仕事をしてる奴はそう言うのが多いから、そう言う意味では普通の男と言った感じだな」
ギンガの話を聞いて私の期待はますます高まった。マイスターの術式を解析した際、限りなく同じ時に生まれるよう細心の注意を払ったがそれでもやはり三十年程出遅れたのは痛かった。
勿論世界を越えるわけだから生まれる時の座標に注意を払えばその程度の遅れなら余裕で取り戻せると思ったし、事実できたはずだ。ただ僅かな誤差で百年ならまだしも千年も擦れかねないのが、この手の術式の怖さでもある。
だから私はマイスターとの時間差を限りなく無くすためマイスターの転生先を調べてその座標を術式に打ち込むのではなく、マイスターの後を追う追尾式の術式を作り出した。そのせいで恐らくマイスターとは十歳前後年が離れたはずだ。マイスターの術に外部からの妨害があるか、あるいはマイスターの術式にミスがあればその限りでもないが、魂の流れを外から妨害するなんて神業、誰かにできるとも思わないし、またマイスターが術式をミスるとも思わない。
つまり様々な観点からその『剣聖』がマイスターである可能性が高い。何てことだろうか。こうしてはいられない。どうやって会いに行こうか?
「『剣聖』と言えば、もうすぐ結婚」
私がマイスターを追う計画を頭の中で組み立てていると、賢者マーレが思いがけない情報をもたらした。
「…ああ。軍事国家のアルバトライア帝国の第二皇女とな。式はたしか…半年後だったか?」
どこか面白くなさそうに首肯するギンガ。二人の会話を聞いて私は悩む。その『剣聖』が仮にマイスターとして。二十代で結婚? あのマイスターが?
あっ、どうしよう。何だか急に人違いのような気がしてきた。マイスターが結婚する、ないしはするかもしれない。それ事態は別に良い。例え結婚してもマイスターのことだ、絶対愛人を何人か作る。私も当初はそこに入るつもりだったのだから焦る必要もない。だが、…異世界に来て魔術師生活を満喫しているであろうマイスターが二十代で結婚? 幾ら何でも早すぎではないだろうか?
…うん。やっぱり別人…のような気がする。一応確認はするつもりだけど過度な期待はしない方がいいだろう。しかしそうなると気になることが一つ。
「あの、『剣聖』より強い人類って本当にいないんですか?」
「あ? …ああ。俺が知る限りでは『剣聖』に敵う奴はいない。第二位の勇者『統率者』も強いには強いが、正面から戦えば『剣聖』が勝つだろうな」
「そう、ですか」
おかしい。恐らくだがマイスターはもう二十代にはなっているはずだ。なのにそれほど名が知れ渡っていない? まさか修行に専念するために世俗との関わりを絶っているのだろうか? なら見つけ出すのは中々骨かもしれない。
「強い奴を気にするのは勇者としても女としても悪いことじゃねぇ。ただお前が勇者である以上、他人の強さよりもまずは自分が強くなることを気にかけな」
思わず頭を抱えた私にギンガがそんなことを言ってきた。
「勿論です。さっそく修行をお願いします」
確かにここで、あーだこーだと考えていても埒が明かない。こういう時は体を動かすに限る。
「ふん。やる気は十分ってか? 一先ず修行の方法は幾つか考えては来たが、とにかくまずはお前の力量を把握しなくちゃ話にならねぇ。だからほら、かかってきな。どの教師も口を揃えて言う『天才』ぶり。俺にも見せてみろや」
そう言うと彼女は冬でもないのに着ていた厚手の白いコートを脱ぎ捨てた。下はタンクトップとカーゴパンツ。鍛えぬかれた体は黒い豹を思わせた。
「ギンガ。相手は十歳」
「いいや、ここにいるのは勇者さ。そうだろ?」
その言い方にシスタークラリネットとの会話を思い出す。ひょっとすればシスターが何か言ったのかもしれないが、子供扱いされないのは私としても望む所だった。
「その通りです先輩。胸をお借りします」
さて。この世界の人間、そのトップクラスの実力はどれ程のものなのか。別に私はバトルジャンキーと言うわけではないが新たな可能性を前にするとやはり胸が踊る。まずは軽く当たってみて様子を見るか。
そんな風に頭の中で戦闘方法を組み立てていると、
「言っておくが全力で、それこそ俺を殺すつもりで来いよ」
軽く様子見と言う私の内心を読んだかのようにギンガが釘を指してきた。
「…よろしいんですか?」
「当たり前だ」
「ええ? でもカエ、メチャクチャ強いよ?」
私達の話を聞いていたマレアが突然大声を上げた。それに賢者マーレが呆れたような白い目を向ける。
「第三位の勇者を相手に言う言葉じゃない」
「いいえ、マーレ様。カエラは本当に強いです。ただの子供と思わない方が宜しいかと」
「井の中の蛙。黙って見てたらすぐに現実を知る」
ビアンの言葉にも一切耳を貸さない賢者マーレ。とは言えこの場合は賢者マーレの方が正しいだろう。
いくら私でも十才のこの体で人類最強クラスに勝てるなんて自惚れてはいない。唯一幼いながらも他者を圧倒している長所、つまりはスキルにおける恩恵も相手が同じ勇者であるならば何の意味もなく、勇者としての経験でも此方が圧倒的に劣る。これで勝てると思うのは自信と自惚れの境界線を見失った愚者くらいだろう。
むしろ私としてはあの二人があそこまで私を評価していたことの方が驚きだ。
「カエ、思いっきりやって」
「カエラさん。どうやら遠慮は要らないようですよ」
頬を膨らませて賢者マーレを見ていたマレアが突然私に向かって叫んだ。それに釣られるようにビアンも。その態度はまさに年相応と言った感じだが、…何だろうか? あそこまで無邪気に応援されるとちょっと嬉しいかもしれない。
「中々良い関係を作れてるみたいじゃねぇか」
ギンガが拳を固めながら笑う。戦闘スタイルは素手? それとも武器を使う必要がないと見ているだけか。どちらにせよ遠慮の必要はなさそうだ。
私はスキル『身体強化』と『魔力増強』を発動。さらにそれらを現代魔術師として鍛えた特殊な魔力の練り方で高める。
結果ーー
「これは…驚いた」
目を見開く賢者マーレ。それとーー
「予想外。予想外きたー」
「うそ。まさか、ここまでとは」
大はしゃぎするマレアと開いた口が塞がらないと言った様子のビアン。
ギンガはニヤリと獣のように獰猛な笑みを浮かべた。
「良いね。噂以上だ。正直、十歳のガキなんて誰が教えても大して変わらねぇだろうと思ってこの話し受けるかどうか悩んだが、どうやら後悔せずにすみそうだ」
「驚くのはまだこれからですよ。…『在れ』」
次の瞬間、私の周囲に妖精を模した炎が幾つも現れる。
「無詠唱? それもまさか式神魔法!?」
賢者マーレが悲鳴のような声をあげた。
「おいおい。マジか」
ギンガの私を見る目が手加減すべき子供から警戒するべき相手へと変わる。ちなみにマレアはいまいち何が凄いのか分かっていない様子で、逆に私のやっていることが理解出来ているらしいビアンは石像と化している。
「ハッ。戦う前から分からすなんてな。いいぜ。取り合えずかかってきな『天才』」
「…いきます」
そうしてこの世界に来て初めて、私は己の持つ力の全てを解き放ったのだった。