ヤバイ女
それにしてもプリティーデビルちゃんの妹が現れるとは。上級魔族は基本子供が出来にくい体質とのことじゃが、その分長生きなので子供を作ることが推奨される時代背景と相まって、何だかんだで兄弟姉妹が居る場合が多いの。
むしろ上級魔族よりも子供が作りやすい中級、下級魔族の方が百年、二百年のスパンで見てみると、一人になっている確率が高いとは皮肉な話じゃな。
儂はプリティーデビルちゃんの妹を名乗る女を改めて観察してみる。腰にまで届く赤茶色の髪に、妖しく輝く紫の瞳。言われてみれば確かに似てないこともないが、活発でどこに居ても目立つプリティーデビルちゃんに比べ、こちらは一見物静かな、それこそ道端にひっそりと咲いておる花のような雰囲気を纏っておる。
……まぁ、とは言っても花にもいろんな種類があるんじゃがな。
本当はさっさとこの得体の知れない女から離れたいところじゃが、プリティーデビルちゃんの妹ならこれから先関わらん訳にもいかんし、儂は警戒心を掻き立てられながらも一先ず会話を続けることにする。
「プリティーデビルマークⅡ? それ、本名か?」
もしそうだとしたらすごい名前じゃな。もしかしてⅢとかⅣとかもいるんじゃろうか?
「プリティーデビルちゃんマークⅡです。ちゃんをちゃんとつけてください」
プリティーデビルちゃんマークⅡはそう言うとプクリと頬を膨らませた。
「え、ええと。それはすまない」
何で姉妹揃ってちゃんに拘るんじゃろ? 何かのギャグなのかな?
「うーん。どうしよっかなー。許して欲しいですかぁ~?」
腕を後ろで組んだまま踵で地面を二度ほど軽く蹴って、プリティーデビルちゃんマークⅡは覗き込むように儂を見てくる。
正直ちょっとウザイ。大体何じゃその顔は? 仲直りのプリティーくらわすぞ。
「いや、別に許さなくていいぞ。用がないならさっさと姉の所に行ってこいよ」
元々今夜は一人で居たい気分なんじゃし、このよく分からん不気味な女に付き合う必要は無いじゃろう。そう思い儂はプリティーデビルちゃんマークⅡを突き放したつもりだったのじゃが、プリティーデビルちゃんマークⅡは何故か満足げに頷くとーー
「分かったわ。そこまで言うなら許してあげちゃう。でもその代わり少しで良いからお姉さんのお喋りに付き合いなさいよね」
などと言い出した。こやつアレじゃな。人の話聞かない感じの子じゃな。しかも何か急に馴れ馴れしくなりおったぞ。
「……俺に何か話でもあるのか?」
どうせ断っても強引に話を続けることは目に見えておるので、仕方なくお喋りに付き合うことにする。こうなればさっさと質問に答えて早いところ会話を終わらせるに限る。
「そうよ。でもその前にまずは確認なんだけど、君はリバークロス君で間違いないのよね?」
「そうだが……」
魔将と知ってて君付けとは。ただの無知と言う訳では無いじゃろうから、やはり魔王軍でもかなり上位の存在のようじゃな。
「良かった。実は私、以前からエイナリンさんを従えることに成功した君にどうしても聞いておきたいことがあったのよ」
なんじゃろ? エイナリン絡みとなるとろくなことではないような気がするんじゃが。……まさかエイナリンに恨みを持っているがエイナリンに勝つことができないので、腹いせに儂を襲いに来た。……とかではないじゃろうな。
あながちあり得んでもないその考えに、儂は何があっても反応できるようプリティーデビルちゃんマークⅡの一挙一足に気を配った。
儂の警戒に気付いたのか、プリティーデビルちゃんマークⅡの表情も極めて真剣なものへと変わる。
まるで今から決闘でもするかのような張り詰めた空気じゃ。これは本当にそういう展開もあり得るかもしれんの。
ここは念を取ってアクエロを呼び出しておくかの。
そうして儂はライヴ中に悪いとは思いつつもアクエロを呼び出そうとしたんじゃが、それよりも早くプリティーデビルちゃんマークⅡが中指と人差し指に親指を挟んだ拳をこちらに向けてきた。
「…………は?」
何故に女握り? え? それって異世界でも同じ意味なんじゃろうか? だとしたらーー
プリティーデビルちゃんマークⅡは極めて真剣な表情のまま言った。
「リバークロス君。君はもうエイナリンさんとはヤッちゃったの?」
「…………は?」
おお? 本当にそっち関係の質問が来おったぞ。しかし何故に?
