表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/132

「ではカエラ様、四日後の出兵、くれぐれも準備を怠ることのないように」


 部屋から出ていく際、振り返った影さんは念を押すようにそう言った。


「分かっているわ。心配性ね」


 天領第四等区『ヨンヨーク』を訪れて三日。既に百万にも及ぶ軍が編成されているが、まだまだ各国から兵は集まってきている。だがいい加減『ヨンヨーク』では兵を賄いきれなくなり、何よりもまったく連絡が取れない天領第四等区中ノ国『ララパルナ』の状態を危ぶみ、先日の会議でひとまず五十万の兵をララパルナへ送ることが決定した。そしてその先遣隊に私達ヴァルキリーも参加することになったのだ。 


「やれやれ。状況も分かってない最前線へ一番乗りなんて最も危険な役割じゃない」


 私としては目的がそこにあるので別に構いやしないのだが、ギルドの団長としてはぼやかずにはいられない。何せ『ララパルナ』の状態を調べに出た者は誰一人とした帰って来ないのだ。どう考えても道中に何かが待ち構えてるとしか思えない。


「それだけ『ヴァルキリー』の皆さんが信頼されているのですよ」

「だと良いけど」


 影さんに励まされるのは嬉しいけど、それで現実的な問題が片付く訳じゃないのよね。私の不満そうな気配を察したのか、影さんは更に言葉を重ねる。


「私もカエラ様なら出来ると思ってますよ」

「そ、そう?」


 ま、まあ私だしね。影さんは照れ臭そうに頬を掻く私を微笑みながら(今影さんがつけている仮面は口許だけ顕わになっている)見つめると、丁寧に頭を下げた。


「はい。では私はこれで。失礼しますねカエラ様」

「うん。その、お休み」

「お休みなさい」


 そして私は去りゆく影さんの姿が見えなくなるまでその背中に向けて小さく手を振り続けた。『ヨンヨーク』に到着してからのこの三日。寝る前の影さんとのティータイムは日課になりつつあったのだが、これが中々どうして楽しい。


「……それで、どうしたの?」


 影さんが居なくなり、静寂が支配する薄暗い廊下の中で私の呟きは面白いほどよく響いた。応える者が居ないはずのその声に、しかし反応する者があった。


「また、教会の方を招いていたのですか?」


 影さんが消えた廊下とは逆の通路、天井から降り注ぐ光を上手く避けた闇の中から姿を現したのは、白いシャツの上に黒いベストを着た右目に傷のある女性だった。

 

「ニル。こんな夜更けに来るなんて、何かトラブルかしら?」

「用がなければ会いに来てはいけませんか?」


 ニルは悲しそうに顔をしかめると、私の胸に飛び込んできた。可愛いので頭を撫でてあげようと思ったら両手で頬を掴まれ、そのまま強引に唇を奪われた。


 おやおや、可愛い奴ね。影さんとはそんなのではないのだけど、嫉妬でもしたのかしら?


 私は舌でニルの求愛に応えながら、そのままニルを部屋の中に招くと優しくベットに押し倒した。


「あ、待ってくださいカエラ。先に報告があります」

「重要な話? そうでないなら後で聞くけど」


 一汗掻いた後でね。


「とても重要なお話です」


 ニルの顔は酷く真剣で、私は仕方なくニルの衣服を脱がしていた手を止める。それを確認するとニルは私の耳元にそっと顔を近づけ、そして囁いた。


「ギルドの内部に裏切り者がいます。と、言ったらどうしますか? カエラ」


 私は思わずニルの顔を凝視した。艶然と微笑むニル。私はそんなニルの耳元に口を寄せると、一度舌でニルの耳を弄び、そして言った。


「それ、あなたのことでしょ?」


 お仕置きとばかりにニルの形のよい乳房を服の上から乱暴に握りしめた。


「んっ!? な、なんでそんなことを言うのですか?」


 圧し殺した声が酷くそそる。私は何度もニルの唇を吸うと、その体に跨がった。


「別に証拠は何も無いわよ? ただそうなる可能性があっただけの話」

「聞かせてもらえますか? 私もこんなに愛してる貴方に疑われるのは悲しい。どこか勘違いを招くような言動を?」


 愛してるなんて、やだもう。照れるじゃない。


「いいえ。貴方は完璧だったわ。貴方と愛し合ってる最中、貴方の体液を入手してこっそり調べたりもしたんだけど、貴方は紛れもない人間。それはサンエルにも確認させてるし、間違いないわ」


