感傷、そして妹登場
「魔王軍の皆ー! 要塞都市の占領、お疲れさまでしたー! 今日はプリティーな私の歌を聞いて、プリティーな気分になってね、プリティー」
プリティーデビルちゃんが手を振ると観客がそれに応えて固めた拳を天に向けて二度、三度と突き出す。
「プリティ、プリティ」
上級魔族の足踏みによって比喩ではなく地面が揺れた。それも生半可な揺れでは無い。普通の人間ならバランスを取るのも一苦労な地震クラスの揺れじゃ。
しかしここにいるのは魔族の精鋭。地面が揺れようが、大地に亀裂が走ろうが、誰もそんな些細なことは気にしない。
魔法で奏でられた音楽が鳴り響き、興奮した観客の熱気で気温が百度以上上昇する。更に「プリティー。プリティー」と叫ぶ観客の声援で簡易ステージが砕けたり、天井が落ちてきたりするが、やはりそんな些細なことは誰も気にしない。
勿論プリティーデビルちゃんも気にしない。落ちてくる天井の欠片は魔力で弾いて、興奮のあまりステージに上がる困った客を殴り飛ばして、彼女は歌う。
「私が独善的だって? 馬鹿ね、ようやく気づいたの? 節穴なそのお目目に笑いが出るわ! 精々見当違いの場所に吠えていればいい! 私はもう貴方の手の届かない場所。誰も私に追い付けない。だって私はーー」
「「「プリティーデビル!!!」」」
そこら中で火柱が上がり、雷が落ちて、雪が積り出す。小規模な自然災害が次から次へと発生する魔境で、それがどうしたとばかりにヒートアップしていく観客達。
儂はそんな魔族達を複雑な心境で眺めておった。
「やれやれ。呑気というか何というか」
要塞都市を占領し、完全にこの都市の機能を手中に収めてから一日。兵士達に休息を与えた途端にこの騒ぎじゃ。
別に儂も馬鹿騒ぎは嫌いではないし、戦いに勝てればそりゃ嬉しい。普段であればあるいは儂も参加していたかも知れんが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
思い出すのは憎しみに満ちた瞳。
エルディオンとシャールエルナールに戦利品の所有権をもらったのは良いが、降伏する者の人数次第ではかなり頭の痛い問題になるかも知れないと覚悟しておれば、実際には殆ど降伏する者は出で来ず、最後まで抵抗する者、あるいは魔族に囚われるくらいならと自害する者が続出した。
結局降伏したのは百人にも満たない僅かな者達だけで、その殆どが子連れだった。
「止めますか?」
異種族を滅ぼすための戦争なのだから当然じゃが、魔族は人間達に容赦がなく、降伏した者以外は老若男女の区別なく皆殺しとなった。儂の命令がなければ降伏しようが構わず殺しておったじゃろうな。
勝敗が決した戦場で行われる虐殺。儂は血の匂いと断末魔の悲鳴が消えるまで、何をするでもなくただ待った。
目を閉じれば魔人国へと送った人間達、子供を抱えた親達の憎悪に満ちた瞳が浮かんでくる。やれやれ。当分の間は夢に出てきそうじゃな、これ。
「リバークロス様?」
「ん? ああ、すまない。何だ?」
気がつけばサイエニアスがこちらを怪訝そうな顔で見ておった。
「リバークロス様がお気に召さないのであれば止めて来ますが?」
「いや、階級が一番高いシャールエルナールが最前席で手を振っているんだ。そんなわけにもいかないだろ。それに任務の本番はこれからだ。警備ならエルディオンのところの兵士がいるし、今日くらいは別に良いだろう」
魔族がひしめく即席のライヴ会場の最前席ではシャールエルナールとウサミン達が人目も憚らず真っ赤な顔で跳び跳ねたり、口を大きく開けて何やら叫んでおる。
時折、興奮しすぎたウサミンが隣のシャールエルナールに抱きついて、一瞬で青い顔になったイヌミンとネコミンに引き剥がされたりしておるが、まぁ楽しそうでなによりじゃ。
「リバークロス様がそう仰られるなら」
サイエニアスが小さく頭を下げた。そこでふと気がつく。
「お前らはいいのか?」
