一人の魔術師として
「私は絶対に反対です」
久し振りに訪れたギルド『ヴァルキリー』の本部。主だった者達を集めた会議室で、普段は落ち着いた物腰で受付を担当してくれているニルが、珍しく語気も荒くそう言い捨てた。
「ニルの気持ちも分かるわよ。でも既に幾つもの名うてのギルドがこの要請を受けているわ。私達だけ断るのも不味いと思わない?」
長い付き合いだ。一見平静を取り繕ってはいるが、その口調からビアンがかなり熱くなっているのが分かった。
「思いません。私達は私達の意思で動くべきです」
「ギルドだって客商売よ? 人類の為に皆が一致団結しようとする時に自分達だけ参加しないなんて、今後の活動にどんな影響が出るか分からないわ」
「構いません。既に名も十分に売れています。悪評が広まろうが仕事は問題なく探せますし、向こうからもやって来るでしょう」
「名前が売れているからこそ、断った時のダメージは大きいと考えるべきじゃないかしら。それに各国からの支援も受けづらくなるわ。教会や国に睨まれたくはないでしょう?」
「教会は今回の出兵に対して乗り気ではないので問題ありません。それでも周囲の目が怖いなら、天族様から別の依頼を受けていると言えば良いんです。ダメージを最小現に押さえる方法なんていくらでもありますよ」
ニルの言う通りこの戦乱の時代、力さえあれば仕事を探すのはそう難しくない。ニルを始め交渉事が得意な者もいる。ギルドを維持するだけなら、教会や国の支援を受けずともやっていけないことはないだろう。
ビアンもその事は分かっているのだろう、唇を噛みしめると、ニルから視線を外した。
「……そうだけど。でも、でも、……私は戦うべきだと思っているわ。盾の王国の崩壊以降、魔族の勢力は拡大の一途を辿っている。ここらで食い止めておかないと手遅れになるかもしれない」
「お言葉を返すようですけどビアンさん、サンエル様の使徒になれたからって増長していませんか?」
「なんですって!?」
「上級魔族や天族様が中心の戦場に自分から行こうなんて正気とは思えません。強い力を持って、それで周りが見えなくなっていませんか? 力を誇示したいなら他所でやってください」
「このっ!」
ビアンの体から蒼く輝く魔力が溢れた。それはそこいらの勇者では届かないような、天に選ばれた者特有の人を超越した力だった。対するニルは張り詰めた弦のような、静かでありながら力強い、そんな魔力を纏う。
気がつけば一種即発の空気が会議室を占拠していた。
「落ち着きなさい二人とも。感情的になりすぎですよ」
不思議とキリカが口を開くと場の空気が和らぐ。こういう時ばかりはさすがは聖女と思わないこともない。……ないのだが。……なんであんたは未だに素っ裸のままなのよ!? そして何故誰もそれに突っ込まないのよ?
おかしいでしょう! 二人が感情的? あんたは開放的すぎだっつーの!
「そうだぞ。喧嘩は止めとけ、止めとけ!」
私が心の中でキリカに突っ込んでいるとマレアがキリカに続いた。
ビアンは腰に手を当てると、そんなマレアをギロリと睨む。
「それじゃあマレア、そしてキリカ。貴方達の考えを教えてもらいましょうか?」
「私としてはビアンさんに賛成です。中ノ国であるララパルナが落ちれば地脈点を押さえられることになる。そうなれば現在こちらが持っている第四等区における転移などの優位性が奪われ、魔族の進行を加速させかねません。それだけは断固として防ぐべきです」
「なら……」
ビアンはキリカの言葉に勢いづきかけたが、それを止めたのもキリカだった。
「しかしニルさんの言い分も分かります。確かに今回の仕事は今までとは危険度が違う。一度この戦いに身を投じれば全員が生還できる可能性はとても低いでしょう。ですので、ここはギルドの中から行きたい者だけを自主的に募るのはどうでしょうか? それならギルドとしての体裁もとれますし、各々の考えを尊重することもできる」
普段筋肉の癖に、ほんとこういう時だけは良い意見を出すわね。普段であれば私もその意見に賛成するところだわ。普段であればね。
キリカの意見が通ると非常に面倒なことになりそうなので、仕方なく発言しようとした時だ。ニルが断固とした口調で言ったのは。
「私は反対です。クランの総意として今回の参戦要請をハッキリと断るべきです」
戦闘時以外でニルのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。普段は気の良いお姉さんなのだが、今はまるで分からず屋の強面上司みたいだ。顔の傷と相まって、結構迫力がある。
冒険者としての経験も豊富という話だし、上級魔族に対して何かトラウマを持っているのかもしれない。