 私は基本寝た相手の情報は例外なく調べあげる。ニルはどの検査でも、そして戸籍上も完璧なまでに人間だった。


「なら、何故?」

「このタイミングで私にその話を持ってきたからよ」


 まったくなんて悪い子なのかしら。私は特に理由もなくニルの右目にある傷を指で撫でた。


「私を『色狂い』が狙っていると聞いた時点で、『色狂い』が私の近くに手駒を忍ばしておこうとするのは予想できたわ。尤も始めは懇意にしてる商人さんとかその辺りだろうと思ってたんだけどね。でも、私が張った網に引っ掛かる者は誰もいなかった。ならばと思って団員達の素性をサンエルと一緒に洗い直したことがあるの」

「その結果は?」


 自分達が疑われていたという事実に不快感をみせることなく、むしろニルは興味深そうな様子で先を促してくる。


「全員シロ。魔族との繋がりも、魔族が擬態している痕跡も見つけられなかったわ。もちろん魔人国との関わりもね」

「それなのに何故私を疑うんですか?」

「あら、裏切り者がいると教えに来たのに、全員シロという調査の結果について思うところはないのかしら?」


 その質問にニルはただ苦笑するだけで答えようとはしなかった。その態度に私は下手をすると血を見ることになりそうね、と覚悟を決める。


「私の考えでは調査で何も出なかった理由として考えられる可能性は二つ。一つは本当に私の近くには『色狂い』の監視はなく、私が気にし過ぎただけというもの。当然この考えは却下ね。彼が私を気にかけないわけがないもの」

「良く分かりませんね。確かに『色狂い』がカエラを狙っていると言う報告は受けましたが、天領に配下を忍ばせるのは口で言うほど簡単ではない。何故『魔王の後継者』とまで呼ばれる魔族の大物がそこまで貴方のためにすると?」

「決まっているじゃない。彼が私を愛しているからよ」


 まあ、愛していると言ってもloveではなくlikeなんだけどね。いずれloveになるんだから同じようなものでしょ。 


 私とマイスターの接点を知らないニルは自信をもって断言する私に怪訝そうな顔をするが、特に何も言って来ないので話を進めることにする。


「最初の理由が当てはまらないのなら、残るはもう一つの可能性」

「それは?」

「簡単よ。単純に向こうがこちらより上手なだけ。つまり近くいるのに私達には見えない。ただそれだけ」


 スパイに気を付けたからと言って、すべてのスパイを捕まえられるわけではない。尤もギルドという限られた人数の中でそれが出来ると言うことはかなり入念な準備がされていたということ。恐らくマイスターが以前から準備されていた計画を利用したとかそんな感じなんでしょうね。


「だから私は居るであろう『色狂い』の手駒、そのアクションを待つことにしたのよ。もしも団員の中にあり得ない言動をする者が居たら、それが彼の手の者だと決めてね」


 私やサンエルが本気で調べて影も形も掴めなかった相手の情報をいきなり持ってきた団員。この時点でニルがマイスターの手の者であることは私の中で確定した。


「貴方がいきなり裏切り者がいると言い出したのは、私をサンエルと引き離して一人にするためでしょ? 天族であるサンエルが関わると魔族に与する者には容赦のない処罰がまっている。だから仲間に甘い私はまず一人で動く。貴方はそこを狙うつもりだった。違う?」


 ニルは応えずたた微笑むだけ。まったく。舐められたものね。


 私はニルのシャツを力任せに破いた。ボタンが弾け飛び黒いブラが顕わになる。それを乱暴にむしり取ると、色よし、形よしの双丘を美味しく頂く。


「酷い……んっ!? い、言いがかりです。私はカエラをこんなにも愛してるのにカエラは違うんですか? そもそも会ったこともない『色狂い』のことなど、貴方に分かるはずが…ん!? んん」


 面白い冗談を言おうとしたニルの首を片手で掴んで絞める。私はニルの金色の瞳を覗き込んだ。


「悪いけど、彼のことは私が誰よりも知っているのよ。むしろ本当の彼を知るのはこの世界で私だけ。私だけが彼を知っているの」

「か、カエラ?」


 首を絞められたニルの顔が赤みを増していくが、ニルはこれと言った抵抗をしようとはしない。私はそっとニルの首から手を離した。


「それでどうする? 私は確信してるけど、聞いての通り証拠は無いから幾らでも言い逃れできるわよ、スパイさん」


 今の段階でニルを裁くことはできない。サンエルに言って天族の強権を振るわせればそれも可能だろうが、別にそんなことをするつもりもない。


 私としてはニルが現状維持を望むのなら幾つかの制約じょうけんを呑ませた上でならそれも良いと思っているのだが、小刻みに揺れ始めるニルの体を見て、どうやらそれは無理そうだなと思った。


「ふっ、クク。…アハハ。凄い! ずっと凄い人間だと思ってたけど、本当に貴方は凄い」


 爛々と輝く瞳が私を見上げる。


「それで団長? 裏切り者をどう始末する気ですか?

