出会ったのは
「やってしまった」
見覚えのない景色を見回しながら思わず膝を抱えたい衝動に襲われるが、流石に敵地と言って良い見ず知らずの場所でそんな隙を作ることはしない。
「跳ばされた際の感覚だと、大体『ヨンヨーク』と『ララパルナ』の中間くらいかしら?」
周囲には見渡す限りの緑。見上げれば木々によって作られた天然の傘が取りこぼす日光がまばらに降り注いでいた。
あの時、咄嗟にマイスターの魔術にハッキングをしかけることで何とかサンエル達の馬鹿な行動を止められたのは良かったけど、自分の転移をどうこうする余裕はなかった。
結果として私が使った分の魔力と乱した魔術の構成分だけ移動距離が落ちた形になったようだ。
「ニルは無事についたかしら?」
時間がなかったのでニルに関しては完全に放置だったが、上手いことマイスター達の元に戻れたことを祈るばかりだ。あのままあそこに残されればどんな目に遭うか、一応は愛し合った仲だし出来ればそういうのは見たくなかった。
「って、人のこと気にしてる場合じゃないわよね」
一応ここはまだ天領ではあるのだが『ララパルナ』へ送った者達が誰も帰って来なかったことを考えると、最前線、あるいは敵地にいると考えて行動した方がいいだろう。
「とは言っても、落ち込むものは落ち込むのよね」
ああ、どうしよう。絶対、絶対マイスター怒ってるわ。マイスター年を取る度に好々爺然とした感じになってたけど、何だかんだでオレオレ君なところがあるし、と言うかむしろオレオレ君な塊だし。弟子の私があそこまで手間隙かけた魔術を妨害なんてしたら、何こいつ? みたいな感じで絶対怒ってるわ。
「はー。マジへこむわ」
こんなにへこむのはいつ以来かしら?
ああそうだ。あれだ。苦労して完成させた魔術のお祝いにマイスターが自分の女を集めてあんなことやこんなことをしていたので、そこに忍び込んで全裸待機してたら、私だけ摘まみ出された時以来だ。
あの後マイスターに名前を呼ばれる度に舌打ちをし続けたら、珍しくマイスターが折れて旅行に連れて行ってくれたのよね。あの時は子供だから解らなかったけど、今思い出すとヌーディービーチのお姉さん達、とっても美味しそうだったわ。
「は~~」
もう何かいろんな意味でへこむわ。とにかくへこむわ。私は空間から取り出した剣を地面に突き刺すと、それに背中を預けて両膝を抱えた。最前線? 知ったことじゃないわね。
「あー。人生ってなんだろ?」
上手く行かないものよね。つーか私これからどうしよう? いや、そもそもーー
「迷ってる時点で自分が信じられないわ」
少し前の私なら絶対マイスターの元に駆け出したのに。今だってこんなにも駆け出したのに。あの子達のことが気になって仕方ない。
大丈夫だろうか? 一応四人を縛っていた魔法は完璧に処理できたと思うが、怪我とかしなかっただろうか? 様子を見に戻った方がいいのでは? マイスターは私が居なくても大丈夫だろうけど、あの子達は私が居ないと危なっかしくて仕方ない。
どうしようかしら? 戻ろうか、進もうか。ああ、分からない。ああもう誰か、
「た、助けてくれー」
「それはこっちの台詞よ!!」
突然聞こえた叫びに思わず叫び返しながらも素早く立ち上がる。まったくどこのどいつよ? 悩める私より切羽詰まった声を出すのは。
木々の間から姿を現したのはスキンヘッドに大柄な体格の、恐らくは冒険者と思わしき男だった。それがこちらに向かって真っ直ぐに走ってくる。そりゃもう一心不乱に走ってくる。
「って? は? ちょっとそこの貴方、そこで止まりなさい」
「助けてくれ。助けてくれ。助けてくれ」
男は遠目にも異常なほど怯えており、血走った瞳はとても正気とは思えなかった。
私は地面から剣を引き抜くと男の進路から外れるように横に移動する。すると男も進路を修正してやっぱり私の方へと走ってくる。
「助けてくれ。助けてくれ。助けてくれ」
「最後の警告よ。止まりなさい」
声にかなり本気の殺気を混ぜた。魔物でもビビるその威圧を前に、しかし男は止まらない。
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
「警告はしたわよ」
私はこちらの言葉に耳を貸す様子を見せない男に対して冷たく呟いた。そして剣に魔力を流すと、それを無造作に振るう。