ビアンはあくまでも反対の姿勢を崩さないニルに何を言う訳でも無く、意見を聞いたもう一人へとその顔を向けた。
「マレアは?」
「俺か? 俺はカエとビアンの意見に賛成するぜ」
いつもの答え。こいつは主体性があるのか無いのか、本当によく分からないわね。そういえば以前酔った勢いでベットに誘った時も、別に良いぜ。とか言ってホイホイ付いて来たし。
まぁ、あの時はビアンとキリカが邪魔してくれたおかげで未遂に終わったが、今考えるととても惜しいことをした気がする。
「じゃあ賛成ということでいいのね?」
マレアを自分側に引き込もうとするビアンだったが、ニルがそこで口を挟んだ。
「待ってくださいビアンさん。マレアさんはビアンさんと団長の意見と言いました。まず団長の意見を聞くべきではないでしょうか?」
ニルの言葉にキリカが頷く。
「そうですね。確かにこのギルドの団長はカエラなのですから、いい加減団長としての意見を言って貰いたいものです」
「そうだぜ、カエ。お前は結局どっちなんだ?」
そうして皆の視線が私に集まることに。方針は既に決めてある。何とか皆をそっちに誘導しなければ。私は仮眠を取り、少しだけ何時もの労働を思い出した頭を必死に動かした。
「私は……ここは断るべきだと思う」
「カエラ!?」
ビアンが信じられないとばかりに目を見開いた。
「落ち着いてビアン。私達は上級魔族の本当の力を思い知ったばかりでしょ。今回の戦いはあまりにも分が悪すぎるわ」
「そんなことは分かっているわよ。でも魔族は攻めてきているのよ? 戦う時は今じゃない。今じゃない。そう言っている内にその今が来ないまま敗北が決まったらどうするつもり? 第四等区が完全に落ちたら、巻き返すのは簡単なことじゃないわ。下手をすればそのまま一気に三等区、そして二等区へと流れ込んで来るかもしれないのよ?」
「私もビアンさんの意見に賛成です。天族様方が魔族などに破れるとは思いませんが、だからといって天族様方に何もかも任せれば良いとは思いません。人の世に住む者の一人として戦う時に戦うべきなのです」
キリカとビアンの意見に部屋の隅でハンマナさんが頷いている。隣のオカリナは面白いくらいにオロオロしている。
「二人の言いたいことも分かるわ。それでも今回は見合わせるべきだと思う。それがヴァルキリー団長としての決定よ」
ちょっと狡いがここは権力でゴリ押しすることにしよう。その後も話し合いは続いたが、反対派である私とニルがまったく引かないことで、どっち付かずだったマレアがこっちに付いた。
「いいんじゃないかビアン。カエがこう言ってるんだし。別にララパルナの行方一つで戦争が決まる訳でもないだろ?」
マレア。あんたそれ言外にララパルナが落ちても構わないと言ってるわよ。この子って好きなもの以外に少し情が薄すぎじゃないかしら? 私やマイスターのように年を取って達観したんならともかく、この若さでこの割り切りは一つの才能かもしれない。
私と似たような事を考え、そして私とは違いマレアに危惧でも抱いたのか、ビアンがどこか責めるようにマレアを見た。
「その考えが危険……ああ、もう。分かったわよ。その代わり明日からはカエラがちゃんと団長をやりなさいよ。元々普段貴方の仕事の半分以上を私がやっているからってこれ以上の丸投げは止めてちょうだい。いくら何でも忙しすぎるのよ」
ビアンが物凄く恨みがましい目で私を睨んでくるが、半分とか正直盛り過ぎだと思うんだけど。精々二分の一くらいでしょうに。カッカッしちゃって。ストレスと言うのは本当に怖いわ。
でもまぁ、普段頑張っている友人のために良いものをあげましょうかね。
「はい」
「……何よ、それ?」
「何って、私お手製の栄養ドリンク。よく効くわよ」
効きすぎてちょっと理性飛びそうになるけど、ビアンなら死ぬことはないでしょう。これを飲んで早く優しいビアンに戻って欲しいものだわ。
バンバン。バンバン。と机を叩く音が会議室に響き渡る。
「いらないわよ! 私が欲しいのは睡眠。睡眠時間なの? おわかり!?」
「お、オッケ~」
エルフ特有の美貌を何処かに置き忘れたビアンの形相に、私は思わず目を逸らしてしまった。
サンエルの言う通り目が血走った人間ってちょっと怖いわね。仕方ないので私は取り出した栄養ドリンクの蓋を開け、自分でそれを飲み干した。
それにしてもーー
「明日から、か」
「なによ?」
つい呟いてしまった言葉にビアンが反応する。いや、だからそんな目で睨まないで欲しいわ。
「いいえ。何でも無いわ。それよりもこの話は終わったと言うことで良いのかしら?」
私の確認にビアンは椅子に深々と腰かけた。