近衛であるこやつらは儂のボディーガードが主な仕事ではあるのじゃが、既にこの都市は魔族の精鋭によって固められているので、常に一緒にいる必要はない。
「見たいのなら行ってきて良いぞ?」
ウサミン達は遊びに、イリイリアとマーレリバーは要塞都市の見学に行っておる。サイエニアス達だけ縛り付けておくのも何か悪いと思うての発言。
儂としては日頃頑張ってくれておる部下に気を使ったつもりだったんじゃがーー
「五月蝿いのは苦手」
アヤルネが眠そうな瞳で素っ気なくそう言った。その横でマーロナライアが頬に手を当てる。
「私はサイエニアスがライヴに出るなら是非見てみたかったのですが……」
「悪いがマーロナライア、私は二度とあんなことをやるつもりはない」
「あらあら。それは残念ですわ。貴方、結構楽しそうだったのに」
「ふん。言ってろ」
マーロナライアにからかわれて若干剥れるサイエニアス。しかし確かにアクエロの記憶で見たサイエニアスはそれなりに歌うのを楽しんでいるように見えたが……。まぁ、良い。
「なら悪いがプリティーデビルちゃんの護衛を引き受けてくれないか? エルディオンの奴がやけに気にしてたからな」
恐らく魔将級と思われるプリティーデビルちゃんに過度な護衛は必要ないとは思うが、確かに何かあっても困るしな。
「畏まりました。リバークロス様は如何されますか?」
「少し夜風にあたって来る」
今日は良い月夜じゃし、嫌なことがあったこんな夜は一人で物思いに浸りたいものじゃな。
「よろしいのですか? 次はアクエロ殿の番ですが」
「あいつの歌は普段嫌というほど聞いているからな」
それこそ呪詛の如く、何度も何度もな。アクエロが楽しそうなのは大いに結構じゃが、新曲を聴かれるわけにはいかないとかいって儂の中で練習するのはいい加減マジで止めてほしい。
アヤルネが儂の顔をジッと見つめた後、呟くように聞いてきた。
「護衛は?」
「必要ない」
「あらあら。まあまあ。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
頭を下げるマーロナライアとそれに続くサイエニアス。アヤルネだけは眠そうな目で儂をジッと見つめたままじゃった。
「ああ、すぐに戻る」
そうして儂は要塞都市をブラリとさ迷うことに。大きなビルや飾り気のない長方形の建物が幾つも立ち並んでいる。魔王城では様々な時代が入り交じったかのように色々な形の建造物があったが、この都市は近代的な感じで統一されておるの。
儂は翼を広げると、幾つものビルを飛び越え、更にその上へと昇っていく。天井には透明な壁があったらしいのじゃが、それらは全て破壊されており、その代わりに空間魔法がこれでもかと張り巡らされていた。
魔族の精鋭部隊によって設置されたそれは当然儂には反応しない。同じようにこの都市の防衛機能を使うには認証が必要で、それは当然じゃが天族と一部の人間専用となっておる。
技術者の話によると認証コードの変更は出来なかったようで、現在この都市は本来の防衛能力の十分の一も発揮できていない状態じゃ。それ故に占領した天領第四等区前ノ国から人材が届き次第、外壁を残した全ての建造物の破壊が決定された。
再利用よりも一度全て壊してから、魔族専用の都市を造った方が効率的との判断からじゃ。
こちらの世界は建築に魔法を使うので、専門の者達が集まればそう時間も掛からずに魔族の都市が出来上がることじゃろう。
そんなことを考えながらのんびりと飛んでおったので、それなりの時間を掛けて外壁の上に到着する。雲に届かんばかりのその高みから、儂は米粒と化した今世の同胞達を見下ろしてみる。
最上位の魔族の肉体を持ってすれば魔法を使わずともステージの様子が見えた。丁度アクエロが舞台に上がったところで、向こうもこちらに気づいて手を振って来たので振り返しておく。
「ああしていれば普通に可愛いんだがな」
そうしてぼんやりとアクエロのライヴを眺めた後、儂は仰向けに寝そべった。手を伸ばすと触れられそうなくらいに月が近かった。
「酒……持ってくれば良かったな」
