激突する者達
「残念ながら人違いよ」
「え?」
私は私がカエラ・イースターではないかと問うてきたプリエの体からそっと手を離した。
「そ、そうですか? でも以前にカエラ様のブロマイドを拝見したことがあるのですが、その、あまりにお姿が似ておられるのですが」
ブロマイド? なにそれ? あっ、そういえば昔ギルドの特集とか言って取材と写真を許したわね。かなりいい金になったし、照れるビアンが面白くて色々調子に乗っちゃったけど、やっぱり顔が売れるってのは中々に厄介なものね。
「良く似てると言われるわ。でも私の名前はギメエ・クラウリー。マイスター・クラウリーの妻で子供も三人いる、れっきとした人妻よ。夫のマイスターはカエラ・イースターの大ファンで良く私にコスプレとかを求めてくるの。本当は他人のふりなんて嫌だけど、マイスターがどうしてもと懇願してくるから仕方なく相手をしてあげてるわ。だって私は彼を愛してるし、彼も私を愛しているのだから、その程度の要求を呑むくらい当然でしょ? そうでしょ?」
「えっ、こ、コスプレ? あ、愛? そ、そうなんですか?」
若干私から逃げるように後退するプリエに私はニッコリと微笑んだ。
「そうなんですよ」
まあ、全部は私の妄想なんですけどね。
「それでこれから貴方はどうするの?」
「私一人ではどうすることもできませんので、その、出来ればギメエ様とご一緒させてもらえないでしょうか?」
そういうと思ったわ。
「はっきり言うわ。貴方は被害者なんでしょうけど、見ての通り私も仲間とはぐれて一人なのよ。こんな余裕のない状態で素性も分からない者を連れて歩く気はないの」
「それは、その、そこを何とかして頂けませんか? 私、何でもしますから」
ほう? 言ったわね? 私はプリエの全身を上から下までじっくりと値踏みする。
「あ、あの? ギメエ様?」
プリエは私の視線から逃れるように一度身じろぎしたが、もしもここに獣欲に囚われた男がいればその仕草は逆効果でしかなかっただろう。
「……それならまず貴方が武装してないか確認したいわ。服を脱いでもらって良いかしら?」
勿論私は獣欲に囚われた男ではないので、これは決して自分の欲望に負けての行為ではない。あくまでも必要なプロセスなのだ。
「え? こ、ここでですか?」
「そうよ。同じ女同士、一体何を恥ずかしかる必要があるのかしら?」
まったくそんな顔を赤らめて、何を期待しているのかしら? いやらしい子ね。
「わ、わかりました」
プリエはゆっくりともったいつけるように、既に服としての機能を失った布切れを脱ぎ捨てていく。
「いいわよ。後ろも見せて頂戴。髪は横に避けてね」
「は、はい。これでいいですか?」
プリエが腰にまで届く赤茶色の髪をそっと横に避ければ、意外とボリュームのあるお尻へと続く背中のラインがハッキリと見えた。
私は全身に力を入れた。そりゃもうこれ以上ないほどに力を入れた。力みすぎて剣の柄を握る手からメキメキと音がした。
「ええ。いいわよ。そのまま動かないでね」
プリエの後ろ姿、その隅々までを観察する。うん。良いわ。良いわね。この位置完璧だわ。私は満足するとーー
「あ、あのまだですか?」
とかなんとか言っているプリエの細首へと、溜めに溜めた全力の一撃を振るった。
殺気を肉欲で消し、間合いもタイミングもこっちが主導のまさに魔力が乗りに乗った会心の一撃。ドラゴンの首だって簡単に切り飛ばすその斬撃は過たずプリエの首を切り飛ばした……かに思えた。
「んなっ!?」
耳を突くような音が周囲に響く。手には痺れるような衝撃。見れば剣の一部が欠け、そこから蜘蛛の巣のように細かなヒビが刀身中に伸びていた。
必殺の意思を込めた攻撃のまさかの結果に愕然とするのも束の間、無防備な首筋に刃を突き立てられてながらも、プリエがまるで肩でも叩かれたかのように平然と振り返った。そしてからかうように笑うのだ。
「あーあ。酷いじゃないですか。私傷付きましたよ、カエラさん」
プリエの紫に輝くその目を見たとき、私の全身は総毛立ち、考える間もなくその場から飛び退いた。しかしーー
「ぐう!?」
気付けば私は地面に背中から叩きつけらていた。
「駄目ですよ、カエラさん。逃がしてあげません」