一線。魔力の斬撃が大気と男の両膝、そこから下を切り飛ばす。支えを失った男の体が一瞬だけ宙に浮き、すぐに地面へと叩きつけられた。
だがそれでも男は止まらない。両腕を使って私の方へ泳ぐように向かって来る。
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
「痛みに対する反応はなしか」
薬物か魔法か、まさか自然物の効果じゃないでしょうね。何にせよ感染型の何かであることも考慮して男には近づかない方が良さそうだ。
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
男は地面を這いながらも必死にこちらに向かって手を伸ばす。その瞳にあるのはただただ恐怖だけ。それはまるで恐怖以外の感情を無くしてしまったかのようだ。……錯乱、とは違うのかしら? まあ何にせよ、
「悪いけど、私は別に善人じゃないのよ」
そう、私もマイスターも魔術師。慈善活動をするにしても必ずそこに利益を見出す者だ。
最近は『ヴァルキリー』の子達に触れ、また、勇者を演じる必要があったので結構日和っていたけど、この危機的状況でこんな意味の分からない状態の男を無理して助けようとは思わない。
「口が聞けるようなら救出を考えなくもないわ。貴方は誰? どうしてここに?」
恐らく『ララパルナ』の様子を見に行った者達の一人なのだろうが、何か情報を得られるなら得ておきたいところね。幻覚系のスキルや理性を吹っ飛ばす分泌液でも放つ魔物。原因は何か知らないが感染経路、あるいは媒体物を把握しておくだけでも危険度をグッと減らせる。
「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ」
男は私の質問に答えることなく、ぶちまけられた真っ赤なペンキのような血を、ただズルズルと地面に伸ばしていく。
「仲間はいないの?」
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
「そうなる前に何か見た?」
「助けてくれ助けてくれ助けてくれ」
「駄目か。……ん?」
気のせいだろうか? 今一瞬だけ、酷く甘い匂いがしたような気がしたんだけど。そう思った直後、男の目や鼻や口、穴と言う穴から血が溢れだした。
「た、たすけっ、け、け、け」
それが男の最後の言葉となった。前に進むことを止めた男は二度三度と痙攣を繰り返した後に完全に動かなくなったのだ。……何かしら? 極度の興奮状態でショック死を起こしたように見えたけど。直前に匂った甘い香りといい、とにかくヤバい感じしかしないわね。
「……どうやら、あっちに向かうのは止めておいた方がよさそうね」
私は振り向くと天領の方へと向かって歩き出した。これはアレだ。別にあの子達を選んだとかではなくて、ただの安全策だ。マイスターに合う前に死ぬ訳にも行かないし、本当にただそれだけなのだ。
「いやー。誰かぁああ!」
「って、今度は何よ!?」
森の奥から絹を裂いたような女性の悲鳴が聞こえ、私は思わず顔をしかめた。まったく付き合ってられないわ。
「とりあえずさっさと退散ね]
最早危険の匂いしかしてこないこの場所から一刻も早く離れようとしたその時、木々の隙間を縫って一人の半裸の女が現れた。その後ろからは冒険者と思わしき男が三人(内一人はズボンを履いておらず、もう一人は完全な全裸)血走った目で女を追いかけていた。
「助けてください。そ、そこのお方、お願いですから助けてください」
困ったわね。これでさっきの男みたいに助けてください、しか言わないなら回れ右して逃げたんだけども、何か普通に会話できそうな感じだわ。何よりもーー
「ヤバい。メッチャクチャ綺麗な子ね」
腰にまで伸びる赤茶色の髪と遠目にも引き込まれそうになる紫の瞳。破られた衣服は何の飾り気もないズボンとシャツだったようだが、びりびりに裂かれ、衣服としての機能を放棄することで、ただでさえ妖艶な女の肢体を扇情的に演出していた。
これ、私もあの男達と一緒に追いかけたくなるんだけど。
「何てことを考えてる場合じゃないわね」
何だかんだで結構危機的な状況に居る気がする。私はこちらに向かってくる女に向かって叫んだ。
