秘密を暴け 侵入エイナリンの階層編3
叫んだことで少しだけ冷静さを取り戻す。
ふー。危ない所だった。つい素に戻ってしまうところだったぜ。儂、じゃっなかった。俺は急いで精神の立て直しを図る。
俺は強い。俺は強い。俺は強い。……よし、もう大丈夫だ。
「で? 何なんだこれ?」
俺は不様に動じていた事実なんてありませんよ。と言う顔でエイナリンにクールに問いかけた。
幸いと言うか何と言うか、エイナリンの奴はそんな俺に突っ込んでは来なかった。ただ興味深そうに俺の角や翼を見ている。
「悪魔の角と翼は天使の輪と羽根と同じで魔力の生成器官です~。本当なら体内の魔力がある程度成熟する三十歳辺りから角が、魔力のコントロールが洗練され始める五十歳辺りから翼が生えるんですけどー。そのあり得ないほどに早熟な素質、まるで若き日のエインアークを見ているかのようですよ~」
「エインアーク?」
聞いたことのない名前に眉をしかめる。すると未だにエイナリンに捕らえられているエグリナラシアが言った。
「お、お母様の名前ですわ。エイナリン。貴方は一体?」
エイナリンを見上げるエグリナラシアの瞳にはハッキリと畏怖の感情が浮かんでいる。それをエイナリンはいつもの何処か捉え所のない表情で見下ろした。
「ふっ、知らないんですかお嬢様~。良い女には秘密が多いものなんですよ。まぁ、まだ毛も生えてないお子様には関係のない話ですけどね~」
「失礼な! 毛くらい生えているでしょ。と言うか今貴方が掴んでいるでしょう」
顔を真っ赤にして怒鳴るエグリナラシアは両手を使って未成熟な乳房を精一杯隠しているが、エイナリンに破られた服の代わりと言うにはそれはあまりにも頼りなかった。
「髪の毛のことじゃないですよー」
「え? じゃあどこですの? 体毛でも種類を分けるならちゃんとそう言いなさいですわ」
どうしてお前はそう余計な事を言うんだ? 自分から地雷を踏んでいくスタイルのエグリナラシアに俺は内心で呆れた。
思った通りエグリナラシアの質問にエイナリンの顔に邪悪としか言い様のない笑みが浮かんだ。そして髪を掴んでいるのとは別の手をエグリナラシアの体、その下の方へと持っていく。
「ここに決まっているでしょう。ここに~」
「あ!? エ、エイナリンそこは…」
ビクリとエグリナラシアの体が震えた。そしてピリピリと布が裂ける音を悪魔の聴覚が捉える。
「ま、待って。そこは、そこはダメですわ」
「ふふ。可愛い反応ですね~。私のことはお姉様と呼んでもいいんですよ~」
「セット」
聞くに耐えない戯れ言を無視して、俺は魔法具に魔力を通してナイフを具現化する。俺自身の魔力が上がったからか、手に持った瞬間、明らかに今までよりもナイフの硬度が増していると分かった。
「や、やめなさいですわ。それ以上は……嫌、入れないで」
「大丈夫ですよ~。怖くないですからね~。むしろすぐに病み付きになること請け合いです~」
俺そっちのけで楽しみだしたエイナリンの顔目掛けてナイフを四つ投擲する。しかし鋼でも貫通するであろうそれらはエイナリンに届く前に急速に勢いを失い、二人の足元へと力なく落ちた。
……こちらを見もせずにスキルが発動した。常時発動型なのか、それとも何かを感知し自動で発動する迎撃型か、ただ単にエグリナラシアで遊びながらも俺のことをキチンと把握しているだけなのか。現段階では分からない。
ただ少なくとも今上げたどれであろうともこの状況ではスキルを発動させずにエイナリンを倒すのは不可能だと判断するしかない。かといって破れるか? あのスキルを。
「や、やめなさい。やめ…っあ!? う、うう~。こんなの、こんなの許しませんわよ」
「許さない~? 本当は嬉しいくせに何言ってやがるんですか~。気持ちいいんでしょ? これが大人の味ってやつですよ~。ほらほらほら」