全裸のプリエが私の上に股がっている。重力を無視した張りのある乳ぶさ。絶対にそんなはずはないだろうに汚れを知らぬ乙女のような柔肌。何て綺麗な体だろうか。この危機的状況下で反射的にそう思わせる、それはまさに魔性の美だった。
呑まれてはいけない。私は平静を取り繕いながら軽く笑って見せる。
「あら、それは誰のことかしら? 私の名前はん!? んん!!」
無理矢理唇を奪われ、侵入してきた舌が私の中で好き放題に暴れまわる。むせかえるような甘い香りが体の中に直接流れ込んでくるかのような感覚に襲われた。
「ふふ。エイナリンさんが大切にしてる子が狙っているってことで以前から目をつけてましたけど、やっぱりカエラさんは魅力的な女性ですね。気に入ったからこのまま連れ帰って私のペットにしてあげますよ」
互いの唾液でまみれた唇を美味しそうに舐めながら、プリエは嗜虐心に酔ったような笑みを浮かべる。
「ハァハァ。……そ、そりゃどうも。それで? 御主人様の正体は一体どこのどなた様なのかしら?」
これはまずいわね。押し倒される時の動きと、今体を押さつけられている力で嫌と言うほどに理解したけど、この女……半端ないわ。多分あの獣人達と同じ、魔族の中でも特別な地位にいる精鋭中の精鋭ね。
「私の名前はプリティーデビルマークII……とこの姿の時には名乗るところなんですけど、カエラさんのことがとっても気に入ったから本名を教えてあげますよ」
そういって私の目を鼻を耳を口を執拗になめ回してくるプリエ。何かしら? ニルの時といい最近私受けてばかりね。まあ、幸い相手は美人ばかりだし、ここは精神の均衡を保つためにもポジティブにモテ期だとでも思っておきましょうか。
そう言うわけで仕方なく、本当に仕方なく、私は隙が生まれるまでプリエの求愛を楽しむことにした。そんな私をプリエは満足そうに見下ろして、囁くように言うのだ。
「私の名前はルシフェリナアス。カエラさんには悪魔王と言った方が分かりやすいですか?」
「へー、それはすご…………え!?」
ちょっ!? 悪魔王って、魔族の中でも魔将を凌ぐ最高位の存在じゃない。何でそんな化物がこんなところにいるのよ? 想像以上の状況の悪さに流石に全身から冷や汗が吹き出した。
「ねえ? カエラさん。貴方恋人はいますか? いるなら一緒に連れて行ってあげますよ。そしてその男の前で貴方を犯してあげます。泣いて叫ぶ程にメチャクチャにしてあげます。そしてそれがすんだら今度は貴方の前でその男を同じように犯してあげます。そうしてかつて愛し合っていたはずの貴方達が私を求めて争い合うようになるまで、何度も何度も貴方の心も体も犯してあげます」
そういって再び口付けをしてくる悪魔王。
ヤバイ。唾液かなんか知らないけど、体内になにかしこまれてるわ、これ。この匂いも理性を麻痺させる効果があるみたいね。イルカは左脳を眠らせて右脳だけで行動出来るけど、私はもっと複雑に脳を操れる。だから脳の一部を麻痺させられても他の部位で補うことが可能だ。それで理性を麻痺させるらしいこの香りの対処は出来るけど、今執拗に飲まされている唾液の効果は不明だ。儀式スキルの線もあることだし、何とか逃げ出したいけど力じゃ勝てそうもないわね。
幸い悪魔王は私を殺す気はないようだ。ここは適当に抵抗した後、調教されたフリをして逃げる機会を窺うことしましょうか。
「ずいぶん余裕なんですね。私の力も効きが悪いみたいですし。……ふふ。最高ですね。人間を相手にここまで興奮するなんて貴方で二人目ですよカエラさん」
「くっ、殺しなさい」
まさかこの台詞を言える日が来るとは。いや、別に言いたかった訳じゃないけど、せっかくの機会だしね。
「もう、カエラさんたら。悪魔に嘘は通じませんよ。まあどちらにしろそんな勿体無いことはしませんけどね。大丈夫。カエラさんもきっと私を愛するようになりますよ。それこそ私を愛する他の多くの者から私を奪いたくなるほどに」
そう言って悪魔王は私の服に手をかけた。野外でなんてニルが暴走したとき以来ね。などと考えながら恐怖、そうあくまでも恐怖でゴクリと喉を鳴らすと、いきなり悪魔王の姿が消えた。
「え?」
何故だか不思議と物事と言うのは重なるものだが、それにしても今日は本当に事態がよく急転する日だ。
そんな感想を抱きながら見上げる視線の先には、悪魔王の代わりに十二枚の黒い羽を持った、金髪金眼の美女がいた。
