教会にて
私が教会に引き取られて早半年。本格的な勇者の修行がすぐに始まるのかと期待していたのだけれども、蓋を開けてみれば歴史や作法、それに語学など基本的な勉学に始まり、基礎の体力作りと初歩的な魔法の訓練と言う、村でやっていたことを少しだけ広げた程度のものでしかなく、正直言って拍子抜けした。
とは言え、新たな知識に触れられるのはやはり面白く、先生も優秀な人が多いのは素直に嬉しい。何よりも現代とは違い魔術師として力の向上を誰憚ることなく取り組めるのは純粋に楽しかった。
教会は私が想定していた以上に人道的な組織らしく、まだ幼い私が孤立しないようにと色々な配慮をしてくれる。その一つとして私の修行は教会関係者の子供達と一緒に行われ、友人も何人か出来た。
魔物が当たり前にいる世界だからだろうか、それとも信仰の為せる業なのか、面白いことに教会で出会う子供達は誰も彼も現代の子供達と比べると大人びており、勉学や修行に面白い程真剣に取り組んでいた。
お陰で私も年の差をあまり意識せずに溶け込むことが出来た。正直私はマイスターと違って特別この世界に来たかったわけでもないのだが、自分でも意外なほどこの世界のことが気に入り始めている。マイスターと再開した暁にはこの世界について大いに話が盛り上がりそうで今から楽しみだ。
勿論何も不満がないわけではない。いかにここの子供達が熱心に勉学や修行に打ち込んでいるとは言え、既に前世で魔術師として二百年以上生きた私とでは、当然だが物事の習得率が違う。これはまぁ、仕方ないことだとは思う。私は既に自分なりの勉強方法を何十年もかけて身に付けているのだ。先生の教えることを追うのに必死なだけの子供と差が出るのは当然だし、むしろ出なければ私の方がショックで寝込んでいただろう。
だからそれは良い。それは良いのだが、半年も経てば流石に新しい環境にも慣れる。その上周囲にはライバルと呼べそうな人もいない。先生達は確かに優秀だし、学ぶこともまだ多くあるが、それでも戦闘になったら十歳のこの体でも十回やって八回は勝てるだろう。もう少し体が育てば恐らく普通にやれば負けることはなくなると思う。
つまり何が言いたいのかというと、教会に来て早半年。基本を繰り返すような鍛練の日々と十歳の子供に合わせた勉学の速度に、私は早くも退屈を覚え始めていたのだ。
こうなったらいっそ、周囲に会わせるのは止めて私一人で修行を進めようか? そんな風に考え始めた時だった。彼女達がやって来たのは。
「先輩の勇者、ですか?」
私は教会での身元保証人であるシスタークラリネットを見上げた。シスタークラリネットは今年で百六十歳になり、顔には相応の皺が刻まれているが、にっこりと微笑むその子供のような笑みは普段の厳格な態度とのギャップと相まって向けられた子供達を安心させた。かくいう私もこの笑みが大好きだった。
シスタークラリネットが少ししわがれた、しかしハッキリとした声音で言った。
「そうだよ。嬉しいだろ? この話を受ければあんたの退屈も少しは紛れるだろうよ。なんせ教師として来るのが現役の勇者とエルフの賢者だ。冷めた顔なんか出来なくなるくらい、たっぷりとしごかれるんだね」
ニシシシと、老いてなお健康な歯を剥き出しにして笑うシスタークラリネット。
「シスタークラリネット。私そんな顔していましたか?」
魔術師として集団生活の重要性は理解しているつもりだ。勇者である以上目立たないことは不可能だとしても波風立たないように努力してきた。お陰で私は謙虚な勇者として同世代の子達には大変受けが良い。勿論大人達からは真面目な生徒として高評価を貰っている。だからこそ、私の内心を正確に見抜いたシスタークラリネットの言葉には少しだけ驚かされた。
「ふん。あれで隠してたつもりかい。ババアをなめんるじゃないよ。私が今までどれだけの数の子供達を見てきたと思っているんだい。百や千じゃきかないんだよ」
言われてなるほど、と思った。前世を含めれば私の年齢はシスタークラリネットを越えているが、子供を見てきた年季では当然だがシスタークラリネットの足元にも及ばない。シスタークラリネットを欺く子供を演じるのはどうやら私には無理そうだ。