何だか無性にそんな気分じゃ。
「栄養ドリンクでも良いんだがな」
向こうで弟子が良く作っておった特製の栄養ドリンクを思い出す。まぁ栄養ドリンクと言うには些か効力がありすぎて、完全に法で取り締まる感じのモノになっておったがな。
なんせ弟子の何人かはアレを飲んでから睡眠障害に陥った程じゃからな。しかしある程度肉体操作が上手い者にとってはハイになれる栄養ドリンクと言うことでかなり人気じゃった。
作るのにそれ相応の手間暇が掛かっておったようじゃが、あやつは気に入った者に甘い、というか求められることに生きがいを感じている節があったので、頼めばいつでも用意してくれた。
「お前も今頃この空を見ているのかな?」
久しぶりの魔族と人間の板挟みに良心がガツンと痛んだせいか、同じ異世界人である弟子のことがやけに気になった。
見上げる夜空は異世界と同じ。そういえば知的生命体が存在する条件に実は太陽だけではなく月の存在が不可欠なのではないのかと、天体好きの弟子が騒いだことがあったの。
「……やはり感傷的だな」
転生してから今まで、こんなに風に次から次へと元の世界のことを思い出す夜は初めてじゃ。
「まぁ、たまにはいいか」
こんな日もある。ほろ苦い感情に思わず苦笑しながら、儂はそっと目を閉じた。ーーその時じゃ。甘い香りが漂ってきたのは。
「何だ?」
さすがに食べ物の匂いが風に乗って届くには、些か以上に高度がありすぎる。儂は僅かな警戒心と共に上半身を起こした。
「こんにちは。いい月夜ですね」
風になびく赤茶色の髪。タートルネックのセーターに足首まで届くロングスカート。素朴な町娘を思わせる女が手を後ろで組んで微笑んでいた。
瞬間、見てはならないモノを見てしまったかのように全身の肌が粟立った。
「……誰だ? ここで何してる」
上級魔族ならここまで来れたとしても不思議は無い。だがいくら感傷に浸っていたとは言え、儂に気付かれずにこの距離まで接近するとは。
儂は立ち上がると自然体を保ちながらも意識は戦闘状態のそれへと移行する。こやつ………強い。まるで魔将と向かい合っているかのような感覚に、女が同じ魔族、それも悪魔族と分かっていながらも一瞬アクエロを呼び出そうかと考えた。
「それがですね。重要な仕事があるから手伝ってくれと姉に呼び出されて来てみたのは良いんですけど、当の姉が呼び出した私をそっちのけで遊んじゃってて。まったく、これでも急いできたんですけどね。仕方ないので姉のお遊びが終わるまでどこかで時間を潰そうと思っていたら、偶然貴方を見かけたんですよ。丁度良い機会だと思ったので挨拶に来ちゃいました」
「姉?」
良い機会と言うのは、その姉が儂の関係者ということじゃろうか? しかしこれだけの力を持つ魔族となると限られるぞ?
儂は頭の中で一定以上の力を持つ配下の内、兄弟がいる者達をピックアップしていくが、このどこからどう見ても無害にしか見えないくせに、無性にこちらの不安を煽ってくる気配の女と血縁だと思われる者はいなかった。
警戒と猜疑が表情に出たのじゃろう。女はそんな儂を安心させようと微笑みかけてくるが、その笑みに儂の全身が再び粟立つ。
ヤバイ。何か知らんがこやつ、とにかくヤバイ。
絶対に相容れない何かを前にしているかのような、あるいはあまりにも浅ましい人の欲を見せ付けられ、拭っても拭っても取れない何かが心にこびりついてくるかのような、そんな感覚。
一向に警戒を解かない儂に女は少しだけ悲しそうな顔をした後、ようやく己の正体を明かした。
「私の名前はプリティーデビルちゃんマークⅡ。エイナリンさんのお目付け役として貴方の軍に参加しているプリティーデビルちゃんの妹です」
「……………………なるほど」
その一言で色々と納得はできた。できたんじゃが、……また頭痛の種が増えるのか? つーか、何じゃ? マークⅡって? 何か改良でもされておるのかの?
弟子の栄養ドリンクがここまで恋しくなるとは。儂は頭を抱えて蹲りたくなるのをグッと堪えた。