捕獲作戦開始
勇者順列第三位カエラ・イースターの捕獲あるいは抹殺。
マイマザーから下された零指令と言う名の絶対命令に、儂は唖然とするしかなかった。
あやつ、一体何をやらかしたんじゃ?
確かに向こうの世界でも一国を転覆させかけるなど、一度キレると手がつけられなくところはあったが、まさかこの世界に来てまでも指名手配を食らう程とは。
分かっているつもりではあったが、儂はまだあやつの『天才』ぶりを侮っていたのかもしれん。
とにかくこうなった以上はさっさとカエラを捕まえるしかあるまい。幸いなことに命令は可能なら捕獲とある。つまり必ずしも殺す必要はないと言うことじゃな。
最悪の場合はマイマザーとの対立をカードにカエラを儂の保護下に入れるつもりじゃが、実際に対立する気はない。利に聡いマイマザーなら儂と対立するくらいならこちらの要求を飲む……と思うんじゃが、今ひとつ全容が分かっていない状況では確実なことはいえんの。
まったく、何か変な物でも開発したのかは知らんが、どこまでも世話のやける弟子じゃな。
「魔将第四位 エルディオン。魔王からの零指令を受託した」
「魔将第五位 ハラリアアリア。零指令、確かに了承したぞ」
「魔将第九位 アナラパル。魔王様から下された零指令、確かに承ったよ」
マイマザーがいないので同格の魔将同士でこの至上命令を受け取ったことを宣言し始める。これで何かあった時に聞いてませんでしたでは通らん。
皆の視線が儂に向いた。
「………魔将第三位 リバークロス。零指令、了解した」
一先ず状況を見極めつつも、可能なら儂がカエラを捕まえたいところじゃな。エルディオンならともかくハラリアアリアだと妙な遊び心を出しかねん。可愛い弟子が酷い目に遭うところなど、さすがに見たくないしの。
エルディオンは腕を組むと髭を撫で始めた。
「さて、それではどう動くかだな。魔王から何か指示は出ているのか?」
儂とエルディオンの視線が指令書を持ってきたアナラパルとハラリアアリアへと向く。
アナラパルは首を横に振った。
「何も。この指令書も魔王様ではなくエラノロカ様から渡されたものだからね。ただ天領に潜入している魔族を総動員して念話の妨害に入るみたいなことを言ってたよ」
その言葉に儂は勿論のこと、エルディオンも訝しげな顔をする。
「む? それほど大規模な通信妨害をする意味が分からんな。天領にいる勇者を捕らえるには潜入している者達の情報こそが必要だろうに」
確かに。天領の奥深くに陣取っているカエラを捕まえるなら、通信を妨害するより情報を回してもらわなければ話にならない。
儂の脳裏に飼い猫よろしくカエラのギルドに付けた『鈴』の顔が思い浮かんだ。
「ああ、ちょっと待ちな。零指令の命令書と一緒に資料を渡されたんだよ。零指令を聞いたら見ろと言われたね」
そう言ってアナラパルはもう一枚手紙……というか紙の束を空間から取り出した。そちらは普通の紙だったらしく、パラパラとアナラパルは常人では不可能な早さで速読していく。
「ふーん。なるほどね。どうやらターゲットの勇者はこっちに向かっている最中みたいだよ。ここにはあんたん所の半人半魔が潜ってるって書いてあるけど?」
アナラパルから紙を受けとったエルデェオンがそれに目を通す。
「ああ。何処かで聞いた名前だと思えば、例の潜入実験を行っているギルドか。確か小僧のお気に入りの勇者だったな」
「まあな」
隠せることでもないので素直に頷いた。それよりも気になるのはカエラがこちらに向かっていることじゃな。あやつまさか『剣聖』が総大将をやるという三種族の連合軍に参加する気か? そんな情報儂の所には入って来てないんじゃが。
儂はさりげなくイリイリアとマーレリバーに視線を向けるが、二人は申し訳なさそうに首を横に振るだけじゃった。
………ふむ。まぁこればかりは仕方ないか。ここ最近忙しかったし、あの実験は元々マイマザー主催のものじゃからな。当然情報は儂らよりも先にマイマザーの元へと行く。
半人半魔の『人』の部分を用いた天族でさえも魔族と見破れない擬態実験。勇者の側に必ずいる守護天使の目を掻い潜ることができれば、理論上天領の至るところに潜伏することが可能となる。
半人半魔の少なさから今まで考案されても実行されることはなかった実験じゃが、盾の王国での戦いが終わって一年くらいが経過した辺りだったじゃろうか、突然マイマザーが半人半魔を使って勇者の元にスパイを送り込むと言い出した。
それを聞いた儂はこれ幸いとカエラ達のギルドを実験先に推薦したのじゃが、それがまさかこんな形で使われることになろうとは。
元々はカエラの動向を把握しつつ、知らないうちに殺されるのを防ぐための措置だったんじゃが。……いや、どの道こうなってはカエラを捕まえる必要があるんじゃから、むしろ好都合か?