サカッているその姿は隙だらけ、と言うか隙しかないのだが、妙な話それでも隙はないと心して掛かった方がいいだろう。
「開放」
俺が指を鳴らすと先程の攻撃で地面に落ちたナイフからナイフが飛び出した。エイナリンはエグリナラシアと乳繰り合っていて気付いていない。完全に不意をついた形だ。距離も先程とは比べ物にならないほど近いし、威力もこちらの方が強い。しかしーー
「ん、いや。ああ!? 私、私……」
「何ですか~? 私が何ですか~? 恥ずかしがらずに続きを言ってみてくださいよー」
やはりエイナリンに届くことなく地面に落ちるナイフ。勢いと対象までの距離を考えると不自然としか言い様のない現象だが、見ているとごく自然に放物線を描いていたようにも思えるから不思議だ。
まぁ、何にしろーー
「こっちが本命だがな」
「ほえ?」
違和感を感じ取ったエイナリンが顔を上げる。その惚けた顔に俺の拳がーー
「わー。危なかったです~」
空振る拳と背後からの声。しかし横にいる人物が振り返らずともエイナリンが一人だと教えてくれる。俺は腕を伸ばすとエグリナラシアを抱えてその場から跳躍した。
「リ、リバークロス」
「大丈夫か?」
地面に降りると異常はないかとエグリナラシアの体を観察する。その俺の視線にエグリナラシアは恥ずかしそうに胸を隠すと、顔を赤らめながらも嬉しそうに微笑んだ。
「は、はい。ありがとうですわ」
そして意外な程しっかりとした足取りで俺から離れた。
「まさか直接殴りかかってくるとは~。驚きましたよ、お坊っちゃま~」
「……それがスキルに対して一番効果的だからな」
ナイフの攻撃で意識を散らし、その隙に殴り掛かる。単純だが、いや単純だからこそ効果的だ。案の定、スキルに対する最も有効な手段、生命力を纏った肉体による攻撃は、どうやらエイナリンと言えどもスキルで完封するのは難しいらしい。
拳が届く一瞬、エイナリンへの距離が開いたように感じたが、それは途方もないと言うほどの距離ではなく瞬間的なものに過ぎなかった。お陰でこうしてエグリナラシアを取り戻すことが出来た……までは良かったのだが。
「じゃあ次は殴り合いですね~。ふふ、腕がなります~。こう見えても私、ちょっとした失恋みたいなのが切っ掛けでヤンチャしていた時期があったんですけど~。その時に武器要らずの鏖殺魔なんて言うあだ名をゲットしたことがあるんですよ~。その意味、お坊っちゃまの体に教えてあげますね~」
ポキポキと拳を鳴らすエイナリン。波打つような金髪に一見華奢にも見える均整の取れた体。なのに何故か指を鳴らすその動作が妙に似合って見えた。
そう、これこそが最大の問題だ。エイナリンのスキルを破るには単純な格闘戦に持ち込むのが一番良い。しかし単純なものほど得てして互いの力量差がハッキリと出るものだ。そしてその単純な力量で俺はまだエイナリンに遠く及ばない。
さて、この状況を打開するためにどんな策を弄するか。俺が考えているとーー
「いいえ。次は私の番ですわ」
腕を組んですっかりといつもの調子を取り戻したエグリナラシアが前へ出た。
「は?」
呆れる俺と、
「分かります~。もっと私に苛められたいんですね~」
可笑しそうにクスクスと笑うエイナリン。エグリナラシアはそんな俺達の反応に一切頓着することなく、スッと手をエイナリンに向けた。
そして言うのだ。
「スキル『万物の炎還』」
正直、ほんの少しでも期待した俺が馬鹿だった。エグリナラシアのスキルが効かないのは実証ずみだ。弄ばれた仕返しがしたいのかもしれないが、この状況で冷静さを忘れた足手まといが増えるのは勘弁してほしい。
そう思っていると、突如としてエイナリンの手が燃え上がった。
「ハッ?」
「ほへ~?」
まさかの結果に俺とエイナリンが驚く。いや、エイナリンの奴は驚いているのか、感心しているのか、今一つ分からない。だが少なくとも俺は驚いた。