困惑する儂に構わず、プリティーデビルちゃんマークⅡの言葉は続く。
「私、実はエイナリンさんに以前から求婚していて、エイナリンさんの始めてを貰うのは私だってずっと思っていたのよ。それなのに横から現れたリバークロス君が私のエイナリンさんをかっ攫ったあげく、毎夜毎夜あの美しい体を好き放題していのるかと思うと、私、私、もう興奮で夜も眠れないの!」
そう言って自身の体を抱き締めるプリティーデビルちゃんマークⅡ。その顔は本人の言うとおり興奮で真っ赤に染まっておった。
なんじゃろ? そこはかとないシャールエルナール臭がするんじゃが。
「…………求婚するくらいエイナリンと仲が良いなら、そんな質問わざわざ俺にしなくてもエイナリンに直接聞けばいいんじゃないのか?」
エイナリンとの関係を否定するのは簡単じゃったが、この手の輩は答え方を一つ間違えると酷く面倒なことになりそうな予感がするので、賢明な儂はエイナリンに丸投げすることにした。
「それがね、聞いてよリバークロス君」
ふむ。何かね? プリティーデビルちゃんマークⅡ君。
「リバークロス君だから教えるけど私は匂いを操るスキルを持っているのよ」
「……で?」
性癖の次はスキルを暴露し始めた。何かこやつマジで怖いんじゃが。大好きなエイナリンを寝取ったお前は許さん。始末するから冥土の土産に全部教えてやるぜ、グッへへへ。……とかじゃないじゃろうな、コレ。
「私が操る匂いの中には天族に対して高い効力を発揮するものがあるんだけど、そのせいか昔から私は天族に嫌われているのよ。それこそ近付いただけで皆が私の名前を叫んで逃げるくらい本格的にね」
「いや、天族に好かれる魔族がいたらその方が問題だろ。大体エイナリンは今は堕天しているから魔族だぞ。天族に効果のある匂いとやらも関係ないだろ」
「それが堕天していても関係なくて、それにエイナリンさん敵が多いでしょ? だから私のことも物凄く警戒しちゃってて。仕方ないから何度か力ずくで抱こうともしたんだけど、逆に殺されかけたわ。私はこんなにも愛しているのに。酷い話だと思わない?」
「うん。お前がな。言っておくが合意は大切だぞ?」
というか、スキル以前の問題にそれが原因で嫌われておるのでは?
何か問題児のイメージが強かったが、エイナリンの奴は奴で苦労しているんじゃな。次からはもう少し優しく接してやっても良いかもしれんの。
そんなことを儂が考えておるとーー
「合意とか、もう、リバークロス君は冗談が上手いわね。やだわ、そのデビルジョーク。ちょっとウケちゃったじゃない」
そう言ってプリティーデビルちゃんマークⅡは肩を揺らしてクスクスと笑い出した。
儂としてはその反応に、やだわ、このデビルガール。ちょっと背筋に悪寒が走ったじゃない。といった感じなんじゃが。
「いや、別に冗談では…。大体合意がないから殺されかけたわけだろ?」
「そうね。でも私エイナリンさんに殺されるなら本望よ?」
プリティーデビルちゃんマークⅡは夢見がちなうっとりとした表情を浮かべた。
うむ。やはりこやつアレじゃな。真性の変態、あるいは危険人物じゃな。こうして向き合っておるだけでマジでヤバイ感がヒシヒシと伝わって来て、それが一向に収まらんのじゃが。もうこうなったらさっさと逃げるに限るの。……あっ、でもその前にーー
「姉妹揃ってそこまでエイナリン好きとは珍しいな」
姉であるプリティーデビルちゃんもエイナリンの親友を自称しておったし、魔族でここまでエイナリンに好意を見せる者はかなり珍しい。下手をすれば魔族の中で孤立しかけない行為じゃというのに、大胆すぎじゃろ。その点だけが少しだけ気になった。
「彼女、とっても綺麗でしょ? 私一目見た時から彼女の大ファンになったのよ」
「周りに睨まれないか?」
「リバークロス君は変なことを気にするのね。好きな者を愛するのに周りなんて関係ないでしょ?」
「いや、そう言うレベルの話ではないと思うんだが……」
村八分とか、勢力的なあれやこれやとか、もっと生命に関わるレベルのそう言う話だと思うんじゃが。…………儂と同じように実力で周囲を黙らせておるのか? ならば気になるのはーー
「エイナリンが警戒するほどのスキルか」