「一先ず私に近づかなければ助けて上げるわ」
「え? ええ? わ、分かりました」
答えて女は真っ直ぐにこちらに向かっていた進路を右に逸るように変更した。ふむ。やはりコミュニケーションは問題なく取れるようね。
女を追って僅かに進路を変える男達だが、内一人が私に気付いてこちらに向かって来た。
「完全に盛ってるわね。症状は違うけど、同じものが原因なのかしら?」
獣欲に歪んだ顔を見ながら先程と同じ斬撃を三つ放つ。両足を失った男三人は、しかし地面を這いながらもその動きを止めはしない。
予想通りと言えば予想通りのその光景に思わず溜息をつく。
「やれやれ。一応確認するけど口が聞けるなら助けないこともないわ。その足もくっつけてあげるわよ?」
問いかけてみるが男達は血走った目でほふく全身をするだけ。その口からは、はぁはぁと痛みが原因ではない妙に荒い息が漏れていた。
「……ごめんなさいね。その状態を調べる時間も、貴方達を救う手段も私にはないのよ」
私はもう一度斬撃を放ち、三人の男の息の根を完全に止めた。
「あ、ありがとうございました」
そこで破れた衣服の代わりに胸を腕で隠した女がどこか馴れ馴れしい態度で近づいてきた。私は咄嗟に女に向かって剣の切っ先を向けた。
「悪いけど、まだ近づかないでくれるかしら?」
「ひっ!? は、はい。スミマセンでした」
女は怯えたような顔をして一歩二歩と後退したが、別にビビって逃げ出すようなことはせずに、私からの反応を素直に待つ。
「それで? 貴方は何でこんなところにいるのかしら?」
「わ、私は『ヨンヨーク』に拠点を置いているギルド『オリハルコン』の一人で、『ララパルナ』の現状を調べにいくところだったんです」
「何人で? いや、待って。何か匂わない?」
これは先程と同じだ。酷く甘い匂い。そんな匂いが周囲に漂っている……気がする。
「え? わ、私は別に」
女が不思議そうに首を傾げる。気のせい? ううん。気をつけた方が良さそうね。
「そう。続けて」
私は剣を握る手に力を込めた。そんな私の変化に気付かないのか、女は少しだけ不思議そうな顔をした後に一つ頷き、言葉を続ける。
「は、はい。え、えーとですね、『ララパルナ』を目指したのは六人一チームで計八チームでした。それぞれが別のルートから『ララパルナ』を目指したのですが、自分のチーム以外の人達のことはその、わ、分からないんです」
申し訳なさそうに顔を伏せ、上目遣いにこちらを見てくる女。他の者がやればあざと過ぎでしょと笑えるその行動が、妙にこちらの庇護欲やら嗜虐心やらを刺激してくる。
気付けば私は生唾を飲み込んでいた。
「そ、それで貴方達に何が起こったの?」
女は体を隠す為に自身を抱きしめている腕にぎゅっと力を入れる。
「とても、とても美しい十二枚の黒い羽を持った魔族に出会ったんです」
「貴方も綺麗よ」
「え?」
「ん?」
あ、あれ? 可笑しいわね。口に出すつもりはなかったんだけど。
「あ、あの……あ、ありがとうございます」
女の顔が赤く染まり、モジモジと体を動かす。私は思わず女の全身を舐めるように見ていた。
「いえ、それで?」
「は、はい。私は必死にその美しい魔族から逃げたんですがその間に仲間とはぐれてしまい、通信も妨害されて困り果ててるところで、運良く仲間と再会できたと思ったら……」
「ああなってたと」
「はい。正気だったのは私ともう一人の仲間だけで、男の人たちは皆おかしくなっていました。何とか正気に戻そうと色々と試みたんですが、どれも効果が無くて。力じゃ敵わないし。私、私、怖くて怖くて」
ポロポロと大粒の涙を流し始める彼女があまりにも可哀想で、私は思わず震えるその体を抱きしめてあげた。うわ!? 何この子。メッチャ良い匂いがするんだけど。蕩けるような甘い香りについうっとりとしてしまう。
「貴方、名前は?」
「わ、私ですか? 私の名前はプリエです。プリエ・マークスって言います。それと、あの、」
「何かしら?」
私の背中に腕を回しながら、プリエがこちらを見上げてくる。紫色の瞳が微かに輝いた気がした。
「ひょっとして貴方は勇者順列第三位カエラ・イースター様ではないですか?」
それは酷く甘い香りが漂う、そんな問いだった。