儂が思考を巡らしておる間にアナラパルから資料を受け取ったエルディオンがアナラパルと同じ速さで資料に目を通した。
「天族達も勇者を確保しようとする動きあり? 何じゃこれは? ヨーイドンで争奪戦でも始めたのか? それともあるいは……」
「天族にも小娘と同じ能力者、もしくは兵器があるのだろうな。何にせよ、これが通信を遮断する理由と言うわけだ」
ハラリアアリアはエルディオンから資料を受け取ると中をろくに見もせずに儂に渡してきた。
「そうなるな。後、魔王のことは魔王と呼べ。もう昔とは違うのだぞ」
「むっ。……そうだな。確かにその通りだ。それにイケメンばかりを生むところは素直に敬っても良いだろうしな」
そう言ったハラリアアリアは、未成熟な少女の体を瞬く間に妖艶な成人女性のものへと変化させた。着ている服は魔将らしくかなり性能の良い魔法具のようで、変化する体に合わせてその形を変える。
「お主の兄は恐ろしいほどに床上手じゃったが、お主はどうかな? 勿論私はイケメンなら何でも良いので、例えお主が人形の如く木偶であったとしても狂うほどに気をやれる自信があるがな」
ボンキュボンなバディーを儂のボディーに押し当ててくるハラリアアリア。それにしても何じゃそのフォローは、男としてまったく嬉しくないんじゃが。
それにマイブラザー、噂で聞いておったが本当に手が広いの。ひょっとして儂よりも関係を持っている女は多いのではなかろうか? それなのに『色狂い』と呼ばれるのが儂だけとは、ちょっと納得いかんの。ここは一つ『色狂いブラザーズ』に変更して欲しいところじゃな。……はて、誰に訴えれば良いのじゃろうか?
「ハラリアアリア、零指令の発動中だぞ。遊ぶのも大概にしておけ」
「ふふ。そうだな。イケメンと遊ぶのは面倒な仕事を片付けてから、ゆっくりと楽しむとするか」
そう言ってハラリアアリアは儂の頬に口付けをするとボンキュ(以下略)な体を離した。離れていく際のその後ろ姿といったらもう。
「小僧?」
突然エルディオンがやけに凄みのある声を出した。おや、サイエニアスさん。いつのまにお養父さんの横に移動したのかの?