エイナリンはただ強いだけではなく、ああ見えて隙がない。普段大抵の脅威は涼しい顔で容易く退けて見せるのじゃが、このヤバ女が話を盛っていなければ、こやつのスキルはエイナリンですら常日頃から警戒しなくてはならない類いのものらしい。
うーむ。悪魔の能力では本人が本当だと思っている嘘は見破れんからの。こればかりは実際に見てみんと本当にそこまでのスキルなのか、判断はできんの。
「あっ、リバークロス君。ひょっとして私のスキルが気になってる? 何なら試してあげましょうか?」
「いや、止めておく」
興味はあるが周囲に仲間が誰もいない状態でエイナリンがそこまで警戒している……らしい、スキルを受けるには不安がありすぎる。
ここは君子危うきに近寄らずじゃな。儂は賢明な判断をしたつもり……だったのじゃがーー
「大丈夫よ。とっても気持ちいいから」
危険が向こうから突っ込んできおった。じゃからお主は人の話を聞けっつーの。
文句を言う間もなく、むせかえるような甘い香りが世界を支配する。恐らくこれが匂いのスキルとやらなのだろう。
「おい、止めろ」
魔力を纏って大気との間に壁を作りながら、儂はプリティーデビルちゃんマークⅡを睨み付けた。プリティーデビルちゃんマークⅡはそんな儂の瞳を爛々と輝く紫の瞳で見つめ返してくる。
「リバークロス君はエイナリンさんをちゃんと愛してる? アクエロちゃんは? 可愛い部下さん達は? 愛って素晴らしいと思わない?」
「なに……を、言ってる?」
「なにって勿論愛の話よ。最初から最後まで、今日はずっとその話をしてたでしょ?」
アカン。会話が成立していない。まさかここまでのヤバ女だったとは。おのれプリティーデビルちゃんめ。こんなヤバイ女を勝手に呼び寄せて何をする気じゃ? エイナリンを見張るだけが仕事ではないのか?
いや、今はそれよりもこの匂いだ。かなり厄介なことにこの匂いーー
「魔力で遮断できない?」
まさか呪術の一種か? だとしたらどこかでこのスキルの発動条件を満たしてしまったようじゃな。通常の空間ではなく呪術的な縁を通ってやって来るこの匂いを防ぐのは簡単なことではない。
「そう。何者も愛を阻むことなんてできないのよ。何故なら愛こそが天性の簒奪者だから。知っているかしら? リバークロス君。愛とは他者から奪い取ることで初めてその真価を発揮するものなのよ。友愛。敬愛。親愛。愛は素晴らしい。愛は至るところにあり、誰もが愛に魅せられる。姉妹も、友達も、無関係な他者も、敵対者でさえも。誰もが愛を所持している。だからこそ、愛は奪われるものなのよ。だからこそ、愛を奪わなければならないのよ。何故ならば誰もが持っているものに価値なんて無いと、誰もが知っているのだから。だからこそ私はーー」
「匂いを止めろ!! これ以上は冗談ではすまさんぞ」
何かごちゃごちゃ言っておるが、それどころではない。頭がくらくらする。これ以上肉体に異常が出るのを待ってはおれん。………殺るか?
この女の行動は地位のある者の悪ふざけにしても明らかに度を越え始めている。目の前の女を殺した後で起こるあらゆる不利益と、この状況を看過することの危険性を天秤にかける。
「ああ、そんなに怒って。怒りは簒奪への甘い誘い。私が欲しいのね? 私しか見えないのね? それこそが愛よ。さあ私を奪ってみて。私は抵抗しないわよ? だから代わりにエイナリンさんへの貴方の想いを私に奪わせて」
女の一言一言が意識の隅々まで染み透る。ボーとそれを聞いていたら、いつのまにか女の着飾らない衣服の下に眠っていた、男を欲情させる為だけに存在するかのような肢体が月明かりの下で惜しげもなく晒されていた。
女がおいでと言わんばかりに両手を広げる。気付けば儂は女と唇を重ねていた。女の唾液がこれでもかと流れ込んできて、儂は夢中でそれを飲み干した。
まだ足りない。まだ足りない。儂は女を押し倒すと、目の前にある豊かな乳房にしゃぶりついた。
「んっ。ああ、ああ!! いい。いいわ。さぁ、もっと、もっとよ。もっと私を貪って」
女の肌に触れる度に途方もない快楽が波のように押し寄せてくる。しかしその波は快楽を置いていく代わりに儂の中から何かを奪い去っていった。
波が押し寄せては引いていく。その度に傍若無人な、でもとても美しい女の姿が浮かんでは消えていった。
この女は誰だっただろうか?