そして演技を通すのが無理ならばある程度は本音で喋ってもいいだろう。虚実入り交じったほうが、いざと言うとき相手を騙しやすいことを、私は前世で嫌と言うほど知っているのだから。
「では正直に言いますシスタークラリネット。現在のカリキュラムは私には簡単すぎます。もっと効率よく私の能力を伸ばせるものに変更をお願いします」
この幻想に満ちた世界でマイスターを探しだすには力がいる。将来のことを考えて幼い内から人脈を作っておくのも大切な事だとは思うが、いくら真面目とは言え、今の子供達が将来どんな人間になるかはまったくの未知数だ。それならやはりまずは人付き合いは絞って、私自身の力を伸ばすことを優先するべきだろう。
「ふん。……カエラ、お前は優秀な生徒だ。私も何人か天才擬きを見てきたが、お前程の者はいなかった。それがただの早熟の為せる業なのか、あるいはお前が本当に本物の天才なのか、それは所詮凡人でしかない私には分からない。分からないからこそ、私はお前を天才として扱うことにした。文句はあるかい?」
つまりは年相応としてではなく勇者として扱ってくれると言うことだろうか? それならば私としても望むところだ。
「ええ。是非、そのようにお願い致します。シスタークラリネット」
子供と言うことを考慮してくれるその姿勢は好ましいが、そろそろこちらの世界の常識も把握した。何よりも優先すべきマイスター探しの為、そろそろ本格的に力を手に入れるべきだろう。
シスタークラリネットの提案はまさに渡りに船だった。
「よし、先方には伝えておく。どれくらいの期間になるかは分からないが、早ければ一週間後くらいに来るだろうよ。勇者が勇者を鍛えるために時間を割くなんて滅多に無いんだよ。この機会に学べるだけ学んじまいな」
言われるまでもなく勿論そのつもりだ。これでもマイスターを除けば現代では並ぶ者のいない魔術師だったのだ。新たなる可能性の獲得を逃す愚は犯さない。
「お任せくださいシスタークラリネット。勇者として恥ずかしくない力を手に入れてご覧にいれます」
そうして私は現役の勇者と賢者の教えを受けることになった。
「何だよ。じゃあカエだけ勇者の特訓を受けられるのか? ずっりーな、それ」
シスタークラリネットとの話を終えて教室に向かう道すがら、頼んでもいないのに私を待っていた二人の友人に、私はシスタークラリネットとした話を聞かせた。
するとやはりと言うべきか、マレアが不満そうな顔で私を睨んでくる。褐色の肌にくすんだ茶色の髪。頬に無造作に貼られた絆創膏が彼女の落ち着きの無い性格を表しているようだ。
「それでカエラさん。来られる勇者様と賢者様はどなたになるのかしら?」
ビアンがとても十歳とは思えない落ち着いた声音で聞いてくる。輝くような金色の髪に尖った耳。まだ幼いながらも、既に完成に近付きつつあるその美貌は彼女がエルフの血を引いている何よりの証拠だろう。
「勇者は第三位、賢者は『静謐』と言うらしいわ」
私が答えると二人が揃って目を剥いた。
「第三位? それって黒狼か?」
「静謐ですって? それって賢者マーレ様じゃない」
マレアはともかくビアンが大声を出すのは珍しい。まだ半年の付き合いだが、ひょっとしたら見たのは始めてかもしれない。
「カエ、お前……」
「カエラさん、貴方……」
二人が私に詰め寄った。この二人は正反対の性格のようでよく言動が一致する。いつも二人一緒だしまるで姉妹のようだ。
その姉妹が声を合わせて言った。
「ずるいぞ」
「ずるいですわよ」
「そんなことを言われても。……一応シスタークラリネットに聞いてみましょうか? 貴方達も同じ修行を受けられないかどうか」
私としてもこの二人には同じ修行を受けて欲しいとは思っていた。それは別に友達と常に一緒に居たいからとかそう言う理由からではなく、現在もっとも仲の良い二人の友人には将来是非とも優秀に育って欲しいと言う下心からだ。
「おう。頼むぜカエ」
「是非お願いしますわ、カエラさん」
