気にくわない相手
どれだけ走ったかしら?
エイナリンお姉様と死神女。そして美形ストーカーさん達が争う戦場から逃げるべく、脇目も振らずに全力疾走。例え戦いの余波が届いても何とか自力で避けられるだけの距離を稼いで、ようやく私は一息ついた。
「し、死ぬかと思ったー!!」
あの獣人達に負けないよう、私もかなり強くなったつもりだったけど、とんでもない勘違いだったわ。やはり強者への道のりは険しく遠い。マイスター程力に焦がれている訳ではないけれども、それでもマイスターを追う者として、もっと精進しなくちゃね。
「……マイスター。そうだ、マイスター」
途中から逃げることばかりに気を取られていたが、探し求めたマイスターが目と鼻の先にいる。
ギルドの皆のこととか、勇者としての立場とか、考え出せばきりがないアレやこれやのことは一先ず置いておいて、私は止めた脚を再び動かし、駆け出した。
「今度こそ、今度こそ……会える」
マイスターが放つ信じられないほど強い魔力が遠くから私の全身を叩く。この世界に存在する強者達と比べても遜色ない、いや凌駕している信じられない力。流石はマイスターだ。
「マイスター。マイスター。マイスター」
私は走った。走って、走って、そして出会ってしまったのだーー
「ウサ!?」
茂みから出てきたウサギ耳と。
「なっ!?」
「ゲッ!? アンタは」
ウサギ耳が私を見るなり嫌そうに顔を歪めた。そしてそれは私も同じだ。以前いいように弄ばれたことや、ウサギ耳が現在のマイスターの女であることを抜きにしても、何かこいつとは馬が合わない気がするのだ。
気付けば私は小声で呟いていた。
「何がウサよ。あざといのよこのボケ」
それは本当に小さな、それこそ自分の耳にも届くかどうかの声量だったが、ウサギ耳がピクピクと反応を示した。
「ちょっと人間。何か言った?」
ウサギ耳の喧嘩上等と言わんばかりの態度と口調、それに初めて会った時の屈辱も合わさり、私はこめかみに血管が浮くのを感じた。いや、駄目だ。ここは我慢。我慢をするのよ私。
息を吸って吐く。……よし。私は冷静。私は冷静だ。
「……何も言ってないわ。それよりも私を色ぐ……リバークロスの所へ連れて行きなさい」
「様をつけろよ。三下」
「は?」
「あ?」
ちょっと? こちらが怒りを堪えてやったのに何なのその態度は? 私が剣を抜くと、ウサギ耳が槌を取り出した。
「ちょっと、ウサミン!? 何してんのよ? らしくないわよ」
「そうだぞウサミン。リバークロス様の望みはその女の確保。自分から付いて来ると言うのなら、私達は余計なことは何もせず、ただ連れていけばいい」
ウサギ耳の後からイヌ耳とネコ耳が姿を現す。……一対一でもキツいのに、流石に一対三は不味いわね。
状況を冷静に分析し、私は今すぐウサギ耳に斬りかかりたい衝動をグッと堪えた。そんな健気な私をウサギ耳がジッと睨んでくる。睨んでくるのでーー
「ああ!? 何よ、やる気? 上等よ、そのウサギ耳、ぶった斬ってやるわよ」
私も負けじとメンチを切ってみた。
「……この状況で喧嘩売ってくるとか、ねえ、イヌミン。ひょっとしてこの人間馬鹿なの?」
「確かにネコミンの言う通り馬鹿っぽい言動だが、調べた情報では現在の勇者第三位はかなり頭の回る個体のはずだが」
「ひょっとして天才と馬鹿はって奴?」
「そうかもしれないな。だとしたらリバークロス様に馬鹿を連れて行くのは臣下として果たしてどうなのか。ネコミンはどう思う?」
「女として使うなら多少馬鹿でも特に問題ないんじゃない?」
「それもそうだな」
何かネコ耳とイヌ耳が失礼なことを言ってる。てか、魔術以外の分野なら私、マイスターよりも頭良いからね? 絶対アンタ達より頭良いからね?