記憶を探ろうとする度にこれでもかと快楽が押し寄せて来た。儂はただそれに溺れる。ああ。ああ。考えが纏まらない。何かを考えなければいけないはずだったのに。でも何を?
そんなどうしようもないもどかしさに震えていると、女が儂の頬を優しく撫でた。
「ねぇ、リバークロス君。愛を交わし合う最中に他の女のことを考えるなんて、とても無粋だと思わないかしら?」
そう言って女が唇を重ねてくる。甘美な感覚。甘美な感覚。臓腑の奥まで染み渡る甘い香り。それに儂は…。儂は……。
子供扱いしないとさっき言ったでしょう~。私は有言実行の良い女なのです~。
それを、奪われたくないと思った。
「ぐっ……なめんな!」
女の首を締め上げる。
「え?]
女が信じられないものを見たように目を見開いた。しかし気持ちは儂も似たようなものじゃ。何じゃ、こやつ? 儂を操った? どうやって? この匂いで?
ヤバイ。この女は本当にヤバイ。できればこのままこの細首をねじ切ってやりたいところじゃが、さらに濃さを増した匂いに断念する。何よりもこうして直に触れていれば嫌でも分かるが、何じゃこやつの魔力は? 細首? とんでもない。肉体の下で蠢いているのは奈落の入り口を思わす底の見えない魔力。儂はその途方もなさに思わず戦慄した。
こやつ、エルディオンより、いや下手をしたらシャールエルナールより…………強い。
儂は久しぶりに味わう恐怖に突き動かされるように女の上から立ち上がると、女をこの外壁の上から放り出すつもりで投げ飛ばした。手加減はせずの全力投球じゃったが、途中からまるであらゆる重力から解放されたかのように女の体がフワリと浮いて、そのまま優雅に足から地面に降りた。
女は興奮しきっただらしのない、それでいて匂い立つような妖艶さをその全身から放ちながら、嬉々とした表情で儂を見る。
「ああ! ああ! 素晴らしい。素晴らしいわ。私への欲情りよりもエイナリンへの操を選ぶのね!? 私の想いを踏みつけて自分の想いを貫くのね!? その選択こそが愛よ。私今、とっても悲しい。でもこの痛みも愛よ。ねえ、何で私を選んでくれなかったの? 私、君の為なら何でもするわよ?」
この女を一目見た時から薄々と予感しておったが、今完璧に理解した。この女とは絶対に分かり合うことは無い。同じ言語、同じ環境に身をおきながらも、互いに見ているものが違いすぎる。
そう言った相手とは距離を取ることでしか平穏は保たれない。もしもそれが不可能ならば両者の間に待っているのは不毛な潰し合い。ただそれだけじゃろう。
だからこそ、儂はもう躊躇しなかった。
「失せろ!」
殺すつもりで魔法を放つ。外壁の上が一瞬で炎に包まれた。女は抵抗らしい抵抗もせず炎に巻かれたが、この程度でどうにかなる相手ではない。
儂が反撃に備えて身構えておると、女から念話が飛んできた。
(うふふ、残念。このまま強引に君を犯してやりたいところだけど、邪魔が入ったわ。今日はここまでね。楽しい夜をありがとうリバークロス君。私、貴方が気に入ったわ。また会いましょう。今日のお詫びにとっても良いものをあげる。いつもとは違う感じにどうか愉しんで?)
次の瞬間、また猛烈な甘い香りが漂って来て、儂は急激な目眩に襲われた。
「くそ。どこだ!?」
奴の魔力が読めない。仕方なく儂は炎を一旦消し去った。しかし外壁の上に奴の姿はどこにもなく、その代わりとばかりに現れたのがーー
「何してるんですかー?」
「エイナリン!? …どうしてここに?」
思ってもいなかった人物の登場に儂が驚いておるとーー
今日のお詫びにとっても良いものをあげる。いつもとは違う感じにどうか愉しんで?
去り際の女の言葉が甦る。
儂はなんとも言えん寒気に襲われた。今エイナリンと二人で居るのは酷く拙い。何故かそんな確信があった。