「そうね。一つ聞くけどニル、貴方魔族なの?」


 どの方法でも間違いなくニルは人間だった。なら人間をスパイにしただけと言う可能性が一番高いのだが、私の勘はそれに否と言っている。スパイであることがばれた以上特に隠す気も無いのか、ニルはあっさりと頷いた。


「正確には半人半魔です。ただし今は魔王様の手によって魔族としての力を抑えられ、人間と何も変わらない状態ですけどね」

「そんなことができるの?」


 問いながらも、この態度はどう見ても大人しくお縄に付くものではないわねと確信する。


 仕方なくサンエルに思念を飛ばしてみるが、恐らく部屋の外に簡易の結界か何かを敷かれているのだろう。思念が阻まれ、サンエルに繋がらない。


「これは私の中に人の血があったからこそ出来る『悪魔の契約』です」

「一方の力を押さえてもう一方の血を強制的にあげてる的な感じなのかしら? じゃあ今から魔族に戻れるの?」

「ええ。できますよ。その代わり魔王様の所に戻らなければ再び人間に擬態することは出来ませんが」


 そう言ってニルは私を押し倒すと今度は逆に私の上に跨がった。


「怖いですか? 貴方なんて簡単に殺せますよ」


 先程のお返しとばかりにニルは私の着ている服を下着ごと乱暴に破り捨てると、顕わになった乳房に吸い付いてきた。


「あっ!? ん、ニ、ニル」


 そんなつもりはなかったのだが思わず声を上げてしまう。最初はまったくお話にならなかったくせに、最近では結構良いようにされてしまう。まったく弟子の成長というのは師匠として嬉しい限りね。


 私は私の体を味わうニルの頭にそっと手を置いた。


「ね、ねえニル。もしも人間の時に致命傷を負ったらどうなるの?」

「死にますよ。魔王様が私に施してくださった契約は生物として私を人間レベルまで退化させます。ですから魔族に戻ってない状態で人間として致命傷を負えばそのまま人間として死にます」

「へえ、それなら」


 体勢としては上にいるニルが有利にも見えるが、ニルの頭に手を置いている今ならばこのままニルの首をへし折ることなど容易いことだ。


 ニルもその事が分かっているのだろう、アイスでも舐めるかのように動かしていた舌を止めた。


「試してみますか?」


 挑発的な物言い。私は手を離した。


「ねえ、せっかくだから本当の姿の貴方とヤリたいんだけど、ダメかしら?」


 ニルがどの程度の魔族なのかは知らないが、魔族は強くなって行くにつれて美しい者も多くなっていくと聞く。せっかくだしこの機会にその体を存分に堪能してみたいなと思わなくもない。


「まったく、貴方は」


 ニルは呆れたように笑った。そして私達は再び口づけを交わす。


 直後、動いたのはどちらが早かったか、私が空間から取り出した剣がニルの腹部を貫通し、同じようにニルが取り出した水晶を握り潰した。


 砕けた水晶から溢れる光が室内を満たすのと同時、浮遊感によく似た感覚が私を襲った。


 周囲の景色が変わる。ここは……『ヨンヨーク』の城壁から少しばかり離れたところにある小さな林の中か。突然現れた私達に野鳥が驚いたように飛び去って行った。


「この程度の距離を移動したからなんだというの?」


 言いながらも少し焦る。『ヨンヨーク』の城壁には空間移動を妨害する結界が張られているのだが、それを越えてここまで跳べるとは。かなり強力な魔法具を使うのと同時に他にも色々と小細工をしたんでしょうね。


 私は魔法具を使って一瞬で着替えを済ますと、一先ずほんの数百メートル先にあるはずの城壁目指して駆け出そうとした。しかしーー


「動かないのは正解でしたね」


 周囲に張り巡らされている糸。ここは既に魔族(ニル)の巣の中だ。


 私は素早く空間から小瓶を幾つも取り出すと、その中の液体を糸に振りかけた。よし、これで。そう思ったのだが、しかし何も起こらない。思わず舌打ちをする。


「私があげた魔法具じゃないわね」

「ええ。あの魔法具の糸、すごい強度と柔軟性でしたが、特定の薬品で溶ける細工をしていたでしょう?」


 ニルの言う通り私が団員に渡した武器には全て作った私にしか分からない攻略法がある。ニルに上げた魔法具(いと)の場合は専用の薬品がそれだった。


「まさかバレるとは思わなかったわ。さすがは『色狂い』ね」


 あの仕掛けをニルが自力で気付いたとは思えない。ならば考えられる相手は一人しかいなかった。そんな私の確信を、しかしニルがギルドで受付をやっていた時のお姉さん風な口調で訂正して来た。