一言文句言ってやろうかと考えているとーー
「ネコミン、イヌミン。……こいつ、この場で殺さない?」
ウサギ耳がそんなことを言い出した。
「はぁ? ちょっと何言ってんのよ。前回のこともあるし、これ以上リバークロス様の意思をないがしろにしたら、いい加減私達の立場がヤバイわよ」
思った通りマイスターは部下に私を殺すなと命令してるみたいね。つーかウサギ耳の奴、マイスターの女の分際でマイスターの命令を意図的に破るとか…………このクソビッチがぁああ!! 薄々分かってはいたけど、こいつ、アレだわ。私の一番嫌いなタイプだわ。
「……何か、理由があるのか?」
三魔の中では一番冷静そうなイヌ耳がウサギ耳に問いかけた。
「うーん。勘だけど、この人間はここで始末しておいた方が良い。そんな気がするのよ」
こっちだって出来ればこの場でアンタをサクッと殺ってやりたいわよ。ちょっと強いからって調子乗らないでよね。今謝るなら私がアンタより強くなるまで見逃してあげるわよ。
私がこの思考を口に出すべきか悩んでいると(だって空気が重いし)イヌ耳がおもむろに頷いた。
「…………分かった。ウサミンがそう言うなら、そうしよう」
「ちょっとイヌミン?」
驚いた顔をするネコ耳。私は内心で「イヌ耳貴様もかぁああ!!」と盛大に罵った。
「責任は全て私が取る。ネコミンはウサミンを連れて下がっていてくれ」
「あー、もう。分かったわよ。ほら、ウサミン下がるわよ。万一の時は私達のせいにするのよ?」
「ダメよ。二魔とも気付かない? その人間以前とは比べ物にならないくらい強くなってるわ」
ウサギ耳の言葉でイヌ耳とネコ耳が私に鋭い視線を向けてくる。クソ、ウサギ耳め余計なことを。油断してくれてる方が助かったのに。これで生存確率がグンと下がったじゃない。
「……確かに強くなってるけど、まだイヌミンに勝てるほどじゃないでしょ」
「いや、リバークロス様を始め、評議院など最高位の強者が争う戦場で麻痺していたが、その人間通常では考えられないレベルの成長を遂げている。……ウサミンの言う通り、危険かもしれないな」
イヌ耳が刀を抜いた。不味いわね。前見たときも思ったけど、このイヌ耳かなりできるわ。三魔の中で一番隙がない。
「ふーん。私としてはそれでも所詮人間って感じだけど、二魔がそう言うなら、何かあるのかもね」
ネコ耳がナイフを取り出す。コイツは一番のザコ……だと思うんだけど、何だろうか? 纏う魔力は確かに弱いのだけど、イヌ耳とはまた違った意味で隙がない……ような?
「リバークロス様にはこの人間を殺した理由を正直に話しましょう。多分だけど最悪でも軽めの拷問で許されるわ」
多分と言いつつもウサギ耳の口調には確かな自信があった。恐らく日頃からマイスターの性格を調べて、どこまでが許されるギリギリのラインなのか見極めていたのだろう。
まったくマイスターったら。敵対さえしなければ女に甘いのは相変わらずね。だからこの手の女が付け上がるのよ。やはり私が近くで見てあげないと駄目ね。
一瞬ありし日の光景が蘇りかけたが、流石にこの状況で寝惚けることが出来るほど図太くはない。気を取り直し全身に魔力を張り巡らしていく。
さて、どうしようかしら? 戦って勝つ……のは無理ね。なら逃げるしかないけど、前と後ろどちらに行くのがベストかしら? マイスターにしろエイナリンお姉様にしろ、恐らく私が助けを求めたら応えてくれる。でも問題はそのどちらも戦闘(それも巻き込まれただけで死にかけない戦い)の真っ最中と言うことだ。
そんな私の思考を敏感に感じ取ったのか、イヌ耳の瞳が僅かに細まった。
「……ネコミン」
「りょーかい。逃げ道を塞ぐわ」
イヌ耳の言葉に一つ頷くネコ耳。ヤバイ。当然だけどこいつら、狩り慣れてるわ。
「ウサミンは少し離れて万が一にも人間が逃げないように警戒してくれ」
「一緒に戦った方が早いんじゃない?」
「いや、やはりリバークロス様が本気で怒られた場合に備えて、ウサミンは手を出さない方が良い」
イヌ耳の口調からしてやっぱりあのウサギ耳がリーダーで間違いないようね。でも戦闘における指揮権はイヌ耳が持っている。うーん。この辺の人間関係を上手く突いて脱出できないかしら? ……駄目ね。自力が違いすぎて何も思い付かないわ。
頭の中で私が必死に打開策を模索している間にもイヌ耳が私の方へと前進してきて、ネコ耳が私を中心に円を描くように移動する。ウサギ耳は私から視線を外すことなく少しづつ下がり出した。
絶体絶命。全身から嫌な汗が吹き出す。冗談じゃないわ。こんなところで死んでたまるもんですか。でも……どうする? どう動く?