私の返事に二人は嬉しそうに笑った。普通なら遠慮しそうな場面でもこの二人はぐいぐい前に来る。私としてはそこが気に入っている。やはり向上心の高い者は良い。私も頑張らなければと言う気持ちにさせられるし、こちらの能力を高める良いきっかけになってくれる。
「分かったわ。さぁ、次の授業に遅れてる。急ぎましょう」
シスタークラリネットとの話が思いの外長引いた。次の授業は基礎体力作りだ。今受けている授業の中では一番為になる修行なのでサボるわけにはいかない。マイスターを探し出すまで寄り道なんてする暇は無いのだ。
「そういえばさっきエルフの商人さんが来ていたのだけれども、同じエルフのよしみでケーキを頂いたのよ。後で皆で食べましょう」
ビアンが思い出したようにそんなことを言う。この世界にもケーキがあるのか。村では甘いものなど果物が精々だったし、聖都に来てからはずっと教会に籠っていたので知らなかった。あっ、でも夕飯時にプリンが出たことはあった。子供達は大はしゃぎしていた。無論私もはしゃいだ。甘い物は正義だ。異論は受け付けない。
ああ、何だかお腹が空いてきた。
「今食べましょう」
「「え?」」
二人の声が綺麗にはもる。こうしてみると容姿は全然違うのに本当に姉妹のようだ。ビアンがしっかりものの姉でマレアが手の掛かるヤンチャな妹。やがて二人は血の繋がりが無いことを良いことにより深く互いを求めるようになるのだ。……うん。やはりこういう妄想は美味しい。ご飯三盃はいけそうだ。マイスターはエロとは男と女が楽しむものだと豪語していたが、妄想するのは自由だ。禁断の愛の素晴らしさをいつかマイスターにも分かって貰いたいと思う。
一つの妄想を切っ掛けに私が自分の世界に引きこもっていると、ビアンがどこか恐る恐ると聞いてきた。
「あの、カエラさん? 授業はどうするの?」
「サボればいい」
私の言葉にマレアが腹を抱えて笑い出した。
「何だ。何だ。カエもそう言うところがあったんだな。休日もずっと一人で修行してるし、勇者ってのは強くなること以外、何も興味がないのかと思ってたぜ」
「そんなことはないわよ。人生は楽しんでこそでしょう」
人生は楽しんだもの勝ち。これはマイスターの教えでもあるし、私自身もそう思う。勿論人生を満喫するのには遊び呆けていれば良いと言うわけではない。目的があって、そこに向かう途中にちょっと遊ぶから楽しいのだ。毎日遊んでいたら遊ぶことに飽きてしまう。それはもう遊びではなくただの作業だろう。
マイスターも遊びは大切にしていた。だからちょっとくらいの寄り道は許してくれるだろう。いや、これは寄り道ではない。マイスターの教えを弟子として忠実に守っているのだ。その結果がケーキなだけなのだ。
私を意外そうに見ていたビアンがやがてクスリと微笑んだ。
「少し驚いたけど、そう言う貴方も良いわね。それじゃあ私の部屋に行きましょうか」
何だかんだで私と一緒にサボることにしたらしい。真面目な印象の子だったが、どうやら真面目なだけではないようだ。大変結構なことだと私は思う。
「ケーキを食った後はせっかくだし町にでも繰り出さねーか?」
マレアは聞くまでもなく賛成だ。とは言え別に彼女が不真面目と言うことではない。マレアは授業、それも肉体を鍛える修行は物凄く真剣に取り組んでいる。ただちょっと性格が奔放であると言うだけだ。
「何がせっかくなのよ。駄目に決まっているでしょ。ねぇ? カエラさん」
「私は別に構わないわよ」
どのみち勇者と賢者が来たら、それこそきっと修行漬けの日々になるだろう。幾ら遊びが大切とは言え、流石に貴重な成長の機会にサボろうなどとは思わない。ならそれまでの間、少し息抜きをしても罰は当たらないだろう。
「よっしゃー。決まりだな」
「ああ、カエラさんが不良になってしまったわ」
自らの掌を拳で打って喜ぶマレアと、頭痛を堪えるかのように額に手を当てるビアン。結局その日はシスタークラリネットに大目玉を食らうまで三人で遊び呆けた。
次の日、前日の罰としてシスタークラリネットからビアンとマレアの二人に対し、私と同じ修行を受けて、心身共に鍛え直されて来いと言う指示が出るのだった。