目を見開く俺の前で、姉がいつもの勝ち気な笑みを浮かべる。
「ふふ。私のスキルは私の魔力が通ったものを炎へと変える。知っているはずですわよね? 何を驚いてますの?」
「意地悪な言い方しますね、お嬢様。でも本当に不思議です~。直接スキルで他者の肉体に影響を与えるのは難しいはずなんですけどね~。私達みたいに力の差が大きな場合は特に」
「ええ。その通りですわ。でも、知ってますわよね。魔法において血や精は最高の媒介物なのですわよ。それは血や精が強い生命力を帯びているからですわ」
エグリナラシアの言葉で気づく。燃えているのはエイナリンの左手。それは散々エグリナラシアの体を弄っていた方の手だった。
「あ、なるほど。触媒を使っていたわけですか~。スキルが唯一無条件で通れる生命力。つまり自らの生命力を通して私にスキルを掛けたと。まさかあの状態でそんな機転を利かせるとは驚きですよ~。でもこんなもの私のスキルでどうとでも……あれ?」
エイナリンの様子から恐らくはスキルを使ったのだろうと思われる。だが炎は弱まる所かますますその威力を高めていった。
「無駄ですわよ。貴方のその『在りし日の残骸』は対象を過去に置き、そこから自前のエネルギーで現在へと到達させるスキル。貴方が作り出した過去を越えたとき対象は持っていたエネルギーの殆どを失っている。故にどんな攻撃も貴方の驚異にはならない。全く、私が言うのもなんですが反則的なスキルですわ」
俺から言わせればエグリナラシアのスキルも十分に凶悪だが、まさかエイナリンに一矢報いるほどだったとは。これは…風向きが変わってきたぞ。
「なら、何でこれ消えないんですかね~? 不思議なんですけどー」
笑顔で燃えている手をヒラヒラと振るエイナリン。炎はいよいよ肘を越え肩まで届きそうだと言うのに、エイナリンに動じた気配はない。それどころか何処か楽しそうですらあった。
そのせいだろうか、いつもと変わらないはずのその笑みが牙を剥き出しにした未知の怪物のように恐ろしく感じられたのは。
「簡単な話ですわ。始まりが到達点だからですわ。私のスキルが貴方の手を炎に変化した時点でそれ以上移動する必要なんてないのです。動く必要のないものの距離を広げた所で座標が変わるだけ。既に目的を果たしているものの結果は距離では変えられないのですわ」
「ふーん。つまり~、この炎は既に私の一部だから、例え過去に置いたとしても私が過去に行くだけでこの状態は変わらないと言うことですねー」
「そういうことですわね。私のスキルが貴方の手を炎に変化させた時点で既に勝負はついていたのですわ。本当は私の純潔を使って燃やしてあげようかとも思っていたのですが、可愛い弟が嫌がるので止めときますわ」
そう言って堂々と胸を張るエグリナラシア。当然エイナリンに破られた服はそのままなので、未成熟な乳房が隠れもせずに姿を見せているが、先程までとは打って代わりエグリナラシアの表情には羞恥が一切見られなかった。
「あの可愛い反応も全部演技ですか~。お嬢様貴方……悪魔ですね~」
エイナリンが感心したように言った。それにエグリナラシアは微笑む。それは美しくも残酷な、まさに悪魔のような笑みだった。
「何を今更、私は偉大なる『最初にして最後の魔王』エインアークの娘ですわよ。偉大なる魔の王の血を引く者として、従者風情に舐められる訳にはいきませんの。さぁ、全身を炎に変えて潔く死になさい」
エグリナラシアが気を高めてスキルをさらに活性化させようとする。エイナリンが何処か演技臭い焦った表情を浮かべた。
「ええ~。それはやり過ぎじゃないですかねー。って、あれ? マジですかー」
そうしてあまりにも呆気なくエイナリンは炎に包まれた。いや、エイナリン自身が炎となったのか。どちらにせよエイナリンの姿は炎に隠れて見えなくなる。
「さて。……分かっていますわね、リバークロス」