ネコ耳が背後に回り切る前に動かなければただでさえ不利な状況が絶望的になるのは理解している。だが今下手に動けば恐らくイヌ耳に一太刀で殺られる。
ヤバイ。これは……本気でヤバイわよ。
「抵抗するな。そしたらせめて楽に殺ってやろう」
イヌ耳が刀を構えた。ネコ耳は既に私の真横。後一秒もしない内に私の視界から消える。クソ。こうなれば正面とっ…………え?
死中に活を見い出すべく、イヌ耳に斬りかかろうとした私だったが眼前の光景に思わず目を見開いた。イヌ耳の後ろ。こちらを捕食者の冷たい眼差しで眺めているウサギ耳の背後に突如として人影が現れたのだ。
あれは……影の人!?
私は一目でウサギ耳の背後に現れたのがヨンヨークまで共に来た、教会の暗部に所属する影の人だと理解できた。
そこからの一連の流れを私は一生忘れないだろう。
影の人が取り出したナイフ。それはゾッとする呪詛のようなものを放っていた。
まさか…………獣人殺し?
以前サンエルが言っていた魔法具を思い出す。使えば使用者に破滅をもたらす代わりに獣人に対して絶対の効力を持つ諸刃の刃。
獣人を殺すことに特化にしたそれが背後からウサギ耳へと振り下ろされる。ウサギ耳も直前で背後の脅威に気付き反応するが、もうおそーー
「ウサミンは殺させない」
そんな声と共に影の人のナイフを握った腕が宙を舞った。いや、それだけではない。影の人の胸に突き刺さる刃。ウサギ耳がそこでようやく背後を振り返り、正面から影の人を見た。
「あっぶなー!! 何この人間? いつの間に? つーか、それまさか獣人殺し? な、ナイスよネコミン、イヌミン。これはマジでヤバかったわ」
振り返ったウサギ耳は必然私に背を向ける形になるが、チャンスだとは思わなかった。
「久々に見たなネコミンのスキル『速度全振り』」
影の人を刀で突き刺しているイヌ耳が感心したようにネコ耳を見る。
あの一瞬でイヌ耳はウサギ耳の危機を察して凄まじい速度で反転。ウサギ耳の体を避けて突きを放ち影の人の体を刺し貫いたのだ。私が目を見開けるかどうかの僅かな間に信じられない反射神経と運動能力だ。だがそれよりも驚異的なのはーー
「ふふん。私最大の取り柄だからね。これだけはネコミンにもイヌミンにも負けないわよ」
イヌ耳よりも離れた場所にいながらも、イヌ耳よりも早く獣人殺しを持つ影の人の腕を切り落とした、あのネコ耳だろう。それは魔力でも、技量でもない。単純に速いという、ただそれだけの特性。しかしただそれだけの力が状況次第では単純な魔力差以上の驚異になり得ると私は知っていた。
「さて、この人間をどうする?」
イヌ耳が影の人を貫いている刀を僅かに揺らしてウサギ耳とネコ耳に問いかける。
「うーん。別にいらないわね。さっさと殺し……」
「その人を殺したら、アンタ等を殺すわ」
ウサギ耳の言葉を遮った私の声は、自分でも驚くほど低いものだった。
「は? 人間、今なにか言った?」
ウサギ耳が酷く冷めた目をこちらに向けてくる。その全身から放たれる殺気は常人ならそれだけで気を失っていただろう。だが、今私の中を駆け回るものの激しさは、上級魔族の殺気すら凌駕する熱を私に与えた。
「もう一度だけ言うわ。その人を殺したら貴方達を殺すわ」
「面白いことを言うわね。なら、助けに来たら良いんじゃない? イヌミン」
「ああ」
イヌ耳が刀を振るって影の人をこちらに向かって投げた。最早受け身を取る力も残っていないのだろう。影の人の体が壊れた人形のようにゴロゴロと不様に地面を転がり、胸に刺さっていた刀が抜けたことで影の人の体から大量の血液が零れて大地を汚した。
「どうした? 助けに来ないのか?」
イヌ耳が刃を思わす鋭い声音を出す。影の人が飛ばされたのは私とウサギ耳達の丁度中間辺り。影の人を助けにのこのこ駆け寄れば、人間を圧倒する身体能力を持つ三魔によって抵抗する間もなく殺されるだろう。
引いて見捨てるか?