「カエラ、貴方は一つ勘違いしていますよ。確かにリバークロス様も貴方にご執心だが、私を遣わせたのも、貴方の細工を見破ったのも魔王様だ。リバークロス様ではない」


 魔王が? それはちょっと意外ね。一体魔族の王ともあろう者が人間の勇者なんかに何の用なのかしら? いや、待てよ?


「なるほど、お養母さんか。いつかご挨拶にいかなくっちゃね」


 そうだ。相手はマイスターを生んだお人だ。それはつまり私にとって将来のお養母さんということになる。私に用があるのはむしろ好都合ではないだろうか? 上手いこと貸しを作ってマイスターとの結婚を認めさせなければ。


「……カエラ、たまに貴方の正気を疑いますが、今はそれが助かります。挨拶に行く気なら大人しく私について来てくれませんか?」

「それに私がすんなり、はいと言うとでも?」


 答えながらも、いや別に言ってもいいんじゃない? という疑問が脳裏を過る。


「信じて貰えないかも知れませんが、私は貴方に対して本当に好意を抱いています。貴方のその短い命が終わるまで貴方に隷属しても良いと考えるほどに」

「あら、情熱的で背徳的な告白ね。そう言うの嫌いじゃないわよ?」

「では……」

「それなら命令するわ。今まで通りニル・ニルニアとして『ヴァルキリー』の皆を助けてあげて」


 輝きかけたニルの表情が一瞬で曇った。


「それは……聞けませんね」

「嘘つき」


 色んな意味を込めて言ってやると、ニルは言い返すことなく、ただ悲しそうに微笑んだ。その顔に少しだけ意地が悪かったかしら? と思わなくもない。


 私は深紅に染まったニルのお腹を指差した。


「その傷、早く治療しないと死ぬわよ」


 生きるか死ぬかの致命傷を与えて捕獲するつもりだったんだけど、体の中に糸を張り巡らせて無理に動いている。それはそれで凄い技術なんだけど、あのままでは長くないだろう。


「問題ありません」

「私の魔力が籠っているわよ?」


 完全に無力化するつもりだったから簡単に治らないように魔力もたっぷりと送り込んだ。あの魔力は簡単には除去できないはずだ。


 私なりにニルを心配しての忠告だったのだが、ニルは私の気遣いに対して珍しく不快そうに顔をしかめた。


「人間ごときが、魔族(わたし)を侮っているのですか?」


 直後、ニルの気配が激変する。元々白かった肌は更に白く、肩の辺りまでだった髪が腰に届く程に伸びて額から一本の角が生えてくる。右目の傷が殆ど見えないくらいに小さくなり、金色の瞳の片方が真っ赤に染まった。


 私と同じオッドアイが獲物を狙う鷹のような視線を向けてくる。その身から漂うのは最早誰が見ても一目で分かる濃厚な魔の気配。


 上級魔族。しかも初日に戦ったドラゴンよりも強い。正面からやり合えば勝率は六割あるかどうかと言ったところかしらね。


「正体を現してここから逃げれると思っているの?」


 厳戒体制の中、転移魔法を発動し上級魔族の力を解き放ったのだ。見たところ周囲に結界を貼って出来る限りの隠蔽工作をしているが、さすがにここまでやって誰も気付かないはずがない。直ぐにサンエル達がやって来て、ニルは御用となるだろう。


「思ってますよ。それよりも返事は? 先程も言いましたが、私は貴方が気にいっている。向こうに行ってもできる限りのことはします。リバークロス様も話の分かるお方だ。私が頼み込めばきっと貴方に手を出すようなことはしないでしょう」

「いえ、それは余計です。マジやめて」

「は?」

「じゃ、じゃなくて。ひ、人の心配よりも自分の心配をしたらどうかしら?」


 私の返事にニルの全身から金紅色の魔力が溢れる。おっとこれは予想外の強さね。……六割、無いかもしれないわね。


「残念です。結局力付くになるとは」

「そんなこと言って、いつもベットの上じゃ力ずくが好きなくせに」


 私は基本攻めとか受けとかに拘りはないが、ニルは普段受けっぽい性格の癖にベットの中じゃあ攻めたがる。


「ええ。いつも余裕ぶっている貴方が私の腕の中で喘ぐ様はとても素敵だった。出来るならこれからもそんな貴方を見つ続けていきたいところです」

「ふふ。出来るかしら? 私はこれでも結構面倒臭い女なのよ?」


 ニルの魔力に応じるように剣を構える。隙を見せるのを承知で周囲の糸を先に切るか、それともニルへ直接攻撃するか、さてどちらが正解かしら?