別に何一つとして疚しいことなどないんじゃが、何故か儂は平静を取り繕った。
「と、とりあえずの問題は、ここをどうするかだな」
「坊やの言う通りだね。零指令が発令された以上、私達はこの国の占領よりも勇者の捕獲を優先しなければならないんだけど、闇雲に突っ込めば良いって訳じゃないからね」
アナラパルの言う通り零指令は確かに最優先命令であり、他の何においても果たすべき命令ではあるが、それは最短の手段を用いろと言うことであって、バカみたいにただ突撃すれば良いと言うわけではない。
ならばこそ、儂らは考える。この状況での最短とは果たして何かを。
魔将第四位 エルディオンは言った。
「勇者が向かっているなら丁度良い。儂はまずこの国をきちんと占領して、勇者が逃げられないように誘き寄せるのが最良だと思う」
それに魔将第九位 アナラパルは同意する。
「私もその意見に賛成だよ。天領の奥深くに逃げられでもしたら面倒だ。ここは罠を仕掛け確実に捕らえよう」
魔将第五位 ハラリアアリアはそんな二人の意見に嘲笑を浮かべた。
「何を悠長な。天族もその勇者を確保しようと動いているのだろう? ここは手をこまねいて無駄に時間を消費するよりも、魔族の総力を持って力付くで攫えば良い」
「ふん。それで天領の奥深くに逃げられでもしたらどうする?」
「のんびりしてる間に天族が先に勇者を捕まえたら同じ事だろう」
「魔王が念話の妨害を命じたと言うことは天界城からの命令はまだ勇者の近くの天族には伝わっていないはずだ。距離を考えても勇者がこちらへ来る方が早いだろう。無理に敵陣に突っ込み警戒されるよりは待ち伏せの方が余程確実だろう」
地脈を使えばかなりの距離の空間移動が可能となるが、四等区は既に儂等が押さえておるようなものじゃから、天界城から最長で飛べるのは恐らく天領三等区の中ノ国までじゃろう。三等区中ノ国と四等区までの間に魔物でも潜ませて時間稼ぎさせれば、エルディオンの言うとおり自分が狙われておるとは想像もしていないであろうカエラが、この四等区へと入ってくる方が確実に早いじゃろうな。
それは分かっているのか、ハラリアアリアがつまらなさそうな顔をする。
「まったく、小狡くなったものだな。昔のお主はイケメンかどうかはともかくとして、もっと豪気だったぞ?」
「元々零指令は若い魔王の権威付けのために作られた制度だが、だからこそそこに込められた意味は大きい。これを果たせなかったとなれば魔将の、ひいては有角鬼族の名に傷がつく。剛気だ何だのと、今更そんな実も伴わない評価など興味もないわ」
「すっかり枯れおって。何なら私が若い衝動というものを思い出させてやろうか?」
ハラリアアリアはそういってエルディオンの体にしなだれかかった。
「止めい。貴様の匂いで嫁に誤解されたらどうするつもりだ」
「そのときは私がこの体で慰めてやろう。お主はイケメン度がそれほど高くはないが、なに。昔からの付き合いだ。思い出補正と言うことにしておいてやろう」
そう言ってエルディオンにこれでもかとキスしまくるハラリアアリア。エルディオンも何とかハラリアアリアを引きはがそうとするが相手は巨人族。いかに有角鬼族と言えども簡単に引きはがせる相手ではない上に、ガチバトルに発展することを嫌って本気になれないエルディオンと己の欲望に全力を注ぐハラリアアリアでは本気度が違った。
「っく!? ええい、鬱陶しい。小僧。何とかせい。小僧?」
エルディオンが小僧とかいう人物に話しかけておるが、どうしたことか、小僧という名前の人物は中々出てこない。仕方がないの。何か時間が掛かりそうじゃし、美人にキスされまくっておる羨ましいお年寄りは放っておいて、儂は渡された資料に目でも通しておくかの。
「ハラリアアリア様。冗談が過ぎます。父上から離れてください」
と、思っていたらまさかのサイエニアスの乱入に儂は資料を捲っていた手をピタリと止めた。
サイエニアスは敵意と言う程ではないが、友好的と言うには程遠い強い眼差しでハラリアアリアを睨む。そんなサイエニアスの全身をハラリアアリアは舐めるように見つめ返し、やがて感心したような表情を浮かべた。
「ほう、若いのに中々。さすがはエルディオンの娘でイケメンの女だな。……嗜虐心をそそられる」
ハラリアアリアの白い髪が発光し、大海を思わす蒼い瞳の中で瞳孔が蛇のように細まった。それは魔将を名乗る者からすればほんの僅かな稚気だったのだろうが、魔族においてほぼ最上に位置する者からの威圧にさすがのサイエニアスも萎縮する……ようなことはなかった。
「……本当に、虐め甲斐のありそうな娘だなぁ」
怯むことなく真っ直ぐに自身を見つめて来るサイエニアスに、ハラリアアリアはエルディオンから離れると舌なめずりする。
何か物騒な雰囲気じゃが零指令の発動中じゃし別に放っておいても大事にはならんじゃろう。そうは思うんじゃがやはり自分の女で遊ばれるのは面白くない。儂と、そしてエルディオンがサイエニアスを守るように前へ出た。
それにハラリアアリアは拗ねたように頬を膨らませ、サイエニアスは驚いたように目を見開いた。
「なんじゃお主ら、同じ魔将のくせしてどちらもその娘の味方なのか?」
ハラリアアリアの不満そうな言葉に儂とエルディオンは同時に「当然だ」と答えてそれぞれの言葉に続いた。
「儂の娘じゃぞ」
「俺の女だぞ」
儂らの言葉にハラリアアリアは「グヌヌ」と本気なのか冗談なのかよく分からん感じに唸った後、「ふん。イケメンには勝てんな。だが見ておれ、最後に抱かれるのはこの私だ」とか何とかよく分からんことを言ってそっぽを向いた。
「リ、リバークロス様、申し訳ありませんでした」
サイエニアスは近衛の自分が主である儂に迷惑を駆けたことを申し訳なさそうに謝ってきたが、エルディオンが無言で威圧してくるので(別にしてこなくても)何の問題もないと答えておく。
それにしても普段真面目なサイエニアスがこういう問題を起こすのは珍しいの。案外ファザコンさんなんじゃろうか?