「仕方ないでしょう。他ならぬ団長の決定なのだから」
ビアンが認め、とくにそれに反対する者も出てこない。いや、キリカが何か言おうとしているが、それよりも早く私は団長として宣言する。
「それなら私達ギルド『ヴァルキリー』は、今回の第四等区中ノ国防衛戦には参加しないこととします。はい決定~。はい解散~」
有無を言わさない私の言葉に、キリカがポカンとした顔でこちらを見る。
本当ならキリカが何か言い出す前にさっさと逃げたいところだが、これが最後かもしれないと考えると、どうしてもそんな気にはなれず、結局私は会議室から誰もいなくなるまで苦楽を共にして来た仲間達の顔を見続けた。
そしてその日の深夜。
「置き手紙とか、アナログ過ぎたかしら?」
私は皆が寝静まる時間を選んで、コッソリとギルド『ヴァルキリー』の受付にしたためておいた手紙を置いた。
ごめんなさいみんな。でも、私は一人の魔術師としてこのままでは終われないのよ。
参戦要請と共に回ってきた資料。要塞都市を落とした魔族の中に『色狂い』の名前を見つけた時、こうすることは初めから決めていた。
マイスターに会いたい。それは当然ある。でも私は魔術師、それも現代最強と謳われたマイスター・クラウリーの弟子なのだ。
自身の魔術を砕かれたままでは、愛しい師の胸に素直に飛び込んでいけない。私は使える女なのだ。私は便利な女なのだ。マイスターが私という糖分な女なしでは生きていけないと認めるくらい、もっともっと甘くならなければ。
そのためにもーー
「借りは返すわよ」
ウサギ耳の獣人を思い出す。あれが今マイスターが侍らしている女の平均的な実力だとすれば、私がその中で発言力を手に入れるのは容易なことではないだろう。
もっとも、世界の壁を越えることに比べたら、その程度が何なの? という気にもならなくはない。既に最も難しい壁の一つを超えているのだ。今回の壁だって必ず越えてやるわ。
そこまで考えて、ふと感慨深い気持ちが込み上げて来た。
「……異世界か」
私は最後に一度、ギルド本部を見回してみる。
元々マイスターを探し出す為の手足のつもりで作ったのだが、思った以上に情が移ってしまった。ともすれば知らない内にマイスターと天秤にかけてしまいそうになるほどに。
だがそれも今日までだ。ここまでの勝手をする以上、勝とうが負けようもうがもうここに戻ってくるつもりはない。
「世話になったわね。中々楽しかったわ」
でも所詮私は異世界人。初めからヴァルキリーの皆とは住む世界が違ったのだ。後ろ髪を引っ張られそうになりながらも、迷いを振りきるように私は勢いよく扉を開け放ち外に出た。そこにはーー
「行くのかい?」
月の光を浴びて幻想的に輝く、四枚羽の天使がいた。
「サンエル。……どうして?」
「どうしてだって? 忘れたのかい、僕は君の守護天使だよ? あの時に誓ったじゃないか。何があっても君達を守るって」
大気という海に浮かぶ美しい天女の微笑みに、私は束の間見とれてしまう。
「それに僕だけじゃないよ」
サンエルの視線が動く。その先にはーー
「あ、貴方達……」
マレア、ビアン、キリカの三人が立っていた。
「まったくカエは本当に自分勝手な奴だな」
マレアが邪気の無い笑みを浮かべる。
「私達を置いてたった一人でどうするつもりだったのですか? カエラ、どうやら貴方には説教が必要なようですね」
腕を組んで目尻をつり上げるキリカ。
「ウフフ。私の睡眠時間が……。ウフフ。……カエラ、後でちょっと話があるわ。時間、作ってね?」
ビアンが今まで見たこともないような満面の笑みを浮かべている。気のせいか、いやきっと気のせいだと思うのだけど、こめかみに物凄い大きな青筋が浮かんでいますよ、ビアンさん。
「サンエル。これはあんたが?」
どうやら私の行動は筒抜けだったようだ。
「僕じゃないよ。彼女だよ」
サンエルの視線を追って振り返ってみれば、そこには全身を黒装束で覆った影のような人がいた。
「貴方は……教会は今回の出兵には反対じゃないの?」
教会は天族の意思を人々に伝える、言わば天族直属の組織だ。今回は天族が望んでいない出兵。だから教会は関わってこないだろうと予想していたのだがーー
「だからこそ、我々『影』の力が必要かと」
影の人は当たり前のようにそう言ってくれた。やだ。この人に言われるとちょっと嬉しいかも。いや、まぁ、この人がそうだと決まった訳じゃないんだけど。でもやっぱり嬉しいかも。
「勿論俺達ギルドの力もな」
マレアの言葉にキリカやビアンが頷く。正直今メッチャ感動してる。もう余計なことは考えずにこのままマレア達の胸に飛び込んでしまいたいくらいだ。でもダメ、ダメよカエラ。ここは我慢。ここは我慢よ!