「貴方程の女を手に入れられるなら、どんな労力も惜しみませんよ。……とは言えさすがに今は時期が悪い。貴方との死闘ダンスはまた今度にしましょう」


 そう言ってニルはまた水晶のような魔法具を取り出した。今回はかなり大きい。ボーリングの玉くらいありそうね。まさかこのまま少しずつ移動して最終的に魔族領に連れて行くとかじゃないでしょうね?


「支配者が移ろうことを禁ず『ジャミング・ホール』」


 私は魔法を使って自身の周囲に意図的に空間の乱れを発生させる。これで空間転移は防げるはずだ。


「無駄ですよ」

「まさか爆発落ちとかやめてよね」


 ニルが持っている水晶は特定の魔法を封じ込めておける魔法具で、その効果も威力もそこに込められている魔法次第。例えよほど強力な転位魔法だったとしても、先程のように不意を突かれでもしない限り防ぐのはそう難しくはない。なにせ元々空間転位はちょっとした乱れで簡単に妨害できるのだ。相手の妨害を無視して強制的に転移を実行する場合には相手の百倍の魔力が必要とさえ言われている。


 だから私はニルの自信満々な態度を見て、あの魔法具に入っている魔法は転位魔法ではないことを悟った。


「さあ、カエラ共に行きましょう。偉大なる方々の元へと」


 ニルが水晶を地面に叩きつける。直後割れた水晶を中心に地面が輝き出した。円上に広がるその光はーー


「魔法陣? いや、これは………信号?」


 地面に円上に広がって明滅を繰り返す光は、まるで遠くにいる誰かに向かってコールしているかのようだ。いや、してるかのようじゃない。実際にこの場を誰かに知らせているのだ。しかしーー


「何のために?」


 いくらこの場所を遠方の誰かに教えたとしても、ここはまだ天族領内だ。これだけ派手な信号を放てば魔族が何かするよりも先に天族達がすっ飛んで来るのが先だろう。つまりニルのこの行為は自分で自分の首をしめるだけ。しめるだけなのだがーー


「やっぱりそれだけじゃないわよね」


 魔族としてのニルは知らないが、ギルド『ヴァルキリー』のニル・ニルニアならよく知っている。ニルは絶対に敵地で何の意味もない愚行などしない。


 私は正体の分からない危機感に促され反射的に周囲に張り巡らされていた糸を切り裂いていた。だが遅い。遙か遠くから此方に向かって途方もないエネルギーが伸びてくるのが分かった。それはまるで巨大な龍が足下で蠢いているかのようなゾッとするような感覚を私にもたらした。


 それほど信じられないエネルギーが明滅を繰り返す地面の下から溢れだして、結界のようにこの場所を外部から遮断する。


「閉じ込められた!? いや、空間が別のポイントと繋がろうとしている?」


 私の周囲には未だに『ジャミング・ホール』の効果が継続しているが、第二級の空間魔法では焼け石に水にすらならない。それほど圧倒的な力が私をどこか別の場所に連れ去ろうとしていた。この力の出所はーー


「地脈を操作して無理矢理ここに魔法を展開するつもり? そ、そんな馬鹿なことが?」


 地脈はこの世界の血液のようなもの。当然そこに込められたエネルギーは凄まじく、本来は大地から僅かに漏れる、言わばかすり傷で出来た出血分を利用する程度に留まる。それでも最上位の戦術級魔法具を動かす莫大なエネルギーを発生させるというのに、地脈そのものをまるで手足のように扱うなんて、あまりにもデタラメすぎる。


 これは人が素手で山を動かしてるに等しい行為だ。


 だが、だが、ああ。私は知っている。私は知っているわよ。こんな離れ業をやってのける男の存在を。何よりもこの魔術の組み方、間違いない。間違いないわ。


 気付けば頬を熱いモノが伝っていた。私は堪らずに叫ぶ。


「マイスター!!」


 直後、私の足下に巨大な光輝く魔法陣が出現した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