というかこういう時つくづく思うんじゃが、マイマザー、よく魔族なんて我の強い生き物を一つの組織にまとめ上げられたものじゃの。
昔は今よりももっと中が悪かったそうじゃし、最初で最後の魔王と讃えられ、シャールエルナールを初めとした多くの者に心酔されるのも分かる気がするわい。
「さて、話を戻すが小僧、資料には目を通したか?」
「ああ」
儂は資料をアナラパルへと返した。アナラパルは魔法具を使って資料を元あった空間の中に閉まう。ちなみに空間収納型の魔法具は便利じゃが作るのがかなり難しく、魔将の儂でも積極的に集めておるのに三百も持てん程に希少じゃ。
後、目を通した資料じゃが、どうやらマイプラザーを始めとした天領の奥深くに奇襲を掛ける予定だった部隊が妨害魔法を行いつつも、こちらに戻って挟み撃ちの形にするようじゃな。
これで万が一途中でカエラが引き返すことを選んでも問題なく確保できるじゃろう。マイブラザーなら儂がカエラを欲しがっておることも知っておるし、いざ捕らえる段になっても手荒なことはせんじゃろうから、その点でも安心じゃ。
そう考えるとマイマザーの命令が早かったお陰で、天族の通信妨害が始まる前にマイブラザー達に連絡がついたのは大きなアドバンテージじゃな。
「では小僧の意見を聞いておこうか。見ての通り意見が割れているが、それぞれが好き勝手にやって足を引っ張り合ってはせっかくの魔王軍の意味がないからな。小僧の意見、そしてシャールエルナールの意見を聞いた後は多数決で決める。良いな?」
エルディオンの言葉にアナラパルが「構わないよ」と答え、ハラリアアリアが「イケメン万歳」と了承? した。無論儂も異論はなかったので(むしろハラリアアリアやシャールエルナールが単独で捕まえに行くよりはずっと安心できる)エルディオンの言葉に頷いて見せた。
「では、小僧。お前の意見を言ってみろ」
「そうだな、やはりせっかく内部にこちらの手の者がいるんだから使わない手はないと思うんだが」
「だが知っての通り勇者の近くには守護天使がいるぞ。敵地から上級天族を相手にしながら単独で勇者を拐うのは簡単なことではない。失敗すればこれ以上ない情報源を失うことにもなるんだぞ?」
確かにそうなればものすごい痛手じゃ。しかし同時にエルディオンの意見は慎重すぎるとも思った。
「どのみち天族が動いているならそう何度もチャンスがあるわけではないだろ。一度で成功させれば良いだけの話だ」
「何か策でもあるのかい?」
アナラパルが興味深そうに聞いてくる。こやつ人を嵌めるの好きそうじゃもんな。
しかし策と言われてもの。今手元にある情報だけでは正直心ともないんじゃが、まぁやるしかあるまい。
「まずは潜入してるアイツに式を飛ばして連絡を取る。後、地脈を操る魔法具だが、どこにある?」
これより一時間後、儂の作戦により魔王軍による勇者捕獲作戦がスタートすることとなった。