「勿論だ。姉さん」
俺とエグリナラシアはエイナリンを飲み込んだ炎の前で静かに一度頷き合った。そしてーー
「逃げるぞ」
「逃げますわよ」
同時に駆け出した。
「どれくらいあれで稼げる?」
角や翼を生やした俺の方が遥かに速いと分かり、途中からエグリナラシアを抱き抱えながら俺は全力疾走もとい飛行する。
「分かりませんわ。と言うか、ひょっとしたらただ単に遊ばれているだけの可能性もありますわ」
「その可能性は高いな」
エグリナラシアのスキルは見事だった。もしもエイナリンとエグリナラシアが同格の存在なら勝負は決まっていただろう。だが現実にはエイナリンとエグリナラシアの間には途方もない力の差があり、そしてちょっとした小手先の技術など絶対的な力の前では何の意味もないものだ。
俺のそんな考えを肯定するかのように、突然前方の廊下、その床が盛り上がり俺達の進路を阻んだ。
「おいおい、マジか」
現代でも実現できないことはないだろうが、それでもこれ程の大規模なギミックを見る機会はそうはない。状況に余裕があるば胸アツと言うやつだっただろうに、残念だ。
「止まっている暇はありませんわよ」
「分かってる。しっかり捕まっていろ」
俺は右手に全魔力を集中させて廊下を埋め尽くし、いまや壁となった元床へと殴り掛かった。激しい振動と音。殴られた壁が大きくへこみ幾つもの亀裂が縦横無尽に刻まれる。だがーー
「……駄目か」
「空間魔法が掛けられていますわね。復元していきますわ」
エグリナラシアの言うとおり亀裂があっという間に塞がっていく。……この速度、時間を掛けずに突破するのは無理だな。
「私達の魔法を合わせれば破れると思いますけど……」
「ああ。そんな時間は無かったな」
振り返るとそこには当たり前のようにエイナリンがいた。
「何だ、バレてましたか~」
エイナリンは可笑しそうにクスクスと笑う。力の差をまざまざと見せつけられた後だからか、エイナリンの笑みを見た俺はホラー映画の世界に迷い混んだかのような錯覚を一瞬だけ覚えた。
見たところエイナリンの体にダメージはなさそうだ。いや、体どころか着ている物まで元のままだった。
「……やるしかないですわね」
「そうだな」
正直勝ち目は万に一つもない。だが、だからと言って俺もエグリナラシアもただ諦めるなんてことはしないし出来ない。そんなお行儀の良い優等生ならそもそも現代で魔術師になることも無かっただろう。
エグリナラシアにしたってきっと同じだ。魔王の娘であることに誇りを持つこの姉はきっと戦わずに降伏なんて選ばないし、選べない。
まぁ、つまるところこれから先はただの意地だ。その意地が今最終ラウンドのゴングを鳴らす……かと思えば、いきなり巨大な魔力が俺達の背後から発生した。
「なっ!? んだと~」
「一体何ですの?」
敵対しているエイナリンのことも忘れて俺達は背後の壁を振り返った。……まったく嫌になる。壁の向こうから感じる魔力は角と翼を得た俺の力を軽く越えていた。
「どうやら時間です~。お見事。全くもってお見事でした~」
パチパチと手を叩くエイナリン。何のことだと俺もエグリナラシアもただただ呆気に取られる。
そして突然道を塞いでいた壁が闇に飲まれた。
「リバークロス?」
「分からない。とにかく備えろ」
備えたところでこの相手が敵だった場合一体俺達に何ができるだろうか。化け物が当たり前のように出てきやがって。俺はここが魔王城なのだと初めて実感する思いだった。
そうして闇が阻むもの全てを飲み込んで出来た道を歩いてそいつは現れた。
金色に輝く髪と黄金の瞳。性別を問わずにあらゆる者を魅了する、その魔貌とも言うべき顔を嬉しそうに破顔させ、奴は言った。
「やぁ、お待たせ。可愛い僕の兄弟達」
「お兄様?」
「兄さん?」
目を見開く俺達を前に、真っ先に逃げ出したはずの兄は優雅に微笑むのだった。