「えーと、今度はどちら様?」
体を起こしながら問いかける。美女は一度だけ私に視線を向け、すぐにつまらなさそうに視界から外した……かと思いきや、何やら驚いたように私に視線を戻した。
ーードクン。
心臓が大きく跳ねた。でもそれが私の心臓なのか、目の前の美女の心臓なのか、どうしてだか分からなかった。このまま見つめあっていると魔力が同期を起こしてしまいそう。そんな錯覚を覚えてしまうほどに私達は互いだけを見つめ合う。
やがてどちらともなく同時に、
「「貴方……」」
と声を出し、そしてまったく同時に言葉を飲み込んでしまう。何だろうか? この人まるでーー
「もう。良いところだったのに。酷いじゃないですか、エイナリンさん」
それはやけに気安げで、それでいてこちらの警戒心を煽る甘い声。美女の視線が私から外れた。
「……相変わらず逃げるのだけは上手いですね。ルシフェリナアス」
突然ドォンという鈍い音がそこかしこで起こり、地面が小刻みに揺れた。
「なっ!?」
私はそれに思わず驚愕の声を上げる。悪魔王ルシフェリナアスは私が身を起こした時には既に百メートル近く離れた場所に立っていたのだが、そこまでにあった木々がすべて一斉に倒れ、自然界の住民達によって塞がれていた視界が一気に開けたのだ。私はエイナリンとか呼ばれていた美女が持っている双剣に目をやった。
悪魔王が私の上から退いたのは、この堕天使からの攻撃から逃げるためなのだろう。だがまさか私が暢気に体を起こすまでの間にこれだけの被害が出るような攻防が繰り広げられていたとは。
ゾクリ、と背筋を冷たいものが走った。
「もう、エイナリンさんったら。この姿の時はプリティーデビルマークIIと呼んでって、いつも……って!? きゃああ」
おどける悪魔王に堕天使が剣を振り下ろしていた。空間転移なのか単純な速度なのか判断することすらできない、気付いたら駒送りの映像のように堕天使はそこにいた。
「って? あれ? ここにもいる?」
見れば堕天使は最初に現れた場所に変わらず浮いていた。一瞬残像か何かかと思ったのだが、普通に動いているし、じゃあ今悪魔王に斬り掛かってるアレは何かしら?
「ちょっと、エイナリンさん。分身は反則だと私思うんですけど」
悪魔王が堕天使の分身? からの攻撃にひーひー言いながら抗議する。堕天使は肩をすくめた。
「それは別に分身ではないですよー。私が未来において行動した、その残骸です」
「未来って言いますけどね。エイナリンさん、実際は動いてないじゃないですか」
「何時か貴方には言いましたよね? ルシフェリナアス。未来は様々な可能性で出来ているんですよ。そこにいるのは貴方に斬りかかった場合の未来、その残骸です」
何それ? つまりこの人、可能性世界の自分を具現化してるの?
エイナリンとかいう堕天使の能力は魔術師として非常に興味深かった。だが、敵対している悪魔王はそれどころではないようで、切羽詰まった顔で残骸からの攻撃をかわし続ける。それでいてどこか余裕を感じさせる態度で笑うのだ。
「エイナリンさん。その説明意味が分からないんですけど。でもああ。そんな、そんなエイナリンさんが私は大好きです。だからーー」
途端、気弱な雰囲気を見せていた悪魔王の気配が一辺する。口が裂けたのではと思うほどに口角を吊り上げるその顔は邪悪の一言。悪魔王の手に一振りの小太刀が現れ、悪魔王は刀身が紫色の小太刀で堕天使の残骸とやらを一突きにした。
「貴方の全てを奪いたい」
後頭部から刺された小太刀が口から飛び出し、堕天使の残骸がビクリ、ビクリと震える。やがてそれは物言わぬ残骸になることもなく、まるで夢から覚めたように消えていった。
「どんなにエイナリンさんに似ていても、所詮残骸は残骸なんですね。悲しいけど、エイナリンさんの姿をしたものが私の手で死んで行く姿には少し興奮しました」
そう言うと悪魔王は小太刀を持っているのとは反対の手で己の裸体をまさぐり始める。
「貴方の減らず口を聞くのも今日で終わりですよルシフェリナアス」
十二枚の羽が輝き、堕天使の体から信じられない程の魔力が溢れる。つーか何よこの力は? まさかマイスターと同格? 途方も無さすぎてどちらが上とかの判断はできないが、堕天使から感じる力は転移の直前に感じたマイスターの力にひけを取らない、それは生物としての限界を超越したものだった。