行って殺されるか?
悩む私の背中を押したのはーー
「ごほ、ゴホ。だ、め……よ。に、げなさ……い……カ、エラ」
影の人から発せられた普段と違う口調、普段と違う声音だった。それを耳にした時、私は自分でも驚くほどあっさりと走り出していた。
「来るか」
イヌ耳が持つ刀に魔力が走る。
「馬鹿なやつ」
ネコ耳の両足に凄まじい気が集う。
「お前はここで死ね」
ウサギ耳の赤い瞳が邪悪なほど真っ赤に輝く。
それを見て直感する。駄目だ、と。この三魔を相手にカエラ・イースターに勝ち目はない。
人と上級魔族。被食者と捕食者。生物として定められたこのあまりにも圧倒的な差。これを覆すのはマイスターから教わった魔術でも、勇者に備わった異能でも不可能だ。このあまりにもかけ離れた徹底的な格差を覆すには、もっと違う何かが必要なのだ。……そう、例えばーー
脳裏に浮かんだのは十二枚の羽を持った堕天使の姿。彼女が使う奇跡のような力が何故か不思議な程身近に感じられた。
完全同率個体。
脳裏が焼ける。脳裏が焼ける。脳裏が焼ける。知らない記憶が甦る。
それは可能性の世界。そこで私はマイスターと再開を果たし、共に魔族と戦い、そして敗れた。死にゆく私を見守るクロス・シャインと……?? クロス……シャインと? ???????????????????????????????????????。
脳裏が焼ける。
脳裏が焼ける。
脳裏が焼ける。
可笑しい。おかしい。オカシイ。こんなことはあり得ない。そう矛盾を嫌う世界が叫んでいる。だって私が『 』を見てるなんて。
「ぐっ、が、あああ!! どっけえええええ!!」
状況は分からない。自分に何が起こったのかさえ理解できない。ただ溢れる力をそのままに、がむしゃらに剣を振るった。術もなにもない。子供の癇癪のような一撃。それを前に、しかし絶対の存在だったはずの上級魔族が顔色を変えた。
「馬鹿な!? この力はまさか!? 二魔とも全力でふせげええええ!!」
イヌ耳が叫んだその直後、三魔を私が放った魔力が襲った。そしてーー
「……え?」
私は呆然と目を見開いた。影の人を助ける道を選んだ時点で私は確実なる死地へと足を踏み入れたはずだった。それが蓋を開けてみれば何だかよく分からない力で一蹴。我ながら全く理解できない状況だ。
「一体なにが?」
三魔の姿は何処にもない。ただ殺ったとは思わない。恐らくは吹き飛ばしただけだろう。
呆けた私を正気に戻したのは、影の人がした吐血の音だった。
「ちょっと。大丈夫?」
慌てて駆け寄る。影の人が私を見上げるのが分かった。
……どうしようかしら?
私は迷った。これでもかと迷った。この傷、深さもさることながら、上級魔族の魔力が強く残留して手の施しようがない。どう見ても致命所だ。最早影の人は助からないだろう。私に出来るのはこのまま影の人の最後を見守ることだけだ。……そのはずなのに。理性は止めろと叫んでいるのに。私の手は自然と影の人が常に身につけている仮面へと伸びていた。
「………………」
影の人は私が仮面を掴んでも何も言わない。ただ、荒い呼吸を繰り返しながら私を静かに見上げている。拒絶も肯定もない。その態度に私は迷って、迷って、そして影の人の仮面を外した。
カラン。
手から落ちた仮面がいやに大きな音を出した。
「……やっぱり。やっぱり、貴方だったのね」
想定していた以上の衝撃が全身を駆け抜ける。何故? どうして? いや、影の人がこの人だって、私は最初から気づいていたはずだ。でもどう接して良いか分からなくて、それでなあなあにしている内にこんなことになるなんて……。
後悔。久しく味わうことのなかった痛みが全身を切り刻む。気づけば頬を熱いモノが伝っていた。
「ふふ。貴方が本気で泣くとこ、……始めてみたわ」
彼女はそう言って笑う。私は何て言っていいのか分からずにただ彼女の手を取った。
嫌だ! お願い、逝かないで!
込み上げてくる焦燥感に促されるように、私はただ叫んだ。
「お母さん!!」
まるで子供に戻ったかのような私の叫びに、この世界に私を生み落としてくれた女性は優しく微笑んで……そして、そして息絶えた。