私は努めて平静な口調で言った。
「貴方達、気持ちは嬉しいけど今回私は完全に私情で動くつもりなの。だから貴方達が付いて来る必要は無いのよ」
キリカも言っていたが、さすがに今回ばかりは命の保証は無い。できればヴァルキリーの皆には安全な所で大人しくしていて欲しいものだわ。
「私情。……やっぱりあの獣人ね?」
「カエ、メッチャ気にしてたもんな」
「ええ。今は慣れましたが、戻ってからの最初の一週間は私でも軽く引きましたからね」
人が真面目な話をしているのに、何か酷い言われようね。それにしてもよりにもよってキリカに引かれるって何気に凄く傷付くんですけど。
「勝機はあるの?」
ビアンの質問にちょっと考える。
「分が悪いのは事実よ。でも負けるつもりはないわ」
とはいえ勝率は二割、良くて三割あるかどうかだろう。後は環境や状況で生まれる有利不利をどれだけコントロール出来るかが勝負ね。
「そう来なくっちゃな。当然俺もギンガに借りを返すぜ」
マレアが腰に下げた刀の柄を撫でながら、獰猛な獣のような笑みを浮かべた。『色狂い』が来ているのなら、確かにその配下である先生達が来ていてもおかしくはない。おかしくはないのだがーー
「あのね、私の話聞いてた?」
何で付いてくるような流れになってるのよ。
「カエは私情で動くんだろ? なら俺達もそうさ」
「ええ。私は元々戦うつもりでしたし、カエラの言うことを聞く必要はありません」
「右に同じく。大体勝手に団長代理とか押し付けてきて、勝手に辞められると思ってるの? 影の人が教えてくれなきゃ、ぶん殴ってるところだったわよ」
そう言ってビアンが私の残してきた手紙を取り出すと、それをビリビリに破り捨てた。何で外に居たビアンの手に手紙が? 影の人の隠密スキル、恐るべし。
軽く戦慄しながらも、風に乗って散らばっていく紙切れを見送っていると、こちらに一台の魔道車がやって来るのが見えた。
「す、すみません。お待たせしました~!」
ギルドの全員が乗れる魔力で動く車、向こうの世界でいうなら大型のキャンピングカーといったところだろうか。内部には空間魔法も掛かっており、ギルドで手に入れたものの中では一、二を争う程値が張ったそれを運転しているのはーー
「オカリナ? それにあんた達……ニルまで」
窓から顔を出すギルドメンバー、そこにはムスッとした顔のニルの姿まであった。
「ギルドメンバー総勢三十三名。勢揃いですよ団長」
運転席の窓からオカリナが手を振りながら叫ぶ。一瞬、夜中にメッチャ近所迷惑じゃない? なんて思ってしまったけど、この甘い一時を壊したくないので黙っておく。
「ほら、行こうぜカエ」
「ここからの指示は任せたわよ団長」
「今回の件についての説教があります。魔道車に入ったら正座ですからね」
三人がそれぞれ好き勝手言っている。それを宙からサンエルが微笑ましそうに見下ろしていた。
まったく。まったく。……なんて甘い子達なのだろうか。何て素晴らしい仲間なのだろうか。
今まで味わったことのない甘味に舌が蕩けてしまいそうだ。
こんな極上のオヤツを口にしておきながら、それを吐き出せるほど私は出来た人間ではなかった。
「分かったわ。ならあんた達、せいぜい後悔しなさいよ。ギルド『ヴァルキリー』満場一致で第四等区中ノ国防衛戦、参戦よ」
「「「おおぉー!!!」」」
星々が美しく煌めく夜空の下に戦乙女達の声が高らかに響き渡る。
今この瞬間、私はこの世界に生まれて始めて異世界人としてではなく、この世界に生きる一人の人間、カエラ・イースターになれた。そんな気がした。
……そんな気が、してしまった。