「あ、あれ? なんか今日はいつもに比べて意気込みが違うような?」
「可笑しなことを言いますねー。私はいつでも貴方を殺す気ですよ。分かっているでしょ」
しかし悪魔王はいやいやをする子供のように首を振った。
「どうしてですか? 貴方の弟子を奪ったから? 今また同じことをしようとしてるから? 正直になってエイナリンさん。本当は貴方、そんなことどうでもいいんでしょ? 感情を持てないから、持っているように振る舞おうとしているだけ。そんなの悲し過ぎです。そんなに無理して頑張らなくてもいいんですよ。全て私に任せてください。私なら感情を知らない貴方に理性では絶対にコントロールできない快楽をきっと教えてあげられますから」
悪魔王の熱弁はまるで別れを切り出されながらも何とか男を引き留めようとする女のそれだ。
二人の関係は良く分からないが、どうやら悪魔王はあの堕天使に執着しており、堕天使は悪魔王を殺したがっているようだ。
堕天使は悪魔王の言葉に呆れているのか、どこか空々しい笑みを浮かべて見せた。
「その無駄に長い遺言、ちゃんとアクエロちゃんには伝えてあげますよー」
そして堕天使が放つ魔力が更に高まる。悪魔王は堕天使のそんな姿にため息を一つ吐くと、ここに来て初めて殺意を顕にした。
「仕方がないですね。では殺し合いましょうか、エイナリンさん」
悪魔王の赤茶色の髪が一瞬で黒に変わり、紫色の瞳がさらに輝きを増す。両耳の上から角を生やしその背からは六枚の悪魔の翼が現れる。裸体を影から生えるようにして出現した布が覆っていき、やがてそれは黒いドレスとなって悪魔王に貫禄と更なる妖艶さを与えた。
「形状変化 モード『大剣』」
堕天使の持つ二本の剣が融合。一本の刀身が巨大な銀色の剣となった。それと同時に堕天使は謳う。
「永遠の旅人よ。輪廻に狂いし汝の渇望を持って、今すべてを切り裂く刃となれ」
堕天使が持つ剣の刀身部分に十二個の黒い魔法陣が浮かび上がり、それが高速で回転しながら満点の星星が輝く夜空のような輝きを発生する。
「悦楽の女王。その柔肌で理性を壊せ。背徳の皇帝。その性で娘を犯せ。盲目の覇王。その浅慮で国を喰らえ。愛されることに勝る喜びなし。愛することに勝る罪はなし」
悪魔王の周囲に黒い霧のようなものが発生し、それに触れた緑が根こそぎ枯れ果てていく。エナジードレイン。それも触れれば即死という信じられないレベルだ。
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。私は咄嗟にありったけの魔力を動員して自分に出来る最大の守りを幾重にも展開していく。だがまるで心ともない。黒い霧には触れていないのに。むしろ悪魔王は私を殺さないように気を配っているのに。ただこの場に居ると言うだけで魔力が大量に奪われていくのが分かる。
悪魔王を中心に死に行く世界。それと反比例するかのように悪魔王はより強く、より美しくなっていく。対する堕天使はさながら時の坩堝だ。過去、現在、未来、さまざまな時間が入り混じっているかのような異様がそこにはあった。普遍的でありながら誰もそれを手に出来ない。あらゆる生物の天敵『時間』が命喰らう闇へと牙を向く。
上級魔族に匹敵するほどの魔力を獲得した私だが、このあまりにも巨大過ぎる二つの魔の激突を前にすれば、ただ嵐が遠ざかるのを待つことしかできない無力な人間にすぎなかった。もはや私にできることはただ頭を低くして、せめて被害がこちらに及びませんようにと祈ることくらいだ。
堕天使が剣を振り上げる。その刀身が纏う黒き魔法陣が放つ輝きは最早世界を覆うのではと思うほどで、夜空の美しさに魅入るかの如く、私はただその輝きを見上げた。
そうして堕天使は今、その刃を降り下ろす。
「第0級魔法『時を断つ刃』」
走る黒き閃光。それに対し悪魔王も向けていた右手から己が世界に刻んだ法則、それを解き放つ。
「創造魔法『愛の始まり』」
溢れ返った黒い霧が収束。全ての生命を飲み込みながら真っ直ぐに堕天使を目指す。それは強いて言うならブラックホールを思わす黒い流星。全ての生命を吸い上げ、己のものとする簒奪者の冷たい手が堕天使の全てを奪おうとその手を伸ばした。
そうして二つの極限の力がぶつかり合った。